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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2007.03.18
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「ダライ・ラマの仏教入門」 心は死を超えて存続する 
ダライ・ラマ14世 テンジン・ギャムツォ 石濱裕美子・訳 2000/6 光文社知恵の森文庫 1995年光文社刊 原著 The Meaning of Life:Buddhist Perspecitive on cause and effect 1992

 



 このブログは一体全体、何冊の本を濫読したら気がすむというのだろう。一冊を読めば、10冊の本を読みたくなり、10冊の本を読めば100冊の本を読みたくなる。次から次へ、読書の魅力は永遠に続いていって、魅惑の世界は限りない層へ連なっているかのようだ。

 その中にあって、このような本に出会うと、もうこの本を最後にして、もういいのではないか、そろそろムキになってブログを書き続ける必要はないのではないか、と思えてしまう。もし、本当に縁を感じて、このような本を精読すれば、もうそれでよいのではないか。これ以上なにを望むのであろうか、一体何をこれ以上、探究しようというのか。

 これはダライ・ラマの「仏教入門」である。しかし、このタイトルは日本語訳のタイトルに過ぎない。ダライ・ラマは「入門書」として書いているつもりはあるまい。ただ、分かりやすく、行ないやすいように仏教が説かれているのは間違いない。チベット密教と、いわゆる日本で理解されている仏教には、たしかにいくつかの違いが指摘されている。しかし、もともと源流が同じであるならば、たどり着く境地に違いはないはずなのだ。

 
もし、あなたがチベット人とまったく同じように修行をしようとすれば、このような修行の体系はあなたの心に馴染んだものでないこと、また、社会と関係することが困難となってくることから、じきにひどい障害が起きてくることでしょう。
 現在、ラマに対して平伏して頭を下げる点まで、チベット人と同じように振る舞っている人もいます。しかし、このようなものまねをせず、あなたは自分自身の文化形態のなかに留まったままで、あなたが仏陀の教えのなかになんらかの効果的で有効な点を見いだしたとき、そのエッセンスを実践すべきなのです。社会の構成員として職責を果たしなさい。
p203

 非戦を旨とする地球人スピリットの探す旅の中で、チベット密教、そしてそれを象徴的に代表するダライ・ラマの存在はあまりに大きい。このブログでもますますその魅力のとりこになっていくに違いない。彼の世界を知ったら、もう他にいくことなど、ほとんど不可能なくらい魅惑的だ。そして、しかも実践的だ。

 しかしながら、それは、私がいわゆる仏教国と見られている日本の国に住む、いわゆる仏教的家系に育ち、どちらかというと仏教的な嗜好を持っている人間だからそう思うのかもしれない。中国の共産党員たちや、9.11という事件の向こう側にいるとされるイスラム人たち、あるいは、他のさまざまな思想や宗教のもとにある人々にとって、必ずしもダライ・ラマが究極のスピリットの「イニシエーター」とは認められないかもしれない。それにはいくつかの理由がある。

 ダライ・ラマが転生活仏であることは誰でも知っていることだが、現在の14世がなくなった時、15世はどのように登場してくるのだろうか。そして、世界は、その転生活仏をどのように迎えるだろう。チベット文化の中で、この1000年ほど続いてきたこの伝承は、世界の全人類を納得しきることができるだろうか。

 仏教の魅惑は限りない。地球人スピリットとしての地球宗教としては最短距離にあるだろう。ましてやそのより純粋でピュアで深遠なものを持っているとされるチベット密教は、誰もがみんな一度はきちんと勉強すべきもののように思われる。そして、その指導者としてのダライ・ラマは限りなく適任者であるように思われる。

 文化も意識も人間も、常なるものはない。すべてが流転する。このチベット密教も、次第に変遷していく必要が生じている。次なるものへ止揚されるのは必至の様相だ。しかし、本質が伝わるなら、それは当然、あって当たり前のことだ。

 この本もまたあるSNSにおいてJ祐史裕が紹介文を書いていた一冊だ。大乗、小乗、金剛乗、などなど、さまざま語られる中で、ヴァジラヤーナからの撤退として、マハヤーナへの逆戻りなのか、擬似ヴァジラヤーナからのようやくの目覚めなのか。法門の広さには限りない。表からでも裏からでも、下からでも、上からでも信頼できる法門にたどりつくのならなんの違いもない。

 
密教において師というものは大変おおきな役割を有しています。これまで何度も強調したことですが、仏教において分析と研究は非常に重要なものです。あなたがある人物をラマと仰ごうとする場合、その教えを授けてくれる人を最初から導師と認める必要はなく、むしろあなたに教えを授けてくれる宗教上の友人(法友)であると、単純に考えるように説いています。それから時間を経て、あなたがその人の資質を吟味してみて、この人が導師であると真の確信を得るに至ったなら、そのときはじめてあなたは彼あるいは彼女をあなた自身の導師として認めればよいのです。これが正しい手順であると思います。
 では、いったんラマと仰いだ人間に対して信仰を失ってしまった場合にはどうしたらよいでしょうか。もしあなたが、昔はラマに対して信仰があったけれども、今は信仰の念が起きず、むしろその人を嫌い始めているというのであれば、好きでも嫌いでもない中立的な態度をとることを勧めます。
p195

 現代の転生活仏であるダライ・ラマの言葉は深い。






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Last updated  2009.02.01 21:46:34
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