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カテゴリ:アガルタ
「私のチベット」 リンチェン・ハモ著 ペマ・ギャルポ/三浦順子・共訳 1988/4 日中出版 原書 WE TIBETANS 1926 外国人によって書かれたチベット本は多い。ダライラマや一部の有名チベット人を除けば、チベット人自身によって書かれたチベット本は限りなくすくない。その中にあってさらにチベット女性の手になる本となると皆無に近い。貴族一族に属する夫人リンチェン・ドルマ・タリンが英語で書いた「チベットの娘」(三浦順子訳)はきわめて珍しい本だ。英語本は1969年にでている。 それに比して、この「私のチベット」はさらに古い。1926年にでている。歴史上、外国人(西洋人)と結婚した最初の女性であるという。夫は前英国領事でチベット語は出来なかったという。著者は著者で英語はできず、この夫婦は中国語で日常会話をしていたという。著者は結婚後、夫の勧めにより、中国語で、自らのチベット人としての誇りを文化や宗教とともに語り、それを夫が書き取り、さらに英語に訳し直したようだ。 これを日本語に1988年に訳したのはペマ・ギャルポであり、三浦順子だ。ペマ・ギャルポには「チベット入門」を初め、たくさんの著作がある。テレビにもよくでて、流暢な日本語でチベット文化を紹介し、その文化交流に尽力している。 三浦順子も「チベットの娘」を初めとする訳本を多く出し、チベットの文化を体ごと理解しようとしている。チベット本を原寸大で書ける日本人女性も少ないのではないか。このリンチェン・ハモと三浦も、魂のどこかで繋がっているのだろう。 リンチェン・ハモは、1920年代の、いわゆる「シャングリラ症候群」の西洋人が跋扈していたであろう西洋社会において、ひとつひとつの誤解を解き、チベット人の文明の高さ、道徳心の高さを強調する。決してチベット人は未開な蛮族ではないのだ。いや、むしろ仏教の真髄を柱に据えた高度な精神文化をもつ稀有な高徳な人々なのである。彼女の誇りの高さは、この本がでてから80年を経た今でも、決して失われてはいない。 当時のチベットの風景を、チベット女性の視線で書いており、貴重な一冊だ。 また謎々遊びもあります。一人が謎をかけ、もし答えられなければ相手は罰として「オム・マニ・ペメ・フム(蓮の中の宝珠に栄光あれ---観世音菩薩の真言)」を一回唱えねばなりません。すると謎をかけた謎をかけた者は正しい答えを言うのです。 謎々遊びがどんなものかというと--- 「四本脚なのに歩けないものはなに?」---机 「命があるのに息をしないのは?」---卵 「息があるのに命のないものは?」---ふいご 「百頭の牛に一本のつなぎ縄は?」---花輪 「百本のつなぎ縄に一頭の牛は?」---テント 謎々あそびに規則はありません。それぞれ好きなように作り出してゆけばよいのです。p93 チョパは教会の尖塔の形にちょっと似た供物で仏壇にお供えします。線香は火をともし、線香台にたてます。僧侶たちが通常の、あるいは状況にあわせた特殊なお経を唱えている間に、信者は儀礼用スカーフ、カタを仏壇にお供えし五体投地します。それから外に出、本堂をかこむようにして置いてあるマニ車の列をまわります。「オム・マニ・ペメ・フム」の真言を唱えつつ、マニ車を一つづつまわします。一周でも二周でも自分が満足するまでまわるのです。p118 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.31 12:30:48
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