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カテゴリ:チェロキー
「そして名前だけが残った」 チェロキー・インディアン 涙の旅路 アレックス・W.ビーラー 片岡しのぶ・訳 1998/02 原書Only the Names Remain The Cherokees and the Trail of Tears 1972 コンパクトだが、淡々と展開されるチェロキーの歴史。作者は1921年に生まれ、1980にこの世を去った。当初はテレビはドキュメンタリーとして発表され、1965年には米国連合通信社賞を受賞したという。本として出版されたのが1972年。翌年にはジョージア作家協会賞を受賞したという。カバーイラストを「リトル・トリー」とおなじ藤川秀之が担当している。 ジョージア州北部にひろがるアパラチアの山岳地帯には、160年前までチェロキー・インディアンが住んでいた。チェロキーは独自の文明を持っていたが、白人文明を取り入れ、白人との平和共存を望んだ。だが白人は、チェロキー国家で発見された金鉱に目がくらみ、チェロキーの信頼を裏切り、チェロキーを西へと強制的に移住させた。強制移住の途上、チェロキーの4人に一人が死んだ。むごたらしさをきわめたその旅は、今なお「涙の旅路」として記録される。 表紙見返し 缶コーヒーの名前になったり、4輪駆動車の代名詞になったりしている、ゆかりある名称たちだが、その裏にどのような歴史が隠れているのか、心をとめて紐解いていかないと気がつかないことも多くある。ネットで検索してみると、「インディアンの歴史と現在を知る文献」というところがあった。抑圧民族と被抑圧民族の対立の話は地球各地にあり、とりわけ北米の一地域だけに起きたことではないだろう。歴史上の「戦争」はほとんどこの構図であるし、地域対地域、民族対民族、国家対国家、思想対思想、どのような構図であれ、そこには悲しみがあり、涙がある。 マヤ文明しかり、チベット文化しかり、地球に生きるひとりの人間には理解しがたく、なんの手立てもなく、呆然としてしまうことが多い。しかし、いたづらに「悲しみ」だけにシンパシーをもつことは避けたい。謙虚に先住民に学ぶ姿勢を堅持しよう。ウィキペディアをみると、「チェロキーの血を引く著名人」の中には、エルビス・プレスリーやジミー・ヘンドリックス、ティナ・ターナーの名前が見える。また、「英語「Cherokee」の語源はチョクトー族が交易に用いた単語に由来する。本来のチョクトー語は「山(または洞窟)に住むもの」を意味する「Cha-La-Kee」である」、とのことである。 わずか300人が調印した条約など、チェロキー国家の憲法にかんがみても、それまでチェロキーと合衆国がとりかわした諸条約にかんがみても、違法であることはあきらかだった。これほどの重要問題は、チェロキーの全人口、1万7千人の大多数が賛成してはじめてとりきめられるべきものだった。だが、ジャクソン大統領はこの条約を嬉々として受け入れ、1836年、合衆国上院もただ一度の採決でこれを承認した。上院が承認した以上、もはやチェロキーには、いかなる望みも残っていなかった。p70 コンパクトではあるが、ここには濃縮されたチェロキーの歴史が描いてある。作者は1921年生まれということだ。このブログでもしチェロキーというカテゴリが成立するとすれば、この本は、基調なベースとして基線を引いてくれることだろう。なんどもここに戻らなくてはならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.11 09:19:13
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