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カテゴリ:チェロキー
「アメリカ先住民の宗教」 シリーズ世界の宗教 ポーラ・R.ハーツ /西本あづさ 2003/12 青土社 単行本 188p 原書1997 おすすめ度●●●○○ アメリカ先住民の宗教は、いわゆる「体系化された」宗教とは、いくつかの点で異なる。彼らの宗教は「組織的」ではなのだ。つまり、教会の建物もなければ、階層制度もなく、組織体そのものもない。確かに、一部の部族に伝わる物語の中で、部族の有名な人物の行為が回想されることはある。だが、ほとんどのアメリカ先住民の宗教は、例えばモーセ、イエス、アラー、釈迦のような歴史上の中心人物には依存していないし、キリストの礫刑や仏陀の悟りのような特定の歴史上の出来事とも結びついてはいない。 伝統的なアメリカ先住民の文化は常に口承で、大切なことがらは人々の口から口へ語り継がれてきた。信者が固く守らなければならない成文化された信条も道徳律も規則も存在しない。例えば聖書やコーランのような聖典もない。多くの点で、アメリカ先住民が精霊と交わる精神世界は、神道や道教のような民間信仰にルーツをもつ宗教と類似している。しかし、文字に書かれた信条がないということが、行動規範や倫理的価値基準がないということを意味しているわけではない。倫理的に正しいあるべき生き方をするための厳格なルールが、すべてのアメリカ先住民の文化を支配している。部族のメンバーは、手本となる実例を見ることでそのルールを学ぶ。つまり、そうした行動を規定する原理は、公式な教育の中で習得されるのではなく、幼少期から内面に刻まれて彼らの生き方の一部と化すのである。p21 この本は、コンパクトで分りやすい。シリーズ世界の宗教15冊の中の一冊、となっているが、はて、これでいいのだろうか、と思わないわけでない。キリスト教、仏教、イスラム教といったいわゆる世界宗教と同列にならべて「アメリカ先住民の宗教」を見てみることが、どれほどの意義があるのかは、にわかには判断することはできない。 アメリカ先住民、宗教、という言葉を、にわかに当てはめても、本当の実像は湧いてはこないのではないだろうか。しかし、じゃぁ、どのように真実に迫るかというと、もともとネイティブな生まれではない人間にとって、その方法も限られてくるか、あるいは不可能といってもいいことになる。 一部の部族---例えばチェロキー族では、先祖にチェロキー族の血が混ざっていることが確認できれば、誰でも正式なメンバーとして認められる。一方、少なくとも四分の一、あるいは八分の一の部族の血が流れていないとメンバーとは認めない部族もある。さらに、部族のメンバー資格を規定する別な規則を持つ部族もある。p26 文字によって記録されず、写真による撮影もできない儀式などで構成される部分については、推測するしかないし、類推に頼らざるを得ないことも多い。でも、次第次第にその部分への関心はたかまりつつある。 20世紀の終わりに、先住民の文化に対する関心が、得に保留地内やアメリカ先住民の子孫たちの間で、復活した。今日では、より多くの人々が、自らをアメリカ先住民だとみなすようになている。若者たちは、自分たちの文化的遺産についてより多くを学ぼうとし、踊りに積極的に参加したり、異なる部族の人々が一堂に会するバウワウのような集会に出席したりするようになった。 インディアン以外の人々もまた、先住民の文化や宗教についてより学ぼうとしている。アメリカ先住民の芸術家や職人の作品は、アメリカ・インディアン・ダンス・シアターのようなグループが、アメリカ先住民の文化を幅広い層の観客に届けている。p170 このブログでの読書はいささか、お気軽でおっちょこちょいな道筋を歩んでいるのだが、一市民が公共の図書館で活用できるような資料を通じて、どんなところまで行けるのか、もうすこし試行錯誤を続けてみようと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.11 10:14:53
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