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カテゴリ:アンソロポロジー
ここまで麻(ヘンプ)にこだわれば、見事ということにしておこうか。今回の対談者は弁護士。日本でただ一人の大麻専門の弁護士だという。この丸井弁護士は、70年代に依頼された大麻事件裁判の過程で、「ホピの予言」を出す前の宮田雪と出会い、ヘンプに対する見識を広げたようだ。 70年代の大麻のあつかわれかたは、意識の拡大とか、感性がするどくなるとか、創造性が豊かになる、などという面が強調されていた。現在のヘンプの運動は、それ以外にも、衣食住への関わりや、治療効果、あるいは、燃料や素材としての面を強調しているようだ。 しかし、なんでもかんでもヘンプ一本で解決しようという姿勢はあまりにも幼稚。ヘンプで「地球維新」というのは、まぁなにかの本やコンサートのタイトルくらいになら使えるだろうが、実際は、地球上すべてをヘンプ畑にしたところで、地球上の問題がすべて解決するわけでもない。まぁここまでこだわりを見せるのは、この人たちにそれだけの理由があり、それこそ縁が深いのだろうと、察するにとどめる。 ところで「麻」と来て、「一竹辻が花」の解説のなかの一説を思い出したので、これこそ何かの縁と、抜き書きしておく。一応、「麻」つながりということで・・・・。
どうしてそうかというと、上流は絹を着て、中以下は麻とか植物性の雑繊維と決まっていた。江戸時代になるとちゃんと法令化して、庶民は絹を着ちゃいけないということになるんだけれども、昔はそうではなくて、自然とそういうふうになってしまっていたでしょう。 そうすると、絹を使えば糸が細いから、綾でも錦でも織り出せますけど、麻なんかで錦みたいなものはとても織れるものではない。麻の錦なんて聞いたことがないでしょう。すると結局、染めにいくよりしょうがなかったわけですね。それで庶民はずっと染めをやってきた。奈良時代にはキョウケチやロウケチなどもあったけれど、そういう高級なものは途中でだんだんなくなってしまって、結局、絞りが残った。 そうしたところへ、だんだん上流階級が下向きになってくる、下のほうが上に上がってくるということで、下の方から衣生活もだんだん上の世界へと食い込んでいって、染めの世界がだんだん上へのし上がっていった。ところが、昔の絞りなんていうものはただ絞って一色に染めるだけのことなんだけれども、織りの世界を知ってますから、そこまで下から成り上がってくるとどうしたって、もっと色のたくさんある、織りにないようなものを求める。織物の柄というのは原則として決まった柄が繰り返していくけれども、そうでなくて、もっと絵のようなものをつくろうとしたわけです。 そういう非常に洗練された自然というものを着物の中に持ってこようと思っても、さあ、染めは絞りしか技術がないでしょう。そのほか残っているものといえば、じかに筆で描くとか、箔をつけるとか、刺繍なんかですよね。辻が花の時代というのは、色がたくさんあって絵画的で美しいものをつくろうという渇望みたいなものが、全体にあったと思うんです。 それに対して主なるものは絞りなんだけれども、絞りだけが主役ではなくて、ほかの描き絵だろうが箔だろうがみんなが一つになって、だんだんできていったのが辻が花じゃないか、だから、辻が花というものはもちろん一人がやったものではないし、長い年月のあいだにだんだんできたもので、こうした多彩な絵模様染の最後が友禅染になって、どんな色でも形でも自由にできるというところまで行くわけでしょう。しかし、そこへ行くまでにはそれこそ今のお話のように、試行錯誤をやりながらだんだん進んできたのが辻が花ですからね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.20 21:24:10
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