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カテゴリ:環境心理学
「チベット密教」 田中公明の著書は何冊か読んだと思ったが、訳を含めて「チベット密教・成就の秘法」 「活仏たちのチベット」 など数冊にすぎなかった。著者の作品一覧を見てみると、20数冊ほどあるのだが、やはり読んではいないようだ。図版モノが多く、ちょっと毛色は違っているが、そのうちまたチャンスがあったら、著者つながりで、一覧しておくのも面白そうだ。 著者は「あとがき」で自らを「定職のない浪々中の身」p245と紹介しているが、この本のでた1993年当時、チベット密教に詳しい存在を処遇する大学や研究機関はまだすくなかったのだろうと思う。この田中公明や、正木晃、杉山正明、島田裕巳、あたりは同年輩の一団を構成しており、数年先輩になるが中沢新一などがいる。この世代にやや遅れる形で、かの麻原が生きていた。ことに1993年当時は、事件こそ全面的に暴露されていなかったが、地下深く、かの集団の混迷は深まっていたのだ。 チベット密教は、日本の文化の中では中央に躍り出ることはなかったが、近年、欧米からの影響もあって、関心が深まっていた。密教として、通常なら一般には秘されて公開されることのなかったような情報もどんどん飛び出していた時代でもある。関心がないから公開されない、ということと、いたずらに公開すべきではないから公開されない、というものがある。 この本が出版された当時、麻原ひとりとはいわないが、日本社会全体が、チベット密教的なものへの傾斜が深まり、しかも文化的な免疫的クッションのなかった日本社会は、こと麻原的な事件が発生する素地を準備してしまっていたのではないか、と、後付けではあるが、大いに危惧する。 本書においては、言葉づかいなどが、ちょっと特殊で(たとえばポアとか、最終戦争とか)、ある種の免疫を持っていたものならともかくも、初めてかの事件を通じてこれらの文化に触れた一般人においては、チベット奥深く刻み込まれた仏教真髄と、単なる皮相な刑事事件との境目が見えなくなってしまった可能性がある。かの集団は二重三重大きな罪を犯してしまったのだと思う。 さて、そのような時代背景にありながら、本書は「チベット密教の概説書」p4を目指したものであり、時代の流れの中では意義ある存在を示したといえるだろう。とくに、リチェンサンポやマルパ、プトゥンと並んで、アティーシャやツォンカパの人物伝とその功績を簡潔に紹介してくれていることに感謝したい。 また、ツォンカパの二大次第、「生起次第(キェーリム)」と「究竟次第(ゾクリム)」あたりから、概論的にスロースタートしてくれているところが嬉しい。まずはこの辺から、このチベット密教とやらに慣れていくしかない。 これらの「六法」が、どのような効用をもたらし、どの時期に修せられ、どのような者に適しているかについては、レーチュンンパが唱道した「セポ(合体と転移)の九類」という解釈法が有名である。p238 またこのように、かぎりなく情報のすくないレーチュンパについての記述があるところもありがたい。 チベットでも、菩薩の中では観音がもっとも広く信仰を集めている。「大乗荘厳宝王経」所説の四臂観音は、「オンマニペメフン」の六字真言を仏格化したもので、「六字観音」とも呼ばれている。チベットにおける観音の標準的スタイルといえるだろう。p154 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.11.07 21:45:10
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