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カテゴリ:バック・ヤード
この本もまた期せずして、忘れた頃に遠く1000キロも離れた図書館から転送されてきた一冊である。一緒にきたのが、ツォンカパの「吉祥秘密集会成就法清浄瑜伽次第」であったことも、なにかの因縁を感じる。 クリシュナムルティ本は、リストは作ったものの、そしてかなりの量の本を借りてきたものの(もちろん手持ちも多数ある)なかなか当ブログとしての読み込みは進まない。同じころにリストを作ったグルジェフ&ウスペンスキー関連本は比較的一冊一冊に、めりはりのある個性があり、退屈しないのだが、クリシュナムルティは、ある時期以降は、かなりモノトーンで、一気に読み込むのはキツイものがある。 しかし、この本は特別であろう。なにせ、クリシュナムルティ13歳の時の「処女作」ということになっているのだから。出版されたのは1910年。アニー・ベサントの序文がついている。Oshoの「私が愛した本」によれば、この本を書いたのはクリシュナムルティではなく、このアニー・ベサントである、ということになる。もっともOshoは「禅宣言」では、別な言い方をしている。 彼(クリシュナムルティ)の最高の本のひとつに「大師の御足のもとに」がある。この本が出版されたのは、彼がわずか13か14のときだった。それはほかでもなく、14の歳でこんなに素晴らしい本が書けるということを世に示すためだった。でもそれを書いたのは彼ではなかった。それを書いたのはリードピーターという人間だった。リードピーターは彼の個人教授のひとりで、東洋の宗教を非常に深く究めた学者だった。「禅宣言」p19 いずれ神智学グループの側近たちによるものであることは間違いないようだが、Oshoの発言にも「私が愛した本」(1980年)、「禅宣言」(1989年)、とブレがあるようだが、客観的にはどちらとも確定することは難しそうだ。クリシュナムルティ本人もこの本の出自については、明確な対応は残していない。ただ、そういう経緯だったとしたら、たとえば、今東光などは1970年代まで、まんまと彼らのマヌーバー(方便)に乗っかっていたことになる。 このようなチャネリング本に対する対応は難しい。クリシュナムルティがチャネリングしたのは、マダム・ブラバッキーが接触したとされる肉体を持たないアデプトKH(クート・フーミ)だということだが、そのチベットの奥地については、1900年代初頭にはまだまだ神秘のベールをかぶっていた。モリヤ大師とか、さまざまな名称も列記されているが、当ブログでは、その読み込み方には十分眉唾であってしかるべきだ、という態度を取り続けている。 便宜上、「アガルタ探検隊」などを装ってはいるが、徹底した唯物的科学マインドや、社会科学的なジャーナリストの視点をも合わせ持とうとする当ブログにおいては、このようなエソテリック話は、ほとんどが低俗な茶番に終わってしまうことが多い。だから、いわゆる最近の書店を飾っているようなオカルト本には、ほとんど信をおいていない。 しかし、これら一連の情報物たちを投げ捨ててしまうのはあまりに惜しいとおもっている。ミステリーやファンタジーの一種として読む込むのも悪くはないだろうし、不可知論に重点をおく神秘家的態度もまた当ブログには欠かせないものであってみれば、一度はじっくりこの世界を読みこむ必要を感じてはいる。 それにはどのような立場で読むか、ということになる。現在のところ一案としてあるのは、1931~1953年に北米においてチェロキー青年として生きたアガータ多火手の背景を理解する手立てとして、読み込むという方法である。当時、まだチベットはまだまだ神秘のままだった。なにも知らされていないに等しかった。そしてまた、彼がその麓で交通事故死したシャスタ山についても、詳しいことはほとんど知らされていなかった。彼は一体どのようなマインド構成で生きていたのか。そこのところを説くカギとしては、当時の神智学的流れを理解しておく必要があるだろう。 当時はKHなどと言って、言い逃れもできた。しかし、すでにチベット密教についての多くのことが公開されている。今手元にあるツォンカパの「吉祥秘密集会成就法清浄瑜伽次第」なども、いままではほとんど一般には公開されてこなかったチベット密教最奥の秘密である。21世紀の現在、安手のマヌーバーに逆行してはいけない。科学的マインドも多いに活用されなくてはならない。事実関係をしっかり見つめるジャーリスト的態度も必要とされる。そして、それでも更に残されている人生の神秘を、新たなる純粋な若々しい目で見直す必要がある。
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Last updated
2011.01.10 10:26:44
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