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テーマ:私のPC生活(7397)
カテゴリ:バック・ヤード
<2>よりつづく このタイトルを見て、そうなんだよなぁ、とついついまた手が伸びた。だいたいこの程度の問題意識には当ブログにはちょうどいい。あまりにとびぬけたテクノロジー論にはどうにも手も足もでないし、かといって、いまさらカマトトぶってベーシックな基礎編ではあくびがでる。 この本、ホントに三回も読みなおすべき本なのだろうか。もうすでに1年半以上も前の本だし、この本だけでしか解決しない問題が提起されているわけではない。だけど、なんだろう、この魅力は・・・・・。問題意識がある、ということは分かった。これは地道に考えていかなくてはならない問題だ。だけど、個人ユーザーがどうのこうのと言って解決する問題ではない。なにかうまい解決策があるのではないか・・・・。だけどどうする・・・? 本は読んでしまったけれど、自分の外側に、簡単に解決しないような問題があるぞ。この問題、どうなっていくのだろう、どうなってしまうのだろう、という問題意識の確認として、私はこの本を読みたくなるのに違いない。そしてこの問題はどうなっているのだろうか。方向性は見えてきたのだろうか。 漠然と考えてみた場合、きっとこの「インターネットは誰のものか」という大きなテーマはこれから10年くらいは、営々とそれぞれの立場から考えられていくべきものなのだろう。たとえばスパムの問題。あるいはグーグルの問題。そしてP2P。デジタルデバイドのこと。公共性と公平性。そして自由と制限。考えていくと、さまざまな問題意識につながっていく。 解決策はあるか。あるのは当然だ。なくてはならない。だけど、時間が解決することもある。今は方向が見えないけれど、かならず解決するはずだ。だから、諦めず、あるいは不明瞭にせず、あせらず問題意識をもちつつ、持続的に観察していこう。そんなことを、自分のどこかで感じたのかもしれない。この本をみたび手にとって、あらためて確認したのは、問題意識、そのものであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.02 23:20:02
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