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2005.12.18
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 岩波文庫。1976年12月16日・第1刷。1993年5月17日・第10刷
  「こども風土記」は、「鹿・鹿・角・何本」からはじめて、連想ゲームのように、主に子供の遊びに関するさまざまな事柄について考証していく。
 その姿勢は、「私がこんな小さなことに力を入れるのも、目的はもっと自分の中にある「日本」を見つけ出してもらおうがためである。」(p38)という文にあらわれている。
 読み始めてすぐに気づいたのは、「妖怪は零落した神だ」というのと同じ、本来は高尚なものであったのが、たっとばれない存在になってしまったという考え方。
 たとえば、「おもちゃの起り」に「あんなオシャブリのような小さな玩具でも、やはり最初は、御宮笥《おみやげ》であり、すなわち日本人の信仰から生まれて、発達したものだったということである。」(p33)というところにもそれが見られるし、「猿ちご問答」では、はっきりと、「百年も以前に行われていたものならば、古来の風習だろうと即断する人がないとは言えぬが、私には一つの零落《れいらく》の姿とした思われない。」(p58)と述べている。
 いつものことながら、知らないことばかり。
 「左義長と正月小屋」の「左義長」は聞き覚えのある言葉だが、何だったかなと、辞書を引いたら「どんど焼き」のことだった。

 「母の手毬歌」は「母の手毬歌」「千駄焚き」「親棄山」「マハツブの話」「三角は飛ぶ」「三度の食事」「棒の歴史」と項目を立て、考察している。
 なるほど、と思ったのは、「信心深い」の変化。
 一つの神を深く信仰するのではなく、「迷いの多い者、大小さまざまの村の神々にも、また神にも仏にも、そちこち、わずかずつ祈願をかけてあるくような者を信心深い人ということになったのは、考えて見るとへんな話である。」(p157)というのは、言われてみればその通り。信心が深くないから、あちこちの神仏に頼るのだ。
 また、「親棄山」は『大和物語』にもある古い話だが、各地の口碑を紹介し、それに基づいて、「本に出ているからそれが最初の話だったと、言うことのできない証拠にもなるのである。」(p177)という。確かにその通りだ。書物が先にあってそれが広まるのではなく、話が先にあってそれが採録されたはずなのだから。
 柳田国男がいかに広く調査し、自分の頭で考えたか、ということがわかる。
 「三度の食事」では「食」の読みがいろいろ出てくる。
 まず「二食主義《にじきしゅぎ》」とあり、まもなく「朝晩の二食《しょく》にしようと決めた人も」というのが出てくる。
 読みが異なる理由はわからない。
 音読みについては、「食をシーまたはスイーと読むのは呉音《ごおん》というもので、仏教を学んだ人はみな呉音を使っていた。」(p251)の「シー」「スイー」は何か。
 音読みで「ー」という記号を用いることはないので、現代漢語の音のことをいっているのだろう。ピンインなら「shi」「si」に相当するものだ。
 しかし、これを「呉音」ということはできないのではないか。
 「棒の歴史」では、「ボウ」という語について、「ボウも、ことによるとホコという日本語から、わかれて出た言葉かも知れぬのである。」(p291)と言っている。
 これはどうか。
 辞書を引いたら、「棒」は音読みでも訓読みでも「ぼう」と読むのだった。音読みでは「ボウ」は呉音、漢音は「ほう」。「奉」が音符。
 現代漢語のピンインでは「bang」。
 呉音が日本語化したもののように思われるが、確信はない。

 子供の遊びを中心に語っているので「こども風土記」なのだろう、「母の手毬歌」も、身近なものを題材に、研究成果をまとめたものなのだろう、なるほど民俗学というのはこのようにものを見るのか、勉強になるなあ、と思ったのだが、巻末の付録「『村と学童』(朝日新聞社版)はしがき」を読んで驚いた。(『村と学童』は「母の手毬歌」の母体)
 戦争中に、疎開している子供のための読み物として書かれたものだったのだ。
 「この本の読者を、もっぱら五年六年の大きな生徒の中に、求めようと私はしている。」(p302)ということだ。私は戦争中の小学生以下だったわけだ。
 その文の中に、「弟妹たちとおもやいに」というのが出てきたのだが、その「おもやい」の意味がわからなかった。
 手元の国語辞典や広辞苑には載っていない。
 インターネットで検索したら、九州の方言で「共有する」ということだった。
 柳田国男は兵庫で十二歳まで兵庫で暮らしていた。そのときに覚えた言葉だろうか。
 解説では、「独り利害の念に絆され」の「絆され」が読めなかった。「ほだされ」だった。

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Last updated  2005.12.18 21:04:54
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