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2007.02.10
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カテゴリ:江戸時代を知る
 今川徳三。雄山閣。1973.1.15。

 「無宿人の生活」というからには、木枯らし紋次郎のような渡世人の日常生活について記してあるのかと思ったらさにあらず。「無宿」だからといって渡世人とは限らないのだ。
 「一定の住家を持たぬ者」あるいは「戸籍から除外された者」というだけなのだ。
 考えてみれば、同じシリーズに「やくざの生活」があるのだから、そちらを読めばいいわけだし、実際、読んだ記憶があるのだ。
 内容は「無宿と農民」「無宿無頼」「旗本奴と町奴」「無宿と乞食」という具合で、「無宿」という身分になるのは、身分の上下に関わりがないことがわかる。
 無宿とは関係のないことながら、天保の飢饉で、米価をつり上げたのは、売り惜しみがあったからで、
大阪の米商人などの一部には、手持ち米をわざわざ、海中に投棄した者迄あった」(p4)

そうだ。
 社会状況は江戸の人口にも影響し、天明には、
男五十八万八千五百余人であるのに対して、女は六十九万七千五百人(p33)

で、女の方が遙かに多いという記録があるという。(男女が逆なのではないかという説もあるそうだ)
 飢饉において、生き延びるのは、「女と子供」(p36)なのだそうで、
後に、無宿渡世を表看板にのし歩いた博徒の大部分は、これら飢饉孤児から成長していった者でしめられているのである。(p37)

というのだが、その実例は示されていない。
 無宿だからといって仕事がないわけではなく、「雲助は無宿である」(p126)ということだ。
 とらえられた無宿人の行き場というと、佐渡の金山送りが頭に浮かぶが、需要があったわけではないらしい。
 むしろ、金山側では、無宿人をもてあまし、
一人でも多く佐渡から追い立てようと、腐心していたのである。(p205)
というから驚く。

 「関東取締出役」の「出」に「で」とルビが振ってある(p140)が、これは「しゅつ」の誤り。

 全体に、エピソードを羅列する形で述べられているのだが、公文書の写しであっても、その出店が明記してないのが残念。
 「著者略歴」によると、「子母沢寛先生に師事、作家活動に入る」ということで、歴史研究者ではないらしい。

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Last updated  2007.02.10 18:36:56
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