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2009.10.07
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カテゴリ:江戸時代を知る
 『耳嚢(上)』から、好きな話を現代語訳で紹介するものの二。

 本目隼人という佐渡奉行は、佐渡で病死したので、その墓も佐渡相川の寺院にあった。海を渡り百里隔たっているので、家督の者からその墓への頼りも思うようにならなかった。ところが、石野平蔵が佐渡奉行になって二度目の勤めのころでもあったろうか、隼人三回忌の年だそうだが、平蔵の足軽をしていた者がその寺へ来て麻上下に着替え、金子百疋を納めて屋は都の墓に参ったので、住僧は、
「こちらへ」
と招いて、あり合わせの食事などを振る舞い、事情を尋ねると、その者が答えて言うには、
「わたしは、隼人様幼年より一緒に育ち、在世のうちは暑く用いられましたが、二代目になっては、小身でもあるので今は外に出ております。隼人様大病のよしを承り、なにとぞこちらへ参りたいと千度も百度も願ったけれど許しが無く、没後なんとかしてお参りしたいと跡継ぎへ願ったけれど、不如意のこと故許しがない。あまりのことに耐えかねたので、佐渡奉行の往来日雇い入れ口へ頼み、このたび足軽になって来て本懐を果たしました。いくらでも寺に納めるべきですが、跡継ぎではわたしの思うほどのことはしてくれません。わたしの子供二人がいまはほかの屋敷に勤めていて、その家からの賜りものなどでいささかの香典を納めました」
という事情を語ったので、住職も涙を流し篤く挨拶に及んだそうだ。その住職が、組頭の岸本弥三郎のところにへ来て語ったと、わたしが佐渡奉行を務めていた頃、岸本が物語った。奇特の真心もあるものだ。

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Last updated  2009.10.09 10:50:04
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