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2009.11.07
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カテゴリ:江戸時代を知る
 『耳嚢(上)』から、印象に残った話を現代語訳で紹介する。

 わたしの所へよく来る大木金助という者があるが、絵など描き医業などを公務の間になして、我が家の小児など具合が悪い時にはその技術を頼んだりしていたが、ある日来て言うには、
「世には不思議の生まれつきもあるものです。去年、堺町の歌舞伎を見に行ったところ、そこの茶屋のせがれが十三歳でしたが、なにとぞ絵を習いたいと言いますので、絵の手本などしたためて使わしましたが、そのせがれが、このごろ金助の所へまいりまして、もっぱら絵を習い素読などしております。」
と言うことだ。そもそものはじまりを聞いてみると、そのせがれは芝居のすぐそばに住んでおりながら、狂言などを見ることははなはだ嫌いで、明け暮れ学問などするので、その父母は家業にふさわしくないとふだん叱りつけていたが、弁当などを芝居へ運ばせるのも厭い嫌い、場所柄の浮ついた賑やかなありさまを気に留めることもないので、とても家業を継がせるわけにはいくまいと、金助を頼み、寄宿させたという。金助も、その親と話し合ったところ、当人が望む上はよろしくお願い申しますというので、今のところ置いているという。歌舞伎茶屋ながら相応に人も召し使う者のせがれが、金助のところで茶を運んだり朝夕の給仕などをして、いくらか苦しいことだろうに、物好きな者もいるものだと言っていたが、ある日、その親が来て、
「このせがれはとても家業を相続いたす役に立つべき者ではございません。このような不了見の者は侍にでもいたすしかございますまい」
と言っていたと大笑いしたそうだ。

 誰がどこまで語ったのかわかりにくく、本とは台詞の部分を変えてある。
 金助が来て語ったように書いてあるが、金助を知る人物が来て語ったと考える方が自然か。
 武士に対して失礼な言いぐさではあるが、それを笑って受け入れるだけの社会ではあったのだろう。

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Last updated  2009.11.07 20:28:03
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