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2012.10.17
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 昨日の「おたりまんじゅう」の地図の中程に「旧遊郭跡」とある。
 これがその写真。
 40年以上前の記憶では「しんち」と呼ばれていた。たぶん「新地」なのだと思う。
 ここへいく道のあたりを「弓町」と言い、道が弓なりになっているからなのかと思ったが、そういう訳ではなく、弓関係の武家屋敷があったことにちなむらしい。
 遊郭は二軒並んでいた。

 これが奥の建物。こちらの方が少し保存状態がいい。
 文化財といえば文化財なのだが。

 この二軒は、遊郭ではなくなった後、アパートになっていた。
 幼なじみが住んでいたので入ったことがある。
 複雑な構造の大きな建物で、部屋がいくつもあるなあということしか覚えていないが、今思えば、部屋の仕切りは襖で、出入り口に鍵などなかったのではないか。
 座敷だった部屋だけを貸していたのだから、もちろん、台所は共用。
 それでも、アパートなどない時代だったから、結婚や就職で独立してまずはここから新生活を始めたという人も多かったのだろう。

 数年前、地元のサークルに入って、偶然、三春出身の年配の方に会った。
 その方は、遊郭時代を覚えていた。
 近くの「せり場」でもうけた博労が札束を懐にここに遊びに行ったそうだ。
 「せり場」というのは、牛の競りを行うところで、年に2回だったか、競り市が行われていて、その日には、近隣から牛をつれた人が集まっていた。今では考えられない。
 その「せり場」は今は駐車場になっている。わたしもそこに車を停めて見て歩いたのだ。

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Last updated  2012.10.20 12:35:48
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