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カテゴリ:島津一族
![]() 現在は島津本宗家の墓地となっている福昌寺跡墓地を久しぶりに訪ねた。 福昌寺は、応永元年(1394)島津家第七代当主・島津元久が一族出身の僧・石屋真梁を開山として招いて建立した僧侶1500人を要する曹洞宗の大寺であった。しかし、明治初年(1868)の廃仏毀釈によって1869年には廃寺となる。その跡地は現在、鹿児島市立玉龍中・高校となっていて、山際が墓地となっている。 ここには過去にも数回訪れて、拙ブログで何回も取り上げてきたが、今回は先日少しだけ書いたここにある二つ目の亀趺石碑のことについて少し詳しく書く。 正面文字「奉唱満愛染明王兒一百萬遍成就所」 亀を正面から大写し ![]() 亀を横から大写し ![]() 裏面 次のように書いてある。 太守継豊公御実母御武運長久御子孫繁栄国家安全萬民豊楽柚丹誠萬畢故造一石屠一基以伸供養者也 享保萬年第十〇巳八月吉祥日 沙門師一謹忠 「愛染明王」(あいぜんみょうおう)は仏教の信仰対象であり、密教特有の憤怒相を主とする明王の一つである。 「島津継豊」(しまづつぐとよ)(1701~1760)島津家第二十二代当主・第五代薩摩藩主 徳川綱吉の養女・竹姫を娶り江戸将軍家と親戚関係になる。亀趺石碑にある「太守継豊御実母」は 継豊の実母のことであり、父・島津吉貴(二十一代当主)の側室・月桂院(須磨 名越恒渡の妹)の ことであろう。 ![]() もう一つの亀趺についてもこれまで拙ブログに書いたとおり、上の亀趺より遥かに大きい。 「島津重豪公神道碑銘」であり、大きな亀の上に大きな石碑があり、四面に文字が書いてある。 鹿児島の金石文に詳細が書いてあるが読解が難しい。 ![]() ![]() 今回の更新まで実に半月を要した。言うことなしである。反省! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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