|
カテゴリ:日本とモンゴル(文化・交流)
そして2008年の時です。私が日本で大学院の責任者(研究科長)を退任すると「モンゴルの大学へ来て、モンゴルの若者たちに本当の国際的なビジネスを教えてください」とモンゴル国立大学のKh先生から依頼があったのです。
当初は「モンゴルは遊びに行くところで、仕事に行くつもりはない」と言ってましたが、Kh先生が「今のモンゴルは、日本の明治維新や戦後と同じような状況なのです。若者たちの教育が一番大切なのです。」と熱心に言ってくださったので、2008年からモンゴルに住むことになったのです。 なのでその頃の私は、大学の授業があるときは大学に行き、それ以外の時間のほとんどはSanaaパートナーズのオフィスにいました。タイトルも確か「シニアアドバイザー」だったと思いますが、Sanaaの名刺も持っていました。 当初はモンゴル企業へのコンサルティングを中心に活動してきましたが、モンゴルでもっとも必要としているもの、つまり投資資金ですが、これをモンゴルに注入しないとモンゴルの大きな発展はないと考え、彼はこの頃からPE(プライベートエクイティ)について模索するようになりました。 幸い、私も日本でPEを10年間経営していましたので、その面でいろいろアドバイスもしました。 とはいえ、投資資金を集めると言ってもモンゴル国内では非常に難しいので、調達先は海外となります。海外投資家から見れば、PEビジネスそのものよりもモンゴルという国のリスクも大きいことから、大変困難を伴いました。 そしてついに2011年にインド人パートナーと共に、モンゴル・オポチュニティ・ファンドを立ち上げたのです。 その辺のことは、私のブログ(2011年6月30日付け、https://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/diary/201106300000/)ににも書かれてますので、ご覧ください。 実は既に日本でも新聞発表をしていますが、日本からも三菱商事やオリックスなどの一流企業に資金を出してもらっています。 今回の「交遊抄」に出ていた三菱商事副社長の田辺栄一氏の文章は、このファンドへの投資参加について書かれています。 オリックスのプレスリリースにもあります。https://www.orix.co.jp/grp/pdf/newsroom/newsrelease/130204_ORIXJ.pdf バットさんはその後、日本の経団連と経済同友会を合わせたような機能として、モンゴルの主要企業のトップを組織化した「CEOクラブ」を設立し、初代会長にもなりました。(今は別の人がなっています) この時点でもまだ30代半ばでしたから、日本の老人クラブ化した組織とは全く違います。 現在ではその活動範囲はかなり広く、政府関係の委員会メンバーになったり、ウランバートル市のアドバイザーになったりしています。 私もここ数年は、年に5‐6回ほどモンゴルに行って、相談に乗ったり、モンゴル企業へのコンサルティングをしたりして、彼との交流は続けています。モンゴルにいるときは、彼の会社をオフィスとして使わせてもらっています。 今回の本ブログでの彼の紹介及び私との交流について、かなり長くなってしまいましたが、きっと彼はもっとモンゴル国内で重要な人物になっていくだろう過程の一つとして、日本におけるモンゴル関係者にも知っていただければと思って書きました。 (完) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.03.13 21:46:40
コメント(0) | コメントを書く
[日本とモンゴル(文化・交流)] カテゴリの最新記事
|