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カテゴリ:千葉県
津田沼という町には、どうも好感が持てません。町として新しく成熟していないせいか、どこかよそよそしさが常に付き纏っており、そしてその事を地元の方や店の方も分かっていて、しかしそれをむしろ良しと考えているという漠たる印象を受けてしまうのです。いやいや、ぼくのようなひねくれ者にとっては、酒場というものが必ずしも明朗であったり親密であったりする必要はないのであって、むしろ大方の場合には陰鬱であったり殺伐とした雰囲気の方が自分の気分に親しいのであります。殺伐とした陰鬱の中にあって、ぼくは酒を呑み干す度に己の発する負のオーラはここまででないということを確認しては安堵するという一種のデトックス効果を期待しているのかもしれません。だから津田沼のチェーン店は若者ばかりで、魅力がないばかりでなく不快な気分を亢進するばかりであって、やはりここは個人営業のうらびれた酒場を目指したいものです。どうもここまでの文章は論理性に決定的に瑕疵があるけれど、それはもう顧みないのです。 ![]() ![]() ![]() ![]() でもまあ結論を申し上げると京成津田沼駅前でそうした懊悩を弄ぶ機会などないはずです。なんとなれば駅前には極めて限定的な選択肢があるばかりなのだから。それは、もう随分前に経験していることだし、このブログでもかなり以前に京成津田沼で呑んだ報告をしているはずです。しかしまあ毎度お馴染みですが覚えていないことは結局は初体験なのであります。何も初体験なる単語に青春の甘酸っぱさなど加味する必要などないのです。この先、今以上に忘れっぽくなるのは日々経験していること。忘れる事のできるのは実は好ましく生き延びるための才能なのではないかとすら近頃は考えます。酒も呑まずに健忘症などの病気によって苦しむ方が忘れられる幸福を少しなりとも感じけいただけたならこの酔っぱらい日記も少しは世の役にたっているという励みにもなろうものです。この話題は既に酔ったぼくには真意を上手くお伝えするのが困難なのでここでお終いにします。「酒処 きみ」は、改札を出てまず目に止まる居酒屋だから、この年季の程を見る限り間違いなくぼくもかつては目にしていたに違いない。そして、きっと少しばかり気になって店内を覗き込もうとしたりしたのだろうと思います。メモにはここで呑んだことは控えられておりませんが、それでも立ち寄ってしまった可能性を否定できぬ自分がいるのです。店内はスコーンと抜けたようにゆったりとしていて、こんな贅沢な造りが許される町の酒場というのは畢竟、都心のごちゃごちゃ細々した酒場の有り様とは違ってきて当然だと思うようになるのです。肴には当たり前だけれど地域性は否応なく存在するものであるけれど、それは物流の過当競争で恐るべき勢いで狭まっている気がします。それに引き換えると地価の問題に起因する店内の居心地というのは反比例するように拡大している気がします。それもこれまでの理屈から自明なのですが、この差異は旅する者には楽しいけれど、地方の方にとっては死活問題なのであり、この居酒屋にもそれは当てはまるようです。世界は距離を狭める事で、逆に地域格差を拡大しているようなのです。と、結論するとまるで馬鹿馬鹿しい結論らしきものに行き着いてしまった。これは酔いどれの愚考と忘れ去って欲しいのです。しかし、酔っ払い向けの肴セットは、余りにも悲しくはないか。それだけでぼくなどは過不足なく満足できてしまう。ぼくはそこにこそ感動したけれど、万人には通用し難いだろうなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018/04/25 08:30:07 AM
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