大塚には随分とご無沙汰してしまいました。酒場訪問のメモを探ってみたところ、今年になって初めてどころか昨年もたった1度訪れただけだったようです(先般書いたようにある時期以降の更新データは消えてしまいましたがここ1カ月のことなのでさすがに行っていないことは覚えています)。かつては週一程度は訪れていたことを思うと大塚への不義理が過ぎるように思えます。山手線に乗車して車窓からの風景を眺めると、つい先達てまでは出来上がって久しい町並みが少しも変化する風もなく、変わらぬ町であり続けるのかしらと漫然と思っていたのが、新型コロナの時代に突如として駅前風景がかなえい一新されたのを眺めてはいたのだけれど、だからといって根本の部分、薄暗かったりいかがわしい印象を伴っていることなどは一掃されるには至っていないように感じられるのです。その印象は、久し振りに下車してみても変わるところがありませんでした。多少頑張ってテコ入れしてみせたところで、いかにも駅前だけの張りぼて的な処置にしか思えぬのです。果たして駅前の風景をたまたま車中から確認して駅に降り立とうと思う人がどれほどいるというのか。人がどこそこの町を訪れようとするのはその表っ面を眺めるためではないのであって、多少駅前がうらびれていたとしてもその先に魅力と感じる施設だったり店だったりがあるなら無駄な税金を投じずとも人々は集まるのではないか。むしろ見せかけの綺麗さにまんまと乗せられて駅を下りたもののそのすぐ先にピンサロが目に入れば取って返すってことになるとむしろ逆効果になるのではなかろうか。所詮、町作りを行政や体制側から強引に推し進めたところで、実際に町に住んだり、町から生活の糧を得たりする人々をとっては無駄に思えることが多いようです。万人が納得する事業などありはしないけれど、せめて実際にそこで生きる人々の意見を無にすることはないようにしてもらいたいのです。って実は言い出しっぺは現地の人だったりしてね。いずれであっても少なくとも町を往来する人々の醸す雰囲気は以前とさほど違ったようには思えぬのでした。。
と長々書きましたが、久々の大塚なのに「大塚大酒場」なるホテルの地下のいかにも新しい酒場に入ることにしたのでした。本当は別の酒場を目指したのですが、休みのようで入れず探すのも面倒なので見慣れぬこちらに入ることにしたのです。でもこの「大」の字が繰り返されるいかにも適当なネーミングのこの店を訪れたのは、今けなしたばかりの店名に惹かれたからなのでした。冠の「大塚」はどうだっていいのですが、「大酒場」ってのがとても気に入ったのです。松本零士のお決まりの名付け方ですね。松本氏は何にしたって大きなことは良い事なのです。で大塚の大酒場はどうかといえば、店内は確かにまあオオバコと呼んでいい程度のキャパシティはあるけれど、「大酒場」を称するにはいささか荷が重いように思えるのでした。客も入りもあまりよくないようです。広くて空いてる酒場には、独特の風情を感じるタイプの人間であるけれど、それにしては中途半端に人がいるのは好ましくない。いっその事、客が自分たちだけの方がすっきして愉快であります。そんな入りなのに席を指定されるのもなんかねえ。言い張れば通してもらえるかもしれないが、基本的には店の人の言いなりにならざるを得ないのも気になるところ。メニューを眺めると、ははあ、こちらは中華料理がメインの酒場なのですね。店の従業員たちの何というかやる気のなさと時折向けられる不躾なまでの尖り気味の視線が鬱陶しいのだ。でも値段はかなり手頃でしかも料理もそこそこに美味しいのだから使い方次第では結構重宝しそうなのです。しかもここのどんよりした空気感を撥ね退けてまで訪れる客たちのお目当ては別にあるようで、それはチャーハンだったり焼きそばなどの炭水化物系食品がとんでもないボリュームがあることです。いやまあ、体調を整えさえすればそれなりに頑張れば一人でも食べられなくはないのかもしれないけれど、見た目には二人以上でシェアするのが正解なようです。といった点が大酒場たる所以だったのだとしたら納得なのです。