ことわざっていうのは、時に真実を言い当てている場合もあれば、実際には全く真逆の意味となる場合もあります。例えば「人は見かけによらぬもの」と申します(ちなみに英語では、”Can’t judge a book by its cover.”というようです、なるほどね、まだしも日本語の諺よりは多少なりとも気が利いています)。当然のように反対の意味の「馬子にも衣装」なんてのもあります。一般には、こうした紋切り型の台詞を乾杯のあいさつなんかでスマートに挟み込むことができるような人がデキル人だったり、弁舌爽やかな人なんて言われちゃうんだろうなあ。でもぼくにはそういった器用な真似はできないし、むしろそんな風にはなりたくないと思っています。つっかえつっかえでも自分の言葉(っていう言い方も嘘くさい、言葉が自分だけのものでは誰にも伝えたいことが伝えられないのではないか)、いや自分の知識と記憶を動員して振り絞った上で迷いに迷って選び取った言葉で語りたいのです。それは誠実さとか真摯さといったこととは全く無関係な理由なのであって、常套句で語ると言葉に引き摺られて自分以外の何者かに喋らされているようななんともいえぬ違和感に苛まれるからなのです。実際に、結婚式なんかで朗々と声高らかに美辞麗句を語る人たちというのは,どこかしらロボットめいていて発せられる言葉に少しの熱意も感じられないのです。それがある一線を越えた人はその技術を芸として活かすことも可能になるのでしょう。ちょうどカラオケで歌自慢の人がそれなりの歌を披露したとしてもそれに聞き入る人が皆無みたいなものです。とツラツラと書いてみたけれど、実は冒頭の「人は見かけによらぬもの(”Can’t judge a book by its cover.”)」を地でいくような酒場に遭遇したのでありました。
業平橋の裏通りの2軒の酒場「のみや」と「清たき」のいずれにするか迷ったものです。外から眺める限りは失礼ながらどちらも大差はないように思えたのでした。この夜はO氏とA氏が一緒だったので、相談の結果、後者に入ることを決めました。ぼくとO氏は後者を押したのに対してA氏はどちらも余り気乗りしないといった様子で、実際多数決には加わらなかったのです。ってすでに雌雄は決していたのですけど。ところが店に入って一番喜んだのがA氏でした。店の人に聞こえそうな位の声で、外観はつまらないのに中は結構古びていて雰囲気があるなあなんてことを呟くのでした。手前にはカウンター席があって半分ほど埋まっているだけなので3人なら座れそうでしたが、奥の4人掛け座卓のある座敷に通されました。この3人で呑むのもしばらくぶりのことです。しかも大概はカウンター席で顔を見合わせることなどないから面と向かい合ってというのはいつ以来だろう。まあ、互いに顔を見合わせたいと思っているわけではないのだ。さて、品書きを眺める。酒呑みが切望する肴がズラリと揃っていて、これなら週2、3日通っても飽きることはなさそうです。しかもお値ごろなのが嬉しいですねえ。刺身類も実にちゃんとしていてまだまだ知られざるいい酒場ってあるもんだねえなどとこの3名が揃って好意的な感想を述べるのは稀有なことであります。ここで最後に一つだけ残念なお知らせがあります。なんてことを書くとこの文章がアップされた頃には、閉店しているように誤解を招きかねないけれど、そんな酷い話ではないのでご安心を。単にこちらは閉店時間が20時と極めて速い時間に設定されておるのです。なので、じっくりと腰を落ち着けて呑みたい方は早めの時間の来店をお勧めします。