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2017.08.13
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カテゴリ:八百八橋散歩

水晶橋は、正確に言えば橋ではなかった。
この橋は本来は昭和4年に完成した堂島川可動堰という、河川浄化を目的として建設されたゲートである。

橋面の本体アーチと上部の小アーチの配置が絶妙で、重厚さの中に気品ある優雅さを感じさせた。
可動堰にこれほど凝ったデザインが用いられているのは驚きだが、実は鉄筋コンクリート製のこの可動堰も、淀屋橋や大江橋と同じく、1921(大正10)年にスタートした「第一次大阪都市計画事業」の一環として建設されている


大正後期から昭和前期にかけての大阪市は、市域面積や人口、工業生産額で東京市を上回り、日本一の都市となった。

その大阪を近代都市化するための市街地改造事業が、御堂筋の建設をも含む「第一次大阪都市計画事業」であった。

この事業により、現在に至る「大阪の都市景観」の基礎が形成されたが、大阪の中心ゾーンである中之島周辺の橋梁(きょうりょう)に関しても、景観面から徹底的にデザイン性が吟味された。

堂島川可動堰のゲートが外部から見えにくくなっていたのも、そして、ゲートの開閉操作室が、装飾的でモダンな照明灯の台座に擬せられていたのも、中之島ならではの景観や風情と調和させるための、意匠的な工夫だったのである。

水晶橋という名の由来は今一つはっきりしないが、橋上にある照明灯が水面に映る様子が水晶のかがやきに似ているということから出た愛称であるとする説もあり、水都大阪が繁昌するようにという意味で水昌橋であるという説もあって決め難い。

堂島川可動堰の造形的な美しさは、後に国の重要文化財となった淀屋橋や大江橋と比べても遜色なく、1929(昭和4)年の完成当時から、多くの画家に描かれてきた。

堂島川可動堰は流速調整機能によって長年、水質改善に寄与する一方、人道橋としても利用されてきた。
それが、法的な手続きを経て名実ともに橋となったのは、老朽化に伴う改装整備が行われた1982(昭和57)年のこと。

この際に、アスファルト舗装だった橋面は、花崗(かこう)石と花崗擬石で敷き直され、橋上に植栽やベンチなどが設けられた。

橋名の由来については、「水面に映る照明灯が水晶の輝きを思わせるので、以前から自然発生的にそう呼ばれていた」との説が有力だが、「水都大阪の『水』と、繁昌の『昌』の字を組み合わせた」等の説もあり、判然としない。

2002(平成14)年に可動堰が撤去され、築後73年にしてようやく、純粋な意味での橋となった水晶橋は、いまも中之島の景観や散策になくてはならない橋として、独自の存在感を示している。
電球色LEDでアーチ部分を強調するようにライトアップされた夜の水晶橋も、見惚(ほ)れるほどに美しい。


水晶橋から上流、東を見ると、見えるこの構造物が気になる。
これも水を浄化するための設備のひとつだろうか・・・。

■住所
〒530-0005 大阪市北区西天満2丁目~中之島1丁目
■アクセス
地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」より徒歩5分
着工 - 1926年(大正15年)6月
完成 - 1929年(昭和4年)3月
改装 - 1982年(昭和57年)10月
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Last updated  2017.08.13 14:46:56
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