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2020.09.23
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カテゴリ:八百八橋散歩
久宝寺橋

橋名は伝説的な寺の名前に由来する。
久宝寺は同盟の寺が船場の側にあったと言い伝えられている。
しかしその位置は定かではなく、『浪華百事談』にも「往昔此地に久宝寺といえる寺院有りし故に、其名ののこれるものとは碑に伝うれども、何れの地に有りしや、浪花の古図にも証すべきものを見ず」とある。


久宝寺の由来には他説があって、道頓堀川が開削されたとき、河内の久宝寺から多くの人夫が来て、この地に集落ができたためともいわれている。
久宝寺橋は豊臣時代から架けられていたらしい。
久宝寺橋は町橋で、近隣の町々で維持管理が行われていた。

江戸時代の規模は、橋長が二四間三尺一寸三分(49.2m)となっており、幅員は二間(3.9m)であった。
このあたりは人家の密集地であり、しばしば大火に見舞われている。その際、橋の被災はまぬがれなかった。


江戸時代から明治の初めにかけては、橋の構造にはほとんど変化はなかった。
久宝寺橋は五径間の木橋であったが、約6mと幅がかなり拡げられた。
久宝寺橋が永久化されたのは、昭和14年で、橋長41.5m、幅員12.6mとなり、三径間のゲルバー式の鉄筋コンクリート桁が適用された。


■東横堀川の橋■上流から
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今橋
高麗橋
東横堀川水門
平野橋
大手橋
本町橋と本町の曲がり■ - 本町通
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 久宝寺橋
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末吉橋 - 長堀通
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Last updated  2020.09.23 00:39:38
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