「tokyo.sora」
いろんなところで、人から、きくので、 一度、見ておこうと思いつつ、 棚にあるのを見ても、どうしても、 手にとれず、ようやく、最近見てしまったが、 予想以上に、良質だったので、納得できた。 「tokyo.sora」 「東京の空の下で、生きていること」つながりで、 女の子の数人の生活を追っていく、 オムニバス形式だが、そのオムニバスが、ほどよく、無理なく、 交じり合っていて、一本の流れをつくっていた。 他人や、出来事や、物を通して、 お互い知っているわけでもないのに、 どこかで、つながってしまっている。 「女性性」が流通する社会的人間関係に至るまでの、 「静かな生き物」=「ヒト」として、 ビンにつめたアリの巣の断面図を見せられているようで、 自分にとっては、初めて見た視点だった。 最初の子が、一番印象深かった。 普通の大学生。 絵のヌードモデルをしている。 誰か、密接な友人がいるわけでもないようだ。 静かに、深みのあるトーンで、生活が切り取られていく。 コインランドリーで、何の表情もなく、 洗濯が仕上がってくるのを待つ姿を見せられる。 「女」という、カテゴリーが外された、「静かな生き物」 として、存在している。 もしかして、さびしーのかもしれないが、 さびしーという感情さえ持っているのかが、 見てる私には、不明に映る。 何気なく、傍らで、「洗濯待ち」している青年が、 青色の本「町田康<きれぎれ>」を読んでいる。 「女の子1」は、時間をおいて、図書館で、同じ本を借りてくる。 またもや、コインランドリー。 本に、没入して、ひとりで、にやにやしている青年。 はた目には、ちょっと、気味が悪い。 意を決したのか、同じ「青色の本」を取り出して、 読み始める「女の子1」 しばらくして、気づく青年。 間。 二人とも、読んでる。 青年、とまどう。 青年・あれ、同じ本、読んでるんですね。 女の子1・はい(笑い)。 ここで、やられたと思ってしまった。 「静かな生き物」から、「女の子」が、浮上する瞬間を 垣間見せられてしまったからだ。 ドキュメンタリー番組などで、 夜になると、洞窟で、精霊とお話していると、 原住民に噂されている「野生の象」たちが、 塩分のとれないサバンナで、 岩塩の含まれた洞窟の中へ、 夜だけ、塩分補給にやってくるみたいな、 「実相」を赤外線カメラで、捉えちゃいました、 みたいなリアリティが、含まれていた。 実際のところ、リアルや「実相」は、また、別のところに、 あるのかもしれないが、 確かに、この「視点」の提出には、 口コミになるだけの価値があると、感じた。