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カテゴリ:米国
『救世主現わる』(那須聖/著・1984年5月発行)が上巻と見るなら、『牢獄の救世主』(那須聖/著/1985年1月発行)は下巻ともいえる。 第三冊目は、その『牢獄の救世主』(関心のある方は、近くの図書館からの取り寄せもできる。公共図書館リンクの検索結果から県内では1冊のみ。)である。新聞紙ニューズワールド、そして、ワシントン・タイムズをしてレーガン大統領とその政策をバックアップしたレバレント・ムーンとその団体は、当然厚遇されたと考えるのが筋である。しかし、現実は米国内において最も激しい迫害の時、その極地がレバレント・ムーンのダンベリー収監、私の心のチャングム6度目の投獄である。 以下は本書の一部からの抜粋である。 ダンベリーが統一教会の本部 文鮮明師は入獄直前に、これから統一教会の本部をダンベリーの刑務所に移すと言明したが、入獄以来、教会の幹部は面会日ごとにここへ来ては、教会の活動について細かく報告した上で、新たに細かい指示を受けている。面会室は小学校の教室ぐらいの大きさの部屋が一つだけで、他の囚人の面会もここで同時に行われるから、ここでは大々的な会議などは行われない。また面会人は書類などを持参し、それを広げて文師に読んだりできるが、手渡すことはできない。とてもイースト・ガーデンにいるときのようにはいかない。しかし何分にも刑務所の構外に出られないというのは耐え難い苦痛であるに違いないが、こうして獄に収監されていることについて、アメリカ政府に対してどのように考え、感じを抱いているのだろうか。 「私がこのように (比較的楽に)生活しているのは、これはアメリカの司法省の人たちの特別の計らいではないかと思っている。」 しかし、ここへ入所しなければならなくなったことについて、文鮮明師は脱税問題を口実に使った検察側の陰謀であるとか、裁判のやり方に手落ちがあったというようなことは一切いわない。むしろ全く次元の違う立場からこれを見て、「こうして私がここに入っていることは神の摂理ですよ」 と、はっきりと言い切る。 「私が牢獄に入ることによって、統一教会と既成のキリスト教会が一つになった。このことは 歴史的にみれば、非常に大きな意義がある。ユダヤ教とキリスト教は二千年間、相互に迫害の路程を通ってきた。その間にずいぶんいろいろと和解しようという願いがあったけれども、いままで和解できずにいた。 アメリカではキリスト教とユダヤ教の勢力は大変な比重を占めている。それがいままでに一つになれなかったということは、宗教というものがいかに難しいものであるかということを物語っている。このようにユダヤ教とキリスト教が二千年の歴史を通して今まで一つになれないでいたのに、これまで統一教会に激しく反対してきた既成のキリスト教が、今度の事件(文鮮明師の裁判)によって、一つにまとまれるようになったことは恐ろしいことである。現在既成教会の牧師さんたちが先頭に立って統一教会をいわば抱擁するような形になってきたことは歴史的にみて奇蹟である。これが一つにならなければ、統一教会の摂理上の問題は解決できない。」 レバレント・ムーンは決して個人の利益のために動く人ではないことが、このダンベリー収監からも理解することができる。なぜなら、国外退去という形で刑を免れる選択肢も持っていたからであり、一度は1983年12月、韓国での勝共大会のために米国を出たが再び戻ってきてその裁判に臨んだのである。 裁判の不当性についても本書には書かれているが、憲法で保障されたその「信教の自由」をかけて立ち上がってきたのが米国牧師たちであった。(本書は1985年8月20日ダンベリー出監前に出版されたものでありその日のことについての記載はないが)出監当日、「神と自由のバンケット」に彼を歓迎したのは教会員らではなく、2000名のレバレント・ムーンを支持する米国牧師らであった。 また、「父母の日」国際化の動き-米国 から、米国での「父母の日」制定が意味するものは、本質的には米国政府が下した『彼のアメリカ裁判での勝利宣言』に匹敵するのではないかと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.08.18 17:44:54
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