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奇   知   外   記

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2018.05.20
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​『お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」』を5回に分けて掲載した(以下)。



​​​​​​​​​​​​​​お父様が
​​​これから、先生以後に、(長男の)​​​​孝進の後孫たちがそうするとき、代々に亘って受け継いでいくのです。誰が継代を受け継ぐかという問題ですが、もちろん、長男が受け継ぐのが原則です。​​​
 ……
今後、孝進はお父さんの代わりにいろいろな事をしなければならないけれども、​すべての命令はお父さんからの指示を受けて行動するのです。決して自己の自由行動があってはならないというのです。祭司長に自己の自由な行動などあり得ないのです。国民が捧げる祭物の精誠の基盤の上に立ち、公的な行為を経てから、神の御旨の伝授を受けます。​
 ……
​そういう事にならないよう、​お前たち二人はいつでも、お母さん、お父さんに仕えるようにしなさい。兄さんを神のような立場に立てて仕えるならば、神様も真の父母を愛するように皆さんを愛してくれます。全員がこうしなければならないのです。​
 ……
その父母に対して、たとえ一言でも不従順をして痛い胸に針を刺すことは、自分が千遍死んだとしてもなしえないという、そのような血族であることを誓うお前たちにならなくてはなりません。​​
と語られたみ言葉がありました。真のお母様が今年3月の米国でのスピーチと相通じるものであり、お父様の意思を受け継いでのものであることを立証したものです。5回に分けて紹介していきます。
このみ言は『祝福(1985年 冬季号 第四十七号)』に「一勝日におけるみ言葉」として掲載されたものです。



最近の三男派ブロガーからは、三男さんが「長子だ。後継者だ。」と主張する記事が少なくなってきたようだが、1985年8月のお父様のみ言を読まれてどのような感想を持たれただろうか?
ずいぶん過去のみ言だから関係ない、と考えられるのか。

さて、黄マーカーは、tomy4509の身勝手な引用だらだが、まず第一に「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです。長男が受け継ぐのが原則です。」は、お母様が今年3月に米国で儒教の伝統文化を挙げながら「聖和された孝進様であっても長男であり、継代はそのお孫さんへと受け継がれていく」と語られていたのと通じるものであったことはすでに書いていた。また、真の父母はほかにはないが「祭司」として、とのことだ。
レビ族は祭司の立場で「契約の箱」を担ぐ職にあった。以下の申命記を読めば祭司は嗣業を持たず、もっぱら兄妹のために祭事を執り行うことでその食をも得ていた。

申命記/ 18章 01節~
レビびとである祭司すなわちレビの全部族はイスラエルのうちに、分も嗣業も持たない。彼らは主にささげられる火祭の物と、その他のささげ物とを食べなければならない。彼らはその兄弟のうちに嗣業を持たない。かつて彼らに約束されたとおり主が彼らの嗣業である。祭司が民から受ける分は次のとおりである。すなわち犠牲をささげる者は、牛でも、羊でも、その肩と、両方のほおと、胃とを祭司に与えなければならない。
……
余談だが、分派の方々はこの嗣業を持たない現代のレビ族「祭司」に対しての批判をもしているようだが、聖書からは考えられないことである。

話を戻そう。​
お父様も「祭司長」ということを語られており、その祭司長がどうあるべきかについてもあった。
それに対して、長子だと叫んでいた三男さんはお父様の言われるところの長子・「祭司長」であるか、という疑問がわいてくる。
tomy4509からの回答はいうまでもないことだが、三男派の方々へは新たな「まるバツクイズ」とでもしておこうか。

お父様は孝進様だけでなく、兄妹たちにも「(父母様が神様にしたように)父母様に仕えなさい」であり、兄妹間でも仕えあいなさいということだった。モーセの律法を連想させるようなものだ。
孝進様はそれを上手くできただろうか、というとそうではなかったと孝進様聖和後にお父様も語っておられた。


<続く>


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2018.05.20 23:00:46
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