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師観のブログ記事(2018-05-25)記事から。
独生女に対する最近の議論(2000年のキリスト教史がUCの中で、圧縮されて展開されている) 貞操を守っていることが変わり者扱いされているのです。お陰で、今頃 純潔を唱えると白い目で見られる有様です。師観氏のこれはフリーセックスと「独生女」を同じに見ての批判記事だが、そうまでしてもお母様を貶めたいのだろうか? まずもって、「お母様が八大教材教本から原理講論を除くと主張した」は、私には初耳だがどこからの情報か?意外と匿名者投稿のPカフェ情報ではないかと思うのだが。 また、「独生女」は原理にはない間違いであるといった主張は何処から出てきたものなのかだ。 「独生女理論」「独生女論」などといっては、その裏返しが「独生女批判理論」であったことはこれまでも私tomy4509が証明してきたものであった。 「独生女」の言葉そのものを最初に語られたのは、お父様だ。 そのみ言全体の中で「独生女」は約180回あるとのこと。「独生女批判理論」からはお父様の語られたそれが一つとして聞かれない。師観氏の文中にも「八大教材教本」が出てきたが、その中の黒・天聖経にも「独生女」が書かれていた。 お母様の「独生女発言」だけをもってして、師観氏は家庭連合はお父様を忘れ去ろうとしているというが、お父様の「独生女」を語らない師観氏らこそがお父様をどこかに置き去りにされておられるのではなかと言いたい。 また、451年のカルケドン会議がどうだというのだ。家庭連合をこれまでのキリスト教の枠で測ろう(謀ろう=騙そう)とでもいうのか。 「新しいぶどう酒は新しい革袋へ」だ。 さて、サタンが恐れるものが「真の父母」である。 2000年前のイエス様の時はサタンの三大試練にもあった。「独生子(独り子)」であっても十字架に架かればそれまでだった。血統を連結することが出来なかった。 本来ならイエス様は結婚していれば、十字架に架かることはなかったという。ために「再び来る」と言われたのだ。そして、何をするといったのか。「子羊の婚宴」だ。1960年がそれだった。 分派の(祝福家庭の)方々はそれをも忘れては「自己の位置を離れ」ているようだ。 1)神と同じ立場に立てない 2)自己の位置を離れる 3)主管性を転倒する 4)犯罪行為を繁殖する なかでもサタンが最も恐れるのは、「独生女」であることは言うまでもない。イエス様がニコデモに語られたのがそれだ。堕落人間であっても、再びその胎に入って生み変えられなければならないと言われた。「聖霊」を迎えなければ「独生子」のイエス様一人では何もできない。原理講論(「重生論」)にも書かれた内容である。その実体の聖霊がこんにちの「お母様」であることは言うまでもない。こんにち、「独生女」の出現によってそれが可能となったという話だ。 私たちはこれを信じて祝福を受けてきたのではなかったか。 お父様ひとりでは不可能な事だった。 また、「原理本体論」もまた絶対『性』、堕落のないアダム・エバについてかたられたものであった。 「天宙父母実体み言宣布大会」は!! 師観氏、お父様の「独生女」も語らずのデマ記事だ。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.05.26 00:19:36
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