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カテゴリ:宗教/天地創造
「独生女理論」「独生女論」「独生女神学」などというものは、もはや、ブログ村では『死語』となりつつある。
1960年、「独生子」「独生女」が出会っての聖婚式が、聖書に書かれたところの「小羊の婚宴」、そして、「真の父母」であった。 祝福家庭であれば、これを否定することは出来ないはずだ。もしも否定したとすれば、2000年前の二の舞を踏むこととなる。マラキ書4章5節には『見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心を向けさせられる。……』との預言を信じていたから、イエス様以上にエリヤの再臨をまずは望んでいたのだった。そして、もし、あなた方が信じるなら洗礼ヨハネがその人だと語られていた。 こんにちは黙示録19章に書かれた「小羊の婚宴」がなければ、再臨主を名乗ることは出来ない。真の父母様が再臨主でないとすれば、「祝福家庭?」「真の家庭?」、何それということになる。再臨主といっても家庭連合だけのそれでは決してないからだ。 ところが、「独生女論」とかいっての机上の「独生女批判理論」を振りかざして来られた支流人らこそが、自らのアイデンティティーを引き下げているのではないかと思われる。いわゆる、過去に統一教会を異端視して迫害した反対牧師や共産主義者等のような立場に立たれているのではなかろうか? これまでも自称ルポライターtomy4509が調べ書き記してきたように、「独生女」は文鮮明総裁・真のお父様が聖婚式を前にして語り始められた「造語」ともいうべきものだった。聖婚式が「小羊の婚宴」であったとすればお父様「独生子」、お母様「独生女」は疑う余地もないことである。また、お父様が聖和されたあともお母様自身が「独生女」と語られたとしても何ら問題を感じないはずだ。 支障を感じることがあるとすれば、お父様の「独生女」発言(造語)を信じることが出来ない、お父様(実体)そのものを信じられない、ということになる。それでも支流人らは「お父様を信じている」というかもしれないが、嘘っぱちである。 机上の空論「独生女批判理論」そのものが何であるかとするならば、お父様「独生女」を語らずのお母様「独生女」発言を信じられない、それに尽きる。 原理講論に「独生女」の記載がないから非原理的というのもナンセンスだ。
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Last updated
2019.01.21 13:07:15
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