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前回記事「【YouTube】真のお父様とお母様は一つの血統に結ばれた一人 」で訪韓女性修練会のみ言から一部を紹介しては「ワンファミリー・アンダー・ゴッド」について書いた。
真の父母様は、天の父母様の血統を受けた兄妹アダムエバの本来の価値を持たれ、小羊の婚宴によって「独生子」×「独生女」=「真の父母様」となられた。 この真の父母様は過去、現在、未来においてもただ一組であって他はないということは、黒・天聖経『真の父母 第六章』にも記載されていた。 二)真の父母の在世時の価値訪韓女性修練会のみ言の図を見ても、悪主権から善主権へと交差する一点が「真の父母様」であり、歴史上に一度しかない、てっぺん、極端に狭い時空間の幸運に処しているのが私たちである。 その中でも、真の父母様と出会い祝福までも恩恵を受けたとなれば、なおさらである。 ところが、「独生子」×「独生女」=「真の父母様」を忘れては、こんにち、お母様批判することでその恩恵まで流してしまえばどれだけ天が悲しまれるだろう。 さて、原理講論の「総序」に記載されている「ワンファミリー・アンダー・ゴッド」を思い起こしていただきたい。 それでは、全人類が、一つの真理により、一つの兄弟姉妹として、一つの目的地において、相まみえるようになるとすれば、そこにおいて築かれる世界とは、どのような世界なのであろうか。この世界こそ、悠久なる歴史を通じて、人生の両面の無知から脱却しようと身もだえしてきた人類が、その暗黒から逃れでて、新しい真理の光の中で相まみえ、一つの大家族を形成していく世界なのである。ところで、真理の目的は善を成就するところにあり、そしてまた、善の本体はすなわち神であられるがゆえに、この真理によって到達する世界は、あくまでも神を父母として侍り、人々がお互いに兄弟愛に固く結ばれて生きる、そのような世界でなければならないのである。自分一人の利益のために隣人を犠牲にするときに覚える不義な満足感よりも、その良心の呵責からくる苦痛の度合いの方がはるかに大きいということを悟るときには、決してその隣人を害することができないようになるのが人間だれしもがもつ共通の感情である。それゆえ、人間がその心の深みからわき出づる真心からの兄弟愛に包まれるときには、到底その隣人に苦痛を与えるような行動はとれないのである。まして、時間と空間とを超越して自分の一挙手一投足を見ておられる神御自身が父母となられ、互いに愛することを切望されているということを実感するはずのその社会の人間は、そのような行動をとることはできない。したがって、この新しい真理が、人類の罪悪史を清算した新しい時代において建設するはずの新世界は、罪を犯そうとしても犯すことのできない世界となるのである。今まで神を信ずる信徒たちが罪を犯すことがあったのは、実は、神に対する彼らの信仰が極めて観念的であり、実感を伴うものではなかったからである。神が存在するということを実感でとらえ、罪を犯せば人間は否応なしに地獄に引かれていかなければならないという天法を十分に知るなら、そういうところで、だれがあえて罪を犯すことができようか。罪のない世界がすなわち天国であるというならば、堕落した人間が長い歴史の期間をかけて探し求めてきたそのような世界こそ、この天国でなければならないのである。そうして、この天国は、地上に現実世界として建設されるので、地上天国と呼ばれるのである。「神を父母として侍り」「神御自身が父母となられ」など、過去から神様を「父母」と呼んできたのが原理講論であったし、お母様が神様を「天の父母様」と呼ぶようにされたとしても批判する理由は何一つない。 ところが、その原理講論記載の「天の父母様」も理解することができない無知から天の願い(夢)も分からなくなってしまっている、というのがH3、H4はじめとした方々ではないだろうか。 <続く> 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.03.15 21:30:05
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