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奇   知   外   記

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2019.06.06
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カテゴリ:独生女考
お父様の「元祖・独生女論」(その5)

真の父母様の生涯路程(10)』から 。


​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​二 真のお母様の選定

十七歳の少女

 み旨がなかったならば、先生はお母様と出会うことはできませんでした。お母様になる人は二十歳を越えてはいけません。本来は、十八歳を越えてはいけません。満で十八歳を一日でも過ぎてはいけないのです。エバが十六歳で堕落したので、三年を経て十九歳まで連結されるのです。

 二十歳は二十数なので、蘇生、長成、完成を代表します。それゆえに、二千年歴史とは、完成の峠を越えて完成することができる段階を意味しているのです。ですから、二十歳前でなければなりません。お母様の因縁をもった人は、絶対に二十歳を越えてはいけません。父となることができる人がこの地上に生まれ、母を選択する際に立てる条件は、その人が絶対に二十歳を越えてはいけないということです。

 お母様は、できるだけ年齢が若いほど良いのです。なぜでしょうか。堕落圏を見れば十代が問題ですが、韓国的な立場から見るとき、年齢が低いほど地上の女性世界の純潔基盤に近いのです。

 年齢は四十になったとして「天のために若い妻子を迎えて、一度忠臣的夫になってみよう」ということが念願でした。また、「齢四十にして、自分勝手に生きてきた女性を引き連れて暮らしながら、いかにしてその年の多い妻から一生褒めたたえてもらうことができる真なる夫になることができるだろうか」と思い、そのような意味で年齢が若いお母様を迎えたのです。

 お母様と私を比べれば、私はお母様よりも二十三歳年上でしょう? この世から見れば、私は父親のような年齢です。自分の娘のような女性と結婚する男性がどこにいますか。しかし、真の愛は年輪を越えるのです。真の愛には、億万歳になるおじいさんにとって、億万歳だという考えがそこには及びません。記憶できません。ただそのまま新しく感じられます。ただそのまま良いのです。ただそのまま和合です。ただそのまま統一です。ですから、真の愛は悪くないというのです。お母様と私は年齢の差が大きいですが、真の愛の世界に行けば「おい、二十三年してから来なさい」と言うでしょうか。それは問題にならないというのです。

 さらに、四十歳以下の人の心情圏を何によって連結しますか。お母様を代わりに立て、下りていってお母様と共に上がってくる基準を中心として、家庭的心情圏を連結させるのです。そのようにすれば、思春期以下の男性、女性は、同じケースとしてすべて連結され得るのです。

 しかも、先生は二十年間で十二人の息子、娘を生まなければなりません。そのようにしてこそ二千年を蕩減することができるのです。おしりが丈夫で、腰の力があって、毎年次から次へと産んだとしても産めるかどうかだというのに、年を取った人では大変なことになります。ですから、仕方なく、できるだけ年が若く、十六歳以下でも良いと考えたのです。そのように考えていたところ、そこに合致した、雲の上に飛んでいくものを私がさっと捕まえて手に入れたのです。それがお母様です。(笑い、拍手)


絶対従順の相対者

 先生は四十歳になって十七歳になる娘と結婚しました。この非常に大きい団体を動かさなければならない責任を担った先生には内助者が必要だったので、大学を出た人もいましたが、お母様を選択しました。行く道がこのような道なので、自分を主張することなく、いかなる死の峠であっても夫のために生命を身代わりすることができる人が必要でした。それゆえに、首を横に振る人の娘は絶対に選びませんでした。

 最も底辺において黙って犠牲となり、「また行かなければならない」と心に誓いながら行く人の娘が選ばれました。教会で献身生活をしていたおばさんの娘、高校二年になる娘を選んだのです。摂理的プログラムがそのようになっていたからです。妻を迎えるにしても、私の欲望を中心としては選ばなかったのです。

 お母様の母親は、ここに来て家政婦暮らしをしたでしょう? 末端から忠誠を尽くしなさいというのです。その母親は監獄生活をする運命にありましたが、それはすべて福なのです。統一教会は、監獄生活をして、苦労してそこから出てきたとしても恨むことなく、すべて自分が悪かったのだと思って、天の前により一層忠誠を尽くそうとします。そのような面から見れば、すべて復帰原則によって分別してきたのです。

 お母様自身も、愛を中心として羊のように従順でなければなりません。すべての面において絶対従順することができる条件を復帰しなければなりません。ですから、夫のために全面的に犠牲とならなければなりません。夫を愛するのに絶対的でなければならないのです。そのようにすることができる条件を備えなければなりません。お母様が、家庭も良く、誇ることができる条件を備えていれば驕慢になります。すべての面において服従しなくてはなりません。ですから、お母様が「私の父親よりも劣る。私のお兄さんよりも劣る」と言って比較の基準をおいてはいけません。世の中のいかなる男性よりも、先生よりも、おじいさんよりも、誰よりも、私の夫はもっと優れていると思わなければなりません。

 なぜかというと、エデンの圏において、エバは、男性というものを見ることができませんでした。男性に対して考える余地がありませんでした。エデンの園において、アダムは、エバの父親になり、それからお兄さんになります。その次には夫になるのです。それが復帰です。神様を取り戻さなければならないので、真なる父を取り戻し、真なる兄を取り戻し、そののちに真なる夫を取り戻さなければならないというのがエバの立場です。それで、そのような女性を選ぼうとしたので、何も分からない、そのような幼い娘を選ばざるを得なかったというのです。

 先生自身もそのように思っていました。先生は勉強もして、すべてをしましたが、最も良い相対は小学校を出た人だと思っていました。お金持ちの娘ではなく、農村の何も知らない純真な人を思っていたのです。そのように思っていたので、神様があのように美しいお母様を迎えさせたのです。

 み旨のためにはただうれしく、先生のために一〇〇パーセント歓迎する人であれば、最も劣った人でも良いと思っていました。ですから、最も優れたお母様を迎えたのです。(拍手、歓呼)お母様も「自分もどのようになったのか分からず、このように先生のところにお嫁に来るようになった」と言っていました。それは、避けようとしても避けることができないようになっていたのです。何かに流されてきたというのです。


八段階の女性心情圏の伝授

 結婚はしましたが、条件が立てられる前にお母様を迎えれば大変なことになります。殴り殺したり、薬を飲ませて殺したりという、ありとあらゆることが起きるのです。自分の孫娘が来られる主の新婦となり、自分の家が皇族になるという啓示を受けていたのに、突然どこからかほかの新婦が来たので、じっとしていることができますか。ですから、八十代から七十代、六十代、五十代、四十代、三十代、二十代、十代まで収拾し、これを引き受けてあげなければなりません。そのようにして、お母様に譲り渡してあげなければならないのです。

 サタンである偽りの父親から生まれたので、霊的にでも本然の完成したアダムの位置を探して入っていかなければなりません。それで、女性を代表した人々が先生の新婦候補者となって、先生が結婚する前におなかの中に入っていき……。この十代から八十代までの七十年に及ぶ女性たちのすべてのものをお母様が引き継がなければなりません。引き継ぐことができるようにするためには、それらをすべて収拾しなければなりません。ですから、先生が収拾して、お母様を選び、お母様が再び引き受けて産んであげなければなりません。このように、蕩減復帰、実体復帰が難しいのです。

 そのような時局に、「お母様だ」と言って、小さな、青い、まだ熟してもいない人を連れてきたので、どれほどのけ者扱いにするでしょうか。それゆえに三年間完全に隔離して、一段階、一段階、八段階を経て越えてきたのです。八十段階のおばあさん、七十段階のおばあさん、それから六十段階のおばあさん、五十段階のおばあさん、四十段階のおばさん、三十段階のおばさん、二十段階の女性、十段階の若い娘まで、すべて経てきたのです。

 神様が御覧になるとき、全世界の女性は一人です。一人として見るのです。堕落する時、アダムとエバが堕落したので、全世界を代表したアダムの前に、全世界の女性はエバの立場に立っているのです。ですから、年齢が高かろうと低かろうとすべてエバです。ゆえに、八十代のおばあさんの時代から橋を架けなければなりません。花の橋、愛の橋を架けなければなりません。ですから、彼女たちをみ言で導き、自分の娘のように育て、率いていきながら、東西南北のすべてのものを収拾し、橋を架けなければならないのです。

 そのためには、数多くの女性たちのそのような事態を踏んで上がってこなければなりません。踏んで上がってきながら、エキスを抜いて愛のひもをすべて奪ってこなければなりません。そのようにして、天の前に立つことができる本然的姿勢を備えたという勝利の印を受けなければなりません。解放を受けなければならないのです。

 垂直線は、サタンが審判することはできません。ですから、真の愛を中心としてこれをすべて連結してあげなければなりません。それゆえに、八十歳になるおばあさんの愛を七十代に譲り渡し、七十代の天の愛は六十代に譲り渡し、六十代の天の愛は五十代に譲り渡し、五十代の天の愛は四十代に譲り渡し、四十代は三十代、三十代は二十代まで譲り渡してこそ、連結されるのです。


洪順愛大母様との一体圏

 僕である天使長がエバを堕落させてひっくり返してしまいました。それで、それと同じように僕の生活をするのです。復帰の道では僕の生活が展開していきます。なぜならば、エバの主人であるサタンよりも大きな愛をもつことなくしては新婦を取り戻してくることができないからです。エバが神様の真なる愛を中心として、自分のすべてを否定して「私は死んだとしても、あなたのおそばに行きます」と言って、その夫に屈服することができる基盤を造成してこそ、初めて取り戻してくることができるのです。それがこの道です。もしそのようにすることができなければ、欺いてでも奪ってこなければなりません。

 それでは、ここで相手は女性ですが、女性を中心として見るとき、どのような女性でしょうか。女性の中で新婦となることができる女性です。女性の中においても、母の立場の女性がいて、娘の立場の女性がいます。それはレアとラケルを象徴しています。これは、来られる新郎の本意ではありませんが、天理原則によってそのような役事が展開するのです。

 ところで、その母は、僕の立場で自分の娘のような人を大切に育てなければなりません。母が僕ならば、娘は何になりますか。僕の娘になります。そのようにして、まさしくその僕の娘を神様の娘として入籍する相続式を行わなければなりません。その式を行うことによって初めて新郎として来られた主の前に新婦が策定されたとして、新しい時代の前に宣布式をすることができるのです。その時代は統一教会で言えば、一九六〇年度に相当します。

 ここにいるお母様を中心として、そのように役事しました。皆さんが知らない中でそのような役事を行ったのです。洪順愛氏というお母様の母親がいます。母と娘はいつも心が一致しているので、二人で共にひそひそと話すのです。

 サタン世界の版図を中心としてエバ圏のカイン、アベルを失ってしまったので、二人の母が必要なのです。その次にはカイン的息子、アベル的息子が必要です。そのような位置の基準を身代わりして立てなければならない人がお母様になるのです。

 なぜそうなのかというと、母というものは縦的です。先日、洪氏おばあさんに対して「大母」という言葉を使ったのもそのためです。「大母」という言葉です! しかし、この母から直系になっていないのです。それで、このようなすべてのことを蕩減条件に連結させて基盤を築かなければなりません。それゆえに、先生を中心として見ても、二人目のお母様です。最初のお母様が代を継ぐことは難しいのです。レアとラケルが一つにならなければなりません。ここで心情圏の分裂が起きてはいけないのです。ここで一体圏を成さなければなりません。レアとラケルが双子のようになった立場で、アベル的夫人とカイン的夫人のような立場で、これを完全に取り替えても一つになることができる心情圏をつくらなければなりません。兄が弟になっても喜び、弟が兄になっても喜ぶことができる内的基盤の一体圏をつくっておかなければなりません。そのような過程を経てお母様を迎えるようになったのが一九六〇年度でした。


お母様の四位基台

 誰もがお母様になることができるのではありません。すべての摂理は、エバの役事を中心とした歴史時代におけるすべての摂理と連結させた因縁を中心として出てくるのです。それゆえに、金聖道の代を許孝彬が継ぎ、許孝彬の娘が主を迎えるように準備がなされたのです。それで、十二弟子のような、そのような準備をしたことを見れば、本当に不思議なほどです。

 そのようにすべての内外を合わせて主が来られ、三人の女性の協助を受けて結婚式を行うようになるのですが、その時、三人の女性は何かというと、蘇生、長成、完成です。おばあさん、母、娘の三代が一つになったということは、旧約時代、新約時代、成約時代が連結されたということです。そのようになることによって、初めて父母が定着することができる時代に入ってくるのです。

 それゆえに、今日、統一教会においても、お母様を中心とした三位基台があるのです。縦的にあった三位基台が横的に展開されるのです。それではどこが中心でしょうか。お母様が中心です。

 崔元福氏もそうなのです。しかし崔先生が中心ではありません。​お母様が中心です。女性といえば、堕落した女性と堕落していない女性に分けられます。​堕落したエバの直系の子孫、それと希望の女性です。希望の女性はイエス様の前に新婦となります。堕落した女性は、イエス様の前における裏切り者です。その裏切り者を導いて許してあげ、カインとしてアベルに仕えさせるのです。それゆえに、崔元福氏も、お母様の行く道を切り開いていかなければなりません。

 堕落した母の立場で復帰することができる個人的十字架、家庭的十字架など、すべての十字架を背負って、エバがお父様の前に失敗したすべてのことを蕩減するにおいて、主導的役割をしてあげなければならない万人の女性がいなければならなかったのです。

 エバは、愛が何であり、夫が何であるかも知らない時に堕落しました。ですから、それを教育して、天国の王妃として、后として育てていくのです。そのようにしてサタン世界を生かしてあげようとするので、お母様の三位基台を中心とした基準があると同時に、お母様の母親の三位基台がなければなりません。お母様の母親の三位基台であるおばあさん三人をおいて回っていかなければならないのです。

 それで老人たち、池承道老人、玉世賢老人、それから李奇完氏、この人たちが一つの家で生活しなければなりません。この三人はどのような人たちかというと、お母様の三位基台に対して基盤となる人たちです。崔元福氏の三位基台に対して象徴的基盤となるのですが、これが一つにならなければ、統一教会のすべての伝統的歴史を汚してしまう立場の代表者となるのです。それゆえに、一つにならなければなりません。

 このように、おばあさんたちを三位基台で一つに結び、母子協助することができるサタン世界の三人の息子、娘を立ててきたのです。そのおばあさんたちはみな、先生が呼んだのではありません。霊界で出会わせてくれた人たちです。


三 「父母の日」の設定

真の御父母様の約婚

 一九六〇年三月二十七日(陰暦三・一)午前四時、ソウル市龍山区青坡洞一街七一-三の前本部教会において、文鮮明先生と韓鶴子女史の約婚式が挙行された。翌年の第二回「真の御父母様約婚記念日」において、真のお父様は、この日を「父母の日」として公式宣布された。その後、毎年陰暦三月一日を「父母の日」として記念してきたが、一九九四年、第三十五回「父母の日」記念礼拝を期して、その名称が「真の父母の日」と改められ、記念されるようになった。

 先生は、何も知らないお母様に十四歳の時に一度会い、それから、嫁に来るまでに二度会いました。正式に会ったのは十四歳の時です。その時、私が呼んでおいて、今後資格があるかどうか試験したのです。

 その時、お母様は高校に通っている娘でした。それで、「おいおい、文総裁があなたを呼んでいる」と言われ、「なぜ。知らないのにどうして」と言って来てみると、「あすの朝、結婚式をするそうだ」と言われたので「そうですか」と、こうだったのです。反対するすべを知らなかったのです。

 私が試験をしました。絵を描いたのですが、なかなか上手な絵を描くのです。そして、絵を描くと、開いて見せることも恥ずかしくしていました。心の姿勢が絵よりも素晴らしいのです。その時、お母様は本当に美しい娘でした。素晴らしかったのです。

 また、私がお母様と結婚する時、「神様、私は結婚する時になったので結婚します」と言って結婚したのではありません。神様が「時になったのでしなさい」とおっしゃられて結婚したのです。それが原理です。お母様も、私と結婚するということは考えもせずに来たところ、どうしてかそのようになったのです。


《祈祷》

 この時間、悲しみの時間ではなく、こみ上げてくる切なる心情に幼いこの心を抑えることができず、喜びにあふれて号泣しながら訴えざるを得ない時間なので、お父様、四十年の生涯を導いてこられたお父様の大変な労苦をこの時間解いてください。誰よりもあなたが孤独なことを私が知り、誰よりもあなたの無念さを私が知っていたので、真の父母の名を掲げてきたすべてのことが天のためだったということを、あなたが知ってくださるようお願いいたします。ここにいる、あなたのみ旨を心配するあなたの息子、娘も、今、み旨を成し遂げるために残された余生をすべて捧げ、死のうと生きようと、絶対に天の前に傷を残す息子、娘となることがないようにしてくださることを懇切にお願い申し上げます。

 行けば行くほど孤独な道がお父様の行かれる道だったのであり、知ってからまた再び心配しなければならない、そのような歩みをされたのがお父様の歩みだったということを知りました。お父様、六千年間探しに探されたその日を探し出され、この日を歴史に立てられ、お父様の新しいみ業を全天宙の前に立てる日となるように許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。

 この日、立てられた娘を受けてくださり、勝利の月柱冠をかぶせられ、積もり積もった恨を解くことができる娘となるように許諾してください。この日から、この勝利の栄光だけが父の前にあり、食口たちが進んでいくすべての道の上にお父様が共にあってくださることを懇切に願いながら、送ってくださったところの名によって申し上げました。


真のお母様のみ言

 私は、北韓ではお父様にお会いすることができず、南韓へ渡ってきたのちに、ソウルで初めてお会いしました。その時は、私が満十三歳の時(一九五六)であり、ちょうど小学校を卒業したあとでした。当時は母と一緒に入教してからいくらもたっていない時であり、その間、数多くの困難な道を歩んできたので、未来に対する確信をもつこともできませんでした。特に一九六〇年に何か起こるかということは知るはずもありませんでした。

 初めてお父様とお会いした時、お父様は私を見た瞬間、目を閉じられ、瞑想されたのち、心の中でささやかれるように「名を何というか」とおっしゃいました。それで、「はい、私は韓鶴子と申します」と答えました。すると「あー、神様! 韓鶴子というこのように素晴らしい女性をこの韓国に送ってくださったのですね。ありがとうございます」と言われました。お父様は、その瞬間瞑想され、ほとんど独り言のように言われたのですが、私にはそのように聞こえました。

 その時は、統一教会の教主であられるお父様が私の将来に関して特別な啓示を受けていらっしゃるような感じを受けたので、多少不思議には思いました。その当時、私は江原道の香川に住んでおり、お父様はソウルの本部教会にいらっしゃったので、春川とソウルという距離をおいて遠く離れていました。

 私は、お父様と出会ったのち、教会に通いながら中学校を卒業し、高校に入学しました。

 今日、私たちが記念している聖婚式が挙行されたのは、一九六〇年四月十一日、陰暦三月十六日でした。聖婚日のT刀月前にお父様が夢に現れ、神様からの特別な啓示がありました。

 「その日が近づいたので準備しなさい」という啓示が下りました。天が求婚をしたと言うよりは、言ってみれば、その時から天の訓令が下りてきたのです。訓令がある時、私は完全に自我を離れた立場に置かれました。天の摂理でなくては、私はその時、そのような大きなことを判断することができる能力がなかったので、無我になる以外にありませんでした。そして、祈祷せざるを得ませんでした。「今までも私はみ旨のとおりに生きてきました。今、神様のみ旨が何であろうと、神様の摂理の目的が何であろうと、私はあなたの僕として、どのようなことでも、命令されるがままに従っていきます」。啓示に対して、私の心をそのように応答して示しました。それは、私が満十七歳の時の春である、二月のころでした。

 私は完全に無我の境地になって準備していたので、その事情を分析したいとは思いませんでした。神様のみ旨のままに、全面的に体を捧げることを、ただひたすら願っていたのです。

 小学校の時、大母様に従って青坡洞に行った時、初めてお父様にお目にかかりました。その時、お父様がおっしゃったみ言があります。学生服を着た私を見られたのちに、じっと目を閉じられ、「大韓民国に韓鶴子が生まれたのだなあ」と言って感嘆されたのです。そのことが、今も記憶にはっきりと残っています。

 すべてのことは天が準備された、ということを常に感じます。私の性格から見ても、また生きてきた背景から見てもです。イサクがアブラハムと一緒に祭壇を築くために上がっていく時、アブラハムに祭物がどこにあるのか尋ねてみるのですが、アブラハムは「神様が既に準備されている」と言いながら何の回答もしませんでした。しかし、幼いイサクは、既にそこで状況判断をしていたのです。それと同じように、私においても、「私が何かをしなければならないようだ」という状況判断を、幼いころからしていました。再臨主の相対として準備された自分であるということを、それとなく感じていたと思います。

 私は、生まれながらにして、既に私に定められた道を行かざるを得ないように生まれついていました。ほかの女性であれば、ふろしき包みを何度包んでも余りある立場でしたが、そのような考えですべてのことを克服してきました。


「父母の日」の意義

 私たちの先祖であるアダムとエバが堕落していなければ、私たちは既に「父母の日」を迎えていたはずです。しかし、アダムとエバが堕落したので、「父母の日」を迎えるためには、まずこの地上に真の父母が来なければなりません。そのようにして初めて「父母の日」を迎えることができるのであり、その日を基準として真の父母による子女をもったのちにおいてこそ、「子女の日」を迎えることができるようになるのです。そのようになれば、万物を主管することができる日も迎えることができるようになります。

 神様は、六千年歴史の中で、三段階を経て救援する摂理を行ってこられました。僕の時代である旧約時代と、養子の時代である新約時代を経て成約時代を迎えたのです。成約時代には、子女が現れて父母の位置を整え、父母を迎えなければなりません。今まで、神様はそのような復帰歴史をなしてこられたのです。

 したがって、「六千年の復帰摂理歴史は、真の父母を探すための歴史であった」と言っても過言ではありません。真の父母は、六千年摂理史全体を代表されるお方です。ですから、その真の父母を探すことができなかったことが、人類全体の悲しみを表し、全体の苦痛を表し、全体の悲哀を表しているということを、私たちは知らなければなりません。

 イエス様は、地上で新婦を探し出して真なる父母の因縁を立て、世の中と神様の前に「父母の日」を立てなければなりませんでした。しかし、そのみ旨を成し遂げることができずにこの世を去られたイエス様の心情とは、どのようなものであったでしょうか。私たちはそれを知らなければなりません。

​ 人類を生かすことが願いであり、目的であったので、そのみ旨を成し遂げることができずに十字架で亡くなられたイエス様は、再臨されなければなりません。それでは、イエス様が再臨される時、まず何をなさなければならないでしょうか。それは、弟子たちに出会うことではありません。新婦を探し出さなくてはならないのです。​

 その日が来なくては、天宙の恨を解くことはできません。この日が来ることなくしては、神様のみ旨を奉じることはできません。この日が立てられることなくしては、サタン世界であるこの地上に神様の勝利の土台を築くことはできないのです。神様の勝利の日を決定する日もこの日であり、聖徒たちが解放されることができる日も、まさしくこの日です。天宙間の願いと理念が一つになる日もこの日であり、天地が開闢する日もこの日であるということを、皆さんは知らなければなりません。

 ところで、統一教会において初めて「真の父母」という言葉を中心として、歴史上に「父母の日」が設定されました。神様の本然の愛を中心とした男性と女性がこのような関係で夫婦を成す「父母の日」が設定された、という事実を知らなければなりません。そのようになることによって、神様を中心として、男性の心と体と女性の心と体が完全に水平線となり、神様が願われた理想的完成圏を出発するのです。

 その時は、一九六〇年三月二十七日でした。今正に、初めて歴史上に「父母の日」が生まれたのです。失われた神様の栄光を身代わりし、人類の勝利を褒めたたえ、悪に対して公義の法度で審判の権限を行使することができる私たちの父母が生まれたのです。これは、​この地上における福音の中の福音です。それを宣布したのが「父母の日」であり、その日がまさしく陰暦の三月一日だったです。​
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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2019.06.06 03:00:06
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