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奇   知   外   記

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2019.06.21
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カテゴリ:UCI、サンク
​​先ずは、私の過去記事から原理原本だけでなく原理講論、黒・天聖経にも「天の父母様」呼称が語られていた。


シムソン(恣意存)氏の「天の父母様」呼称に関する記事:
​​今まで神様を父なる方として、母のいない父として歴史を通してきたことを人間は知らなければならない。母のいない父なる神様であった・・・・・・それゆえに天の父と母の成立がなされてこそ、子女の家庭組織成就が始まることができる。
(原理原本 第3編 第4章)―家庭連合の「サンクチュアリ教会について」より―

原理である夫に対する夫人たちは、美で現わさなければならない。天のお母様の代身分体として、第2の善を愛一体で完成して、基本の善との一つの道を探し立てればこそ、理想の善を造成するようになるのです。​夫婦は、天の父と天の母を代身する者たちなので、極めて貴い対象の位に立っている。だから、各自は天の父母を代身して、お互いを貴く敬わなければなりません。​
(『原理原本』wpk 172)―サンクチュアリNEWSより―
彼の記事には​出典がなかったので、こちらで調べなければならなかった。 先ずは、「―家庭連合の「サンクチュアリ教会について」より―」というのは、個人ブログ「統一教会員(家庭連合)のブログ・神様大好き!​」の記事からの引用のようだ。

http://myuumyuutyann.blog.fc2.com/blog-entry-143.html

また、「『原理原本』wpk 172)―サンクチュアリNEWSより―」は、「「天の父母様」という祈祷の間違い 偽りの神名と異端的歴史観 -永田正治」。

https://nqj17437.wordpress.com/2017/10/07/%E3%80%8C%E5%A4%A9%E3%81%AE%E7%88%B6%E6%AF%8D%E6%A7%98%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E7%A5%88%E7%A5%B7%E3%81%AE%E9%96%93%E9%81%95%E3%81%84-%E5%81%BD%E3%82%8A%E3%81%AE%E7%A5%9E%E5%90%8D%E3%81%A8/#sixth

結論は、「原理原本」や「原理講論」、「原理本体論」に書かれていた神様の「天の父母様」呼称をそっちのけでサンク側の独断と偏見を押し通したということだ。さらには、サンクの「初めに結論ありき」そのままの「私無存」氏ではなく、「恣意存」氏の恣意的見解を書き連ねた何ら根拠のない空論であった。

永田正治氏の解説​引用:
​​《「原理原本」引用の矛盾》

 ウィルソン教授は、アボニムが65年前に書かれた「原理原本」が、「天の父母」を確信する手助けになったと言っています。彼は、「天の父母」という神名を正当化するために、アボニムが1951年に書かれた「原理原本」の内容を数ヵ所引用します。

​ 原理である夫に対する夫人たちは、美で現わさなければならない。天のお母様の代身分体として、第2の善を愛一体で完成して、基本の善との一つの道を探し立てればこそ、理想の善を造成するようになるのです。夫婦は、天の父と天の母を代身する者たちなので、極めて貴い対象の位に立っている。だから、各自は天の父母を代身して、お互いを貴く敬わなければなりません。​
(『原理原本』wpk 172)

​​ 1952年に書かれた「原理原本」のつぎに「原理教本」(1957)、そして「原理講論」(1966)が書かれました。「原理原本」には「天の父母」に対する記述がおおく見られます。しかし、​「原理原本」から14年後に書かれた「原理講論」には、「天の父母」に対する記述は大きく後退しました。これは、アボニムが、神の正しい認識は「天の父」であると判断した、厳然たる事実を示すものです。もしアボニムが「天の父母」が正しいと思われたなら、「原理講論」で明確に教義化しないはずはないからです。​​​​​


永田氏が引用した「原理講論」:
​​アボニムが、陽・陰の二性性相を属性として備える神を強調したのは、神の父性しか問題にしないキリスト教に向けられたものです。アボニムは二性性相の神を認めますが、神の呼称はどこまでも「天の父」と定めました。​​その教義上の根拠は、創造原理に明記されています。

​​​ ―​「男は、神のかたちであり栄光である」と記録されている聖句は、正にこのような原理を立証しているのである。このように、神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである。(P47)​​​​

この原理の内容が、神を「父」と呼ぶことを明確に教えています。これは長く、全ての食口が共有してきた神観でもあります。アボニム聖和の年である2012年に出版され、全ての食口に学ぶことを命じられた「原理本体論」にも同じ内容が記されています(P,83‐84)。「原理講論」はアボニム46才の経典、「原理本体論」はアボニム晩年の経典です。統一運動の二大経典は、神を「父」と呼ぶことを明記しているのです。​サンクチュアリ教会は「原理本体論」を尊び、家庭連合は、真理が書かれている、自分たちに都合の悪い経典を、絶版にしました。​
こんな確かな指針があるにもかかわらず、韓氏オモニはそれを無視し、「天の父母」という偽りの神名を制定したのです。このような異端の呼称は、神とアボニムのみ心を踏みにじる、反神様・非アボニムの神名以外の何ものでもありません。

一つには、原理原本にあった「天の父母」の記述が「原理講論」では後退していたことを理由に挙げていた。
ところが、最近の私の記事からはこれら原理講論解釈の間違いを指摘していた(独生女考(33)--『原理講論』に見る神様の定義も「天の父母様」、以下に引用)。

冒頭引用の要約された別の言葉が以下ということになる。
  • 「神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体として、すべての存在界の第一原因であられることが理解できるようになった。」
  • ​「我々はここにおいて、神における陽性と陰性とを、各々男性と女性と称するのである。」​
そして、
  • ​​被造世界(母なる大地)に対しては、性相的な男性格主体(天の父)としていまし給うという事実を知ることができる。​​​
​ということになる。注目すべきは、
​​神における陽性=男性
神における陰性=女性​​​​
​と書かれていた。​神様の「男性・女性」が「創造原理」によって分かれたものが被造世界ということであり、人間の「男性・女性」、つまりは、人間始祖アダム・エバに分かれたものだった。

関連画像

霊界に行っても無形の神様は見ることは出来ないが、神様の似姿となった(完成した)夫婦は霊界では(神様のように)一体となって見えるということだ。

真の父母様は神様を「天の父母様」と呼ばれたが、これは原理講論の神様の定義からも明らかである。 H3、H4は、お母様が神様の呼称を「天の父母様」に変えたとかいう批判もここまでだ。 また、「独生子」「独生女」批判も同様である。

​明らかに原理講論を歪曲しての「天の父母様」否定論である。それどころか、サンクが推奨しているということで「原理本体論」まで持ち出してきた。
​サンクチュアリ教会は「原理本体論」を尊び、家庭連合は、真理が書かれている、自分たちに都合の悪い経典を、絶版にしました。​​
上記引用ではサンクは誇り高ぶっていた。
ところが、「本体論」にも「天の父母様」の記述があることを私tomy4509はルポしていた。​そのサンクブロガーで紹介していた「原理本体論」映像からのものだ。








「原理原本」、「原理講論」、「原理本体論」ともに「天の父母様」呼称はOK!!




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2019.06.22 07:12:25
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