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カテゴリ:UCI、サンク
サンクで推奨している「原理本体論」ビデオからいくつかを拾ってみた。
ここからも本体論とサンクの実際にズレがあることを発見することができる。 前回は『原理本体論』の講義テキストから「天の父母様」についてピックアップしたが、それと同じ内容のものがこのビデで収録されていた。 また、「独生子」×「独生女」=「真の父母様」が離婚して別の誰かと再婚というものは、本体論からはあり得ないことであるとの内容もここでは語られていた。 お父様が語られた「独生女」も知らずのお母様の「独生女」発言批判は無知から来るものであり、それを知ることで修正していくことができた。 2015年4月29日記事から。 天聖経(黒表紙)韓国語版のP.177の記載文(以下)。 また、原理原本→原理解説→原理講論→原理本体論といったこれまでのお父様のみ言の流れからも、神様の「天の父母様」呼称も同様に無知からのものであった。 原理講論『総序』には、 それでは、その新しい真理は、いかなる使命を果たさなければならないのであろうか。この真理はまず、既に論じたように、宗教が探し求めてきた内的真理と科学が探し求めてきた外的真理とを、統一された一つの課題として解決し、それによってすべての人々が、内外両面の無知を完全に克服し、内外両面の知に至ることができるようなものでなければならない。また、堕落人間をして、邪心が指向する悪への道を遮り、本心の追求する善の目的を成就せしめることによって、善悪両面への指向性をもっている人間の矛盾性と、前述のような、宗教人たちが当面している修道の生活の矛盾性とを、克服できるようなものでなければならない。堕落人間にとって、「知ること」は命の光であり、また蘇生のための力でもある。そして、無知は死の影であり、また破滅の要素ともなるのである。無知からはいかなる情緒をも生じ得ない。また、無知と無情緒からはいかなる意志も生ずることはできないのである。人間において、知情意がその役割を果たすことができなくなれば、そこから人間らしい、人間の生活が開かれるはずはない。人間が、根本的に、神を離れては生きられないようにつくられているとすれば、神に対する無知は、人生をどれだけ悲惨な道に追いやることになるであろうか。しかし、神の実在性に対しては、聖書をいかに詳しく読んでみても、明確に知る由がない。ましてや神の心情についてはなおさらである。それゆえ、この新しい真理は、神の実在性に関することはいうまでもなく、神の創造の心情をはじめとして、神が御自身に対して反逆する堕落人間を見捨てることができず、悠久なる歴史の期間を通して彼らを救おうとして心を尽くしてこられた悲しい心情をも、我々に教えることのできるものでなければならない。 特には、「サンクも「初めに結論ありき」では?!」に記したサンクの真理に対する謙虚な姿勢が大切であろう。 最初に導き出した結論は、 自分にとって心地よい、 都合の良い結論であっても、 最初の結論に執着し、 真理を受入れることもできなければ、 真理を否定する道であり、 神を裏切る道であり、 自己愛の結果として サタンの元へと向かう、破滅の道です。 真理に従う謙虚な姿勢で ただ神の願いに生き、 神の願いを果たすために、 100%自分を捨てることができれば、 必ず正しい答えが見えてくるはずです。 「サンク」、並べ替えて一画を加えれば……とならないように。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.03.17 19:33:45
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