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カテゴリ:UCI、サンク
以下動画は、サンクが2017/02/12に公開した動画である。
国進氏が「夜昼の神様」についてサンクの見解を述べていた。 -----(以下引用) Q:イエス様の血統はお父様につながっているのでしょうか? サンクチュアリの立場ははっきりしています お父様は聖和される前に「夜の神様」と「昼の神様」について語られました 「夜の神様」についてお父様は天地創造以前に存在していたお方だと説明されました つまり永遠の神様なのです 一方、お父様が「昼の神様」というとき それは天地創造以後に現れたものとされます 「昼の神様」はその意味で創造されたものといえます 多くの兄弟姉妹が混乱している点は 「昼の神様」がただ一つだと考えていることです 「昼の神様」はたくさん存在するのです 地上で権威を持つものはみな目で見ることのできる 「昼の神様」なのです 問題は堕落世界の「昼の神様」は 「夜の神様」と分断されていることにあります 「夜の神様」の指令に従わないのです だからこのような堕落世界になっているといえます ひとたび神の直接主管圏が確立すれば-- 霊界には永遠の神としての神様がおられ その器として創造された二代王、 息子がその責任を完全に受け入れて 永遠なる「夜の神様」の霊と一つとなるとき-- ほかの偽りの「昼の神様」はそれによって排除されるのです この点を理解することが非常に重要です このように見るとき お父様は「生まれる前から存在していた」とおっしゃっていると解釈できます これは初臨のキリストの教えと同じです キリスト教の観点からキリスト論を見るとき-- 永遠の存在としての神様が地上にイエスキリストとして降臨され、また戻られました お父様が語っておられることは 神様が文鮮明として、再臨主としてまた地上に来られ-- そしてまた「夜の神様」のもとに戻られた お父様が教える神学、キリスト論を理解するとき、その内容は 永遠の神としての神様、創造主とイエスキリスト、再臨キリスト文鮮明がおられ この三者は同一の人格、同一の霊だというのです サンクチュアリ教会の教えはイエスキリストとお父様は 同一の霊であり同一の人格であるということです この動画を見てまず感じることは、サンクの語る神様は唯一神でもなくニ神論でもない。 「夜の神様」が別の「昼の神様」を創造されたという話であり、 それどころか 「昼の神様」ではなく「昼の神々」といった「多神論」、八百万の神様信仰。 次に問題となる点は、 ひとたび神の直接主管圏が確立すれば-- が曲者で、どの神様の直接主管圏になるの? 「夜の神様?」「昼の神々?」 霊界には永遠の神としての神様がおられ 霊界には神様だけでなく、 天使長(ルーシェルほか)や亡くなられた先祖の方々も居られる。 その器として創造された二代王、 霊界の誰が二代王(?)に協助するというのか? 息子がその責任を完全に受け入れて 永遠なる「夜の神様」の霊と一つとなるとき-- こう考えれば、霊界の誰がH4に入るというのか。 「夜の神様」がH4に入る確率は極めて薄いといえる。 三番目は「夜の神様」「昼の神様」はどういう属性を持たれているのか? 「夜の神様」を善とすれば、「昼の神様」は何? 「夜の神様」の指示に従わない「昼の神様」だから悪。 このようになって堕落世界となったのだらか、 ほかの偽りの「昼の神様」はそれによって排除される はまた、「昼の神様」にも善悪に分かれた神様がいるということになり 神様が三つ巴で何? このように見るとき お父様は「生まれる前から存在していた」とおっしゃっていると解釈できます とまでくれば、お父様は「夜の神様?」「昼の神様?」。 私自身は理解に苦しむが、皆さんは?! さらには(原理講論の)キリスト論まで持ち出しているが、 イエスキリストは神なのか? 人間なのか? お父様が教える神学、キリスト論を理解するとき、その内容はサンクの結論は 「神様(創造主)」=「イエスキリスト」=「再臨キリスト文鮮明」 ということらしいが。 果たして? 原理講論のいうところとつじつまが合わない。アブラハム路程からは 以上のように、イサクを中心とする摂理は、また、ヤコブを中心とする摂理路程へと延長されていった。しかし、ちょうど、アブラハムとイサクが、その個体は、各々異なるが、み旨を中心として見るときには、一体であったように、ヤコブはイサクの家庭を中心として、「メシヤのための基台」を立てるべき「実体基台」の中心人物として、アブラハムの犯した罪を担当して、将来、「メシヤのための民族的な基台」を立てて、イサクの目的を、民族的に成就すべき蕩減路程を出発したので、アブラハムとイサクとヤコブとは、お互いに、その個体は異なるが、み旨を中心にして見れば、みな一体であったのである。したがって、ヤコブの成功は、すなわち、イサクの成功であり、イサクの成功は、すなわち、アブラハムの成功になるのである。ゆえに、アブラハムを中心とした復帰摂理は、イサクとヤコブに延長されたけれども、み旨を中心として見れば、延長されずに、アブラハム一代で完成されたのと等しい結果となるのである。「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」(出エ三・6)と言われたみ言は、正に、このような摂理路程に立脚してみるとき、彼らは三代でありながらも、み旨から見れば、一つの目的を共同して完成した祖先たちであるので、一代と等しいともいえるのである。これと同じ原理が適用されるべきが正統な捉え方である。 ほか原理からは、イエス様は神様に祈祷を捧げていること、また、 過去のエリヤやモーセとも会話していたことも書かれていたように、 お父様もイエス様と会話されていた。 どう転んでも サンクの説く「夜昼の神様」はチンプンカンプン?? 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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