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カテゴリ:虚偽「ONE TRUHT」
櫻井氏の「ONE TRUHT」は、「FPAの目指す運動の方向性」(2019/11/16付)と題しての会員拡大のための宣伝に続き、以下。
FPAは組織ではなく個人と家庭の成長が焦点 家庭連合とFPAの違い 「救いの意味」 FPAの説くところの「救い」って何? 組織から解放されては、個人主義、あるいは、マイホームの家庭主義に聞こえてくるのだが。 FPAの「救い」は、個人から家庭止まりでしかない。 氏族、民族、国家、世界、さらには、天宙(霊界)は? HJ天寶修錬苑(清平)を否定しては、FPAは霊界についてはどうなのか、だ。 お父様のみ言は、個人と家庭だけが良ければとは語られていない。 また、「堕落以前の状態に復帰されて、創造目的を完成すること」って、どのようにすれば出来るのかはFPAにあるのか。 「神中心の家庭」と言いつつもFPAに神様は訪ねてこられるだろうか。 幼子のようにおぼろげに見ている時は過ぎた。 「顔と顔とを合わせて、見るであろう。」が今である。 エゼキエル書/ 20章 32節~39節 あなたがたの心にあること、すなわち『われわれは異邦人のようになり、国々のもろもろのやからのようになって、木や石(H3、H4)を拝もう』との考えは決して成就しない。主なる神は言われる、わたしは生きている、わたしは必ず強い手と伸べた腕と注がれた憤りとをもって、あなたがたを治める。わたしはわが強い手と伸べた腕と注がれた憤りとをもって、あなたがたをもろもろの民の中から導き出し、その散らされた国々から集め、もろもろの民の荒野に導き入れ、その所で顔と顔とを合わせて、あなたがたをさばく。すなわち、エジプトの地の荒野で、あなたがたの先祖をさばいたように、わたしはあなたがたをさばくと、主なる神は言われる。わたしはあなたがたに、むちの下を通らせ、数えてはいらせ、あなたがたのうちから、従わぬ者と、わたしにそむいた者とを分かち、その寄留した地から、彼らを導き出す。しかし彼らはイスラエルの地に入ることはできない。こうしてあなたがたはわたしが主であることを知るようになる。 コリント人への第一の手紙/ 13章 08節~13節 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。全きもの(真の父母)が来る時には、部分的なものはすたれる。わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.11.28 18:09:52
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