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奇   知   外   記

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2020.05.15
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前回「証「統一家の誇りであるお母様」-- 姜賢實伝道師(前編)」(2020.05.15)の続きです。
​元光言社職員・中村仁史氏ビデオ第4弾ですが、家庭盟誓の「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」を挙げながらも、サンクチュアリ教会へ逝かれた姜賢實女史こそが1952年から原理原本の写本をしたからといっては、また、サンクの亨進氏の元へ来てはサンクの母としての祝福(?)を受けたことを理由としてか、彼女こそが「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」の手本であるかのように語っていました。​
​上記のように中村氏は語っていましたが、1986・87年ころに姜賢実伝道f師がお母様(父母様)について証されたものです。この中で姜女史はお母様の絶対信仰と絶対従順を称賛していました。
かつては洗礼ヨハネやペテロがイエス様を証しながら、最後まで従っていかなければならなかったのですが……。

「韓鶴子女史 御言選集 愛の世界」(1989年2月、光言社)に掲載されていた「姜賢實伝道師の証」の後編です。


  
統一家の誇りであるお母様(Ⅱ)

姜賢実伝道f師が祝福家庭婦人会の集いで語った証

 お母様の勝利は絶対的信仰と侍奉の結晶


 一九七六年以前には、お母様はわずかなお金も自由に使うことができませんでした。しかし一九七七年以降はそういう制限もなく、家庭の母として、教会の母として、天宙の母として、堂々たる真の母として、より大きな責任を果たし、また責任を持たれたのです。

 私たちのお母様に普通の人と違った点があるとすれば、神を信じることにおいて真心から信じたという点です。本当に神を愛することにおいては、すべてをささげて愛されました。針の先ほども疑わず、前面的に真心をもって信じてこられたのです。もしそのような信仰の基台がなかったならば、神が選び立てられなかったことでしょう。これはお母様が歩んでこられた路程を見て知ることができるのです。

 次にお母様は、霊的な面において非常に繊細で、敏感でいらっしゃり、人に対するときにも事物に対するときにも、洞察力や観察力があまりにも正確であるということです。お母様の心に反映することは、すべて真実であり、正確であるということができます。

 第三には、お父様に対する絶対的な忠誠心を持ち従順な点であるといえます。献身することをはじめとして、お父様がどんな方向に導いたとしても、どんなことをおっしゃっても、どんなことを願われても、喜びの心で従う生活をしてこられました。お母様はまずお父様の思いを察しられたのです。「ああ、このような思いを持っておられるのだ」「ああ、このようなみ意を持っておられるのだ」と感じて把握され、お父様が言われる前にまず、すべてを知って備え、合わせることのできる賢明な内的土台を持っておられたのです。

 四番目としては、お母様はどんなときでも自分の所有という思いがなく、無私の生活をされました。持っておられるすべての物を自分のものと思わず、神と天宙のものと信じてこられたのです。どんなに貴重で高価な物であったとしても、「これは私のものなのに」という所有観念を超越されたのです。

 だれかにあるかぎりの物を与えて喜び、まただれかがそれをもらって喜ぶことを考えながら、ご自分が持っておられる物は結局全部人に与える生活をされました。お父様はお母様がこのような性質を持っておられることに対して、「いつも神に感謝する」と語られたのを聞いたことがあります。

 自分の所有観念を捨てるのは、本当に難しいことです。無私の心とは、私のものを私のものとして認めないということです。事実、私が私のものとして認めるときは、私が立つことのできる足場があまりにも狭くなることを感じます。数坪の土地を得て誇る人がいるとすれば、その人は自分が所有している数坪の土地を除外した全世界にあるすべての地を失った者となるのです。

 友を何人か得て誇る人がいるとすれば、その人は今得ているその何人かを除外した全世界の魂を失ったのと同じです。

 お金を何千万ウォンか持って誇る人がいるとすれば、その人は自分が持っている何千万ウォンを除外した全世界の富を失うことになるでしょうし、全世界の宝物を失う立場に立たざるをえないのです。

 失うときに見いだすことができ、捨てるときに得られることを私たちは考えないでいるのです。自分のものは自分のものであるということになれば、すべての物が他の人のものと思うようになります。しかしお母様はすべての物を神様のもの、天宙のものとして考えておられるために、すべての物を全部与えて喜ぶ生活をされるのです。

   お母様の伝統は私たちみんなのもの

 私は一九八O年度にアメリカに行き、約三か月間お母様とともに生活したことがありました。そのとき私はより一層身近にお母様の内面について読み取ることができ、学ぶことができ、知って感じることができたのです。それである日のタ方、私はお父様にこう申し上げました。「お父様、神様が本当に私たちのお母様のようなかたをどこに隠しておいてこのように見つけ出し、このように大きな使命を与えられ、それを担えるようにしてくださったのか知りませんが、私はあまりにもあまりにも感謝する思いでいっぱいです。本当に私たちは、お母様のようなかたがいらっしゃらなかったら、どうなっていたでしょうか」。

 お父様は「そう、どんな点がそれほど素晴らしいの」と尋ねられました。私は「まず神様に対する絶対的な信仰、お父様に対する不変の忠誠心と従順な心、そして食口たちに与えてもまた与えたいし、会ってもまた会いたいという心情と、食口たちのために生きてもなおために生きようとされる、そんな心を持っておられることが本当にありがたく思われます」と申し上げると、お父様の表情が明るくなり、喜ばれるのでした。

 ある日、お母様と一日中一緒に過ごしたことがありました。そのときお母様は「前線で苦労しながらみ旨を進めるために頑張っている私たちの食口を思うと、私は本当に胸が張り裂けるようです。食べることもできずに飢え、寒さと空腹と疲労の中で、み旨を進めるためにきょうも命を失っていく食口たちを思うたびに……」と言われ、それ以上言葉を続けることができず、胸を詰まらせられました。

 そして「私たちはこのように犠牲の代価を払ってきましたが、またこれからも苦労しなければならないでしょう。たとえどれほど難しく困難なことがあっても、闘って、必ずこの地にみ旨を成就しなければならないし、またみ旨を成就すべき課題が私たちにあるのです」と強調されるのでした。

 本当に私たちには、犠牲の祭物があまりにも多かったのです。み旨を成し遂げるために苦労して霊界に行った人々が、どれほど多いか分かりません。その人々が果たしえずに残した仕事を果たさなければならない課題が、私たちの前に残されています。もし後日、私たちがこの課題を果たしえずして神の前に行くとするなら、神は明らかに私たちをとがめ、大声でどなり、しかることでしょう。

 神が私たちをながめるとき、しかるまなざしで見つめるときがあるでしょう。それは神がみ旨を成すために、それだけの犠牲を払ってこられたからなのです。

   私たちが行くべき道

 結論を申し上げれば、父母様と私たちの間が、言葉の上でお父様、お母様と呼ぶだけの関係で結ばれるのではなく、真実で確かな関係をもって結ばなければならないのです。世の中の父母と子供の関係は、いかなる場所においても変わらないものであり、東洋、西洋とも同じです。情に乏しいといわれる西洋においても、確かな関係を結んでいるのです。

 ところが私たち統一教会の食口たちの中には、十年間、二十年間、三十年間、「お父様」「お母様」「父母様」と言っていた人々が、そのまま離れ去っていくのをしばしば見ることがあります。これは、真の父母様と確かな関係を結ぶことができなかったからなのです。本当に確かな関係を結んだなら、離れることはできません。

 信仰の道は決してたやすい道ではありません。天国はあまりにも尊く、高く、大きい所なので、そのような天国を所有しようとすれば、反対に最低の地獄の底から、辛苦をなめながら、通過しなければならないのです。そうして初めて天国に対する深い味わいを感じることができます。地獄の辛苦を味わわなかった人は、天国に入れてあげても、感謝する思いを持つことができないのです。かえって天国に対する価値を一文も感じることができないでしょう。

 それゆえ、私たちのお母様は「今年も苦労をしましょう。苦労しなさい」と言われました。史吉子(サーキルジャ)宣教師(故劉孝元協会長夫人)の長男珍勝(チンスン)さんが幼いとき、「お父様は何とおっしゃったの?」と聞いてみると、「苦労しなさいと言われました」と答えたことが思い出されます。

 苦労によってつくり上げた天国は、苦労を通して私が見いだした天国なので、世の中のいかなるものがやって来ても奪っていくことができないのです。

 お母様は地獄と天国を共に通過されました。そのように最低の地獄の底まで苦労を味わいながらも、一言の不平もこぼされませんでした。ひたすら立てられた位置で、その場では実際につらく苦痛であっても、心では常に感謝しながらこの道を歩まれたのです。

 それゆえにお母様は勝fされました。今は最高の栄光の立場を神から授けられたので、天地は「あなたは受けるべき栄光をすべて受けられました」とたたえるようになりました。

 私たちはこの時間、お母様が力に余る困難な道を行かれるときに、私たち自身も共に行けなかったことを悔い改め、精誠を尽くして過ごすことができなかったことを申し訳なく思いながら、反省する心を持たなければなりません。

 お母様が十字架を背負い、いばらの道をかき分けながら歩んで来られた峠の道には、多くの血と汗と涙がにじんでいるのです。お母様が行かれたその道が、私たちが行く道の路程となり、鏡とならなければなりません。

 父母様は私たちを見て、もどかしく思われるのです。お父様が私たちを見さえすればどなりつけ、しかる理由は、私たちの心情が死んでいるからです。また、息絶えたこの地を見渡すとき、あまりにももどかしいと思われるのです。どんな方法を使ってでも生かすことが問題ですから、必死の努力をしておられるのです。

 この前も来られて、全国を巡回され、最前線に立って走るようにみ言を伝えられました。それはまさに命の道をつくるためだったのです。緊迫した摂理の瞬間におかれている現時点であることを知らなければなりません。

 サタンは私たちがどのように生きてきたかということを見て、嘲笑しています。そればかりでなく、ざん訴しているのです。だれがりっぱにしているものかと、サタンは神を嘲弄(ちょうろう)しています。私たちは立てた天道の前に外れない生活をすることによって、一生の記録を価値あるように、また意味のあるように、貴いものとして残さなければならない課題が残っているのです。私たちは殻を脱がなければなりません。殻を脱ぐということは、殻の信仰を脱ぐことをいうのです。

 教会に入って数十年になったにもかかわらず、原理について尋ねると一つも分かりません。だれもがほかのことばかり気にしながら生きてきたからです。原理が頭のてっぺんから足のつま先まで成就されていなければなりません。原理が生活の中で成就され、自分が知っている分だけそれを実践して現さなければならないのに、一人もそういう人がいません。殻を脱がなければならないし、実が実っていなければならないのに、一人も実ってはいないのです。

   私たちは父母様の代身者にならなければ

 お父様は今年六十七歳、来年は六十八歳になられますが、限りなく忙しいのです。そしてなさなければならないことがあまりにも多いので、常に追われておられます。それに私たちが歩調を合わせていかなければなりません。父母様の生きておられる間に神のみ旨を地上に成就しなければならない責任が私たちにあるのです。父母様が万民の父母として現れなければならない基盤をつくる今日の私にならなければならないという覚悟をしなければなりません。私たちの道が険しく困難に満ちているときには、お父様、お母様が行かれた道を考えれば、それを克服することができるでしょう。本当に難しくて、もうこれ以上行けないという心に押され、荷物をまとめて出ていこうという思いが来たとき、お父様の獄中路程を考えれば、勝利することができます。私たちは一人も落伍者になってはいけません。神と父母様と私たちの後孫のために、最後までこの地に残って、み旨を成し遂げるための礎石となり、肥やしとなり、一粒の麦とならなければならない課題が残っているのです。

 ところが私たちの頭の中では、ほかのことを考えているのです。この間、お父様にこう申し上げたことがあります。

 「お父様、本当に私たち統一教会の食口がどれほど真実に生きるかということが問題です。真実から離れるときには、神は顔をそむけるのではないでしょうか。顔をそむけられるとすれば、私たちが苦労して築き上げたものが一つ残らずなくなってしまうでしょう。そうなればどうしたらよいでしょうか」

 お父様も深刻になられました。本当に真実が私たちの心の中から離れれば、明らかに神は私たちから顔をそむけられることでしょう。この時間もう一度、私たちがどれくらいみ旨にひたむきであり、忠誠を尽くしてきたか、またこのみ旨を成すにおいて私でなければならないという心があるだろうかということを考えてみなければなりません。

 この地を私たちはみ言をもって一つ一つ占領していかなくてはなりません。逆に私たちが占領されてしまうとしたら、大変なことです。占領することができず、のまれてしまうしかない私自身になってしまったなら、悔い改めなければならないのです。

 私たちも「父母様とともに勝利しました。また勝利しています。これからも勝利することでしょう」と誓いながら、必ず韓国教会を復興させなければなりません。「私たちがこの民族とこの国を本当に取り戻して、神と父母様におささげいたします」という決意を持ち、勝利の凱歌を歌うことのできるそのときまで、私たちはすべてを耐えて行かなければなりません。

 統一教会で自分を中心として生きる人は、焼いてしまった卵と同じです。私たち統一教会では、焼いた卵のような人たちは必要としません。たった一人でも命ある食口を統一教会では願っています。真実な信仰のない食口、その人はあたかも焼いた卵のようです。焼いた卵は千万個あっても、その中から殻を割ってひよこが出てくることはありえないのです。しかし卵一個であっても、本当に生きている卵の中からは、時がくれば殻を割って、かわいいひよこが出てくるのです。私たちは命ある卵にならなければなりません。真の生命を創造しなければなりません。

   絶対的信仰と実践のみが永遠に生きる道

 二千年前、イエス様もやはり多くの人々を連れて働くようなことはされませんでした。イエス様はたった一人でしたが、みんなの心を動かし、また私の心をも動かしました。また今日、十三億キリスト教徒の心を動かしているのです。同様に私たちのお父様も一人から出発されましたが、今私たちの心を燃え立たせてくださっています。そして今、百三十七か国に宣教師を送り、働いておられるではありませんか。

 それゆえ、私たち自身が本当に生きている生命とならなければなりません。そして完全に信じて、心と体を完全にささげましょう。全面的に信じ、全面的にささげるとき、光明なる太陽と月が昇ってくるでしょう。

 光明なる太陽と月が昇るということは、私たちが発光体となって、行く先々を照らすことをいいます。私たちが完全に信じてささげていくとき、信仰の大宇宙が建設されるでしょう。これは、この地上に神が願われ望まれた天国が成就されることをいうのです。

 使徒ペテロに幼い女のしもべが「あなたはナザレ人イエスと一緒だった」と言ったとき、完全に信じられないでいた心から「そんな人は知らない」と否認しました。しかし完全に信じていったとき、三千名を悔い改めさせることができたのです。ムーディー伝道師は自分の一生のうちに百万人を神の前に導くことができました。ヨハン・ウエスレーは「完全に信じてささげる者がこの地に百人だけでもいるなら、世界を一年以内に神の前に帰しても余りがある」と言いました。

 今日私たちは伝道ができないといって心配する必要はありません。全面的に信じて頼り、全面的にゆだねてささげることができなかったために、そういうことが起きるのです。私たちは力を集め、一つに団結しなければなりません。私たちはどれほど父母様を愛し、慕い、思っていますか。心底から私たちは父母様の流した血と汗と涙を理解していますか。このすべてを私たちが感じ、考えているならば、私たちは父母様が願われる方向と一つにならなければならないのです。「だめだ、できない」という心を捨てて、一つに団結するとき、神の心を動かすことができるし、霊界にいる億兆万聖徒の心も動かすことができるのです。そればかりでなく、神の全知全能なる役事の力が現れるでしょう。神と霊界が共に働く力に、サタンは恐れ、姿を隠すようになるのです。

 そうするためにも、まず韓国にいる統一教会の食口たちが生きていなければなりません。信仰の宗主国として、世界に広がっている統一教会の食口たちが私たちを仰ぎ見ています。それゆえ私たちがこの期待に背かないようにするためにも、力を合わせなければなりません。信仰の宗主国であり、信仰の先輩として彼らの前に現れるためには、心を再び新たに整え、正しい姿勢を持って、どこに出ていっても誇りえる自分とならなければならないのです。

 きょうが過ぎ去ってしまう前に、私たちが今までそのように生きられなかったことを悔い改めなければなりません。父母様の期待に背かないように私たちの残りの余生を備え、一致させなければなりません。また私たちは真の孝子女として真の道理を尽くし、この場だけではなく、遠い後日においても、お父様の前で勝利の凱旋歌を歌う日まで、一人たりとも落伍者にならないようにしなければなりません。

 ただ会うだけの出会いとならず、多くの命を再創造する役事が、私を通して行く先々に起こるように祈祷し、努力しなければならないのです。ありがとうございました。




【参考記事/『愛の世界』からの引用】


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2020.05.15 10:10:22
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