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奇   知   外   記

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2020.12.30
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天地のため往来されるイエス

1956年5月23日(水)前本部教会

 祈 祷(I)

 幼なき子女たち、再び生きる道を尋ねてお父様の膝元に出て来ましたので、お父様、受け入れて下さい。私たちが宇宙より尊いとして話して下さったのを知っております。多くの群れが生命が渇き、この聖壇の前に集まりましたので、お父様、集まったこの群れがお父様の栄光に代わることのできるように許諾して下さり、喜びの祭壇を代身して、お父様の心慮と心配を知ることができ、お父様の心情を体恤できるこのひとときの時間として許諾して下さることを、お父様、懇切にお願い申し上げます。

 お父様には、とるに足りない者たちに対して、信じなければいけない立場におられるということを知っておりますし、とるに足りない者たちを頼って役事を行なわざるを得ない立場におられることを知っております。今日まで天が私たちを信じなければならない、信じて立たせなければいけない立場におられることを知っていながらも、お父様が私たちを信じて下さることのできるようにして差し上げられなかった過去の過ちを容納して下さい。

 私たちが支えとならなければならない責任も充分に担当できない私たち人間でありましたが、お父様、この時間を容納して下さいますことを、懇切にお願い申し上げます。お父様を信じて、お父様にたよって私の生命までも捨てることができ、私の生涯までもお父様に率直に差し出すことのできる、お父様が取られるに相応しい供え物としてこの時間お受け下さることを、愛する私のお父様、懇切にお願い申し上げます。

 お父様、多くの人々の中でとるに足らない私たちを呼んで下さったのですから、受け持ってお父様の矜恤の愛で抱いて下さい。

 お父様に、この時間身も心もすべて捧げ奉り、お父様の念慮(心配)する心を体恤できるよう許諾して下さり、お父様が私たちに要求されるその一つの願いを受けるに相応しい子女となれるように許諾して下さることを、愛するお父様、懇切にお願い致します。

 6千年の間、解かれなかったあなたの切ない事情が今日まで継続しており、あなたの嘆息が今日までも継続している歴史を見てみる時、今日も私たち自体がお父様の嘆息の原因となっていることを容納して下さい。

 お父様の生命と願いの理念の実体として下さいまして、お父様が喜ぶことのできる生命の根として下さることを、愛するお父様、懇切にお願い致します。 今日ここに集まった子女たちを哀れみ、この時間ありったけの精誠を捧げ、お父様の愛を讚美して、千々万聖徒たちの前に立てた子女として恥ずかしくない、生きた喜びの供え物となれるこの時間となれるよう許諾して下さることを、お父様、懇切にお願い致します。

 すべてのことをお任せしましたので主管して下さい。主の御名によってお祈り申し上げました。ア―メン。


 祈 祷(Ⅱ)

 お父様! 孤独な環境の中にあっても各自の十字架を背負って天に向かう険し???を歩んで来た子女たちが、この時間もお父様の膝元に集まり、お父様の大きくて高い愛の恩賜を願ってひれ伏しておりますので、お父様、自ら尋ねて下さり、愛で抱いて下さり、疲れた心を慰労して下さり、乾いた心霊を呼び起こし立てて下さい。

 お父様自ら私たちを掴んで下さらなければ、私たちが行く所がどこにあるでしょうか?

 哀れな子女たちですから、お父様自ら共にいて下さり、私たちの行く道をお父様自ら導いて下さって、お父様が目指す御旨に向かって一路邁進することのできる子女とならしめて下さい。

 この時間集まった子女たちの心と体をお父様自ら主管して下さいまして、各自の心をお父様の御前にうち出しておきますので、お父様、新しい役事を起こして下さり、矜恤の心を持って対して下さい。

 各自自分の過去に行なったすべてのことをお父様の前に出して悔い改めることによって、この時間お父様の大きな愛の役事が起こるよう大きな恩賜を施して下さることを懇切にお願い致します。

 お父様! 私たちの前には未だ険しこが残されておりますので、お父様自ら手を取って下さり、すべての死の道を歩んでも生き残ることのできる力を許して下さることを、懇切にお願い致します。

 今眺めているだけの愚かな子女たちを抱いて下さり、ひたすら天の御旨を立てるために一路邁進できる勇気を与えて下さり、召命された天の子女たちとして天の勇士として進んで行けるように助けて下さることを懇切にお願い致します。

 眠っているすべての子女たちを起こし、お父様の前に導かなければならない責任を持った聖徒たちが集まっておりますので、この者たちが担った使命を果たすのに不足のないように助けて下さい。過去のどんな聖徒たちよりも尚一層高くなれるようにして下さり、サタンまでも愛することのできる子女になれるように助けて下さることを懇切にお願い致します。

 お父様の掴まえに応じて、相応しい歩みをする子女として下さり、サタンの嘲弄を受ける子女とならぬよう助けて下さいますことをお願い致します。自分を中心として天倫を思いはかる愚かな者になることのないようにして下さい。ひとえにお父様の栄光だけを現し、この地上にお父様の恩賜を高めることのできる子女たちとなれるようにして下さいますようお願い致します。

 この時間お父様の御名によって集まったすべての子女たちの上に特別の恩賜を施して下さいまして、礼拝を捧げ津々浦々まで生命の炎を呼び起こして下さい。最後の新しい摂理を悟れるようにして下さいまして、この地上にお父様の栄光を高めることのできる子女を一日も早く呼んで下さることを懇切にお願い致します。

 この時間にも、お父様を呼んで密かな祭壇を築きながら御旨の道を探し求め渇望する子女たちがどれだけいるでしょうか? この者たちを探す使命もこの席に集まった子女たちが背負っておりますので、お父様! そのような使命を全うするために不足なきようにして下さい。すべての子女たちをお父様が呼び集めて下さり、私たちがお父様の大いなる栄光の御旨を高めることのできる日が一日も早く臨むようにして下さいますことを、懇切にお願い申し上げます。

 眠れる24億人類をお父様の御前に尋ね立てなければならない使命が私たちにありますので、お父様、私たちに下さった御言を持って自信を持ち進んで行く所すべてに生命の炎を呼び起こして下さり、復活の役事を起こして下さり、お父様の喜びと栄光をこの地上に高らかに立てることのできる子女となれるようにして下さることを、懇切にお願い致します。

 今日まで数千年の間、この地の人類のため苦労して下さったキリストの懇切な心情と、私たちのためにお父様の前に訴えられたキリストの嘆きを解怨しなければならない責任が私たちにあることを、確実に信じられるようにして下さい。

 人間が成すべき責任を果たす前に天の基準を捨てないようにして下さり、ただひたすら天のみに対することのできる子女たちとなれるように許諾して下さい。お父様、この時間この席に臨んで下さいまして、責任を果たして天の恵みを受けることができる子女になれるよう助けて下さることを、切にお願い致します。

 既に担った使命をまた地に捨てる子女とならぬよう助けて下さい。お父様の栄光を最後まで現せるお父様の愛する子女、能力の子女として立てて下さり、余恨のないよう助けて下さいますことを懇切にお願い致します。

 難しい環境にあって孤独な祭壇を築き、お父様の御前に叫び訴える子女たちを、お父様自ら抱いて下さり、役事して下さい。そうして立派に御旨を支えられる天の子女となれるよう許諾して下さることを、懇切にお願い致します。

 お父様、この時間自ら役事して下さり、永生の路程を歩むことのできる生命の御言を受け持って帰ることのできる恵みを許諾して下さい。

 この時間最後まで共にして下さって、この席に集まった子女たちが帰るときには、清らかな心霊をもって天の大いなる恩賜を受けて、お父様の御前に讚美をしながら帰る子女として分別して下さいますことを懇切に願ってお願いする時に、このすべての御言を愛する主の御名によってお祈り申し上げました。ア―メン。


 祈 祷(Ⅲ)

 お父様! 愛する弟子たちを残して十字架の峠を越えて永遠の世界へ行かなければならないイエス様の心情を知るようにして下さい。3年間喜怒哀楽を共にして従っていった愛する弟子たちをあなたの膝元に集めておいて、念慮(心配)しながら懇切にお願いしたイエス・キリストの心情を体恤することのできるこの時間となるよう許諾して下さい。

 心で推しはかり体で体恤して、神様に応じれる心が天に徹し、地上の人間を動かし、神様の心が動ずるなら共に動じ、神様の御旨に謙遜な祭物として捧げられる愛する子女となれるよう許諾して下さることを懇切にお願い致します。 苦海の如き立場において従ってきた数多くの群れは皆落ちてしまい、12使徒だけ残ったけれど、その中でも遠からず自分を裏切るユダがいるのを感じたイエス・キリストの心情を、私たちが体恤することのできるよう許諾して下さい。人を信じて役事された3年公生涯路程が、このように寂しい環境として残された時のイエス・キリストの心情を、今日私たちが心と体で体恤することができるように許諾して下さることを、懇切にお願いします。

 お父様! 十字架の死の道を前にして天と一問一答したイエス・キリストの切ない心情を、今日私たちが体恤するようにして下さり、お父様の御前にひれ伏した、生きた喜びの祭物としてその心に慰労の相対者となれる子女として立って下さいますことを、懇切にお願い申し上げます。

 今私たちだけを残さないでお父様自ら共にいて下さって、集まったこの時間、探してきた足どりが嘆息の歩みとならないよう許諾して下さい。そのようにして私の生命のすべてを、お父様、受け入れて主管して下さることを懇切にお願い致します。

 サタンが周囲に広がっていることを、愛する子女たちがどうぞ知ることができるように許諾して下さいまして、サタンに譲歩する心の余裕を持つ子女とならないように許諾して下さい。お父様に向かう正しい心と体を持てるようにして下さり、使命感を持って知性と誠心を尽くして勝利の祭壇を築くことのできるこの時間となるよう許諾して下さることを、愛するお父様、懇切にお願い致します。

 人間的な認識と人間的な観念を私たちの周囲の環境の中から取り除いて下さり、伝える者の心と受ける者の心が一つに和して、お父様の喜びと栄光となれるように許諾して下さることを懇切にお願いしながら、愛する主の御名によってお祈り申し上げました。ア―メン。



天地のため往来されるイエス(2)


  天宙にあってのアダム・エバの位置

 神様が天地万物を創造されたのは神様が栄光を受けるためであったことは間違いない事実です。そのためにまず無形の天使世界を創造されて、次に無形実体世界の表象として有形実体世界を創造されました。そして霊界と実体世界の中心であり、代表としてアダムとエバを創造されました。

 このアダムとエバは、天地が変わらない限り理想天地と運命を共にしなければならなかったのです。即ち、天地が動ずる如く動じなければならない運命を持っていたアダムとエバだったのです。それでアダムとエバが変われば天地も変わるのであり、アダム・エバの中心が散らばるならば、天地の中心も散らばるのです。そして全天宙の中心が散らばるなら創造主の中心も散らばるという、必然的な条件を持って創られたアダム・エバでありました。

 こういうアダム・エバが堕落することによって天宙の中心からずれて、天宙の中心がずれることによって創造主の中心もずれてしまったのです。そのために神様は天地の中心を再び立てて被造世界をして、その正しい中心に和するようにして、創造主の中心と創造された被造物の中心が二つではなく、一つになるようにしなければならない立場におられるのです。そのようになれば再び、天が喜ぶなら地も喜び、地が喜ぶなら天も喜ぶようになるのであり、天が永遠である故に地も永遠であり、天が無限の喜びに浸るなら地も無限の喜びに浸るようになるのです。

 創造主の運命が誤らない以上、被造世界の運命は変わることができないのです。このような被造世界の中心であるアダム・エバが堕落することによってすべてが散らばってしまい、すべては方向と中心がずれてしまうようになってしまいました。これを再び回復するための役事が復帰摂理歴史であり、復帰摂理歴史を繰り返し、長い6千年の歳月を経過して今日に至っているのです。

 この時間まで神様の愛の摂理は数多くの先知先烈(預言者・聖者たち)を通して現し、先知先烈たちを通して象徴的に愛を現したと同時に、その全体的な愛の結晶体として現れたイエス・キリストを通して実証的な摂理の愛を内的、外的に見せて下さったのです。

 そのために彼の心は無形世界の中心を代身して、彼の体は有形実体世界の中心を代表したのです。こういうイエス様であることを知らなければならないイスラエル民族が知らなかったために、イエス・キリストを十字架に渡してしまったのです。それで全天地が闇につかった事実を皆さんは知らねばなりません。


  イエス様の御言と実践生活の目的

 イエス・キリストが来られるただ一つの目的が何であるかと言えば、天地を創造されたお父様の心情を整えて天地に変わらない永遠の中心を立てるということだったのです。こういう中心を立てるためにイエス・キリストがこの地に来られたのです。

 そのために彼が話す事は自分のある中心を立てるためのものではなかったのです。エルサレムのある村やイスラエル一村の部分的な中心を立てようとしたのではなく、全体霊界の中心、創造主の中心に至るまで連なることのできる一つの中心を立てるためでありました。

 彼の行動もまた一個人の行動でなく、彼の願いも一個人の願いではなく、彼が争うことも一個人で止どまる争いではありませんでした。彼が願う目標は全天地万物全体を抱くことのできる不変の中心に立ち、万物をはるかに越えて無形世界を経て、創造主であられる神様の心情に代わるところまで進んで行くことだったことを皆さんは知らなければなりません。

 そういう願いを持ったイエス・キリストの御言、イエス・キリストの生涯、イエス・キリストの実践的な行動を皆さんは知らなければいけません。彼の行動は天地を新しく建設する出発としての行動であり、彼が語った御言はその一つの御旨を成就せしめるために、再創造の役事を成し遂げる御言だった事を皆さんは知らなければならないのです。

 30年の準備期間を経て3年の実践生涯路程でアダムとエバの時に失なわれた天地不変の中心を再び立てさせるために語ったのに、語られた御言をイスラエル民族が信じなかったために、霊界と肉界の中心として立たされなければならなかったイエス・キリストは、霊界の中心としてのみ立たれ、実体的な肉身世界の中心としては立たれなかったということを皆さんは知らなければならないのです。

 イエス・キリストは、十字架の峠を越える時まで、何のために生きられたのか? この地に来られて30余年の生涯……何のために苦労したかというならば、一次的には地のために苦労されたのであります。

 ところが地のために苦労した彼の功績によって、地上で収穫しようとしていた目的が成し遂げられて霊肉を合わせて地上で成さなければならない一つの中心が、一つの実体に完結されなければならなかったのに、霊と肉が分かれるようになることによって、地上で成さなければならない実体の中心たるイエス・キリストの体は害を受けたというのです。そうして霊的な世界を代表してイエス様の霊だけが完成することによって、復活以後今日まで2千年の歴史は霊界中心に復帰摂理をした期間であったことを皆さんは知らなければならないのです。

 イエス様は十字架に掛かった後復活され、復活されてから40日の間地上で活動された後に、また再び霊界へ行かれました。このようにイエス様が亡くなって復活され、復活されたが再び昇天されたこの事実は神様の創造の役事を象徴的に見せて下さったものです。

 創世記を見れば、「夕となり朝となった。第一日である(創世記一章5節)」という御言があります。それは夜の時間があるのです。イエス様の墓中3日期間はまさに夜の時間と同じ期間なのです。30余年生涯は昼の時間であるが、イエス様は弟子たちを立てるために30余年間苦労されました。この苦労の過程を経た後、復活されたということは、夜を過ごして新しい朝を迎える事と同じなのです。

 復活されたイエス様は地上に明かりをともすために苦労されたのですが、地上に明かりを立てることはできませんでした。それで地上に明かりを新しくするために、復活されたようであるが、実は霊界の中心として復活されたために、イエス・キリストは地上にそのままおられずに再び霊界へ行かれたというのです。これは何を意味するのかと言えば、夜の期間を過ごし昼の期間を迎えたイエス・キリストは、再び夕を迎え、永遠の世界へ行かれたことを意味しているのであります。

 「知らない」という人間を「知ってる」と言わなければならなかったイエス

 それでは今残ったのは何なのか? 残ったものが何かと言うならば夜の期間です。キリストの到来によって永遠の朝となるべきものが、イエス・キリストが亡くなられることによって再び夕と同じ期間が残るようになったので、この夜の期間を責任持つべき責任が残っているというのです。私たちがイエス・キリストを渡したという理由で、私たちがその責任を取らなければならないというのです。

 この夜の期間の責任を全うしてイエス・キリストが十字架上でサタンを打ち負かし、勝利の基準を立てられたように今日この地に残された多くのクリスチャンは夜の期間の戦いの峠を越えなければならない運命に置かれているのです。 この夜の期間の峠を越えて行き、皆さん自身がイエス様を手本として復活して、彼と共に新しい朝の栄光を受ける時代が何かと言うと、所望の再臨時代なのです。

 イエス・キリストはこの地に来られて30余年生涯をこの地のために生きられました。イエス様は(この)地のために地上の人類のために来られたため、地上にいる人間たちは反対したとしても、地上の人間たちは「知らない」と言おうとも、イエス様は「知ってる」という立場に立たなければならないのです。 イエス様がゲッセマネの園を経てカルバリ山上に出て行く時、従って来た弟子たちまでイエス様を見捨てました。イエス様が十字架に掛かる時に、イエス様を「知ってる」と言う人がいなかったのです。どの弟子も、イエス様を「知ってる」と言えなかったのです。このように、「知ってる」という人が一人もいなかったが、この地のためにイエス様は来られたので、「知らない」という地上の人間たちに対して、「知ってる」という立場をとられたのであり、復活されガリラヤの海辺に弟子たちを尋ねて行かれたのがそれなのです。このようにイエス様は、地上の人間たちが知ることのできる一つの道を残しておいて、40日の後に再び昇天されたのです。

 今私たちは、私たちが「知らない」という立場にいる時にも、イエス・キリストが私たちを「知ってる」という立場におられるので、イエス様をわからないで(地に)生きているとしても、イエス様を「知ってる」という立場に立たなければいけないのです。

 そのためにイエス様が来て行かれた後2千年の間、人間は心からイエス様を探していくという旅をしているのです。ガリラヤの海辺でイエス様が使徒たちを尋ねて下さった事と同じように尋ねて下さったイエス様の恩賜に応えるために、信仰者たちも2千年の間イエス様が行かれた天に向かって尋ねていかなければならなかったのです。こういう生活が今日まで2千年の間継続して来たのであります。

 それではイエス様は何のために天国へ行かれたのか? 地のために来られたイエス様が成さなければならない事は天の御旨であるため、霊界に行かれたとしても尚天の御旨のため今日まで働いているのです。

 地のために来られたイエス様が、地上に「知ってる」という基準を立てておいたとしても、霊界に行って、即ち無形世界へ行って「知ってる」という基準を立てられないとしたら、人間たちが、「知ってる」という世界へとどまれないようになるので、今日まで2千年間霊界から皆さんが、「知らない」という立場から、「知ってる」という基準を立てるために神様の前に祈祷しておられるのです。

 それではイエス様が人間たちのため神様の右側で祈祷されていたが、どんな祈祷をしておられるのか? 血・汗にじむ祈祷をされるのであります。人間たちが地上でイエス様を「知ってる」と言ったなら、イエス様が霊界に行って彼らを「知ってる」と言われるのです。

 このようにイエス様が神様の前に、「知ってる」という立場をつくっておかなければ、人間たちが行ける霊界がお父様の前に認定されないために、イエス様は今日まで霊界へ行って、神様の前に私たちを「知ってる」という苦労の祈祷をしておられるのです。これを皆さんはよく知らなければなりません。

 この仕事を経た後、イエス様が再び来られる時にはどのようにして来られるのか? 来られるときには地の仕事と天の仕事を合わせ持って来られるのであります。地の仕事と天の仕事に代わって責任持って来られるのであります。それ故、今日私たちも十字架の死から復活され昇天して天上におられるイエス・キリストが再び来られる時まで、そのイエス様が越えられた峠について行き、越えて行かなければならないのです。

 また2千年の夜の期間を経て復活の朝に該当するこの時にあって、行かれたイエス様が天で歓迎する一つの中心を立て再び来られる時に、皆さんはこのイエス様が地に向かって来られるのを心で感じ知らなければなりません。

 今まで私たち信じる者たちの信仰形態は、天を眺めイエス様を思慕してまいりました。これが今日までの私たちの信仰のモットーであり標準でありました。


  聖霊を思慕しなければならない今日

 今私たちが慕わなければならない一つの事が残っていますが、それは何ですか? 私たちは地のために代身して働いている聖霊を慕わなければなりません。皆さんはこれを知らなければなりません。今まで多くの人たちがイエス様を2千年間霊的に思慕してきましたが、今日は聖霊も思慕しなければならないのであります。そうしなければならない聖徒たちであり、私たち人類であるということを、皆さんは考えなければなりません。このように聖霊を思慕すべき時代が来て、新婦の体を完成しなければならない時が来ました。

 聖霊は新婦の神であられるので、新婦の形を整え、新婦の形態を成し、私たちは慕わなければなりません。このようになるならイエス・キリストは霊界に行って休むことができるのです。そして天地に一つの中心を立てて再び私たちがこの地を中心にして尋ねていくのであります。

 心で霊界を慕った私たちは、今私自身に役事される聖霊を慕わなければいけないのです。そうして私たちは霊的な象徴であるイエス様を思慕し、肉的な象徴である聖霊を思慕して、私たち一個体で霊的イエス様を思慕する心と肉的聖霊を思慕する体が一つになることによって、初めて天の中心と地の中心が私一人の心と体で一体となることができるのであります。そうなることによってイエス様も私の身代わりに立つ事ができ、聖霊も私の身代わりに立つことができるのであり、私はその中にあってイエス様と聖霊の御旨を代身して万民を代表して現れる事ができるのであります。これを皆さんは知らなければなりません。

 それでは今この地上に来たるべき主はどんな御旨を持って来られるのか? 皆さんはイエス様と聖霊のその中心を、皆さん自体に立てなければならないのです。生きた肉体を持った皆さんが、霊界を象徴し、肉体を象徴したイエス様と聖霊を手本として霊肉合わせた一つの実体の中心体として完成しなければならないのです。そうでなければ神様の全体創造の理念が皆さん一人において完結しえないのであります。このように一つの中心の使命がイエス様と聖霊の使命というのであります。この一中心を立てるためにイエス・キリストは再臨されるのであります.


天地のため往来されるイエス(3)

 再臨時代の聖徒たちが果たさなければならない事

 では、今日私たちが今この一つの御旨を支えようとすれば、どのようにしなければならないか? イエス・キリストがガリラヤ海岸で愛する弟子たちを探して行かれたことだけを思っていてはいけません。イエス・キリストは皆さんたちをいつも尋ねて下さるのではありません。皆さん自身が一人の新婦となり、イエス・キリストを迎えなければなりません。

 イエス様と聖霊は天の中心であるので、皆さんは心と体が一つになることができる中心を具備することによって地の中心となって、一つとなって対することのできるこの一基準を立てなければならないのです。今この時はいつもイエス様だけを思慕するという時ではないのです。今は聖霊の体を具備して、私たち一個体がイエス様を地上で代わりに尋ね迎え入れることができなければなりません。こういう一つの中心を皆さんが尋ねて立てることができなければなりません。

 この一つの中心を所願されるイエス・キリストは、皆さんのために聖霊を立てて今日まで2千年間苦労して来られました。今皆さんはこの苦労に報いなければなりません。天が霊と肉を代表した中心としてイエス・キリストをこの地に送って霊的にのみ完成したという基準を立てたのですが、皆さんがイエス・キリストを尋ねて迎え、この残された肉の未完成の部分を完結しなければならないのです。皆さん一人でそれを完結すれば、今日まで苦労してこられたイエス・キリストを皆さんの心に迎えることができるのです。

 今日人類はイエス様の御前に尋ね出て、イエス・キリストの心に似て、イエス・キリストの体に似て、聖霊の心に似て、聖霊の体に似て全天地万物の前に自信を持って現れなければならないし、神様の御前に自分の一個体を立てて誇りうる人とならなければなりません。

 そしてイエス様と聖霊の前に誇りうることのできる私とならなければなりません。またその次には使徒たちの前に誇りうる自分とならなければなりません。そうしてお父様の前に出て、「今日まで6千年間苦労されたお父様! 6千年間怨讐だったサタンを私一人で屈伏させますので、お父様、今日この時間から私によってサタンに対する思い煩いを捨てて下さい」という自信をもって叫ぶことができなければなりません。

 またそして、「この全被造の園に染み込んでいる罪悪の嘆息が、私によってすべて去って行きますので、お父様! 天地に染み込んだ嘆息を、これによって解怨して下さい」ということのできる心を持たなければなりません。

 またその次には、神様が6千年間愛する息子・娘を立たせて一度も愛することができませんでした。今日も神様は私たち自体を愛したい心があっても、真心から私たちを尋ね立てて、愛することができないのであります。イエス様と聖霊は私たちを尋ねて来て愛することができますが、神様は私たちがその御言を信じる以前には愛することができないのであります。


  信ずる者の責任

 そのために今日私たちが、イエス・キリストの代わりとして一つの中心を持って、「アバ父よ! 今日この地の人間たちのすべての罪と嘆息を私が責任持ちますので、6千年の間人間を愛したかった父よ! 今こそ創造本然の愛で愛して下さい」と言うことのできる存在とならなければなりません。皆さん自身がお父様の御前に出て、「お父様! 私を愛して下さい。お父様! 私を愛して下さい」と堂々と言える人とならなければいけません。それでこそ天地を創造された神様の御旨が、イエス・キリストを経て皆さん自体で成就されるのであります。

 そのために今日私たち信ずる者の責任というのは…。

 イエス様は、この地のために来られ、天のために苦労されました。このように天のために苦労されたイエス様、天地の中心として現れたイエス・キリストの前に、全被造世界の代わりとして、無限な霊界に代わった中心存在として堂々と立つことのできる存在となってこそ、イエス・キリストが天地の喜びをもって現れる栄光の世界に参席して、神様とイエス様と聖霊と皆さんが一つになって喜びの世界で生きることができるのであります。これを皆さんは肝に命じなければなりません。


 祈祷

 愛のお父様! 6千年歴史を見てみる時、大きく見れば今までは夜の期間であり、今現れるべき夜明けを待ち望む時に私たちは来ております。 大きく見れば夜の期間を越え、今、朝に達する時点に立っており、全体的な朝の期間を迎えるべき今日、私たちにあっては暗い夜の期間を過ぎて復活の恩賜を持たなければならず、天に行かれたイエス様の御前に心を置き、再び来られるところの心に従って、地を思うイエス様に対して私たちが身代わりとなる体を備えることによって、尋ねて来られる聖霊と一体となって、肉的な中心をなし、そうしてその中心にイエス・キリストを奉り、霊的中心を成してこそ天地を創造されたお父様の本然の心情を備えた一つの中心存在として立てられるということを、この時間少しだけ語りました.

 今迄私たちは地のためにだけ生きて来たのでしょうか。これは半分だけにしかならない人生であることを知っています。そうでなければ霊のためにだけ私たちが生きているのでしょうか。これも半分だけにしかならないことになります。

 今日までは私たちがイエス様に従って上がる生活をしてきましたが、今からは従って下りて聖霊を慕って一体的な新婦として完成することを願うイエス様の希望を成し遂げることができるようにして下さい。この地で聖霊の新婦の品性を慕って、彼の心情が彼の徳性が体と心に一つとなるよう、ならしめて下さり、イエス・キリストが地上で肉的に完成できなかったことを、聖霊の役事と協助によって私たちが完成する存在として立ち、創造の理念全体に代わることのできる一つの中心存在として立たしめて下さい。

 そうして天の本然の中心として、天地に通じた創造主の中心に通じた心の中心として、全被造万物の前に誇ることのできるようにして下さいまして、全被造世界の中心に立たしめて下さい。そうしてお父様の御前に堂々と立ち、「隠して来られた6千年の愛の心情を、私一人でお返しする自信がありますので、お父様! 愛して下さい」と言える息子の立場まで導いて下さい。

 今日までこれを成し遂げるために苦労の歴史を歩んで来ましたが、苦労の歴史を経てきたお父様の苦労の前に召命を信じて、立てて下さることを信じて、求めて下さることを信じて、愛することのできる存在として立ち、今お父様が眺めてこられた席に立って、万物を眺めることのできる子女の立場に立たせて下さり、万物に対してお父様が真に誇ることのできる自分として立たしめて下さることを、お父様、懇切にお願い申し上げます。

 この時間参席したあなたの愛する子女たち、しばしの間、聞いた御言が心に和して生命の中心として立てるようにして下さり、私一人が真理を代身して被造世界の創造主の中心を代身して、どこに行っても不足がなく、どこへ行こうとも中心を見失うことのないように導いて下さい。夜になったとしても心だけは昼に住むことができるようにして下さり、何時、如何なる時に主が来られ、聖霊が尋ねてきて、お父様が現れたとしても、迎えるのに不足のない姿になれるように導いて下さい。何時来られたとしても準備を完結した子女として立て下さることを、お父様、懇切にお願い致します。

 すべての御言を語り終えましたが、息子たちの生涯路程において永遠に共にいて下さい。主の御名によってお祈り致しました。ア―メン。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2020.12.30 10:02:17
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