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奇   知   外   記

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2021.01.09
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​​​​​1956年、1960年の文鮮明総裁・韓鶴子総裁の「聖婚式」を前にしての文総裁のみ言ですが、以下の中にはすでに「真の父母様」という概念があり、イエス様も本来は「真の父母」として来られたお方であったことが記されていました。あいにく使命途上で十字架に架かられましたが、その「真の父母」となることが出来なかった負債を返すために再臨を約束されていたものでした。私たち人類もそのイエス様を正しくお迎えすることが出来なかった負債を負ったものでした。​​​



​​​​​​​​​​​​​​​​​​​背負った負債を返す者となろう

1956年6月10日(日) 本部教会

​ 祈祷​

 創造のお父様! あなたの美がすべての万物万象に現れており、あなたの御手が加わったものの上には奥妙なる美が満ち溢れています。

 人間に対する創造の目的である美を、今日も休むことなく探しておられるお父様の切なく悲しい心を、私たちが心と体で体恤する事ができて、あなたの愛の御前に美を持ってお応えする事ができるように導いて下さい。

 私たちの心が創造時の本然の心として現せるように導いて下さい。私たちの体を罪に染まることのない創造の直後の体として、その美を現せるようにせしめて下さり、私たちの心と体が神様の愛と心情の代わりとして、神様が動じるならば私たちも動じ、神様が静ずるならば私たちも静じることができる完全無欠な本然の姿として立てることができるよう導いて下さい。

 これはお父様が今まで復帰摂理歴史を経ながら求めてこられた一つの標準であった事を知るようになります。

 今私たちが探さなければならないのは私の心であり、成し遂げなければならないのは私の体でありますので、それを探して成すことのできるようにして下さい。そうしてお父様の本性の美に代わって敬拝を捧げることのできる一自体として立たせて下さい。お父様の御前に感謝と栄光の歌を捧げる事ができるように導いて下さり、これが苦労されるお父様の目的である事を私たちが身体の隅々まで感じる事ができるように導いて下さることを、お父様、切にお願い致します。

 私たちは堕落の血統を引き継いだ故に、自分も知らない間に天を離れて自分を中心とする生活をするようになりましたし、天倫を離れ自分を中心として動く者となりましたので、これを直し、天倫に相対することのできる本然の心の叫びに導かれるように導いて下さり、本心の動きが私の体を刺激させて天が捕えることのできる、自分のものとできる本然の自我を探すように導いて下さい。そうして億兆蒼生の人間に対する嘆きを私たちが解いて、天地のすべての嘆きを解いて、お父様の御前に謙遜にひれ伏して敬拝を捧げる事ができる子女として立たしめて下さる事を、愛するお父様、切にお願い致します。

 ここに集いしすべての子女たちを一人一人受けもって下さい。一週間の間この世と闘おうとした傷跡が残っていると思います。これらの心と体はお父様の御旨をすべて信じようとしていますが、サタンの罠によってサタンの供え物となった者たちがいるとすれば、お許し下さい。

 そうしてこれらが受けた傷を癒す事ができるように導いて下さり、哀れみの愛で抱いて下さい。愛の油を注いで下さい。完全になるように導いて下さい。お父様、切にお願い致します。

 この時間あなたの御前に捧げるべき(何の)供え物も持ち得なかったとしても、柔和謙遜な心だけでもあなた様の御前に捧げ、身体と心にはびこっているすべての罪を出して悔い改める事のできるこの時間となるように導いて下さい。あなたの御前にありのまま告白することのできるこの時間となるようにお許し下さい。尊厳なるお父様の愛が運行される力により自然に吸収されて、あなたと一つとなる和動の役事を心と体に感じることができるこの一時となるように導いて下さい。お父様、切にお願い致します。

 今日ここに集いし数少ない群れを育てるために苦労されたお父様……今まで私たちが険しこを行くとき共に歩んで下さったし、頼る所なく心寂しい時友となって下さったし、闘う時に盾となって下さったのですが、それは私たちが優れているからなのではなく、お父様の隠れた愛の大きな光、大きな慰労が共にあったからであった事を知っておりますので、今日この生命をお受け下さい。

 お父様! 願われることをこの時間愛として現して下さり、あなたが主張される願いを私たちが代わって敬拝して讃美を捧げることのできる恵みを与えて下さい。私のお父様、子供たちが四方に散らばり、ひれ伏しこの一所に向かって敬拝の祭壇を築いて天の御前に祈祷しておりますので、等しく恵みを与えて下さい。そして終りの日まで残ってしまったその任せられた使命を、与えられた場所で完遂することができるように導いて下さり、全体が和動の中心を慕うことのできるように導いて下さい。

 3千万民衆の前に新しい一つの御旨を現わすことのできるように導いて下さり、刺激的な新しい衝動を起こして下さり、悪なる道へ行く時、善なる道へ導いて下さい。お父様の愛の御手を差し延べて下さり、愛の能力の役事を現して下さい。私のお父様、切にお願い致します。

 集いし子女たちを一人も見捨てることなく、あなたの愛の懐に抱いて導かれた全体の主導的な役事を、彼らが同じ恵みとして感じることができるように役事をして下さい。愛するお父様、切にお願い致します。残った時間をお任せしますので主管して下さい。主の御名によって祈祷致しました。ア―メン。


 罪の負債と苦労の負債を背負っている人間

 本来神様は天地万物を創造される時には、負債を負えという原則を立てていません。お互いに与えて受けることができて、あなたの物であり、同時に私の物である、二つの姿となっているが、一つの実証体として人間と一体の関係を結ぼうとされたことが神様の創造目的でした。

 このような目的で創造されたアダム・エバが神様の御旨を果たせないで、堕落することによって、それ以後今日までの人類は天の御前に無限な負債を背負った者となりました。堕落によって余地なく離れた人間をして再び負債を返すことのできる道を立てて下さるために、代表的な一人の存在として送られて来た御方が誰かと言えば、即ちイエス・キリストなのです。それで私たちはイエス・キリストを通した歴史的過程を経ながら、負債を返す生活をしています。またこのような生涯を通して私たちは永生を願い進んでいるのです。

 皆さん一人が全宇宙の前に立てられる事ができる資格があると思っていますが、皆さんの一身には、皆さんが知らない間に数千年歴史を通して堕落の血統を受けた罪の負債が残っているのを知らなければなりません。

 また私たちにはその罪の負債の他に、神様が私たち人間に対して摂理された苦労の負債が残っており、その他に数多くの預言者・聖者たち、あるいは天使天軍たちが復帰摂理を歩んできた苦労の負債が残っていることを知らなければなりません。

 このようなことを考える時、今日私自身には天倫の御前に背負った負債を返そうとしても返すことができず、体面を立てようとしても立てることのできない人間であることがわかるようになります。それでこのような人間の体面を立てて天倫の前に立てるために、私たちを代表して立てられた御方が即ちイエス・キリストであります。


 永生の負債、生涯の負債、愛の負債、因縁の負債

 私たちは生まれた時から神様を中心として永遠なる生命を持たなければならない人間でした。父母を通して生まれた時から神様の愛を代身しなければならない存在でありました。また夫婦を中心として父母を代身した愛を持つべき存在でありました。万物とも愛の因縁を結ばなければならない人間でありました。

 ところがそのような人間になれないために人間は神様に対しては永生の負債を背負うようになったし、父母に対しては生涯の負債を背負うようになったし、夫婦にあっては愛の負債を背負うようになったし、万物に対しては因縁の負債を背負うようになったことを皆さんは知らなければならないのです。

 神様が天地万物を造られた後、その万物の主人公としてアダム・エバを立てた目的はどこにあったかと言えば、人に永遠なる責任を与えるためであったのでした。だから私たちには永遠に愛さなければならない責任が与えられていました。即ち、アダム・エバが神様の御旨に従えなくてサタンの懐に引っ張られることによって、永遠なる神様の愛を中心とする生命の負債が、今日私たち各自に止どまるようになりました。

 また父母を中心として生まれた後、父母様が生涯を通して愛して下さり、心配して下さる負債を背負っています。夫婦を中心として生活的に成し遂げなければならない神様の愛に対する負債も背負っています。万物に対する自然が与えてくれた愛の負債も背負っています。

 これを考えれば、神様には永遠なる愛の負債を、父母には生涯の負債を、夫婦にあっては生涯を中心とする愛の負債を、万物に対しては時間の生活での背負った愛の因縁の負債を背負った者たちが、即ち今日私たち一人一人であるという事を知らなければならないのです。

 皆さんは万物の主人公として天の御前に体面を守る事ができる者とならなければならないのです。人間は天への永遠なる負債、父母に対する生涯の負債、夫婦に対する愛の負債、万物に対する生活の負債等を持っているのですが、万物は人間がこのすべての負債を返すことを沈黙の中で要求している事を皆さんは悟らなければならないのです。

 人間の負債に代わって返しに来られたイエス様

 ところが人間の能力ではその負債を返そうとしても返す事ができないし、清算しようとしても清算できないのです。それでそのような立場にいる人間たちをして永遠なる天の御前に立つことができるように、即ち永遠なる父母を代身して天の御前に立つことができ、永遠なる夫婦を代身して天の御前に立つことができ、永遠なる万物の愛を代身して天の御前に立つことのできる一つの中心存在として立てられた方が誰かと言えば、イエス・キリストでありました。

 イエス・キリストが来られることを通して永遠なる神様の愛が現れるようになったのでした。天が人間たちに願われた愛の実績が現れるようになりました。永遠なる父母を代身する愛の実体として現れた方がイエス様でした。また永遠なる夫婦を代身した愛の実体として現れた方もイエス様でした。万物の愛と永遠なる因縁を結んで来た存在も即ちイエス様でした。そのためにイエス様の一身には4千年という長い長い歴史が続いており、更に永遠なる未来まで続いていたというのです。

 人間が堕落によって永遠なる神様の御前に背負うようになった負債と、永遠なる真の父母様の御前に背負うようになった負債と、悪から侵犯されていない善なる万物の前に背負うようになった因縁の負債を返すためにイエス様が来られましたが、すべて返すことができずに行かれました。それで今私たちはイエス様が残して行かれたその負債をすべて清算しなければならないのです。

 イエス様を中心にして万物との因縁から、夫婦の因縁と父母の因縁と永遠なる神様との因縁を結ばなければならないのです。そのようにできなければ、私たちのために来られたイエス・キリストの降臨目的は、また再び未完成の段階に止どまるということを皆さんは知らなければならないのです。

 歴史過程を一つ一つ見る時、イエス様が来られるまでは時代的に万物崇拝時代でありました。万物を神様の代わりに信じて、万物を神様の代わりにした時代でした。その次には人間がすべての物よりも自分たちの息子・娘に全力を注ぎ傾けました。

 このように万物崇拝時代を経て、子女を崇拝する時代を経た後に、新郎・新婦を崇拝する時代に入ったのですが、今は新郎・新婦を崇拝する時代も過ぎ行きつつあります。

 それでは今残る時代が何かと言うならば、父母を崇拝する時代です。父母をより一層に崇拝することのできる時代が必ず現れなければならないというのです。だから今私たちは私たちの体と神様との関係を結ばなければならないのです。私一人がイエス様と一つとなる立場に入って行き、今日のこの微妙なすべての自然現象を眺めて、神様の生命の因縁から外れない、直感的な生活をしなければならないのです。

 照り付ける太陽とか吹いてくる風などすべて万物たちと私たちは、神様の永遠なる生命の脈搏にとって代わる関係を結ばなければならないのです。

 今までなんとも感じないような私たちでしたが、イエス様を中心として生活していけば、新しい物を感じることができ、万物と新しい心情の因縁を結ぶことができるのです。また神様の所有原則を中心とした因縁を結ぶことができるのです。

 その後には万物と喜びを授受することができると同時に、神様の愛の圏内に引っ張られていくことができ、またその愛が私の心に引っ張られて来ることができる生活をするようになります。皆さんがこのような深い恵みの立場に入って、天の御前に立つようになる時には、どのような万物とも囁くことができるのです。

 風の音やその他の存在するすべての万物中、どのような存在も人間との因縁を結んでいないものはないのです。そのために人間のために創造されたすべての万物は、人間と結ばれた因縁の価値を人間の前に現して、人間の前に認められるための存在であると見ることができるのです。


 万物に対する負債を返そうとするならば

 ところが今日私たちは堕落圏内にあるために、この万物の価値を認めてあげられない立場にいます。それ故今日皆さんが神様から来る新しい愛を感じるようになる時、万物も新しい生命を感じることができることを皆さんが悟って、どのような万物を掴まえても最高の生命の基準を立てることのできる生活をしなければならないのです。皆さん一人(だけ)でも天の無限なる愛を歌うことができるようにならなければならないのです。この様な人になれば、私たちは拘束を受けない(自由な)気持ちに成るでしょう。

 そのようになるならば、万物が私たちによって活動することができるので、私一人がどこにいても平和でありえるのです。これはどのような力もせき止めることはできません。神様はこの一つの基準を創造の目的として立てられて、その目的を成し遂げる代身者として人間を立てられたし、人間をして万物を主管させるようにしたのですが、今日人間はその万物の前に体面を立てられない悲しい立場に立っています。

 そのためにロマ書八章にある御言と同様に、万物が私たちに対して望むところは、神様の息子たちが現れることです。なぜかと言えば本来の神様の愛を代身する人間を仲保として神様と通じるようにならなければならない万物が、人間が腐敗して堕落することを通してその万物の理想体がなくなってしまったためです。それ故イエス様が行かれた後、2千年歴史が経過する今日にあっても、万物はそれらに対する一つの目的が私たち人間たちによって成し遂げられるのを待ち焦がれているということを知らなければならないのです。

 これを考える時、私たちは自分も知らない内に万物の前に負債を負っている事実を知ることができます。万物が要求する希望の負債を負っているのです。 今私自身がこの希望の負債を清算しなければならないのです。万物と一つとなることができる資格者となると同時に、万物が愛することのできる、万物が尽くして上げることのできる神様の息子・娘とならなければならないのです。更に神様の息子・娘となって神様の愛を受けなければならない私たちであるのです。


 愛の負債を返す事ができる資格者

 イエス様と聖霊は今日皆さんを新しく産み出す役事をしています。そうして人間はイエス様と聖霊の要素を受け、どこを標準にして歩んでいるかと言うならば、子女の立場を経て、新郎・新婦の立場を標準にして歩んでいます。私たちは今日イエス様を信じて恵みを受けて聖霊の感動を受けてその力によって歩んでいます。

 ところで今日私自身にあって成し遂げるべき事は何なのか。イエス様の恵みがなくても、聖霊の感動がなくても私自身がイエス様の恵みを受けた代わりに、聖霊の感動を受けた代わりに、一つの新婦体として完成しなければならないのです。

 これは今日キリスト教で実現できないでいます。今日私たちまでも聖霊が働く時だけ新婦としての愛を感じています。私たちは今聖霊の働きを通して子女として成長したので、聖霊の役事を受けなくてもイエス様を新郎として慕う心を持ち、実際できなければならないのです。万一聖霊の協助を受け続けなければならないならば、皆さんが地上で夫婦の愛に対して負債を返す道理が無くなるのです。

 そのために私一人を通して、聖霊の感動を受けられなくてもイエス様を新郎として迎え侍る事ができる新婦の位置まで上がって行ってこそ、私たちが天倫の前に本然の位置として立たされた夫婦、その夫婦の愛の負債を返すことのできる資格者となることができることを、皆さんは知らなければなりません。

 堕落して落ちた人間が復帰摂理を通して万物から子女の立場を経て、新郎・新婦の立場まで復帰された後には何をすべきなのか? その次には私たちの生涯を責任持って愛して下さった​真の父母様​の愛と因縁を結べなかったために、神様が創造の意味で立てられたその真の父母の愛の負債を私たちが蕩減しなければならないのです。神様が立てられた真の父母が私の一生を心配して下さる、そのような天倫的な愛の負債を皆さんが霊と肉を合わせて返せなければならないのです。

 言いかえれば、私たちがイエス・キリストを通して万物から子女の立場を経て、新郎・新婦に復帰した後には何を求めなければならなのか? 真の父母を求めなければならないのです。ところが今日全世界人類はそれをわからないでいます。堕落した父母であるので、この真の父母が何時現れるのかをわからないでいます。真の父母は再臨時期に現れます。

 真の父母に対する負債を返さなければならない時

 キリスト教では新郎・新婦の理念を通して子羊の祝宴をすると言います。それではこの子羊の祝宴の中心存在である新郎・新婦はどのような人たちなのか? 地上で真の父母の愛と因縁を結んだ人たちであります。

 それでは私は真の父母を迎え侍り、真の父母の愛を受けるために何を知らなければならないのか? 今までイエス・キリストの2千年摂理歴史を知らなければならないのです。

 イエス・キリストは全宇宙と全人類に代わってこの地上に来られて、人類が背負った負債を蕩減するための役事を今までして来られました。そのために皆さんが万物の位置を経て、新郎・新婦の位置まで経た後、イエス様を中心にして真の父母に迎え侍ることのできる一時を迎えなければならないのです。そうして真の父母に侍る使命を完結してこそ、永遠なる神様を代身する真の父母の愛を地上に現わすことができ、またその時にイエス様の使命が初めて終わるというのです。イエス様は霊的な世界で復帰摂理の目的がこの地上の万物の中で実体的に成されることを願われたのです。そのために今日復活されたイエス様を信じる聖徒たちがイエス様が返さなければならない新郎・新婦の負債を返すと同時に、地上でイエス様が達成しなければならなかったその真の父母の目的を達成して、神様の御前に万民に代わって復帰の祈祷を捧げることができるその一日をこの地で迎えることができなければ、私たちは神様の永遠なる愛の負債を返す道理がないのです。

 そのためにイエス様も2千年の間負債者の立場にありました。真の父母の御旨をすべて完遂できないことによって、背負ったこの負債を全万民に代わって返さなければならない責任が残っていたためでした。ところがその責任は霊的責任で終わるものではありません。霊肉を合わせた堕落しない本然のアダムとエバの位置を復帰して、神様の永遠なる生命を中心にして万物万象の中で永遠なる神様の愛を歌い、敬拝を捧げることができる真の父母に代わる家庭を成し遂げてこそ、イエス・キリストの2千年歴史路程の目的が終結するのです。

 この一つの目的を成し遂げることを願って、イエス様は2千年間神様の御前に切なる心情を持って望んで来られました。そうして天地万物を創造された神様の本然の世界を探すことのできる第一基準を完結しようとしました。

 堕落しなかったならば、真の父母の愛を原点として、夫婦そして子女と万物にまで因縁を結ぶことができました。ところが人間が堕落したために反対方向に逆に上がって行く摂理をされるのです。そうすることによって万物と子女と夫婦が因縁を結び、真の父母として現れるイエス様を中心として新郎・新婦の基準を中心として、万民すべてが真の父母の御言に応じて神様の御前に現れる事ができるその世界がキリスト教でいう無窮世です。

 今や再臨歴史時期にいる私たちは、イエス様の2千年苦労のすべてを受けなければなりません。2千年間イエス様が苦労なさったその歴史の全部を私が代身できるという決意を持たなければならないのです。この様な決意を持ってこそ、初めて真の父母の前に背負った愛の負債を返した子女の位置に立つことができます。そして神様に代わって万物を主管する一つの中心存在となる事ができます。そうなれば、皆さんによってエデンの園でアダムとエバを造った後、祝福された天の御旨が完結し終えるのです。

 また皆さんは神様の愛を中心として真の父母から背負った負債を返して、真の夫婦の負債を返して、真の万物の負債を返した後、神様に対する時、皆さんの心と体が神様の御前に出て行かざるを得ない自分たちとなるようになります。神様に対して感謝の敬拝を捧げないではいられないという私とならなければならないのです。考える前に行なう事のできる私となって、要求する前に目的を現すことのできる私とならなければならないのです。


 神様に対する負債を返そうとするならば

 そのためにはどのようにしなければならないのか? 天地の運勢は天から父母、父母から夫婦、夫婦から万物まで回っています。したがって皆さんはこのすべての段階と因縁を結んで出て行ける存在とならなければならないのです。このような存在となってこそ、神様の御前に立つことができ、「お父様!」と呼べる存在となれるのです。そのような立場に立っているのが直接主管圏の世界であります。そのような立場に現れて、神様に相対できる位置まで私たちは上がって行かなければならないのです。

 そのためには2千年間イエス様が霊界で戦って、聖霊が地で戦ったことを、今日私たちが受け継いで今まで背負った負債を返すことをもって、真の父母の代わりの立場で万物に対することができ、この地にいるサタンに対して戦い打ち負かすことができるようになるのです。

 このような私となる時、永遠なる神様が堕落した人類に対して復帰摂理をしながら、心配され嘆かれたその心を解怨できると同時に、私自身が初めてサタンによって、「これは神様の愛を受けることができる者です」と言われる立場に立つようになるというのです。このような創造的存在が現れることによって永遠なる神様の愛が共にあるということを皆さんは知らなければならないのです。

 それ故私たちは重大な使命があります。今日信仰生活を通して皆さんは私に関係あった、すべての環境の中で負債を返さなければならないのです。したがって生活の中で私がそれに相応しい負債を返す生活をしているのかを自ら検討しなければならないのです。

 今日皆さんが信仰生活をするのにも、永遠なる神様の負債と父母の負債と夫婦の負債、そして万物の負債と関係を結んでいます。皆さんはこのすべての負債を蕩減する時代と因縁あるため、皆さんがどのような心を持たなければならないかを考えなければならないのです。

 私たちが堕落した直後には、神様の御前に立とうとしても立つことができない、神様に相対しようとしても相対することのできない人間でありました。神様が人間に対して恨もうとすれば、限りなく恨むことができましたし、嘆き憎もうとすれば限り無く嘆き憎むことができました。このように私たちは堕落の負債もありますが、歴史過程のすべての怨恨の負債も背負っているのです。


 私たちが忍ばなければならない原因がどこにあるのか?

 今日私たちが耐えて忍ばなければならない原因がどこにあるのか? 私たちが耐えないならば、私たちが背負った負債を返すことができず、天が抱いて忍んできた恨みを解くことができないためです。

 天地の運勢は神様の摂理と一緒に回るために、皆さんは神様が歌う時共に歌うことができ、神様の欝憤と憤慨に対して応援するなら、サタン世界は審判を受けるというのです。今日信仰路程を行く私たちに対して天が柔和謙遜で怒ることなく、耐えて堪えなさいというこのようなすべての教えが、皆そのような理由のためです。

 したがって私たちがそこに同じ歩調を合わせられずに、神様の摂理との間に隙間が生ずるようになるなら、サタンが入るのです。そのために今日私たち信仰者は無条件に犠牲となり、無条件に従順となり、愛の内的な部分だけに従って進まなければならないのです。

 私たち人間は神様の宇宙的な天倫法度を破綻させた破綻者として、また負債者として万物の前に恥ずかしい生活をして来ましたし、天の御前に心配を掛ける生活をして来ました。そのために信仰生活をする夫婦は主を代身することができる夫婦とならなければならないのです。そして尚一層神様とイエス様を代身して、地を代身して私の一生に父母を迎え、お世話する関係を結ばなければならないのです。

 このような関係を結んで天を代身して真の父母、真の夫婦、真の万物に対することのできる関係を、私たちが平面的にでも立体的にでも成さなければならないのです。この様になって神様の御前に、「私は遂に勝利しました。アバ、父よ! 私は私の生涯を捧げ、人類が今まで6千年間サタンを神様の代わりとして従い、サタンから言うに言えない試みを受けて来たこのすべての関係をすべて退けました。そして私は全宇宙の負債をすべて返して、サタンを完全に克服させて完成した子女である」と言える存在とならなければならないのです。 このようになってこそ、私たちに止どまっている天倫の負債を返した者として、天と全宇宙の前に面目を立てることができることを皆さんは知らなければなりません。


 祈祷

 お父様! 私たちは堕落した世界で生きながら万物に対し負債者の生活をしており、家庭の夫婦同志であっても、互いに互いが負債者であることを私たちは知りませんでした。父母にも負債者の立場にいることを知らなかったし、永遠なる神様の御前にも言葉にならない大きな負債を持っている私たちであることを知りませんでした。

 堕落世界から見て死んで当然の負債を負った私たちであったし、万物にも負債を負っており、新郎・新婦の理念を立てたイエス・キリストにも負債をおっている私たちでありました。永遠なる神様の愛に代わって負債を返さなければならない私たちであるのですが、背負った負債を返すことを知らず、私一人を中心として、心配して嘆き、地を呪い、万物を呪い、天を呪った私たちでありました。どの一部分も許すことのできない私たちでありました。

 この様な人間を再び立てるために、イエス様は死の道も顧みるず戦われ、十字架に掛かられたのでした。天倫に絡んだ負債を返すため2千年の戦いがそれによって今まで終結されないまま、「審判」という名詞が残るようになりました。

 お父様! 審判の峠を私たちが越えることができるように、今までの複雑な歴史過程で背負った負債をすべて清算することのできる者となれるように導いて下さい。負債をみな返しても残ることができる者となってこそ、永遠なる父の御前に立つことができるということを知らしめて下さい。

 真の父母の負債を返し、真の夫婦の負債を返し、真の万物の負債を返す者としてサタンの条件をまぬがれ、お父様の愛への負債、お父様が願われる生命への負債を返すことができる生活に一日も早く導いて下さい。お父様、切にお願い致します。

 イエス様もこの一つの道のために今まで苦労されたことを、お父様、悟れるようになさしめて下さい。イエス様と聖霊は霊界で万民のために絶え間なく祈っておられますが、これは私たちが未だ天倫の前に背負った負債を蕩減できないためであり、またはこれは私たちがあまりにも不備で、不完全であるためであるのを忘れないようになさしめ下さい。

 イエス様と聖霊がお父様が喜び得る栄光の席に立とうとすれば、私たちがイエス様の責任を代身しなければならないのを、お父様、私たちがこの時間知りましたので、天からの役事が地上で成され、天でのサタンとの戦いが地上の私たちを通して勝利へ導かれるようになさしめて下さい。そうして永遠なる父の愛を喜びと栄光に感じるあなたの永遠の子女となるように導いて下さることを切にお願い致します。

 そうしてお父様の前にも、イエス様と聖霊の前にも、数多くの預言者・聖者たちの前にも、地上の人類の前にも万物の前においても恥かしくないお父様の愛する子女として、万物を堂々と主管できるお父様の真の息子・娘として立てて下さることを、愛するお父様切にお願い申し上げます。

 この者たちによって負債を返すことができるように、お父様、主管して下さるように切にお願いしながら、すべての言葉を主の御名によってお祈り致しました。ア―メン。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2021.01.09 15:01:57
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