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2021.08.19
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「天国実現」(一九七五年度標語)

1975年1月1日
ソウル教会本部にて


 今のこの時間は一九七四年を送り七五年度を迎える瞬間の15秒前であります。我々みんなで祈祷しましょう。

 『愛するお父さま! 歴史的な一九七四年も既に過ぎ去りました。一九七五年度は我々統一教会に於いて第三次七年路程を迎える新しい出発であると同時に八度目に迎える「神の日」となるため、光輝き燦爛としたあなたの願われる御旨が今日より永遠無窮なものとして成就なさしめてください!

 お父さま! 此の韓国の地をあなたの胸に抱いてください。日本とアメリカを抱いてください。一二〇カ国を連結させる希望的な基盤をより一層光らしめ願望の一国家を建ててください。そして世界万民があなたの子女としての名に依って永遠に誇り得る本然の人間たらしめることを許してくださいますよう切に願って止みません。このような偉大なる御旨を成さしめるため、こんにちの統一教会の面々に負わされている責任が如何に重大であるかということを知っておりますが故に、お父さま! 力を倍加せしめてください。

 復帰の再創造歴史において輝かしい完成の基準に向かって越え行くことのできる基点が今から始まりますので第三次七年路程に向かって甲斐ある戦の地に進軍する天の勇士となることをお許しくださいますよう切実におねがい申しあげます。アメリカで成し遂げた霊的なキリスト教の基盤を父が御前に連結なさり、肉的な基盤が国家的基準と連結され新しい世界的な肉的復帰の世界に向かって出発しなければならない新年を迎えましたが故に、お父さまが共に働いてください。

 全世界に広がっているあなたの子女達がこの韓国に向かって頭を下げ、この日の祝福をねがっているものと思います。今日この日を記念するために韓国と日本とアメリカとヨーロッパの代表達がここに集っておりますのであなたが直々にご照覧ください! 復帰路程において天使長から又エバからアダム時代から復帰するというこのような意味の過程をアメリカから日本から最後には韓国にまで連結して参りましたので、お父さま! この偉大なる御旨をお受けください。勝利の一時を定めあなたの栄光を讃美しうる全万民の宗教となり、あなたが直接主管することのできる愛の園として顕現することをお許しくださいますよう切実にねがって止みません。

 お父さま! 今一九七五年を迎えました。私達は心を一つにしてお父さまの御前に感謝申しあげます。

 恨み多き二次七年路程は再臨のイエス様のサタン分別の路程となって、生死の道を区分して来た国家的問題を越えました。世界に向かうことのできる新しい三次路程に入りましたのでお父さま! 私達の行く道の前に又あなたの御前に反対されていた全てのものを歴史通じて除去なさり、あなたの権限を以って永久に主導的であり、主管的な行事をすることが出来ますようお許しくださいますことを切にお願い申しあげます。

 個人を通じてそうでありますよう家庭、氏族、民族、国家、世界を通じてもあなたの勝利を讃美しうる、より明日への世界的な歴史が展開できますようお許しくださいますことをおねがい申しあげます。旧約時代を代表したのは霊界であり、新約時代を代表したのは今の外的現象であり成約時代を代表したのは現統一教会の者達であるため、この三つがひとつとなってお父さまの御前に親孝行の道理と忠誠の道理を尽くすことができますようお許しくださいますことを切におねがい申しあげます。

 霊界のあらゆる悲しみの中においても戦い通し、目的完成のためのあらゆる困難にも耐え抜いてきました。故にそれら全ての困難をお父さまが解決なされて、地上にいる後孫を通じて一つのあなたの完成世界へ進展することのできる蘇生、長成、完成基準を霊界と地上に連結させて、天に帰ることができるようお許しくださいますことを切におねがい申しあげます。

 今ここに集ったあなたの子女達をご覧になってください。韓国の不足な点を予想におかれこの三次七年路程においては新しい希望をもって所望の前に額つき過去を悔い改め、天の御前に愛される民族として立たせてくださいますようお許しください。

 お父様! 「イースト・ガーデン」にいる幼い子女達をも此の時間を共に分かち与え祝福してください。韓国と「イースト・ガーデン」が連結し、アメリカにある「ベリータウン」と「テリータウン」が連結して、全宇宙と世界が連結しアメリカと韓国と日本が完全にお父さまの御前に一致してあなたの新しい三次七年路程において完成世界へ乗り越える日とならしめてくださいますよう切におねがい申しあげます。お父さまの固有なる全体的基盤としての行事を行わしめ、天の公義と生命権を知らしめて万人をあなたの掌中に入れ自ら主導なさり、天国への道程に直行できますよう切にお願い申しあげます。これから実体三年路程を闘って行く韓国から日本とアメリカを連結させ世界を連結して行かねばならないこの戦いの場に再び実体的完結をなさしめてください。

 今は天国建国の実現を完結させねばならない重大な点に置かれておりますのでお父様の導きと祝福が与えられますことをお願い申す次第です。

 輝かしい一九七五年度とここに三次七年路程、第八回神の日を迎えるこの日において今あなたの御名とともに全世界に三次七年路程を宣布いたしました。あなたの御名と共に生命の因縁が直接あらわにされてあなたが直接主導なさる世界への道をお話し申しあげましたのでどうかお受けとりくださいますよう切におねがい申しあげ、許されたその日が今日から光輝きますように勝利の旗を掲げて行く前に百戦百勝出来ますようお許しを願いながら総てのみ言葉を真のご父母様の御名に依って御願い申しあげます。
アーメン  

 アメリカで勝利の凱歌

 皆様も知っているように、一九七二年度から我々の標語は「統一戦線守護」という標題であって、第二次七年路程をいかに勝利的結果として乗り越えさせるかというのが最も大きな問題でありました。そのため今まで、蘇生、長成、完成時代を犯したサタンに対して一つの分岐点を決定させようと熾烈な闘争路程を歩んできました。天国の御旨を中心として、完成時代はサタンを分別させ侵入を防ぐその時代であったことをよく知っています。故にその間、先生はアメリカを主とした三年路程と、韓国と皆さん達の責任その他家庭を中心とした責任への再蕩減の民族的路程を結びあわせる基準を中心として、民主世界を代表とする実践的キリスト教国家を中心に攻撃戦を提示しながら基盤を固め、アメリカでの勝利の凱歌をもって此の度韓国に戻ってまいりました。

 韓国に来て為すべき仕事は何であるかといえば、韓国は霊的基準で世界と連結されていないがために、実体的基準を連結させるための仕事をしなければなりません。

 その基準を連結させる為には、西欧社会のイギリス・ドイツが動員されることです。復帰路程を見れば、ドイツはサタン側に近いヨーロッパにおける天使長でありイギリスはヨーロッパにおけるエバであり、これが廻り回って天使長復帰時代に入ったために、エバを中心して神側の天使長形態を経て、神側のアダム国家を連結させる実体的基準を完結させなければならない御旨があるために、今般ドイツにいる食口達をロンドンに行かせて祝福基盤を作ってあげました。又、アメリカに帰ってからはユダヤ人と我が韓国人とを結婚させ、日本においては、それこそ民族的な神の御旨を中心にした実体的な祝福をなして来たのです。

 このように世界的に拡大化されたのは何であるかと言えば、今は天国を実現しなければならないという大きな課題があるがためであります。この事を疎かに考えてはならないのです。そして天国が実現するに当たっては、本来我々の想像を超えた基準が設定されるのではなくて、神の創造の原則を中心として設定されるのであります。

 天国実現の基準

 堕落した世界は地獄となったが、堕落しないその世界は天国であったという事を我々は良く知っております。神は絶対的であるために、そのお方がたてられた御旨は変わることがありません。人間が堕落したといえどもその御旨は唯一無二なる御旨として残されるために、この御旨をたてて全知全能なる神としての威信と権威を守り、これを完成させなければならないのです。それが今まで復帰過程を通じて、僕の僕の時代から僕の時代、養子の時代、子女の時代、父母の時代へと逆にのぼっていく歴史であることを我々はみんなが知っています。

 このような観点から見るならば、天国実現においては何が動員されなければならないかといえば、神様が動員されなければならないというのです。ではその創造目的を実現される基準は何であろうか。万物を創造し天使世界を創造し、その次には人間を創造なされて、その人間が神を中心として善なる伝統を打ち立ててこそ、その世界が天国実現となるのであります。そうであるために、アダム、エバが堕落しなければ、兄妹としてこの地球上に神の愛を中心にして罪なき善の伝統を立てることが出来たのであります。故に天国実現とは、兄妹としての伝統を立てなければならない時代に入ったということを知らなければなりません。次にそのような伝統を立てると同時に、兄妹が完成すれば夫婦の立場に進むために、神の愛を中心にして夫婦としての伝統を新しく残さなければなりません。そのような夫婦によって生まれる子女は神の愛を受けて生まれたがために、罪なき夫婦の血肉を通じて生まれるために、罪のない息子、娘となるのであります。

 罪が何であるかという事に対して、我々原理ではサタンが讒訴することの出来る条件を提示した時、罪が成立するものと覚えております。これを知っている為に、サタンが讒訴することの出来る条件を完全に除去した家庭的基準を持って、はじめて新しい天国基盤が出現するのであります。
 家庭を倍加することができたとき家庭を越えて氏族となり、又これを横的に展開させることが出来たとき民族が形成されるのであり、その民族が全体を通して拡大することが出来たとき世界となるということを知らねばなりません。世界がいかに大きいといっても神の愛の中に主導される世界であり、国家、家庭、個人全部は、同じく神が主権者であらせられ、その語られる御言葉に幸福をうたい永遠なる不死の子女となった栄光を賞め讃えるそのような人々となってこそ、天国に住める国民であり、天国の家庭であり、神の愛を受ける子女の立場に立つのです。そのような立場に立ってこそ、天国に入れるのです。

 我々は言葉だけではいけません。天国実現は言葉だけでは駄目なのです。

 今日の復帰途上から見てみると、何時のときにも蘇生、長成の段階までは問題とされておりました。アダム家庭を見ても二度目にあたるカインとアベルを中心として分別の争いがなされ、ノア家庭はアダム家庭の代わりに立ったためこの二番目の家庭を中心に“審判”という名で以って分別がなされて来たのです。次のアブラハムの時代に入っても、祭物献祭に鳩を引き裂かなかったために歴史は延長され、再度これを分別すべき摂理はアブラハムが担当するのではなくイサクによって献祭されるなど、いつも二番目が問題とされて来たということなのです。このような全体的歴史の観点から見るならば、六千年の歴史は旧約時代、新約時代という立場で展開して来たがために、新約時代は名実共に世界の分別時代へと入って行くのであります。そうであるが為に民族、国家はカインとアベルに分別され、今日の時代には間違いなく民主主義と共産主義という分別された国家形態が現われ、一つは神があるといい他方はないという立場に立って対比される働きを歴史上に展開するのであります。

 用意されている新しい摂理

 しかしこのような分別時代において、それはただ分別で終わるのではなくして、必ずある公式的な路程を通して統一された形態を持って前進するというのが復帰原理の公式であるということを皆さんはよく知っていると思います。

 今までに我々は蘇生期を経て長成期へと発展して来ましたが、これが第一次七年路程であり第二次七年路程なのでありました。

 第二次七年路程を中心としては何をなすべきか。これはイエス時代と匹敵するために、国家を中心として国家的イスラエルとして完成段階へと越えて行かなければなりません。ところがそれが未だ出来ていないのです。十字架につかれて敗れたがために、国家的基準を越えなければならないのです。

 キリスト教は名実共に国家的基準以上で出発しなければなりません。何故ならばイエスという御方がメシヤとして来られて、その御方の行くべきところは長成級を越えて民族を収拾し、全世界に突入して完成基準へと向かって行くべきであったからであります。完成基準を越える時は、全世界を支配下に置き唯一の中心となって、その下に万人の存在が主管される立場へと戻って行かなければならないのです。

 キリスト教がこのような観点から霊肉を中心とした世界的イスラエルとして発展しなければならないのに、十字架の道を行き世界的な発展を見ずして死んでしまって、ただ霊的基準を中心として世界的発展の時代への出発がなされたためにキリスト教は出発と同時に世界的宣布時代へ入って行くのであります。だから今日のキリスト教は、中心のない歴史的発展をしてきたということを皆さんはよく知っておかなければなりません。

 そうであるため、全世界にキリスト教国家は多いけれど中心がなく、且つ又地上に基盤を築いて霊肉を中心とした世界を処理できる今一つの地上国があるべきであるのに、未だ以ってそれが無いということを知らなくてはなりません。だから、地上を基盤にして築くことが出来る中心点を完全に喪失したまま、霊的基盤を中心としてイエスを信じ霊的家庭、霊的氏族、霊的民族、霊的世界と漠然とした状態でイエス様を中心として来たのであります。

 こう見る時に、今日のアメリカという国家はどうなっているのでしょうか。世界的キリスト教国家としての形態は完成時代に入ってきたとみることが出来ます。即ち、完成圏内に、世界的な時代へと入って来ました。しかし完成圏に入って来たものの、実体中心がないのです。アメリカがキリスト教国家でありながらも、アメリカ自体が世界の中心となってキリスト教を処理することの出来る国家予算を編成することが出来ないため、キリスト教国家として立つことが出来ないのです。アメリカはこのような立場にあるため、本来十字架の死がなかったならば霊肉を中心とした宗教的目的において神は偉大なる政治的行事をなすでありましょう。しかし未だ終末でありますから、神はその方向に引っ張って行っているだけであって直接的な関連時代ではないのであります。だから変遷するこの世で、良心を標準とし又は宗教に向かって民族を越えて移動することのできる自由世界へと発展した、これが民主世界です。

 アメリカのような国、超民族的国家としての新しい国家形態を神はキリスト教を中心に造りあげてきたが、ここでもしその国に新たな指導者がいたとするならば、その指導者を中心として、従来の一つの中軸を区分けして行くことが出来るようになっている。これは何を意味しているかといえば、これから主が来られたとするならばその政権交替が容易であるようにとなすための過程的手段方法として、必然的に生じてきているのです。これが民主主義なのであります。

 しかし民主主義は一方通行ではありえないのです。果たして神を、推薦しあるいは候補者を立てて取り返すことが出来ますか? 接木は接木する使命は果たせても根と同じ働きをすることは出来ないのです。民主主義は根の働きではなく、過程的な働きにすぎないのです。もし万一堕落していなかったならば、その世界は民主世界ではなく、全て超越した立場であり、今はその世界に帰結させることの出来る一つの形態を模索しているのであります。今日民主世界に行くべき方向を提示することは出来ません。又、目的を提示することも出来ません。皆さんも知っているように「ウォーター・ゲート事件」によって、そのような事件を収拾することが出来なかったということは民主主義の末路なのであります。

 今般、U・N総会を中心にして韓国におけるU・N軍解体の問題は、即民主主義の終焉なのであります。これを防御するために先生が「ウォーター・ゲート宣言」に手を付けたのであり、U・N総会に手を付けたのでありました。それはややもすればサタン側に落とされていく危険性があったために、危険を覚悟して「ウォーター・ゲート宣言」に手を付けたのであります。

 U・N総会での韓国問題は、外的な没落としての民主世界の最後なのであります。アメリカがいかに優れた智恵を持ち、行き届いた統治をしたにせよ、新しい方向に民族を糾合させることの出来る思想的な観念がなくてはなりません。民族に今一度発展の道を与え、腐敗したキリスト教思想を収拾し今まで混乱を続けてきた社会を再収拾するその方法がないということは、天運がそうであるからであります。共産世界も同じです。一九七四年度までを見るとき、共産主義においては後三年を過ぎれば解体期に入って行くことになります。

 見ていなさい。霊界で金日成を呼び出しさえすれば、彼は今日夜にでも行かなければならないのです。共産世界によって問題となった人々が三次に亘ってそのような形で交替するであろうというのが天の観点であります。従って、世界の中心として或る最大の基準を備えた一国家がなくてはなりません。それがアメリカです。だから共産党も攻撃目標をどこにおくかといえば、大韓民国ではなくアメリカなのです。金日成もソ連も、同じくアメリカに攻撃を向けているということを知らなくてはなりません。

 歴史的に見れば悪が善に対して攻勢をかけても、善が悪に対して攻勢をかけた例はないのです。先に攻撃した者が必ず亡びることになっているということを知っておくべきです。それは先に攻撃する者がアダム側に立つのではなくサタン側にいるために、既に思想的に攻撃したことになるのです。ところが今の立場を見れば、民主社会を代表した大韓民国が責任を果たせなかったが為にアメリカが落ちて行くのです。大韓民国を中心とした神の御旨というのは、大韓民国の宗教が団結して御旨の道を歩まなければならないのに、それができなかったのです。その主導的な役割をしなくてはならないキリスト教が大韓民国に反対する者となったために、亡びることになるのです。

 国が亡び、国をなくした日は何事も成すことが出来ません。今日の既成教会が反対と悪口を叩いていますが、金日成が現われて最初に誰の首を切り落とすかといえば大韓民国に反対した既成教会の責任者から始まるのです。今日、民族がこのような混乱を経て興亡の岐路を彷徨する立場に置かれるのは、結局新しい時代における我が国が責任を果たさなかったからであります。韓国が責任を果たし健全であるならば、サタンは折れて落ちて行くのであります。教会はアベルであり、政府はカインであり、そのアベル・カインが一つとなる日には韓国は発展するようになっているのです。

 お父さんとお母さんが一つになった日にはその家庭は発展するものであり、子供と父母が一つになった日にはより次元の高い家庭へと発展することを知らなくてはなりません。それでは家庭と親戚が一つになるときにはどうなるか。そこには新しい民族精神が湧き上がるでしょう。それがより高次元に向かってなされるならば環境的に全てが結束され、国家基準まで忠臣の血族として残ることが出来るということを忘れてはなりません。

 一つになれなかった場合は、必ず亡びるようになっているのです。今日の世界は最大の混乱期に来ています。地獄の中の最高の地獄であり、天国ということは考えることも出来ない段階に入ってきているのです。しかし神は、一方ではサタン世界を打つと同時に、必ず収拾の働きをなしてこられていることを知らなくてはなりません。さあ! 愛国者達はどのような時に数多く現われるのでしょうか。その国の復興時代に現われるのではなく、混乱の時代に現われるのです。それは何を意味するのでしょうか。外的には落ちていったがそこには内的には新しいものが生じてくるからです。亡びゆく渦中にもその反対側に目的をおいて行くならば再興する可能性があるのです。

 今日のアメリカのような腐敗した現世を見る時、我が統一教会はサタンの風潮を善なる神側に立って打って行かなければなりません。統一教会の信者達はそうするようになっていますよ。だから啓蒙をなすに当たっても積極的に宣伝に当たり、歴史に無いような宣伝をしなければなりません。これが統一教会の先生の指導方法なのです。何としてもサタンに負けてはならないのです。我々が復興会の宣伝をするにしても、いかなる時代のいかなる宣伝方法よりも勝っていかなければなりません。混乱している環境の中で、色の違った人種を収拾しそこにブームを起こして大衆を包摂し、新しい次元へ導こうとするものであります。これが神の使命であります。

 個人が亡ぶからといって絶望してしまえば、ついには全体が解体されてしまうのです。新しい急変化が起こっても、自体の自覚と行動的な舞台を開発することによって新しい道へ抜け出すことが出来るのです。それは宗教でも同じであり、この世も同じであり、発展的原則は等しく同じであるといわなければなりません。だから、新しい所に向かって進むものは何時もアベルです。民族の背景が異なり、その歩んで来た道が異なり位置と異なるのを見れば混乱が生じているように見えますが、新しい方向に整えられ、二段階、三段階と経て一つの体系を備えた形態として出現する時が来るであろうと見るのが、神の摂理していらっしゃる歴史的事実なのです。そのような過程を経由して天国を作りあげるのです。

 歴史時代の祭物の道

 天国を実現させるのに、一番の問題は何か。まず神と共にいなければなりません。それは堕落する以前の段階にいる状態であります。アダムが堕落したのは神と共にいたのではなくて自分一人で行動したがためです。全て困難なことがあったならば神の御前に出て相談し、嬉しいことがあればその喜びを天の喜びとして帰することの出来る行動をしなくてはならないのです。常に天と共に行動するならば、失敗はないのです。だから神と共にいるためには絶対に不変なる自分とならなければならないということを忘れないでほしいのです。

 堕落とは何ですか。不変なる神のみ言を信じなければならないものを、我々は可変するみことばとして受け入れてしまったのです。信仰生活においても永遠性がなくてはなりません。今変わって明日また変わるとするならば何にもなりません。神の御旨の中にいるなら、その御旨に対している統一教会であるならば、こちらへ来たりあちらへ行ったりすることは出来ません。それはすでに偽者でしかないのです。信仰の中にいるならば、絶対的なものとならなければならないということを記憶して下さい。堕落は肉身が行ったものですから、常に行動に心しなければなりません。行動の変化をなくしなければなりません。我等にとって最も重要な問題は、公義の法則に従って神と共に行動できる人とならなければなりません。

 皆さん、最高の理想は何ですか。男は女がいて幸福であり女は男がいて幸福であります。もしある人に向かって、あなたは奥さんが亡くなられたので幸せでしょうと尋ねたなら、それは最もいみ嫌われる言葉とされるでしょう。なぜそうなのか。愛というものは共同所有であることを皆さんは知っています。愛の主人は夫でもなく、神が本来の主人であるために、神と我等の間に生じたその対象というものが存在しなければ愛は現われることが出来ません。

 男が一人座っていくら愛を探して見てもその人は気違いとしか扱われません。神が愛を必要となさる場合は、愛の対象は人間以外にないため人間によって喜び絶対的に幸福になるのです。既成教会の信仰のように、神はただただ偉大な御方であるために今日の被造物は不必要だといってはなりません。神が愛だからといって、一人で愛をなさしめることが出来ますか。人間がいなければ、神の愛も役立たないのです。神は六千年の歴史を通して人間救済の問題を捨て切れずに来たのです。

 このような観点からして、天国実現は変わらない信仰者としての自己にならなければなりません。神と共にいることが出来る暁には、サタンを追い出すことが出来るのです。サタンは何であるかといえば、変質的な要素を持っている悪です。天の本然の原則を中心として、その形態を変えていったのが堕落であるという結論が出てきます。皆さんが知っておくべきことは、天国の民が守らなくてはならない道理の基準、即ち神の創造本然の基準を中心として歩まねばならないということです。その基準はどこにおいて作られるかといえば、神と人間が完全に一つになり永遠に信じるのみでなく、体と心を永遠に神のみことばと共に同じく行動することが出来その基盤の上に生活するところにあります。そうなることによって、神の愛を中心にして万物の主管性が広がっていくということを知らなくてはなりません。このような圏が、神の理想となれた天国なのであります。

 歴史は縦的なものを横的に蕩減し、旧約時代、新約時代へと進みます。旧約時代は物を祭物として供える時代であり、新約時代、成約時代は心を祭物として差しあげる時代なのです。

 何故にこのようにしてこられたのでしょうか。天地創造の法則に背いて堕落した人間は土より劣るために、これは“油を注いで水を塗る”という至難な再創造の歴史がつづいているためである。

 人間一人を造るために全ての万物を造り、その万物創造の後に人間肉身を造り神の心情を吹き入れて、結局人間は宇宙の総合体となったのです。人間は小宇宙として神の性相的実体であり形象的実体なのであります。それ故に我等が蕩減復帰するためには神の品物として取り扱ってもらわなければなりません。人間が神の品物として存在しなければならないのにサタンの品物となったため、また造り替えされなければなりません。造られるときは御言で創造なされたがために、それは理想的な構想を意味しているのです。原理原則を中心にして御言を実現させるために創造されたために、そのような復帰の道があるということを知らなければなりません。

 だから、旧約時代は御言をもって信じる時であり、その次には御言を実践する時代であり、その次には御言を中心とした生活時代に入って行くのであり、ために天国は心と全てのものが一致されなければなりません。そういう時代へと漸次発展してきているのです。即ち物質は体であり、肉身は心でもって、心は霊によって発展します。これが蘇生(体)、長成(心)、完成(霊)として展開されたということを知らなければなりません。

 歴史時代において七日間で出来ることが七千年歴史を展開して三段階に分けて発展させて来たために、旧約時代においては神のもとに帰るための蕩減条件として血を流さなくてはなりませんでした。サタンの血を受けたためにサタンのものを取り出さなければなりません。それで祭物は必ず血を流すことが起こるのです。その次新約時代においては、イエスを中心とした息子の祭物の時代となり、成約時代においては、即ち統一教会時代に入って来てからは心的な祭物時代として心情祭物時代となったのであります。

 統一教会に入って来た皆さん、苦労が多いでしょう? 蕩減復帰する為には心で以って多くの苦労をしなければなりません。この時代に、横的に一度に全部が統一されなければなりません。今迄失敗して来たのですから、この時代に在っては、一度に勝利して、神と共に喜びを分かち合わなくてはなりません。今日、平面的立場に於いての三時代基準を一時に蕩減しようとするならば、皆さんが知って置くべき事は沢山あります。物質的蘇生は長成の為にあり、長成は完成の為にある。しかし、皆さんは物質の如き物が何であるか分かりますか。本来、アダムとエバが堕落しなければ万物を主管する事が出来たのに、今は万物を誰が主管していますか。天宙の主管位置に立つべき人間が堕落した為に、木の葉と同じ如く、サタンの物になってしまいました。神の物になる以前に、サタンの所有になったという事です。サタンの物となったと云う内容は即ち、馬賊団の首魁の息子、娘に成ったのと同じ事なのです。

 皆さん、息子、娘とは何でしょうか。

 サタンが自分の息子、娘の如くに愛せば、全部が神の許に帰ってしまう為に、強盗の子の様に取り扱われて来たのが、人類の悲惨さであると見られるのです。ではここで何すれば良いのか? 物質自体が神側に帰らなければならないのに、堕落する時息子が持ったままおちた為、これを戻す事の出来る、即ち引き上げる事の出来る人が来なければなりません。

 歴史時代に宗教人達が祭物過程を経由するのも、一度に引き上げる事が出来ない為に、一つのものと自分が一致したという基準を造る為なのです。ですから、祭物は人間よりも先に出たのであるからカインであり、人間はアベルなのです。このように見る時、カイン、アベルの原則を中心として、祭物と人間は一つにならなくてはなりません。そうでなくては、神が受け取る事が出来ないのです。それでは、祭物が神と一つになる為には、人間はどうしなければならないかと言えば、それは、サタン圏内で主管する以上に主管しなければならない。それは、愛を中心として主管しなければならないのです。サタンよりも足りない愛を持ってしては、神の御前に行く事が出来ませんから、自己の所有一切のどれよりも愛する事の出来る誠を尽くさなければならないと言う事を記憶して下さい。

 サタン世界のものには、息子、娘、父母、全てが含まれる為に、神の前にはその全てを超越してこそ捧げる事の出来るものなのです。そうでなくては、祭物の意味がありません。

 堕落というのは、神の反対である処のサタン側の愛の圏内に落ちたのです。だから、神の前に出る為には、より一層のサタン側の物を愛し、一つになる道を模索して行かなくてはなりません。それが原理の行く道であると言う事を確実に知らなくてはなりません。

 祭物と一つになる

 天国実現は空中から何もしないで造られるものと信じるならば、大きな過ちであります。今日私達の足場の上で食事をする瞬間から、あらゆる感謝と行動が一致する原則が立てられなければなりません。

 全ての宗教問題は国家問題も、この様な原則に一致したならば天に行くのであり、一致しないならば、サタンと化するのであります。それでは、祭物は捧げなくてはならないのに、旧約時代から今日に至るその間を人間は馬乗りになって、天に向かって飛び越えて行ってるのです。何の話であるかわかりますか。数多い先知者達を通して僕から養子へそして、息子から父母に、その次には天の父母に帰るのですから、メシヤはこのような全ての使命を背負って来られるお方であり、メシヤ以前の人はカインに該当するのです。メシヤはアベルである為に、カイン的な地上の人に最善を尽くして愛さなければなりません。イエス様は、自分の怨讐達でさえも最善を尽くして愛されたのです。ですから、愛の道理を立てたその基準の前には、良心的な人達は屈服して一つにならなければならない原則がある為に、ここで統一的な一つの版図が繰り広げられ、キリスト教の発展時代に入って来たのです。万が一、一つになったのにもかかわらず打たれた日にはサタンに対して三倍も七倍以上も打つ事が出来るという事になります。このようにして見る時、宗教と言うのは迫害されればされる程、より一層発展して来た事は事実です。何故ならば、“損害賠償法”がある為に、打たれても奪い取って来る作戦をするからです。

 歴史は、そのような原則から動いて来ている為に、統一教会も今迄は打たれて来たけれども、サタンから奪い取って来ているのです。一度思い切って打たれた時は、三倍七倍迄損害賠償をして貰える事が出来るのです。商売の中にもそんな商売はありません。ですから統一教会が亡びると考えたかも知れないが、今はもはや疑う者が無いのです。お金はいくらでも使えるし、又先生が何処に行ったにせよ、何処もかしこも思いが通うようになっている。これ以上、便利な人がいますか。何故そうなったか分かりますか。世界が必ず、良心的本性の前には頭を下げる事が出来るように基盤を造っておいたからです。その御方と一つに成らない時には、本然の世界に帰る事が出来ないのです。

 皆さん! 先生に会いたいと言って付きまとって歩いてみてパンが出るでしょうか。御飯が出るでしょうか。それでいて何となく先生の傍にいると嬉しいし、先生の話を聞くと自分も知らない内に元気がわき上がるのです。

 それでは天国は何処で造りあげるかというならば、今日のキリスト教が信じて来た如く空中ではないのです。それは原理原則を知らない盲計算と同じ考えです。先生は数多くの非難を受けましたが、非難を受ける事によって発展したのです。真なる宗教は、打たれ乍ら認められて行くのです。歴史時代の諸聖賢達を見ても、その時代時代には歓迎されなかったのです。何故歓迎されなかったかというと、当時の世界が神に反対した為に、本性の人間が現われると、その比例に該当する怨讐達が首を切り落とそうとし、極端な反対をして埋葬していったのです。その損害賠償法というのは、時代が過ぎた後に聖賢と呼ばれる事なです。

 最近、統一教会の先生がアメリカに行っていた三年間の間に噂の人となって知り尽くされているのを見て、多くの人が我が国の誇りであるとか、代表者である等と言っております。昨日、一昨日迄、何だかんだと言っていたのに、本当に奸{かん}詐{さ}な人間達です。そういうのを見ると、世間の人々が言っている様に、人の運は時間待ちという事を思い出しますが、こういう言葉によっても先生は慰められるのです。

 天国は現実の中から造りあげなくてはならないという事を今一度記憶して下さる事を御願いします。

 我々は、サタンの物になる以前に神のものでなければなりません。では皆さん! 統一教会は誰のものですか。それは先生のものですか。これは先生のものではなくて神のものである為、それを自分のだと言う人は泥棒です。神のものになった後、アダムの物となるのです。だから皆さんは全ての物を神に返さなければなりません。昔、イエスにパリサイの人々が献金した金を持って来て、これが誰のものであるかを聞いた時に、税金を支払わなければならないが、カイザルのものはカイザルに返し、神のものは神に返しなさいと言った言葉があります。

 さて、皆さん達が持っているものは誰のものですか。サタンの所有物であるが為に、神のものとならしめる為に、物と人が一つとなり、人間の愛を受けるものとなって初めて神が主管するのです。何を言っているか分かりますか。本来の堕落しなかった世界で完成したアダムが、神の愛を代身する主人となって愛するものとなった時、神のものとなるのです。

 皆さん方が知らなくてはならない事ですが、神が愛する事の出来る祭物になる為には、蕩減条件を立てなくてはなりません。ですから、神のものとして造る為には、最善を尽くして愛さなくてはならないのです。このようにして見る時、イスラエルは全世界を代表する選民として育てられたのです。神が選民を備えた如く、皆さんは贈物を用意しなければならないのです。そのような言葉を初めて聞くでしょう。その贈物は即ち、供え物を以って全ての万物を代表するものです。

 皆さんに家庭があるならば、家庭の全ての物を代表した立場で我家のものは神のものである事を考えなくてはなりません。

 最善を尽くしてこそ堕落しないアダムの主管圏内にいる万物と人間が一つになって、主人に従い乍ら主人の前で死ぬというのが原則です。それで、その神の物となるのであって、おお! 主人が私の首を切ろうとしている、と言って足で蹴るような事があれば、それは供え物とはならないのです。ですから供え物はおとなしい小羊のように、主人が首を切ればメェーと言ってそのまま死ぬのです。何事も言わず死ぬような事があっても、その主人の膝に来て死ぬと言ってこそ神のものになると言う事を忘れないで下さい。

 死なんとする者は生きる

 この様な原理原則においてみる時、イエス様も神の前に一つとなれば主体であり、最高の愛を受ける者となるのです。神がアベルであるならば、イエス様は何ですか。カインでしょう。
 それで愛を受ける自分であるという事を知った為に、神側のものとなって死にたくなるのです。イエスは神側のものとなって死なせることの出来る方が神であるという事を知ったのです。だからこそ、独り子と言ったのであり、神の息子であると言ったのです。そういう訳で、その息子は父の御前に死を以ってしても一つとなって死ぬというのです。

 イスラエルのモリヤ山上にてアブラハムがイサクを祭物として供える時、彼が反抗したのだったら絶対に祭物とはなり得なかったのです。死んでも主人の前で血を流し乍ら一つとなり感謝しつつ死ななければなりません。これは原則である為にイエス様はその事を「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」と言ったのです。

 統一教会を見るならば、信ずるものはアベルであり、信じない人はカインです。それでは、アベルはどのようにしなければならないのか。ここにいる世間知らずの教会長達は、先生が任命したから絶対私に服従しなければならないとさげすんだ言葉を使っているそうですが、誰がそのように教えたのですか。そういう問題は生命にも関係する事です。アベルとなるには、カインを救ってあげて一つになり得る立場からはじまるのです。無条件に命令する事は自慢にならないという事を記憶して下さい。人が死ぬ場にあったとしても、感謝して死ぬ事の出来るように愛を以ってアベルの位置まで引き上げなければなりません。愛する以前には祭物を供えられないのと同じくこのような原則をはっきりと知って行動しなければならないのです。これがまかり間違った場合は全部が地獄に引かれて行くのです。

 その為に、反対するカイン型を代表したローマの兵士達に、十字架にはりつけられた瞬間にも、怨讐に対して誠を尽くして愛さなければならないため、祝福を与え乍ら死んで行ったイエス様は、今日のこの世界で聖人となられたのです。怨讐者達迄をも愛したからアベルであり、生命迄をも捧げたアベルなのです。これが即ち、神の復帰摂理の公式であることを、我々は今一度知らなければなりません。

 皆さんは、話す時にも、自分の利益を中心として弁明してはなりません。このような責任者達は全部せものです。食口達がコソコソ話し合えば、腹にすえかねて自己の利益にならないとし、自分勝手に人事措置して追い出すという事を三人にしたとするならば、その人の首は自動的に切り捨てられるようになっています。これは厳然とした天法です。

 皆さんが地方に行った時、皆さんを出迎えてくれる食口達がいます。その食口達に対して、母親となっている人は、本当の父母の心情を以って、乳が無ければ山羊の乳でも買って飲ませてあげなければならないのに、これはもう却って血を吸い取っております。食口達よりももっと苦労しなければなりません。そうしなければ亡びます。鞭に打たれるならば、一振り多く打たれ、御飯を食べるのは、より控えめに食べる態度とならなくてはなりません。

 父母の心情は、自分の子供達に対して他人に比べて十分でない時、心の縮む思いをするものであり、食事を与えることが出来ない時はその代わりに見えない霊人達の前に訴えながら祈るのです。この公式を通じれば、どのようになるか。サタンが屈服するのです。サタンの分別が出来なければ天に帰ることが出来ないという事を皆さんは知らなくてはなりません。

 天国は何処から建設されるか。サタンを屈服させるところからです。地獄は何処から始まるかと言えば、サタンが残っていて侵入するところから始まるのです。為に、皆さんはサタンを屈服させる事の出来る自分達とならなければなりません。サタンはごう慢の主である為に、ごう慢なる者は天国には絶対に行けません。行ったにしても何時の間にか自然と知らない内に出戻るようになるのです。

 ですから独裁者とは自分の為に尽くす者であり、善君とは国民の為に尽くす者であります。そこから善悪が別れてくるのです。皆さんが天国に行くのか行けないのかは、その場で知る事が出来るのです。皆さん! アベルをどれだけ愛してみましたか? ああ、彼は神の復帰摂理の原則によって祭物として原理原則に一致している為に、神側に帰る人であるというサインをサタンから受けなければなりません。このサインを受けなければ天国に行けないという復帰摂理の原則が、今日の我等の永生を望む復帰の途上にあり、宗教路程の上に必ずこのような公式が適用され、天国と地獄が分別される事を知らなければなりません。

 何を見るにしても不義なる欲を充たす為に見るとサタンの目となるのであり、又聞くにしても自分の利益の為に聞いて人を騙したとすればサタンとなるのです。全てがひっかかる場合は、余す事なくサタンに引かれていくのです。その為、天国実現の秘訣は何であるかといえば、原理原則通りに進んでいかなければならないという事なのです。

 今日統一教会においては、カインとアベルの原則を通じて全てを押し進めて行くようになっており、このようにして縦的な歴史を横的に一時に蕩減しなければなりません。為に、これを全体の時として見るならば、旧約時代、新約時代、成約時代であり、神が存在する立場から見るならば、蘇生、長成、完成となるのです。ここで神を中心として自分の心と一致した基準を立て万物と一つにならなければならないのです。こうなると、ここで一つの中心点が広がり拡大されて全ての存在が神の主管圏内に入ってこそ天国がなされるのです。

 現代は心情を祭物として

 さあ! 皆さんはカインとアベルが一つにならなければならないということを知りましたね。何故か? カインとアベルが一つになってこそ、主を迎える事が出来るからです。皆さんが祝福される事を願われるのは父母の立場を代身している為にでしょう。それなら、カインとアベルが一つになる原則が必要となるのです。三時代を延長して来たカイン的基盤を持った主は、アベルの立場で蕩減復帰しなければならない為に、四位基台の形態を造らなければなりません。

 このような点で見る時、統一教会で祝福を受けようとするならば、三人を伝道しなければなりません。理解出来ますか? イエス様も同じくオリーブ山上に登る時、三弟子と共にいたのでありますが、その弟子達が完全に一つとならなかった為に、イエス様も「私は侍られる為に来たのではなくして、侍る為に来たのである」と言われたのです。イエス様を考える事無くして、自分達のみを考えたため失敗となったのです。ですから皆さんの品物は神のものです。体も心も同じです。このようにして万物、肉身、心、自己、全部が神の物となるならば、サタンが自分の物であるという事を主張しないのです。

 そうであるために、神の物であったのが私の物として受けて立つ時は、神の代わりにサタンを審判する事が出来るのです。皆さんは私の物となる前、心、体、全生命までをも神に差し上げなくてはならないのですが、直接的に捧げる事が出来ないからサタンを分別する為の蕩減復帰過程を経て、カイン、アベル形態を以って戦って行かなければならないのです。

 このように、個人的な基準から皆さんの体と心が完全に一つとなってこそ神に帰れるのであって、物と完全に一つになってこそ環境の中に神が働くのです。そしてまた、家庭を中心としてその親戚が一つになり得る環境圏が展開されて、そこに神が主人となる為にその氏族圏内に天国実現が可能であるという事を知らなければなりません。

 大韓民国を中心としてみても、キリスト教と完全に一体となるならば、神が共にいらして下さるのであり、争う日には両方共に滅びるのです。我が統一教会においては可能な限り和解させようとしていますが、金が三億程度必要であります。しかし和解させなければ滅びます。大韓民国は南北に分かれていますが、それが一つになる仕事をしなくてはなりません。我が統一教会で勝共連合を組織した理由は、金日成と怨讐になる為ではなく、金日成が知っている以上より多く教えて、全部回復させようという事です。

 このような公式法則を通してサタンを分立させる事によって、全てを可能にさせるのであり、又皆さんの体と心は違い合ってはいけないのです。そうする事の出来ない人が教会にいるとするならば、その教会に被害を与える事となり、この宇宙の中にいるならば宇宙に被害を与える為に、神にまで被害を及ぼす事になるのです。

 先生はアメリカに行って活動する事によりそこで金儲けして韓国を助けようなどという考えはしないのです。大韓民国がさびしい思いをするかも知れませんが、韓国の統一教会の信者達を苦労させてでもアメリカを救ってあげようと思っているのです。我々統一教会の行く道は、世界の為に韓国を犠牲にさせなければならないということを良く知っている為に、自分の国よりも外国を愛さなければならないのです。

 このような意味があるために、先生はアメリカに行って沢山のお金を使いました。韓国にはお金がないために、世界の人のお金を利用したのです。だから世界の国民が驚いたのです。自分の国を犠牲にさせながら、世界を救おうとするその民族は何時の時も公認を受けるものであり、主体となる事が出来るのです。そのような公式があるために、原則を立たせて提示した場合は、金の包みを全部持って来るようにといえば、そうなってくるのです。

 これから統一教会がどれ程の大金持ちになるか分かりますか。先に言った公式からすれば、自分が持ったものは自分のものとなる以前に神のものとならなければなりません。このような原則は真理とされる事に間違いありません。これが歴史実証によって発展し適用される日には、世界の全ての万物が真の父母様の手を通して神に帰って行くのです。アダムとエバが父母のものを失った為に、それを探し求めて返して行くのが蕩減復帰の原則なのです。万一大韓民国で統一教会にこの真理を持って万人の教育に努め、生命をもって突進するというならば、世界の全ての万物は統一教会を通して神のものとして帰って行くのです。神はそれらをもって何をなさるのですか。万物は息子、娘のために造られたのであるから、それは再び彼らに分け与えられて、大韓民国は自動的に豊かな生活を得ることになるのです。

 このように統一教会が驚くべき事実を持っていながらも、なお反対する人々がいるために不当に寒心に耐えないのです。今アメリカにおいては黒人がみるからに地主のようであっても、「お前の家を売って神の御前に捧げなさい」と言えば、その場で持って来るのです。それは先生が喜ぶのではなく、より大きな目的のために神の前に捧げて使われるのですから原理原則に適用されるのです。

 もし先生が中国の家に行って中国料理を食べたいと思っても、一人だけ行って食べられますか。それでお腹を空かしている食口がいるときは、私が思う存分食べさせてあげなくては、と考えます。食べながら楽しい思いをすれば私も蕩減復帰できるわけなのです。良い座席があれば自分よりも人に譲歩する心の姿勢が必要です。謙遜なる人の前に顔を下げる時は気分から良くなるのです。それは理論的に適応させ歴史路程又は社会の中に神の復帰摂理の現実性に適応させられなかっただけであって、その内容形態においては似たような道を歩んだのです。

 お腹が空いた時誰かが食事をくれたならば、一度考えてから食べる習慣を持たねばなりませんよ。お腹の空いている人が多い時は、公義の仕事をして疲れて帰って来た人に食事を与えたならば引っかからないのですが、仕事もせずに遊んでいた人々には与える必要がないのです。

 まず個人の天国実現から

 さて皆さん! 天国はどこから作られますか。天国が実現されるためには個人復帰完成、家庭復帰完成、氏族復帰完成、国家復帰完成の四段階をもって成っているために、その全てを経由してこそ天国実現が可能なのです。

 統一教会の信者達が世界的な天国を作りあげようとしている時、でたらめにしてそれが成されると思いますか。国家的な天国形成をなしてそれがアベルの立場を再創造してゆくのです。自分を全投入する何かの作用があってこそ可能なのであって、そうでなくては不可能です。このような過程を通さずして天国実現の過程的原則は一致することは出来ません。まず何から始めるべきかといえば、個々人の一人一人からこそが最も重要であるということを知らなくてはなりません。神の摂理において総終結点は一人の人間を探すことであるが、それはアダム一人を完成するということです。アダムが完成されれば、家庭的にも完成されるのであり、夫、兄、父、その次には氏族の主人になることは勿論であり、民族的な中心となり、世界の主権となり、全ての面でのモデルとなるのです。さあ、気分が良いでしょう。一個人をよく天に合わせておいてその通りについて行きさえすれば、それが即ち天国実現なのです。

 皆さん、全員分かりますか。

 国家の存在は、歴史再蕩減をなす為に縦的歴史を横的に万物復帰、実体復帰して、全部を一つにしなければなりません。先生が北の方に行きなさいと命令したならば、何時でも行くことが出来なければなりません。今充実した仕事を成し遂げていると思っている人に、江原道の北部地方に送ると言えば、行けないと言えますか。それは自分の活動舞台にブレーキを駆けるような結果となるのです。或る人は、統一教会の文先生は良いけれども他の人が嫌いだといっておりますが、これから三年もすぎれば先生と思うように会えなくなる、ということを記憶して下さることをお願いします。先生に会うためには、全部系統を通さなければなりません。木の枝でいるのが嫌いだからといって根本になろうとしても、それは出来ることですか。統一教会の信者達が知っておくべきことは、好んで人に会うように努力することです。悪い人に対しても、素知らぬ振りをして皆善しとして見る習慣を持つならば、自分も知らず知らずの内に善なる人となって行くのです。自分自らの天国を造るようになるのです。

 このような事を知って、皆さんは個人の天国実現をなす為に、サタンが好むことは絶対してはなりません。知らないでやったということ等は通用しません。このような事は皆さんは理論的に知っているのですから、反省が実現し得るならば天国実現は可能なのであります。

 分かりましたか。

 もう天国実現がどのように成されるかを知りましたね。ここで一つ結論を出しましょう。

 蕩減復帰歴史が今日の死亡圏を越えようとするならば、個人だけでは出来ないのです。家庭のみを作ってしても不可能であり、従属国家が必要であるので神はそれを知り給い選民を育てられ、又キリスト教国家を作られたということを記憶して下さい。

 さあ、このようにしてみると、全世界的に統一教会の信者達が必要であり、又統一教会の家々が必要となります。何故かといえば、全部一塊となるためです。一つの中心である先生から皆絡みあっているのです。ただ異なる点は各自が立っている位置が違うのみであり、同じ運勢であるが為に皆さんは先生と歩調を合わせなければならないし食口達に歩調を合わせなければなりません。
 東側にある木が西側にある木は死んだ木の枝に向かって、来るなと言えるでしょうか。来てはいけないという木と同じです。教会も誰でも来るようにという教会は栄えるようになっているのです。来るなという教会は滅びるようになっているのです。世界の人々に、さあ! みんな本部に行きましょうと誘った時、行こうよと言えば、栄えるのであり、うわあ! □だと言われる時は滅びるのです。

 本部に行こうと言ってはいるが、そこに行けば何か利益でもあるのかと思う人は滅びるのです。

 敵を愛せよ

 この世界にはカインが必要でしょう。蕩減復帰しようとするには、共産党が必要でしょう。神様も共産党を自然屈服させなくてはならないのです。強制屈服させようとしたなら、既に六千年堕落したその翌日全てを片付けることが出来るけれども、自然屈服させる為に今日まで延長されて来られた事を我々は知るべきです。自然屈服の原則と、本来の原理の軌道に従って順応の道理を立てたために、その原理に従って行くのが天使長の使命です。サタンが反対したとしても神までは反対しないだろうという気持で六千年間相談し合って来ているのと同じく、皆さんも共産党に対して死ぬ事を望むのではなく相談し合って行かねばなりません。

 統一教会の文先生の前に怨讐がどれ程多いのか知りません。私を投獄し殺そうとした人が大勢いたけれども、呪ったりなどしませんでした。その人々が死ぬように祈った日には、私にわざわいが来るようになります。神が殺さないで残しておいたのに、何故に死なせられますか。それは神の御旨の前に反逆となるために、私たちは正しい道のみを選びながら悪いことを防御しなければなりません。限界線で自然屈服させなければなりません。

 統一教会がアベルであり、既成教会がカインとしたなら、誠意をもって既成教会を愛したでしょうか。しなかったとしたら、それは偽者としか言えません。だから先生は一生を通じて、怨讐に対し殺して下さいという祈祷は一度も出来なかったのです。既成教会を救って下さいという祈祷は多くしましたが、亡ぼして下さいという祈祷はしませんでした。真心が深い程、屈服させる日が早く来るためにサタンは早く亡びるのです。サタンはどうにも仕様がなくなれば、屈服するより他に道がないのです。ですから蕩減の原則によって天の御前に戻すことが出来るとしたら、それによってサタンは屈服するようになっているのです。これは容易なことではないのですが、今はそれがだんだんと成されつつあるのです。

 統一教会の信者達の中には、私は先生のために仕事をなし、神のために仕事をするという度胸のいい人が大勢いますね。しかし、そうではありません。統一教会の文先生は、皆さんのお世話にはなりもしません。統一教会自体も皆さんの世話になろうとはしない事を良く記憶して下さい。一人の為に神が動員され、皆さん一人の為にイエス様が動員され、それ以外の数多くの宗教のみならずサタン圏内の人類が動員され、統一教会の文先生と統一教会が動員されているという事を知らなければなりません。このようなことを知れば、今度は借金を返す事にしなければなりません。自分の生命を捧げて沢山の借金を返そうとするならば、どんなに借金が多いといっても死ねば蕩減されるのです。億千万の負債があったとしても、その人が死んでしまえば、どこで貰うのですか。息子、娘もないのに共同墓地に行って貰えるのですか。世の中に死んだ人を訪ねて金を返して貰うと言えばその人は気違い扱いにされるのです。自分は神のために死ねなかったためにサタンとなってしまったのだから、神のために死んだ人こそ自分を指導することが出来るのです。また、より優れた人は、神が支配することが蕩減復帰の秘訣であるために、イエス様は「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」と言ったのです。死なんとする者は早く天国を作り上げ、生きんとする者は地獄でそのまま年を取っていくのです。

 生命をかけて公義の法則に従う人は天国の平野を広げることが出来るのですが、自分のために生きようと跪く人は天国を狭め地獄を広めていくのです。この事を知って、一九七五年度からはどうすればよいか。第二次七年路程まではイエス時代である為に霊肉共に往復出来てよかったが、第三次七年路程は直行しなければなりません。曲がりくねっていては損しかありません。

 第三次七年路程からは堕落圏内ではなくして本然の完成圏内である為に、原理結果主管圏内に該当します。ここで絶対的に必要なものがあるとするならば、信仰の実体と心情を中心として一体と成っていくことによって、完成段階に上がっていくことです。永遠なる実績の基盤を糾合し、天に帰結させることの出来る仕事を成すに際して、そこに自分が必ず参加しているという事を知って、一時に一場所めがけて突入し得る心でもって歩まなくてはならないということを記憶して下さることを願います。

 皆さん達は負債を負っていますが、その負債はどこからして返すべきでしょうか。それは僕の僕から返して行かねばなりません。

 皆さん!! 自分の息子、娘の僕になってみようと思ってみましたか。教会の僕となり万人の僕となって、僕の伝統史に自分が通じないことは無いというほどでなくてはなりません。

 その次には養子の伝統史において世界性を背負った自分に成らなければならないという事です。世界的な養子の軌道に通じることにかけては負ける者となってはいけません。

 個人から家庭に、氏族から民族、国家、世界にまで連結させる心を実体的に横的に展開し、世界の人に対してもそのような共同的な心を実現できる時、その人が行く所はどこも天国実現が可能であるのです。それを知って、一九七五年度も平易に過ごすのではなく、私はあなたの為に生きて働くのだという心を互いに持ち合う姿勢が必要であることを、今一度知って下さい。

 世界と神が私の為に動員され、共産党と全体が私を動員している事に、その場において恥ずかしくない自分と成らなければなりません。

 アベルよりも中心存在になろうとする程の考えを持って、夜も昼も前進する自分自身を確認しながら不平を言わずに歩めば、天国は必ず個人から世界の舞台まで拡張されて行くのです。

 個人は家庭の中心であり、家庭は氏族の中心であり、氏族は民族の中心であり、民族は国家、国家は世界の中心であるが為に、その全ての中心の焦点が個人であるということを知って前進して下さることをお願いします。
 自分が中心となっている為に、全世界のメシヤ的思想を自体に帰結させ、全ての責任の原因となって相対的世界に拡大することが出来る主体的存在を持つところに、初めて天国は本当に実現されるでしょう。

 皆さんが実際にこのようになる時は、それこそ飛躍的な発展をなすでしょう。一九七五年度からは「天国実現」という標語の前に進まなければなりません。皆さんは先生と一体となり、御旨に従って行って下さることをお願いします。

 七五年からは、家庭を中心として氏族と民族を糾合させることが完成的な基準であるために、自分の氏族と平面的な基準でもって接することが出来、これからはあらゆる道が容易に開かれるものと思います。そして、文氏の宗主会というような言葉は、御旨に対していかにも似合った用語です。

 皆さんの、いずれの版図に値する天国実現を可能とさせるかという問題が、果たして天国に入ることが出来るか否かの決定権となることを知って、実践的な価値基準を中心として前進して行かれることをお願いします。
 七五年からは天が賦与することの出来る時となった為に、常に主体的な立場に立って天国を成していくことを願い、そうしてこそ天国実現は可能であることを知っていただきたいのです。

 全ての面で、足場となり、財産となる皆さんであることを願いながら、神の愛と祝福もあわせて受けて下さい。

 そういう意味で、今年の標語を「天国実現」としたのでありますから、その基準の前に三百六十五日を確かめながら行きましょう。

 祈祷

 愛する天のお父様! 私達には本当に天国が必要です。天国は妄想的なものでもなく、空想的なものでなくして、私達の生活圏内に於いて、実際を通じ一歩一歩段階的に積み重ねて行かねばならない事を知りましたので、今日一月一日、今年に於ける標語を以って、天国建設の主体的な存在へと実体路程にサタンを屈服させ、その版図を拡げて行く息子、娘となる事をお許し下さいます事を切にお願い申し上げます。

 お父様! 此々に集った一人びとりは勿論の事、大韓民国全域に広がっている統一の者達と、日本と、アメリカを統擡した全世界の数多い統一の群れが、天国実現の為の明日の一日を前にして、戦って行く事の出来る此の道の前に天の加護と愛と勧告が一生の間共に働いてくださる事を切に願って止みません。

 お父様! 今第三次七年路程をお父さまの名に従って天国実現という標題のもとに、何処に行っても休む事なく、目的達成のために突走しようと思いますので、内外共々の指導を仰ぎ勧告あらしめて下さる事を切にお願い申し上げます。万々事の恩賜と愛が、とこしえに統一の者達の上に、今年一年間親しく共にいて下さる事を切にお願い申し上げ乍ら、今年の計画する万事が亨通されますようお許し下さる事を願いながら、霊界の実践的な後援と併せて、地上に相対的な顕現が一致され、統一的な動きが現われますようお許しくださることをお願い申し乍ら、此の全ての御言葉を真の父母様の名に依って切に申し上げました。
アーメン  




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.08.19 22:06:04
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