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2021.08.26
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​​​​​​​​​​​​​「勝利の限界点」

1975年2月23日
ベルベディア


 不屈の精神で

 人というものは、いかなる環境の中にあっても、自分の所属する部内で、勝利の結果を収めたいというのは、当然であります。

 一般生活は当然ですが、信仰者にとっての、霊的生活においても同様であります。成功するとか、勝利するとかいうことは、優性な立場に立って、劣性な立場を改めてしまうということです。もし対立して戦いに勝利するには、相手を征圧するだけの原動力が必要です。すなわち、力の関係において均等の立場を乗り越えることによって勝利し、はじめて、目的完成を早めることができるのです。

 我々は、アメリカにおける三年間の、このような大作戦の計画を持っております。この巨大なアメリカに、我々の主張を訴えていくことは、容易なことではありません。

 例えば、戦争などの場合、敵国の兵力を制圧すれば、勝利が決定しますが、しかし、そこへ行くまでには、微細たる全面的な作戦を組まなければ、勝利することができないのです。そう考えたら、

 本当に大変な戦いであります。小さな組織が、それをしようと頑張っているのであります。そのためには、この広範な包囲圏の中にあって、我々一人ひとりが、全ての面において、拡張戦をなしていかなければなりません。それでなければ、今のこのような状態からみた場合、当然、百戦なせば百戦に負けるという結果になるでしょう。兵力、すなわち兄弟の数が多くない上に、実力においても不十分です。

 我々は、これを運命づけられた道として、戦っていくより他ありません。数の少ない者として、互いに代理しあって、各人が決意して、与えられた自らの力に挑戦していく以外に道はありません。だから、今の統一教会は、全体の数からみても、あてにならない団体です。結局、各自が責任をもってやる以外にないのです。

 そうした場合、そのゲリラ計画は、正常的な戦法を取るのではなくして、相手の弱点、欠点を狙っていくような戦法を取らざるを得ません。だから、ゲリラ戦法を取る者は、先ず、正常な道を行こうとすることはできません。飛躍した冒険的なことをやらなければならないのです。時には、二階から飛び降りてみたり、綱でよじ登ってみたり……普通のことではないのです。そのためには、誰一人できないことを狙ってやる技術を、身につけなければなりません。

 そのようにするには、百人なら百人、千人なら千人、万人なら万人制圧する勇気、肝魂が必要なのです。一人でも、やり遂げるという決意が必要です。そのような勇気、肝魂を持たなければ、ゲリラ作戦をきりぬけることはできません。

 そう考えますと、統一教会のメンバー達は、このようなゲリラ作戦をなすにあたって、その一員として、いかなる訓練にも耐え得ないことはないと思います。だから、不屈の精神で、いかなる冒険に出合っても、それを克服できるように、内外共に訓練をなさなければなりません。

 だから、優秀な人材になるためには、方法、手段のいかんを問わず、全てにおいて、不平不満を持つことは許されません。また、嫌々やって、こんなこと出来ない!……これはいけません。どんなことがあってもやれる!自分ででなければならないという優秀な人材になるに違いありません。大きなことにぶつかっていくようにならはければなりません。

 ニューヨークのメンバーから見た場に、これからのヤンキースタジアムの作戦とか、それと同時になしていかななければならない問題を考えてみた場合に、なかなか大変なことだと思われることでしょう。実際に、なかなかやれることではありません。普通の人だったら、みんな後退してしまいます。訓練され、全てを体験した勇士であればここ、問題が困難であればある程、やりがいがあるというものです。そのように考え、決心した者には、いかなる時にも、いかなる場合にも、克服していくことができます。いろいろな作戦をたてながら。

 我々は、まだ、家庭的勝利圏の中に立っていないのですから、このような暴険をなす以外に道はないのであります。何故、そのもうなことをするのか。そんなことしなくてもいいではないか。統一教会は、なぜ、そのようなことをするのか、と思われるでしょう。考えてみなさい。今のアメリカを見てみた場合、共産党は、ソ連にしても、中共にしても、北韓にしても、すべてアメリカを狙っています。アメリカを何とかして崩壊してしまおうと。

 狙われているアメリカ

 共産党が狙っているのは、アメリカにおけるキリスト教崩壊の問題、家庭崩壊問題、また青年達を堕落させて、国あぐいは公的に混乱させようとする青年崩壊問題、この三大問題を目標としています。だから、もう、アメリカにおけるキリスト教は崩壊寸前で、もう再起できそうもない現状になってしまっています。キリスト教が崩壊してしまうということは、アメリカの伝統的精神が崩されてしまうということであります。いわゆる、縦的基盤がなくなってしまった。そして、家庭が崩壊してしまったのです。たとえばカルフォルニアなんかでは、結婚するよりも、離婚する率が高くなってきているというわけです。

 このような問題は、いかなる国家的な力でも、いかなる宗教的力でも、その他のいかなる力でも、取り返すことはむずかしいのです。縦的国家的伝統基準のもとに、横的な社会的基盤になっているのが家庭です。その家庭が崩壊しているのです。

 たとえ、中心が、あるいは縦的基準が崩れたとしても、その周囲が固まっていたらいいのです。青年達が、横的な周囲を固めて、中心をたたせ、縦的基準をたてていくならば、将来性を危ぶむこともないのですが、その青年達自体がみんな、麻薬にやられてしまっているという状態です。なんでも、ある政府の発表によると、中共の国会予算の六十パーセントにあたる収入金は、全て、阿片製造で補っているということでした。今度のベトナム戦争においても、相当の阿片が密輸入されています。アメリカに帰る兵士達に、阿片を持たせて帰るようにすれば、アメリカ市場において、十倍ないし二十倍以上の利益になるから、帰る時に全員が運び込むように作戦してきたこです。

 昔、英国が、中国に対して阿片で、その国の青年達を堕落させ、廃退させるようなことをしてきましたが、今度は逆に、その復讐として、ヨーロッパの青年に対して、同じような作戦をなしてきています。そして、そういう作戦に、アメリカの青年達は、全部ひっかかってしまったのです。

 阿片を喫煙すれば、その人はもう、脳を使えない人間になってしまいます。どんな天才的頭脳を持っていたとしても、これにひっかかってしまった場合には、屑のような人間になってしまうのです。

 このようにして、アメリカの青年達が、麻薬問題に引っかかっている以上は、これから、想像もしないような種々な問題が、例えば白昼、堂々と強盗が出たり、そのほか、話にならないような盗難事件が、沢山起ってくるに違いありません。だから、ニューヨークなんかでは、夜は一人で歩けないような、恐ろしい状態になっています。それに比べて、韓国なんかは、かえぱて、天国みたいで、そんな心配はありません。

 全西の大学は勿論のこと、高校、さらには、小学生に至るまで広が-っているということは、実に恐ろしいことです。あなた達知っているように、ドイツのナチスが、六百万のユダヤ人を虐殺するということがありましたが、これは、それよりも、もっと恐ろしいことです。全てに広がっていってしまうからです。そうしたら、それ以降の子供、後孫などは、全て低脳となってしまうのです。

 その反面、アメリカで地下活動している共産党員たちは、それを喫うかというと、正統な精神に入っている者は、絶対に使っていません。結局、サタンも、一つの武器として手をつけず、戦法勝利の目的の為に活用しているのが、麻薬の問題であります。

 このような状態では、今こそ世界の中心として威張っているが、十年後をみたらどうなるだろうか。私が、一九六五年にアメリカに来た時と、十年後のアメリカの現実とは、天地の差があります。キリスト教という立場からみても、その他、種々な方面からみても、今は、もう既に、潮水が引いて入るような時期になってきています。

 もはや、アメリカが、世界に影響力を及ぼす時期ではなく、かえって、世界の影響力を受けなければならはいような立場になってきています。国連においても、今までアメリカが重要な立場に立ってきたが、今の現状は、共産系が支配するような立場になってきています。そんなことを思ってみても、アメリカの将来は長くありません。

 それから、今後、問題になるのは、共産党が地下活動を拡大していくための、本拠の基台はどこにあるかと言いますと、それは、労働組合と、そしてユニオン・ショップという組織です。恐しいことになります。今まで、アメリカの為になったかも知れないけれども、これからは、アメリカを、短期間に亡ぼすことになるでしょう。その背後には、種々なる共産党の組織がはびこってきています。

 アメリカを救うのは誰か

 このような全ての問題、世界的問題、今後のアメリカの将来の問題に対して、アメリカの政府において、果して責任を持って、生命をかけて働きかけるような国会議員が、いるであろうか。アメリカの政策を政策を司っている人達は、この悪の濁流を塞き止めていかなければならないのにもかかわらず、その流れに流されてしまっている。流されゝば流されるほど、宗教的見地がれてしまい、結局は、すべてを失なってしまいます。

 そう考えてみた場合、これらの洪水を全て塞き止めて、責任をもって、アメリカの今後の問題に、対策を講じようとする国家的政治家がいないということを考えてみた場合、アメリカの将来は長くないという結論になるのは、当然のことなのです。私は、アメリカの有名な国会議員とか、いろいろな部署にある人達にあってみましたが、世界のこととか、将来を憂うるということより、自分がいかにして、国会議員として長くいられるか、ということを問題にしているのです。正しいこととはわかりながらも、誰もそういう方向に行かないから、自分もやらない…という考えでやらない。それでは、何も務まりません。

 だから、今こそ志ある者は、アメリカにおいて、再び青年達を用いて、新しいアメリカの建設を、考えていかなければならない段階に入ってきています。神様がいらっしゃるならば、アメリカが、そういう方向へ行ってくれることを、願っておられるに違いありません。そう思った時、神様の願う新しい方向に、そして、この国を救う道を考えざるを得ません。

 それでは、一体、誰を使ってそうなさるのだろうか。これまでのような、アメリカの青年達でもって、救わんとされるとは思われません。また、もしも、外国から援助隊が入ってくるとしても、その軍隊は、アメリカを占領する一群のその軍隊の利益のためになら、働く人もあろうけれども、アメリカ自体のために、自らを犠牲にして働く人は、一人もいないことでしょう。

 それでは、この統一教会は、どういう集まりかと言いますと、アメリカそのものから救おう、アメリカを覆っている悪の濁流を塞き止めて、次第次第に、その流れの方向を転換させて救おう、という考えを持っているのは、宗教の中では、統一教会しかありません。各国の青年達を投入して、アメリカを救うとするのは、これが、神の御旨を果たす一つの方法と思うから、このようにやれるのです。

 一人が一千万人の身代わりとなって

 とくに、アメリカの青年として、理解しなければならないことは、世界の統一教会の青年達を投入したからと言って、それらの国が栄えるのではなくして、自らは、弱いながらも、アメリカのためにやるのです。そう思った時に、アメリカの青年達は、それこそ、より一層の覚悟を決めて、これまで、各国の統一教会から援助された人々を、早く帰して、自分達自体の力でアメリカの全てに責任を持って果たしていかなければならはいという、決意を固める強い基準にならなければなりません。

 一方、共産党にとっては、統一教会が各国から青年達を投入してアメリカの青年達を教育した場合には、将来、自分達の作戦に非常なさしつかえを期たすということを知っているから、あらゆる方面から防害してきます。そう思った時、アメリカの青年達は、手を握りあって、国内の全ての共産党を自分達の手でもって勝利してしまおうとする固い決意が必要です。そのためには、一人が千万人もの身代わりとなって戦うというように思わなければなりません。

 また、アメリカの青年が知らなければならないことは何かと言いますと、共産党の内部では、統一教会のメンバーを追い出すという目的を自覚しあっているということを知らなければなりません。

 統一教会のメンバー達を追い出したら、その次には何をしようとしているか、それは、文先生まで追い出そうと考えているのです。レバレント・ムーンがいる、統一教会の青年達を誘致して、いろいろな基盤をつくり、アメリカの青年達を教育して、強硬な基盤を固めていく。そうしたら、将来、自分達が困るとわかっているから、レバレント・ムーンを攻撃しようとするのは、当然のことなのです。青年は、我々のメンバーの一員として入ってくるということもあるのです。

 もはや、言論界は、全て、左翼系に傾いてしまっています。だから、あなた達は、理論的に徹して、共産党以上の理念を身につけて、彼らを克服していかなければなりません。世界的な組織をもっている共産党に対して、我々のこの小さな団体が、これから世界的に発展していくには、種々な問題が起こることと思います。だから、実力を身につけなければなぎません。一人ひとりが、共産党を凌駕し、国を救っても余りあるような、そういう勝利的実体者であるという自信を持つことが必要です。今後は、難しい問題が、どんどん広がってくるでしょうから。

 理想的な家庭を

 こういうような傾向を逆に取り戻すということは、これは、容易ならぬ問題であります。そのためには、一人ひとりが、ある部署を担当して、各方面の責任者に体当りをして、彼らを屈服させるような力を持つ者にならなければなりません。共産主義者以上の目的感に燃え、徹底した理論体系を持たなければなりません。そうして、共産主義者達が、思いつかないような理想的家庭を、早く形成しなければなりません。

 いくら麻薬を飲んできたアメリカの青年であっても、責任を持って、全国を飲みつくしている風潮を、全て、取り去ろうという、徹底した青年とならなければなりません。だから、自分に任された地域を救うため、積極的役割を果たしていくような者に、なっていかなくてはなりません。問題は、我々自体です。青年から、家庭から、教会から、国から、これらを一線上に引き上げるようにしなければ、この国を救う道はありません。アメリカ全体が、悪に犯されてしまうことはあろうとも、自分が責任をもっているこの地帯は、一点の悪も許さないというような、強硬な者になった場合に、アメリカは、それによって救われるでしょう。

 我々は、教会の拠点を拡大するということを中心として活動すると共に、今、祝福の家庭基盤も拡大しつつあります。その祝福家庭を中心として、教会を中心として、社会全体に国家に、理想とすべき基準を早く作らなければ、アメリカを救うことはできません。

 勝利の限界点は今

 アメリカの青年達、このように、麻薬に占領されつつある青年層を、そこから解放し、新しい、正しい方向に導いてあげることができるのは、自分達であったとわかったならば、早く、青年達を、自分達のような立場に立たせていくのが、アメリカを救う道であるということを、はっきり知っていただきたいものです。

 自分一人が崩れた場合、アメリカの何十人、何百人の青年も崩れていってしまうという自覚を、自分なりに、持っていかなければなりません。そうしたら、何一つ不平も言えないし、くたびれた、などと言えないことでしょう。自分一人が不平を言ったり、倒れてしまったりしたら、周りの人達が、その影響を受けていくようになります。恐しいことです。神御自身も、そのようなことはお許しにならないし、また、みんなの批判の対象となっていっえしまうことでしょう。

 あなた方自身種々な悪条件の環境を乗り越えて入ってきたのであるから、このアメリカの青年達を、いまだ腐敗の中にある巨大な青年層を引きつける原動力として、また、拡大する材料であると考えるべきでか。あなた方の生活態度や考え方が、そのままアメリカの興廃を決定してしまう一戦であるということを、考えなければなりません。そうすることによって、サタンを妨ぐことができます。

 そうすると、今の風潮を塞き止め、消化し、屈膨させていくことによって、アメリカの青年が蘇ると共に、神の世界的勝利圏が生まれてくるのです。そのような重要な意義があることを考えた場合、あなたの成さんとすることは万象が歓声をあげて讃えるような立場にあるのです。

 もしも、一人の人物が善化した場合には、その影響圏にある人達が、千名でも、数万名でも続くことができます。あなた方は、今まさに、そういう立場に立っているのであるという、確固たる自覚を持たなければなりません。釣りをする時、餌をつけて何本もたらしたのを、ワイド・ウィンチにつけてあるロープで引っぱるように、自分の道においても、ビクとも動かないような基台が立っているか、基台さえ確立していたら、どんな立場に立っても大丈夫です。どうですか。あなた達、そのようにウィンチを踏まえていますか。それでもって、四方八方を引っぱることができるように。そういう戦いをやっているのです。まさしくそうです。一人の手をつかんで、足でかかえて……(動作)(笑い)しうでしょう?。

 そう考えてみますと、限界点は、勝利的限界点は、我々が目で見て、活動する現場であるということがわかります。あなた方もそうでしょう。ある時、ある人から話を聞いただけで、ボーとなってしまって、自分の意志がなくなってしまうという立場に立ったと思います。

 問題は自分自身

 これから、こうして活動していけば、現実に打たれることがでてくるでしょう。例えば、友達に出会った場合、ああー、昔、学校時代には、ライバルとして競いあったその人だ。あの人と比べてたら、自分はみすぼらしい姿をして……。

 しかし、十年前後を見てみなさい。そう思いましょう。十年後に見てみなさいと。こういう緊張が、十年と続いたとしても、私は残る。あなた方は逃げても、私は勝利する。そういう自信を持っていくのです。私自体もそうですよ。いろんなことがありました。

 今のこの状態が全てを決定するのではありません。十年後をを考えるのです。あるいは、二十年後を考えるのです。訓練されたから、わたしは、これ以上のいかなる困難な立場に立っても、人の為に祈ることのできる条件を身につけるということです。自分個人のため誇る道からは後退しても、人の為には後退できません。先生は、そのような体験を沢山持っています。今でも持っています。疲れた場合とか、あるいは、何か問題があった場合、すぐそういう思いを持ちます。神に誓った事実は、残っています。自分が決心したことは、最高の決意の絶頂点において誓ったことは、神様は信じていて下さいます。神が存在し、私自身の決意が変わらぬ以上は、わたしがやったならば、それだけ努力したならば、必らず成功するんだ、という思いを持っています。

 例えば、腹が減った時、それ以上空いた立場を連想するのです。いろいろ体面とか、威信にかかわるような、面子にかかわるようなことが沢山ある時は、それ以上に癪にさわる、興奮せざるを得ないような時のことを考えるのです。そのようにして、一度決意したその決意を、十年、二十年変わらずに、それを果たすならば、いかなることもできます。そう信じるのです。そうしたら、倍の苦難の道を乗り越えられます。四分の一に短縮する場合にも、倍々の決意を固めればいいのです。だから、これから迎える全ての問題は、対象がいかに強かろうと、どんな悪\C47Fな人であろうと、それが問題ではありません。それ以上の決意とそれ以上の余裕ある希望を持つことが重大なのであります。

 そうなったら、君達は若くても、いかなる環境にやられても動じないでしょう。家庭が問題になっても、国が問題になっても、わたしは行きますと。それに対してもしも家庭が絶対服従しない場合は切ってでも、また、国が全面的に服従しない場合、切ってでも行くことができます。しかし、注意することは、神様も、もうこれ以上できないというところまでやってから、来るのです。だから、問題はどこにあるかとい言うと、未来でもない。この現在が問題なのです。

 さあ、今朝は六時だ!六時になったら集まれ!……ああー、時間が一時間も早くなった。早くなったから眠くて行けない!、というのでは、それは、もう失敗です。敗北です。

 こっちに来ても、ああー……五時に起きるから眠い!(笑い)そのような人は、もしもこれ以上疲れた場合、生命をかけなければならない決戦に臨むような場合には、完全に失敗する。勝つということは、自分に勝つのであって、他人に勝つのではない。だから、自分により高い基準ばなければなりません。今が、その変動期なので、早く、早く起きてやるのです。

 だから、今の我々のやっていることは、新しい出来事です。新しい世界が起きた時、自分が自分に勝っていたら、賞賛できるんであって、忍耐とか克服とか言うのは誰がするか。自分がやるのです。自分がやるのであって、他人がやってはくれません。これだけは、ハッキリ言っておきますが、何もしないで、祈りだけやっていればいいという、神様ではありません。百パーセント働きかけた立場において祈るならば、神様は働いて下さるのであって、九十パーセント、八十パーセントくらいやって、どんなに祈っても、長は働いてはくれません。だから、先生はそれを願っております。今度の千八百組の結婚式の問題にしても、短い時間に全てを果たすことは、大変なことです。並々ならぬ問題です。二十四時間でも、徹夜してでもやる!。もしも無理して病気になったとしても、それで本望だ!。頑張ろう!。そのうち、頭も冴えてくるし、目をつぶっていると、どんなことでも、ちゃんと見えてくるのです。無理が通じるのです。

 家庭が防波堤

 そのようにして考えてみた場合、あなた達は、本当に国の救いに責任を持つか?今後の世界に責任を持ちますか。(ハイ)そうなったら、国なんか問題になりません。

 問題を提起しょう。よいことをやってです。先生は、どこへ行ってでも問題になります。アメリカでもやはりそうです。悪い意味ではありませんが。それで、問題は、勝利的限界点は、どこにあるのか?

 今です。今なのです。今に砕けるものが、明日に転換の希望はあろません。では、今はどうです。あなた達、自信あります?(イエス)

 そういう若き青年達が、互いに組みあって家庭をつったなら、この家庭は、自分達だけの家庭ではありません。だから、今度結婚して帰ってきた人たちは、ああー、二人っきりでいたい、というわけにもいきません。(笑い)今度結婚したそのカップルを見ると、男は、そんなに喜ばないが、どちらかと言うと、女は、ああー、口を開けて騒いでいます。そうすることによって、かえって、男がむきになってしまいます。だから、いくら嬉しくても、心だけにしまっておいて、表面に現わさないものです。旦那さんのために嬉しくなった場合、旦那さんが嬉しくなるようにしてから、続いて自分が嬉しくなるようにしなければなりません。自分一人で喜こんでいるのではいけません。自分の相対者を、自分よりも嬉しくなるようにしてあげてこそ、嬉しくなるのが当然です。相対者のことは構まず、自分だけ嬉しがっているのは、まちが-ています。

 結婚したからといって、食べたいものを食べ、着たいものを着、掛けたいものを全て掛けよう……(笑い)そうはいきません。それを願うならば、先ず相手に、そうやってあげてからやりなさい。心でも何も、そうしてあげてから。自分一人でやって、自分一人で喜こんでいるのは、それは不公平というものです。

 今、この荒れ狂う世界の現状の中にいて、二人で、新しい家庭を作って、この腐敗するアメリカの家庭を全て、錨をつけて救ってやるのだと思った場合、二人が一つにならざるを得ません。後でも、横でも、四方八方どこについていても、一つにならざるを得いように、ならなければなりません。

 理想的夫婦といっても、いいものを食べ、いい物を持って、皆に誉められて……、それが理想ではありません。悪いものを食べ、悪い所に住みながらも、理想的な夫婦、どこにも探せないような。それが理想的なのです。今度、祝福された家庭は、この腐敗するアメリカにおいて、我々夫婦は、標準的灯台のようになって、闇を照らし、方向を輝してやるような家庭をつくろう、という決意を持たなければなりません。

 こういうふうに、個人が、アメリカの腐敗する青年達の防波堤とると共に、家庭が、防波堤とならなければなりません。家庭を中心として見た場合に、勝敗の限界点は、その家庭です。夫婦です。どこかにあるのではありません。家庭がメチャメチャになった場合には、全てがメチャメチャになってしまうからです。それから問題は教会です。我々の教会は。だから、教会のメンバーは、偉いものです。

 親の心情と僕の体で

 沢山の人が集まっている教会がすぐに一つになれるというように、た易く思う責任者は、どうかしています。顔がみんな違うように、問題もさまざまあります。特に、西洋人とか、東洋人とか、ニグローとかを合わせた場合は、もっと複雑です。みんなの差異が、もっと大きいのです。これを一つに収める秘訣は何だと思いますか。金?(ノー)、権力?(ノー)、何ですか?(ラブ)愛ね。愛というと、愛とは何ですか。じっとして、“おい、来い”と命令するのが愛ですか。何も語らなくても、感動させる何かが溢れるところに、愛が成立します。我々は、何の為にこのようにして集まっているのでしょう。お金持ちになるため、あるいは権力者になるため、また知識を得るためなのではありません。何かと言うと、神の御旨を中心として、一つの世界を作るため、愛の価値を認めるた為に集まったのです。その為には、親になることです。お父様と同じように、親になりなさい。

 統一教会の目標は、親の心情でもって、僕の体でもって、地には汗し、人類には涙し、天には血を流し、そういう精神に徹していくことなんですね。それは、どういうことか。教会の人の為に犠牲になれ!。一言で言うなら、犠牲になれ!ということです。犠牲なるというのは、どういうことか。簡単です。三つに収めることができます。一つは、教会の誰よりも多く働くこと。それから、着る物、食べる物において、粗末なものを食べ、粗末なものを着ても、人には、自分よりもいいものを着せ、いいものを食べさせてあげたい、というようになることです。それが全てです。そういう立場に立てば、誰一人不平を言う者もありません。

 そういうふうにして、一つになって、だんだん発展していった場合には、みんなが勝利することによって、自分が権威を持つ、勢力を持つようになるから、問題はありません。問題は、この統一教会が教会を中心としてあらゆる人種、あらゆる民族が、いかにして一つになるか、世界をいかにして一つにするか、また、いかにして社会に影響を及ぼすかということが問題になのです。だから、この統一教会自体が問題なのです。勝利の決戦というものは、教会を中心としてみれば、数多くの宗教会において、統一教会が、勝利的限界を達成するかどうかにかかっているのです。だから、この教会が問題です。この教会の責任者が一つになってこそ、はじめて、国や世界が一つになることができるのです。

 個人的に、家庭的に、教会的に一つになって勝利した場合には、この統一教会が、世界的に一つになって、世界に影響を及ぼすようになれば、反対する者はいなくなります。それから、問題は、教会の中心的責任者になった場合には、社会的位置に立って、社会的に影響を及ぼすようになります。そこから、国家的な問題などが起こってくるのです。だから、個人と家庭と教会は、蘇生、長成、完成の立場です。それが一つにならなければ、何にもなりません。

 天国は、三人が一つになって

 今、一般の様子を見た場合、家庭における宗教は、みなバラバラです。ある者は天主教、ある者は監理教、ある者は統一教会などというように、種々です。それは間違っています。一つの宗教になければならない。家庭になら家庭において、総合的に相談して、よしと思うところにまとめなければなりません。
 個人的な面からみても、宗教を持っている人、宗教を持てない人となっているが、宗教人から見た場合には、全ての人が、宗教を持つようになっていかなければならないと思う。そして、そうなった場合には、自然と統一圏が生まれてくるのです。だから、教会が問題になっています。そして、その問題が、教会から四方八方に広がっていきます。

 今、アメリカから見た場合、統一教会が問題になっています。統一の家庭、統一の人が問題ではなく、統一教会が問題になってきます。こうして問題になっている環境を乗り越えるには、どこに重点をおかなければならないかと言うなら、一つになることです。いかにして一つになれるか。全ての問題が解決して一つになったならば、これまでの歴史にもないことであり、アメリカ人、世界の人々が関心を持ち、研究せざるを得ないでしょう。

 そう思った場合、教会における、白人自体が問題であり、黒人自体が問題であり、黄黄色人自体が問題であります。自分が、白人を代表しているのだ、自分が黒人を代表しているのだ、自分が黄色人を代表しているのだ、と思わなければなりません。それらは、アダム家庭におある八人家族の三人兄弟に相民する。ノア家庭からみた場合に、黄色人種はセム、黒人はハム、白人はヤペテなのです。白人は三番目、三番目だから祝福されたのです。三番目が祝福されたるのは天的です。だから、これまで、白人が世界の中心となってやってきました。

 しかし、三番目の子供が祝福されたのは、三番目だけのためではありません。長男、二番目を合わせた三人の子供のために祝福されたのであるということを忘れてしまったなら、白人自身の権威も失なってしまいます。三人兄弟が一つになることによって、父母様に出合った場合に、父母から褒められるのであって、もしも、けんかし合っている場合には、三人共やられてしまいます。

 堕落は何かといいますと、父母に逆らい、兄弟に逆らうことによって、エデンの園において、アダム家庭からノア家庭へと堕落していった。それを逆に克服して、勝利的な基盤にたち返るには、堕落と反対の立場に立たなければなりませんから、兄弟同志愛しあって、子供と父母が一つになり、父母自体も、お父様とお母様が一つになるような基準にならなければ、元の、神の理想世界に帰ることはできません。

 我々は兄弟です。統一教会とは兄弟といいますね。そうですね。(イエス)横的?縦的?……(黒板で説明)

 統一教会は三人の兄弟を一つにして、世界的な家庭圏をつくることを願っているのなら、一人は黄色人種、一人はニグロー、一人は白人……この三人の兄弟が一つになった場合、理想的な兄弟となれるのです。もしも、三人が完全に一つとなって、ああー天のお父様、かつて歴史上に、子供達が一つになった例がありませんでしたが、それを今、全て蕩減いたしました。それで、どこから見ても、神様の子供であるに違いありません。と言うように、三人とも、神様を迎えるように、真の父母を迎えるようになった場合には、天国はそこから築かれることでしょう。

 理解せよ!忍耐せよ!

 神が、愛の神様であるとするなら、どういう家庭を願うであろうかと言うと、もしも、世界的に、先に述べたような伝統を持った家庭があったとするなら、ああーわたしが願っていた家庭だ、と公認なさるでしょう。

 それで、先生は、アメリカを中心として、各国の人を全部創造して、一緒にしようと思っています。できると思います?それができなければ、統一教会の存在価値がありません。そういうものを作ることのできる宗教はどこにあるかと言うなら、それは、一番最後に生まれてくる、神が祝福された宗教であろうと思います。そうなった場合、人類の全ての問題は愛が問題だから、全てが解決されるのでしょう。人間である以上、それを願わない者はいません。人類の全歴史過程を通して、この基準を願ってきているということを考えてみた県合、理想と現実の差を持ちつつここに至り、これを一致させようとしている我々の立場は、考えてみれば、実に恐ろしい立場であります。多くの犠牲を通して願ってきた、歴史の問題が、今、我々の目前に展開して、解決されつつあると思ってみた場合、解決するべき責任分担者において、歴史上にもなかった、より難しいことになるだろうと言うとしたならば、それを成し遂げることはできない、と前もって知っておかなければなりません。それを克服するのに、最も大事なことは、先ず、理解すること。そして、二番目は忍耐すること。この二つです。どんなに悲惨な家庭でも、それを克服していったならば、そこに初めて、歴史にない新しい総合人種的な、理想的文化が始まることでしょう。アメリカにおいては、黒人問題と告発問題が中心になっているから、共産党は、そこを狙っています。彼らの弁証法的戦法にあてはまるような立場だから、これを利用して、一挙に襲ってくることでしょう。それを防備する一つの根本は、我々が一つになることです。彼らは、教会の責任者と教会員は、支配者と被支配者の立場であって、いつも争いになるという原理的論法を持っています。だが、我々は父母と子供の関係だから、父母がいくら拘束しても、子供のためにやっているということがわかっているから、全てを解決することができます。

 だから、親がいくら支配者の立場に立っても、被支配者に対する搾取などということはありません。た{・}め{・}に{・}やっているのです。だから、共産党を防備するにも、結局、人類愛でもって、神様を親に迎える以外に道はないという結論になります。

 我々は、黄色人種、黒人、白人である前に兄弟です。上下関係である前に、父子関係です。このようにして、問題を解決する基盤ができるならば、アメリカにおいて、我々統一教会を、今はわからないからだが、もう少したった場合には、研究せざるを得なくなるであろうし、また、ここに、法規の全ての基準を適用することを願わざるを得なくなってくるでしょう。

 我々は、教会の限界点を拡大して、これまでのアメリカ、あるいは、世界的分野に接触して、最高の指導者と接しあって、納得させていくということが、国を救うということになるのです。だから、伝道隊長になって伝道するのも、喜びの万民のため、国のため、神様のためだから、あなた達が、自分の全身全霊を捧げてやっていくならば、神様は当然のことアメリカの将来が、天地共に、あなた達を証しせざるを得ないと思います。

 統一の問題が全て

 今朝の話の結論を出しましょう。個人的立場においてパスできるか。家庭においてパスできるか。それから、教会においてパスできるか。社会においてパスできたとするならば、国のためのみならず世界が必要とし、世界の中ばかりでなく、神様が必要とされます。そういう時が今にやってきます。だから、個人においても、家庭においても、教会においても、その勝敗の決定をなすべき基準は、自分自身であるというとを、はっきり知らなければなりません。

 だから、個人として勝利することよりも家庭が勝利することが難しい。家庭より教会が難しい。教会より社会がもっと難しい。それを考えてみた場合、自分個人を中心として、自分の家庭を中心として、自分なりの伝統の教会を中心として、全てを反対されてしまうのはいけません。包容的力量を持たければなりません。
 だから、サタンは個人的に試練をします。試験があるのです。家庭を中心として、教会と中心として、社会を中心としてあります。先生を見てみればわかるように、個人的に、家庭的に、みんな問題になってきました。あなた達の誰かが、何か間題になった場合、すぐ、統一教会のミスタームーン……と来ます。家庭問題にしても、個人的問題にしても、全てそうです。

 それで、あなた方個人的に、アメリカを代表して、政界を代表して立つこができますか?(イエス)それから、家庭的には?(イエス)、そう簡単にイエスとは言えませんよ。自分ということを考えた場合、それはできません。だから、二倍の苦労をしなければならないということになります。それから、教会に対して自信ある?(イエス)簡単ではありませんよ。社会に対して、アメリカに対して自信ある?(イエス)教会に影響を及ぼす者になるのは、家庭において、一つにならなければなりません。家庭に影響を及ぼす者になるには、個人的に立派にならなければなりません。

 そう考えてみた場合、我々の生きていく時間の全てが、その為に立っているのです。だから、戦争をやっているのだということを覚えておかなければなりません。個人も戦争のために、家庭も戦争のために、教会も戦争のために、アメリカも戦争のために。そういうために集まったのであると。

 そして、戦争に勝つには、一つになるに限ります。統一という問題が全てです。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2021.08.26 00:19:37
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