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奇   知   外   記

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2021.12.08
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​​​​​​​「祖国創建と神の日」

1985年1月1日
神の日(第十八回) 午前九時
ワールド ミッションセンターにて


 今朝のメッセージのテーマは『祖国創建と神の日』です。皆さんが知っているように、きょうは正月でもあり、第十八回目の神の日でもあります。

 皆さんは原理で学んだことと思いますが、人間の始祖が堕落しなかったならば、その時から『神の日』が始まって、『父母の日』『子女の日』『万物の日』という順番になっていたはずであります。しかし人間始祖が堕落したことによって、反対の復帰路程を経てきたのです。もしその時に、神の日や父母の日が始まっていたならば、アダムとエバの家庭自体が神の日の中心となり、その家庭が一つの氏族の中心であり、国の中心であり、世界の中心であり、天と地の中心であったということを皆さんは知らなければなりません。アダム家庭は天と地の上に立てられた家庭であり、一つの世界の上に立てられた家庭であり、理想的な家庭なので、アダムとエバが二人して歩くということは、全世界が従って歩くことであります。ではアダムとエバが歩く時、神様はどうでしょう。神様は、アダムとエバに「散歩に行くのか」と言うのでしょうか、どうでしょうか? 神様もアダムとエバと共に歩かれるのです。

 皆さん、空気は見ることができませんが、すき間があればどこにでも入り込めるのです。空気は見えないからないのではありません。空気は有るのです。分析すると、あらゆる元素が入っているのです。しかし神は空気よりも、もっと見えないのです。そうでありながら空気以上に通じることができるのです。すき間があれば、すべてを満たすのです。このような力をもっていると思うのです。あなたたちが顕微鏡で見れば、細胞には穴がいっぱい空いています。たくさんの空間があるのです。細胞を何千万倍に拡大すれば宇宙のようになるでしょう。だから皆さんが歩く時には、全宇宙が歩いていると思わなければなりません。アダムとエバが歩く時、彼らが本当に一つとなって歩いているといえるのはいつでしょうか? それは、二人で歩きながら、「宇宙よ! 私を見なさい。一つとなって動いている。一つとなって歩いている」と言う時です。その時、宇宙の全部が注目するのであります。そして全宇宙は、「見てもよく、感じもよいので私について行きたい」と言うのです。被造物は彼らが一つとなって歩いているので何か幸せと喜びを感じます。彼らと共にあることが、宇宙の被造物にとってもうれしいのです。

 ではいかなる時に二人が一つになることができるのでしょうか? (愛の力です)。そうです。しかし一つ抜けました。それは真の愛の力です。愛といったら、今日のアメリカの愛もあり、韓国の愛、日本の愛といろいろの種類があります。それは真ではありません。真の愛というのは、神様も“うんうん”と頷き、そして地獄にいる人たちも“うんうん”と頷き、すべての人々が頷くものです。何の力が二人を一つにすることができるかといえば、真の愛の力が一つにすることができるのです。「先生! それは間違っています」と言う人がいますか? (いいえ!)。目に、「あなたは何が一番好きですか」と聞いたら何と答えるでしょうか? 女性の目だったら、答えはダイヤモンドでしょう。しかしダイヤモンドがいくら素晴らしいといっても、真の愛より劣るのですね。直ちに百パーセント、右の目と左の目が一つになることができるのは真の愛しかないのです。また手がこのように離れていても、「手よ! 何が好きか」と問えば、「私はそれほど好きなものはありません」と答えるかもしれません。「では真の愛も嫌いか」と言えば、手は直ちに一つになります。(笑い) 目の焦点、手の焦点、鼻の焦点、耳の焦点、すべての思考の焦点、全宇宙の焦点がここにあるのです。全細胞が百パーセント動くことのできるのは、真の愛を中心とする時です。その時、全細胞の神経が百パーセント一つになるようになっているのです。

 それで人間を見ると、心と体の二重になっています。考えも、高いもの低いものと二重になっています。しかし、どこかで一つとならなければなりません。神様はなぜアダムとエバが歩く時に、ついて歩かれるのでしょうか? 「神様いわく、私はお金が好きだ」。聖書にそのような話が書いてありますか? (いいえ)。(笑い) また、「知識が心要だ」「権力が必要だ」と書いてありますか? (いいえ)。神様にはすべてがあります。もしなければ、また作り出すし、いくら与えても永遠にあるのです。

 ​皆さん、知識は何をするためにあるのですか? それは愛を誇るためです。では、力は何のためにあるのですか? それは愛を現すためです。お金があるのは、愛を分けるためです。そのため必要なのです。そして人の心と体は、愛の茅が出て一つとなれば、神がそこに臨在されます。では真の愛に聞いてみます。「真の愛様、あなたが神様を支配されますか。それとも神様の支配を受けますか」と。真の愛様が言うには、「神様も私の支配を受けるでしょう。ワッハハハ――」。(拍手と笑い) 既成教会の牧師が聞いたら、「何と神様を冒涜する言葉だろう、これはとても許されないことだ。異端だ!」と言うことでしょう。(笑い) しかし神様の観点から見たら、そのような牧師たちこそが愛の異端者です。ではレバレンド・ムーンは何でしょうか? 異端の反対は何ですか? 何と言いますか? 皆さん考えてみましょう。真実、本物です。だから先生は中心的な存在なのです。神様の観点から見れば、先生が主流です。(拍手と歓声) 真の愛に心が一つとなり体が一つとなって、真の愛の相対を訪ねて行く、その立場がどういうものであるか考えてみなさい。​

 あなたたちはパートナーが必要ですか? (はい)。事業をするにしてもパートナーが、話をするにしてもパートナーが、喧嘩をするにしてもパートナーが、すべてにパートナーが必要なのです。ところでその中でも最もよいパートナーは何かというと、真の愛のパートナーです。愛は段々段々と高く上っていきます。そしてまた、愛は低い段階にもあります。しかし最も理想的なパートナーとは、最も高い段階の愛と最も低い段階の愛です。これを一つにすることが最も理想です。一つとなって、愛をもって回ることが理想であります。(拍手と歓声) そうだとすれば、皆さん気持ちが良いですか、どうですか? 味が良いですか、悪いですか? (はい、良いです)。すべてが良いですか? (はい)。だから男は背が低く、女は背が高くなければなりませんね? (笑い) これはアメリカの女たちの考えです。(ノー)。(笑い) アメリカの女たちがレバレンド・ムーンを一番嫌うのは、女たちを対象の位置に置くからです。(笑い) だからアメリカの女たちが言うには、「神様が人間を創造した時に、神様は愛を中心として創ったので、先に女を創ることを考えて、女を創ったのである」と。(ノー)。先生は知りませんよ。(笑い)

 背の高いアメリカの女たちが、更にハイヒールを履いて、そして身をかがめて小さな男にキスしている姿はあまりいいものではありませんね。理想的には小さな女が高いハイヒールを履いて、そして背伸びしながら背の高い男と抱き合う。これが理想的ですね。(はい)。(拍手) だから女性の皆さんが男性よりも背が高すぎる時は、愛の行動を示そうとするとちょっとおかしいわけです。女性は小さい方が可愛いのです。(笑い) アーメン。そうでしょう? (アーメン)。お正月にたくさん笑えば、一年十二カ月が良いという東洋の格言があるので、先生はこのような話をしているのです。

 創造において、アダムとエバは宇宙を代表する小宇宙です。それに対して、宇宙を包み込む大宇宙があります。大宇宙の中には小宇宙も入っているのです。大宇宙の中心は神様です。だから小宇宙と大宇宙は同じような性質、神様と人間は同じような性質をもつべきです。そして一つになることができるのです。大宇宙と小宇宙は一重になっているのです。そこには神様と人間が一体となることができる中心があるはずです。それは何の柱でしょうか? (真の愛の柱です)。そうです。真の愛の柱しかありません。

 こういう話をすれば、神様は「レバレンド・ムーン、どうしてそんな話をするのか。私の人格の冒涜だ」と、言われるでしょうか? (いいえ)。神様は不愉快な顔をしているでしょうか、それとも右の耳から左の耳まで口が張り裂けるように微笑んでおられるでしょうか? (はい、微笑んでいらっしゃいます)。口がどんどん横に広がっていけば、目は細くなってきます。(笑い) それで目をつむるようになります。(先生がしぐさで現す)(笑い) では、アダムがお出掛けになる時、後からついて来たエバは小さいので、アダムが歩くその影に入ります。それは何を意味するかというと、考える必要はないということです。従っていけばよいのです。男は考えながらゆっくり歩きますが、女は考えることをせずついて行かなければなりません。(笑い) きょうの話は聞いてみると、女を一番無視する話ですね。(問題ありません)。それは皆さんがムーニーの女だから問題がないのですよ。だから女は一つのことを知るべきです。つまり、二つを追うべきでなく、一つの目標に向かってただひた向きであるべきです。一つの方向とは何ですか? それは真の愛です。それが一番です。一番好きでなければなりません。それで万事がオーケーです。

 だからアダムを追い求めるのは、義務であり喜びであり、使命なのです。どんなにひた向きになって求めてもいいのです。何のためですか? それは真の愛を成就するためです。では真の愛はどこから来ますか? それは相対から来るのです。自分から出てくるのではありません。愛は自分のものではありません。男も真の愛が必要なので、小さいながらも一生懸命についてくるエバを持ち上げて自分と同じ立場に置くのです。為に生きなければならないのです。相対から愛を見いだすのです。このような論理は神と人間との関係から見る時、神が創造主で人間は被造物ですが、神の愛は相対を通さなければ見いだすことができないのです。神様自身も相対を求めなければならないというこのような論理があるから、上下、左右、東西南北至る所においても、良いものとして結論づけられているのです。だからこれが理想の核心となることができるというのが理論的なのです。

 神様はアダムとエバを愛のために創造されました。そして片方にアダムを、もう一方にエバを最も愛らしい存在として創られました。アダムが可愛らしいので抱き上げて歩き、エバも可愛いので抱き上げてどこへ行くのかといえば、地獄に連れて行くのですか? 神の国の宝座に連れて行くのですか? (天国です)。天国の宝座です。宝座に座っていたら、「アダム、エバよ、あちらのもっと下の方へ行け!」と追い出すでしょうか? (いいえ)。アダムは神様の右に、エバは左に座り、神様の周りを回るようになるでしょう。だからこのように立った時はアダムが後で、エバが前です。​天地の調和がそうなっているのです。それでアダム・エバが成熟すれば、神様が臨まれます。神様を中心として二性性相を受けているので、一つとなり得る力は神様御自身の愛の力であり、アダムとエバを中心として神の男性性相が臨在して、一つとなるために女性性相をだんだん引っ張ってくることができるのです。​

 アダムが完全に成熟したら誰の手を握りたいと思うでしょうか。エバも成熟してみると、昔は兄さんだと思っていたアダムが、ちょっと違うのであります。アダムもエバも幼い時は、おもちゃを探しました。皆さんのこのごろのおもちゃはタンクとか、飛行機などですね。子供はそのようなおもちゃが好きだから、神様はおもちゃを創っておく必要があるんです。昆虫も神様が創っておいたおもちゃなのです。雄と雌がいて、(先生がしぐさされながら)雌を踏み付けようとすると、雌は雄の後ろに行って隠れるんです。(笑い) そこで、“ああ、困った時にはお互いで隠れたり、保護したりするようになっているのか”と学ぶのです。動物も同じです。鹿も猛獣に襲われた時に、相対同士拍車を合わせて飛ぶように走るのです。雄は前を、雌は後から、「どうか早く走ってください。私はついて行きますから……」と。それはどれほど素晴らしいことでしょう。また春になると、背を合わせて二匹が一緒に寝ようとしたり、角を合わせたりもします。じっと見るとき、それらのすべてから学ぶことができるのです。あら! 不思議だ、子を生んだ。(先生しぐさで……)乳を飲ませる。(笑い) 子供がお乳をホースに入れて奪っていっても喜んでいます。それはなぜでしょうか? 愛するからです。

 このように、すべての自然に雷が鳴ったり、稲妻が走ったりするのも愛のためです。天地が愛をしている現象です。雷の音がどれほど大きくとも、神様と人間が愛する音というのは、その雷の音よりも大きいでしょう。宇宙のすべてが暗くなるのは、その後に明るくなることのできる動機となるためです。それはどれほど素晴らしいことでしょう。神様が愛する音は喜びに溢れています。鳩が愛し合う時、「グッグッグッ」と鳴きますが、もし神様の愛の音が聞こえたならば、一番大きな音でしょう。全神経細胞が一度に爆発して出る音は、どれほど大きいことでしょう。

 皆さん、愛を教育するための宇宙の博物館があると考えてみましょう。そこにある、一つ一つの被造物はどれほど素晴らしいでしょうか? そのような愛の中に家庭が入って、永遠に生きたいと言うでしょうか? (はい)。その愛の中に、国も入って生きたいでしょうか? どうですか? (はい)。「この世界もそのような愛の中に入って永遠に生きたいです」。(はい)。「天と地もそのような愛の中に入って永遠に生きたいです」。(はい)。「神様御自身もそのような愛の中に入って生きたいです」。(はい)。それは何ですか? それが真の愛の博士です。真の父母です。(拍手と歓声) 愛の哲学を中心として、博士の論文をパスしたのです。今まで先生が話したことは、神様の愛を中心とした博士論文であります。神様の前に提出して、パスした論文であります。(拍手と歓声) これはどれほど素晴らしいことでしょうか。これに対して「ノー」と言う人は手を挙げてみなさい。この世で一番低い所はトイレでありますが、その一番汚い所でも、「あなたは真の愛が好きですか?」と言うと、「はい、そのとおりです」と答えるのです。そのようにすべてが昔から好きであり、嫌いだというものがないのです。しかし、一つだけ好きではないというものがいます。それがサタンなのです。皆さんは真の愛をよく知っていますか? 真の愛を思う人は宇宙側であり、神側であります。また、真の愛を訪ねていく人も宇宙側であり、神側であります。真の愛を中心として喧嘩をし、殴ったりしたとしても、それも神側です。

 真夏に男の人たちが、一日中外で仕事をして、家に帰ってきて靴下を脱ぐと大変いい臭いがするでしょう。その足を妻に見せて、「お前! 臭いはするが、真の愛は好きだろう?」と聞けば、「そうです。言うまでもありません」と答え、「ハハハ」と笑います。真の愛の匂いの前には、他の匂いがどんなものであっても構いません。(笑い)

 この中で結婚している人は手を挙げてみなさい。妻は愛する夫の足の臭いが近づけば、“まあ!”と嫌がらないでしょうか? (笑い) 真の愛というのは不思議な力があります。それで好きなのです。神様もその不思議な味を味わっているのです。皆さんは不思議な味が好きですか? どうですか? (はい、好きです)。女の中には目をつぶって喜ぶ人もいますね。先生の話が正しいと認められますか? ここに座っているアメリカの女の人たちどうですか? (はい)。手を挙げてみなさい。男はどうですか? (はい)。(拍手と歓声) この天地が、そのようになっているということが分かりましたね。創造主である神様がこういうお方であるということが分かるようになりましたね。愛の風呂敷がどれほど大きいのかというと、神様、この宇宙を入れても余るほどに大きいのです。神様は電気や、光を創りました。非常に早い速度で創ったのですが、それは、神様よりも早いでしょうか? 神様の方がもっと早いでしょう。しかし、愛の圏は、どれほど速いスピードであったとしても事故にならないほど大きいのです。分かりますか? 何の話か。そのようになっているのです。それで神様も愛のロープのように回っています。いくら愛する人であっても回るようになっていて、直線にはなっていないのです。

 真の愛をもった人は、宇宙を所有します。宇宙をもっている人は宇宙を主管していることになります。どうですか? 神様がどれほど大きいか分かりますか? 私がここに座って静かに考えれば、神様はそれを知って“すっ”と私の所に来るのです。それはどれほど幸福なことでしょうか。不幸なことでしょうか?(幸福です)。今日の地上生活は、このような愛を訓練させる広場に生きている人生なのです。そこで、統一教会においては、「世界のためになりたい」と言います。「世界のために犠牲になり、世界のためにすべてを捧げなさい」と言います。なぜですか? なぜそうしますか? それは、世界の人々、世界を復帰するため、世界的な愛を探すためです。

 昨日もお話しいたしましたが、なぜレバレンド・ムーンはこの反対するアメリカに来て、資本を投じて、悪口を言われながら、このようにアメリカのために尽くしているのですか? それはすべてアメリカのためであり、世界のためなのです。先生は怨讐を愛するために完全に百パーセント丸くなっているのです。引っ込んだ所がないのです。陰の部分も、平たい部分も丸いのです。だからイエス様も怨讐を愛したと言うことができたのです。私が立っている所は、垂直に昇ることのできる道にも通じています。このように生きて、訓練がよくなされていれば、霊界に行っても永遠な丸となって、昼夜休みなく二十四時間、自由にこの全宇宙を管理しながら、旅行しながら、愛を中心として友達となって生きられるのです。それが本然の理想郷なのです。このような理想世界が堕落によって壊れて、神様の血統となるべきであったのがサタンの血統になってしまったので、この目はサタンの目となってしまい、この耳もサタンの耳となってしまいました。すべてのこの四肢は、サタンが好むものについて行くようになったのです。この全宇宙を捨てて、無限に縮小された自分個人を中心として硬く固まっているのが堕落なのです。自分自身のために生きるその目は、それは宇宙が嫌うのです。だからこの目、この四肢をみんな切り離してしまうのです。これが地獄の柱となったのです。愛の宇宙を立てる柱の代わりに、憎しみの柱、地獄を成す柱となっている事実を知らなければなりません。このように誤っているすべてを改めることはどれほど困難なことでしょうか。細胞を全部漂白剤で百パーセント漂白しておいたとしても、その根源が残っているので、また色が染まってしまうことと同じです。

 ムーニーは、ここ(爪)に赤くマニキュアを塗ってはいませんね。それはサタンの血が通っているということです。私自身が美しくなければ偽りです。愛を復帰すれば美しく見えないものはありません。愛する母親の胸には汗の匂いがしても、たとえボロをまとっていたとしても、その懐に入って眠りたいのです。そのボロの服を見て、「お母さん、十年だけ待てば絹の服に代えてあげるから。全部香水で塗ってあげ、金で飾ってあげるから」と言うのです。そうして、愛が懐かしくて人類と共に宇宙と共に愛を謳い、愛を探し求めて狂っている方がいるとしたら、それは神様一人しかいないであろうという結論が出ます。

 このような理想の一時に、喜びの拍車を合わせる理想的な愛をなくし、すべてが破壊と矛盾の環境を作ってしまったこのことを見る時、神様はどれほど悲痛でありましょうか。あなたたちがこの話を聞いた時、「それは事実ですか。私は今初めて知りました。私はそのお方の前に開拓をし、それを取り戻す橋となり、足台となって百回千回死んだとしても己を犠牲にしてこの復帰の道が進むなら私のすべてを捧げることを願い、いかなる犠牲をも感謝いたします」と言えるとすれば、神様はどうでしょうか。そして、「神様、あなたは全知全能のお方であられるのに、すべてが壊れてしまいました。私はあなたの側の天使の仕事を代身し、アダム、エバが完成するその立場を代身して、あなたが創造の能力を発揮することのできる第二の愛の道を作ったらどうでしょうか」と提案してはいかがでしょうか。何が心配なのですか? 天使が堕落したことで、「私は天使の百倍以上やります」と言う人がいたらどうなるでしょうか。天使より以上の愛の世界を成す対象となってあげようとして、「神様できますか? できませんか?」と尋ねたら、神様はどんな返事をなさるでしょうか。愛を成せなかったら「ノー」でありますが、愛を成し得たならば「ノー」ではありません。「自分の利益よりも次元の高い愛の理想世界を成してあげましょう」と言えば、神様は「ああ、それはいい!」とおっしゃるでしょう。「では、この世を全部壊してしまったらどうでしょうか?」と言えば、「それはいけません」と答えるでしょう。「私がこれまで以上に愛して、サタン世界をみんな引き込んでいきます」と言えば、神様は間違いなく「やりなさい」と言うはずであります。決して「やるな」とは言いません。神様はそういう道を通して、創造時の困難さ、それ以上の力で援助してくださるのです。神様がそれ(創造)以上にもっと大きな仕事をなされるという時、それ以上に大きな仕事とは何でしょうか? 神様が言うに、「私は喜びの中で天地万物を創造したが、あなたは悲痛な中で天地万物を再創造し、その中で創造したものがアダムとエバ以上になるならば私よりも偉大である」。そういう立場がレバレンド・ムーンです。先生はそういう考えをもっています。(拍手と歓声) 歓喜と栄光の立場で創造の喜びを見つけるのではなく、悲痛と絶望の中において喜びの世界を創造していくのです。これが統一教会の行く路程であります。(拍手)

 それで、レバレンド・ムーンは長い歴史を人類世界において堕落していない一人のアダムを探し出すために今まで役事してきたのであります。レバレンド・ムーンは今日どれほど失ったアダム、エバを取り戻したことでしょうか。何千、何万双とつくっています。(拍手) 神様はアダムとエバを祝福しようとしてこられましたが、レバレンド・ムーンは数万双を祝福いたしました。(拍手) 皆さんは、絶望の中で新しく創造した統一教会の群れなのです。正にモーセの時のようであります。これは堕落世界では考えることすらできないことです。分かりましたか?(はい)。

 あなたたちは、この真の愛を復帰する運動に入籍しましたか。まだ入籍しようとする人ですか。どちらですか?(入籍した者です)。入籍しようとする人ですか?(入籍しました)。では入籍した人は手を挙げてみなさい。はい、下ろしていいです。では一つ聞いてみましょう。一九八五年になって、先生が監獄から出てきたので、“間違いなく「頑張りなさい!」と押し出すだろう”と思うことは当然です。(拍手) もし、先生が皆さんをあまりにもやさしく取り扱い、容易なことを言っているだけだとしたら、先生が監獄に押し込んだすべてのサタンたちがみなここについて来ます。しかし先生が今まで以上に強くプッシュすることによって、サタンが出てこなくなり、ここにいるサタンが楽な所を求めて、地獄の監獄の先生のそばに集ってくるでしょう。みんなここから出て、監獄に行きます。(拍手) 私たちはサタンと追っ掛けっこをしているのです。そして、サタンを監獄まで追い払っていこうとしているのです。どうですか、気持ちがいいですか?(いいです)。悪いでしょう?(いいえ、いいです)。どれくらいいいですか?(非常にいいです)。それならば、これで先生は今朝の仕事を終えたことになります。皆さん方が本当に一生懸命にプッシュして、ひた向きな心をもって献身するならば、もはやサタンは皆さんについて来ることはありません。サタンは行く所がありません。行く所がないので先生がいる刑務所に来るでしょう。そうなれば、先生は刑務所の中にいる囚人たちすべてを神の道に行くようにプッシュします。そして彼らが、今度は刑務所からサタンを追い払うようになるでしょう。そしたらサタンは宙に浮いてしまいます。(拍手)

 先生は、きょうの説教は十一時までに終えなさいという特命を受けています。(ノー)。私もこれはどうすることもできません。嵐が来るという警報が出たのに、あなたたちは大の字になって眠っていれますか? 安易な生活、楽なことをしているわけにはいきません。きょうの話はみんな分かりましたね。神様のみ旨は再創造ということです。堕落した人間は、再創造して完成されなければなりません。これからは個人をそのような立場において創造しなければならないので、新たな家庭を創造しなければならないし、氏族を創造しなければならないし、民族を創造し、世界の人類を新しい種子として創らなければならないのです。今、世界で一番の問題は何かというと、五色人種を一つにすることができないということです。統一教会の文先生は五色の人種を一つに束ねなければなりません。何をもってですか? それは愛をもってです。真の愛という命題をもって、五色の人種を一つに束ねたというこの事実は、歴史上においてサタンも成すことができなかったし、神様も成すことができませんでした。ただレバレンド・ムーン一人なのです。(拍手と歓声)

 レバレンド・ムーンによって、「感謝です!」と言って結婚した人は手を挙げてみなさい。サタンがこれを見たらどうでしょう。驚くでしょうか、驚かないでしょうか? (驚きます)。大変なことになっています。サタンが言うには、「私が今まで、この世の壁という壁を、夫婦の間においても、国家間においても、白人、黒人、黄色人、五色人種すべてを、また動物にまでも壁を作っておいたのに、ムーニーというもぐらたちが来て、すべての壁に穴を開けたので全部開かれてしまった」と。天と地においても同様です。それは何をもってかというと、真の愛という鋸をもってです。そしてそっと抜け出したのです。それからその穴を全部愛の唾を付けて塞いでおいたのです。そこへサタンが入ったら、「ウワッ!」と言って逃げ出すようになっているのです。そしてサタンは行く所がなくなってしまいますが、ムーニーたちはイギリスであろうが、ドイツであろうが、どこにも行けるのです。もう境界線はありません。限界はありません。サタンは最終的に息切れをするのです。

 レバレンド・ムーンは、アメリカの地獄に行ってもすべてに唾をつけて穴を開けるのです。その穴は一つだけではなく、二つ、三つとだんだん多くなっていくのです。一度に二人が出て行くことができないので、もっと速く大きく開けなさいと言って益々その真の愛の穴を大きく大きく掘ろうとしています。そしてその穴から出る時、男と女でとか、白人と白人でとか言いますか? 白人も黒人もありません。どんな風呂敷をかぶってでもその穴を抜け出さなければなりません。分かりますか? 目をつぶってついて行かなければなりません。その門は二人で出るようになっていて、それ以上は出られません。そうですか? アーメンですか?(アーメン)。アーメンということは、あ! オンマヤ(あ! お母さん)ということです。あ! オンマヤということは、私は愛が必要であるということです。

 それで、いかなる国であっても、家庭が行く門は全部開いています。世界中いかなる国であろうとも、統一教会が通ることのできない壁はなく、家庭が通ることのできる穴をすべてに開きました。その穴はどこの誰が開けてくれたのかというと、本郷の親戚の氏族たちが来て開けてくれたのです。そして、どこへ行くのかといえば、本郷の地に行くのです。それで早く穴を抜け出さなければなりません。アメリカもその国の一つです。世界を支配するような国であってもプロセスは同じです。そこで私たちは、この国の中に大きな穴を掘って、人々を通過させるようにしなければなりません。統一教会のメンバーが一億あるいは、三から四億になったとしたらできないことはありません。そうなれば、各国の大統領は私がいるイースト・ガーデンにいるとしたら、そこに列をつくって並ぶことでしょう。私に会うためにです。そしてお金をどうするかといえば、世界のために使うのです。私のためには使いません。ムーニーのためには使いません。だから世界の人たちが我れ先に集ってくるのです。

 祖国というのは、どんな国ですか? それは本然の愛を中心とした国なのです。これからは、韓国もレバレンド・ムーンの力を借りなければ難しくなります。日本もそうです。アメリカはこのような話は聞きたくないでしょう。私がまだ監獄から出ていないので、アメリカがそうであるように自由世界もそうでありましょう。歴史的に見て、過去の人も現在の人も未来の人も、みんなそうでありましょう。神様もそうでありましょう。しかし勝利は私たちのものです。愛でもって祖国を創建すれば、勝利は私たちのものです。愛を中心とした勝利です。その時に、神の日を中心とした目的が成就するのです。縦的にも勝利するのです。

 皆さんたちムーニーは先生を愛していますね。(はい)。先生が監獄に行ったとしても変わりませんね! 真の家庭はムーニーへミルクを与える存在です。分かりますか?(拍手) だから誇りをもちなさい。皆さん方は新しい人種なのです。アメリカを天国にもたらそうとしている人たちなのです。なぜ祖国が必要かといえば、統一教会の信者は世界中を旅行することができますが、先生はどの国も自由に行ったり来たりすることができないのです。多くの人たちが先生の行く道を妨げようとしています。先生が来ることを望まない人たちがいるのです。しかし私たちが祖国をもつようになれば、レバレンド・ムーンは国家としての門を開くようになり、世界復帰をしなければなりません。だから祖国が必要なのです。しかしその国は愛が問題なのです。戦いでもって一つにするのではありません。それは、真の愛によって成すのです。霊的父母と肉的父母が一つになって、これが故郷となり、これが祖国となるのです。霊的父母と肉的父母が一つとなって世界に愛の柱を立てて、国を超えて世界を一つにしたのが私たちの理想世界なのです。分かりますか? 何の話か。(はい)。

 では皆さんたちムーニーは先生が行く所について来ますか? (はい)。先生はそれほど長く生きないかもしれないのに……。だからあなたたちに国が必要なのです。何の話か分かりますか?(はい)。もし堕落がなかったならば、それは自然に成されたはずであったのですが、今日私たちは一つ一つの逆の道を通って取り戻してこなければなりません。中心として立てたキリスト教を四〇〇年間ローマが迫害して、行く道を妨げました。しかし今日の統一教会の行く道を世界のいかなる国も行く道を妨げることはできないでしょう。今日のアメリカは強力な国で世界中に影響を与えています。しかし『ヤンキー・ゴーホーム』という反米スローガンが各地で見られます。アメリカ人は嫌われるようになってきていますが、ムーニーはこれからいかなる時代でも『ムーニー・ゴーホーム』というスローガンはないでしょう。その代わり『ムーニー歓迎』と言われる時が来るのです。分かりますか?(はい)。どうぞ来てくださいと言われても、ムーニーはそんなに数多くいません。だから彼らの方が訪ねてくる時が来ます。皆さんに反対していた父母たちが、あなたたちの後にみんなついて来るようになりますよ。見てみなさい。ついて来るかどうか見てみなさい。「来てください。来てください」と言っても、皆さんが行かないので、自分たちが来るようになるのです。

 先生がダンベリーに入った時は、統一教会の一指導者として入ったのですが、出る時には世界的人物として出ることになるでしょう。これは問違いありません。(拍手と歓声) その峠を越える途中で帰ってきて語っているのが、きょうのこの時間なのです。だからそれを分かって、これからあなたたちも先生以上に自分のダンベリーの峠を作って越えようとする心をもって進まなければなりません。今アメリカのダンベリーは私が作りました。愛の帆を付けて行くのです。私が行くすべての世界は、愛の領域となるでしょう。祖国愛の領域のために行くのです。先生はここにいても、思いはダンベリーのことでいっぱいです。既に穴を開けておいたのでアメリカの国民、アメリカの人々の良心が揺り動かされることになるでしょう。国ごとに伝道することになり、国ごとに次々と復帰されていくことになるでしょう。(拍手)

 だから先生は今朝の説教を『祖国創建と神の日』というテーマで話しました。最も意味のある内容です。私たちはこの神の日に、神の祖国創建を真の愛をもって成すというそのことを神の前に誓わなければなりません。どうですか?(はい)。私たちには二つの大きな壁があります。肉的な壁と霊的な壁があります。あなたたちは肉的な壁に穴を開けて越えなければならないし、先生は霊的な壁に穴を開けて越えなければならないのです。ダンベリーの内と外から穴を開けて、ダンベリーの峠を祖国創建のために越えましょう、というのが標語になります。この壁を崩して峠を越えれば、すべてが見えます。神の祖国という名が生まれます。

 エデンの園で、心と体に分けられた壁が歴史を通して今日、この私たちの統一教会の前に来ています。この時、一度に内の壁と外の壁を突き崩すことをしなければならないのが現代の私たちの責任なのです。これをはっきり知らなければなりません。これを神の光の中で成さなければならないのです。肉的世界と霊的世界の二つを合わせて成していくのです。これをするのは力や、武力や、知識や、お金や、権力でもってやるのではなく、真の愛で成すのです。このような目標に向かって全世界の統一教会の群れは前進いたしましょう。アーメン、アーメン、アーメン。(拍手、歓声)




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2021.12.08 19:00:05
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