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2022.06.17
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「成約時代安着と家庭完成時代」

1994年5月22日
ソウルの本部教会


  個人の救いの時代から家庭の救いの時代へ

 今日、すべての家庭制度に破綻現象が起きています。今までの歴史はサタンを中心とするものであり、世界の歴史の発展において、サタンは神様の御旨に積極的に反対してきました。百八十度反対の方向へ展開してきたので、家庭時代が訪れるにしたがって、その家庭は破綻する世界の家庭形態として現れるのです。ゆえに、世界や国家が問題ではありません。社会が問題ではなく、家庭がすべて破綻状態に陥るのです。このように家庭の破綻時代が訪れるということは、神様の摂理においても、新しい方向として家庭時代が訪れてくるということです。
 悪の世界が終われば、摂理的方向が根本的に違ってくるのです。今まで、すべての宗教は独身生活を強調してきました。高次元的な宗教、旧教を中心として続いてきたキリスト教のすべての背後の指導者たちは、独身生活を強調したのです。パウロを中心として見ても、家庭を持ってはいけなかったし、仏教の比丘僧を見ても家庭を持たないで今まで来ました。
 しかし、今はそのような時代が過ぎたのです。個人の救いの時代ではなく、家庭の救いの時代へ移行するために、すべての宗教指導者たちは、好むと好まざるとにかかわらず、自分も知らずに、家庭を持たざるを得ない時代になったのです。仏教において皆、妻帯僧になり、今日カトリックにおける神父や修道女たちの背後を見ると、ローマ教皇庁を中心として、全世界の神父たちの中でも八十パーセント、百パーセントに該当する人々が家庭的な関係を持っています。カトリックの伝統から見ると、全部腐敗したような時代へ移っていくのです。
 しかし、一般の人々は神様の全般的な摂理観を知りません。その全体の動きを知らないので、今まで教えられてきた信仰の基準から見れば、全部腐敗したように見えますが、歴史は腐敗したのではありません。入れ替わるための、摂理的な大発展の時代へ移行するために、そのような現象が起こるのです。
 なぜ今日、家庭において離婚が起こるのでしょうか。離婚問題が起こるということは、離婚してはいけない時代が来るということです。堕落世界の人々が、終わりの時にもそのままの状態であるならば、この世はサタン世界として永遠に続くのです。ですから、離婚問題を提示することによって、新しい再編成、新しい家庭的相対理想を探していくことのできる時が来るのです。それもやはり、家庭転換時代が来るための神様の摂理があったのでそのようになったのです。
 すべての歴史の流れというのは、人間によって動くのではなく、神様の世界全体の運勢を通して、神様の摂理によって連結していくために、そのようなすべての現象が起こるのです。それは交替しやすくするためです。今の時代はすべてのことにおいて自由です。自分勝手にできる時代が来れば来るほど、もっとよいかもしれませんが、世界においては、孤独な立場に落ちて自殺する人がだんだん多くなっているのです。自殺する人が多くなるということは、深刻な信仰の世界が、孤独なサタン世界と交替するために、そのようなことが起こるのです。分かりますか。サタン世界が退くときには、神様がその退いたあとを受け継ぐための時代へ入るのです。交替の時代に入るのです。

  成約とは家庭を中心とする言葉

 それでは、成約時代の安着という言葉はどのようなことでしょうか。今までは旧約・新約です。成約という言葉はありませんでした。一体、成約というのは何を標準として言う言葉なのでしょうか。成約というのは国を中心として言う言葉なのでしょうか、民族を中心として言う言葉なのでしょうか、アジア、六大州、東洋を中心として言う言葉なのでしょうか。成約というのは、家庭を中心とする言葉なのです。
 年の初めに、父母様が世界的に宣布したことは、「真の父母と成約時代安着」です。真の父母がこの地上に来てしなければならないことは、家庭を定着させるということです。神様は男性と女性をつくり、創造理想である三大祝福をなぜ与えられたかというと、家庭完成をなすためでした。「地に満ちよ」という三大祝福は個人でなすのではありません。家庭でなすのです。ですから、家庭というのは、私たち個人として定着することのできる安息の場なのです。理想の一つの基地です。
 どんなに優れた男性や女性が暮らしていたとしても、その家庭には父母がいなければならないのです。また兄弟、夫婦がいなければならないのです。家庭には父母、夫婦、兄弟が必要なのです。それは、人間がこの地上に生きているということの重要な本質的内容なのです。その内容、そのカテゴリーを離れれば、幸福もないし、自由、平和、天国もありません。私たち人間が理想とするすべてが壊れていくのです。どんなに優れた男性や女性がいたとしても、家庭がなければ、それは不幸な人たちなのです。分かりましたか。
 最近、独身生活を強調し、ホモ、レスビアンなどが先進国では問題になっていますが、そのようにならざるを得ないのは、近親ソウ姦関係によるのです。おじいさんが孫を蹂躙し、父が娘を蹂躙するのです。性解放時代、フリーセックス時代が来たので、自由に接触するのですが、それが遠い村の知らない人や隣近所の人ではないのです。一番近い親戚関係で起こってきたのです。
 おじいさんであれば自分の嫁と関係して、それが十年、二十年、死ぬまで続くのです。そのようにされた女性は、そのおじいさんが死ぬまで、下品な老人、動物的な老人とこのように思い続けるのです。このような近親ソウ姦について皆さんは知らないでしょうが、アメリカの実態はめちゃくちゃです。ある名高い人々が集会を持つと、女性たちを入れ替えて寝ているのです。エイズのようなものは、瞬時に世界に広がるでしょう。これを防ぐことのできない時代に入ってきたのです。
 このような時代が来るということは、近親ソウ姦関係を絶対に否定する神の御旨の世界が来るということです。それを考えなければなりません。なぜならば、サタン世界は神の御旨が成就する時が来ることを知っているので、それを滅ぼすために、その時が近づいて来れば来るほど、この世の中にはそれに反対する現象として現れてくるのです。
 潮水が流れ出るようになれば、最初に出るのは汚水ではありません。しかし、だんだん一番低い所まで流れていけば、汚水が流れていきます。そのように入れ替わる時には、反対の現象が起こるのです。汚水が出ていくようになれば、先に出た水が押し寄せてくるし、きれいな水が入ってくることができるのです。このように見ると、すべての交差期間にはそのような現象が起こるのです。
 現在この世の中を見れば、国を信じることができません。国を信じることができないのに世界の誰を信じますか。そればかりではなく、自分の社会を信じることができません。不信風潮の社会になっているのに、国の誰を信じますか。そうではありませんか。氏族、親族たちを信じることができないのに、社会の誰を信じますか。社会を信じることができません。親族だけでなく、家庭においても兄弟、父母、妻子を信じることができないのに、いかに親族を信じますか。父母、兄弟、妻子を信じられないのに、自分自身を信じることができますか。ですから、不信風潮が社会だけでなく、自分自らを不信するような、そのような社会の中で苦痛を受けているのです。
 それは何かというと、自分を絶対信じ、家庭を絶対信じ、社会を絶対信じ、国家を絶対信じ、世界を絶対信じることのできる、神様の新しい時代が訪れてくるので、そのような現象が起こるのです。一つの時代が過ぎ、一つの時代が来るのです。過ぎ去っていく時代は滅びるしかなく、それは肥料になるのです。新しい時代は、それをすべて肥料にして発展していくのです。歴史が善なるものとして広げられるためには、そのような現象が起こるのです。
 また、宗教というのは全盛時代に現れたのではありません。必ず、腐敗した時代に現れました。このような反対的現象が交差するようになって、新しい時代を創建しなければならないので、新しい宗教、新しい革命的な理想を中心として発展していくのです。今まで住んでいた平和な村の環境が急変して、反対的な現象が起これば、その反対と同じような世界が、そのような社会現象の背後について来るということは、誰も考えることができませんでした。
 このように見る時、世の中が滅んでいくと失望してはいけません。神様の摂理を受け継ぐために、このような反対的な現象が出てきたのですから、摂理の中にいる人は新しい希望と望みを持って、新しい世界と新しい理想に向かい、たどっていける時が来るということを確信しなければなりません。今まで私たちはそのように考えることができませんでした。

  成約時代は各家庭が定着する時

 このように見る時、成約時代は何かというと、各家庭が定着する時をいうのです。定着するということは、天と地を代表した家庭になるということです。天地を代表することのできる家庭がなければならないし、天地を代表することのできる幸福の基準になる家庭が出てきてこそ、そこから天地の社会、天地の国家、幸福の基盤になれる全体的な平和の世界が訪れてくるのです。そのようなすべての基盤が家庭なのです。
 そのためには、アダム家庭であれば、一つのアダム家庭において、それは今日、横的に世界化された五十億人類の中の一つ一つの家庭ではありません。五十億人類をさかのぼって、代表的な立場で、堕落しない本来の頂上の立場まで上がって、神様と接ぎ木する立場まで上っていくのです。ですから、アダム家庭は男性・女性二人でつくった家庭でしたが、その家庭は家庭の中心であり、氏族の中心であり、氏族が広がったとしても、そのアダム家庭を中心として連結されているのです。民族編成が起こっても、アダム家庭を中心として民族編成、国家編成、世界編成が起こるのです。
 それでは、アダム・エバの家庭は何かというと、世界を代表する家庭です。国家を代表する家庭であり、民族を代表する家庭であり、一族を代表する家庭であり、男性ならば男性各々の個人を代表する家庭なのです。代表であるので、各個人がその家庭を離れることはできません。それゆえに、そのような家庭を男性・女性が離れてしまえば不幸になるしかないのです。
 このように見ると、代表的基準で安着しなければならないのが、アダム家庭であったのですが、安着できませんでした。神様と一つになることができず、定着できませんでした。堕落したので追い出されてしまったのです。追い出されたということは、留まることのできる本然の基盤を失ってしまったということです。追い出されたので、戻ってきたいのならば、神様がおられる本拠地を中心として、その周辺を回りながら、帰ってくる道を望むしかないのです。
 人類歴史がこのような事情になることによって、その周辺を回り、また回りながら、人類歴史がどれほど延長されてきたか。数千万年人類歴史が延長されてきました。ところで、神様の救援摂理が地上に着地し始めたのはアブラハム、イサク、ヤコブ家庭からです。定着をどこから始めたかといえば、イサクからなのです。
 イサクが供え物となって、供え物から復活したのです。供え物というのは、堕落によってサタンの血統を受け継いだことを、サタンの巣になったことを全部破壊させるものなのです。血を流してきれいにするのです。死ぬ場に立たせてナイフを振り上げ、イサクを殺そうとしたのです。供え物であるからです。ナイフで刺そうとするとき、すでにそこからサタンが退くのです。ですから、神様が「供え物として羊を捧げなさい」と言われたのです。このような戦いを通して分別させ、神側の人として、生きた供え物として、残された一族の出発がイサクの家庭から始まったのです。
 ヤコブは天使長と戦いました。天使長とは、サタン側の霊的な世界の代表である天使長をいいます。人間が堕落したということは、サタンである天使長に負けてしまい、僕になったことをいいます。ゆえに、ヤコブが立派であるのは、天使長とすもうをして屈伏させたということです。霊的実体に勝つことによって分別しました。その分別されたイサクの血族に対してサタンが侵入しないように、すもうをして祝福を奪ってしまったのです。そこから、サタン、天使長によって堕落した人類を回復させることのできる伝統が始まったのです。ではイスラエルとは何かというと、天使長に勝ったアベルです。アベルの血族が定着できる時代へ入ってきたのです。このような内容は聖書にありません。
 今日キリスト教において、救われた以後の神様と人間との関係の理想的連結ができていなかったために、どんなにキリスト教が世界化されていても、世界を引っ張っていくことのできない嘆息圏内にいるのです。堕落前の神様と人類とその家庭と世界との関係を中心として見る時、神様の創造理想の中には堕落の概念はありませんでした。堕落以後、別個の概念の形態を経て地獄が生じたのです。地獄によって死亡圏が生じて、それを清算するために救援摂理が始まったのです。しかし、救援摂理を何千万年たっても成就できませんでした。それが問題です。
 それは何かというと、心情的な面で神様の直系の立場に入らなければならなかったのですが、悪魔の直系に入ってしまったのです。エバが人類の母の立場だったのですが、神側から見ると、母を失い息子・娘を失ってしまいました。今日、この地上にいる男性はどのような立場かといえば、天使長の一族です。
 本来の完成したアダムの種が、地上に着地することができませんでした。堕落しなかった、神様が理想としたアダムを中心とした愛と一つになり、その愛の基盤の上で連結され、植えられなければならない真の生命の種、真の愛の種をこの地上に定着させることができなかったのです。堕落することにより偽りの愛と偽りの生命の種を植えてしまったので、神様とは相対することができないのです。神様の怨讐の子供が植えられたのです。血筋が違ってしまったのです。その血筋を再び変えるということは、強制的にできません。だから、神様の救援摂理がこのように難しいのです。
 自然屈伏し、自分が死んで、神様の息子・娘を生かしてあげなければなりません。神様の息子・娘のために死ぬという立場に立たなければ、アベルがカイン世界を相続することができません。堕落したサタン世界の系列から見ると、兄が弟の前に、兄の立場と自分の家庭、国家、世界の権限を渡すことのできる、そのような姿勢を持たずには、アベルが長子権の立場に入ることは難しいのです。
 長子権、父母権、王権、皇族圏は、指折りの計算で適当に出てきたのではありません。それは、避けることのできない復帰の公式路程です。れんが塀を積み上げて家をつくるのと同じように、一段でも積み過ぎて合わない時には全部合わないのです。その建物は不合格です。

  絶対的に一人の男性と一人の女性

 神様の救援摂理も公式摂理をしているために、サタンと反対の公式路程を通して収拾してきたのです。それが救援摂理路程です。ですから、すべての宗教は独身生活を強調し、統一教会は祝福を強調してきました。これは宗教の歴史にないことです。祝福を受けなければならないし、結婚をしなければなりません。結婚は自分勝手にするのではありません。神様の命令と自分の父母の許可を受けなければなりません。これが伝統です。
 神様と自分の父母から連結されてこそ、結婚の歴史が連結されるのです。自分勝手に結婚するのではありません。なぜならば、結婚とは最高に貴いものを父母から相続する厳粛な立場なのです。相続する前には、その最高の尊い主人が神様ですが、神様から連結されてその福を受け継がなければなりません。だから結婚というのは、五十億人類を代表した立場で、神様がつながったその立場に上がり、連結されなければならないのです。
 種というのは、どんなに種が多くても、元になる種だけに内容と価値が現れるのです。それでは、人間の価値は何かといえば、愛を中心とした家庭の形成ですが、その家庭の形成が一つの種と同じなのです。数千、数万になったとしても、アダムとエバが持っていた本然の価値と同じでなければなりません。それが異なるようになれば、種が異なるようになります。今日、堕落した人間たちの知らないことが何かといえば、そのような代表的種の立場で、実を結ばなければならないことを忘れてしまって、五十億人類の平地で、一対一の立場で会うことが結婚になってしまったということです。これはサタンがつくっておいた、神様の最高の理想を全面的に滅ぼすための戦略舞台です。
 女性というのは、男性において一人しかいません。分かりますか。男性においても一人の女性と一つになっているのであって、二人ではありません。二人になっているのであれば、エデンの園で一人の男性を中心として、エバを二人つくるはずです。そうではありませんか。何の話か分かりますか。絶対的に一人の男性、絶対的に一人の女性です。
 現在人類が五十億ですが、将来百億にもなり千億にもなり、霊界まで合わせると数千億になりますが、その顔は、目、鼻、口、耳の四つです。この四つを展示すれば数千億の顔になりますが、二つとして同じ顔がありますか。男性も二人の同じ男性、女性も二人同じ女性がいますか、いませんか。いないのです。一人、ただ一人です。一人一人が会うようになっています。
 それでは、女性自身が、数多くの人の中で、この四つが付いている顔を見て、自分の夫を探し出せますか、探し出せませんか。(「探し出せません。」)できないのですか。自分の夫を忘れてしまうということですか。韓国の四千万人の中の、二千万の男性の中に混ぜておけば、これも自分の夫のようだし、あれも夫のようですか。絶対、一人しかいません。二人いれば大きな問題なのです。
 本来は、男性や女性が、一人の男性、一人の女性でなければならないので、絶対的に一人しかいないのが原則にならなければなりません。このようなことを全部知らなければなりません。標準に合わないものは、除去してしまわなければなりません。だから、一人の男性は一人の女性に対さなければならず、一人の女性は絶対的に一人の男性に対さなければなりません。なぜでしょうか。真の愛というのは、絶対的な立場で会うので、二人はあり得ません。一人の男性、一人の女性であって、一人の男性に二人の女性、または一人の女性と二人の男性ということはあり得ません。絶対的でなければなりません。
 このような原則をおいて見る時、神様が人間の祖先を創造された時に、二人だけをつくられたのです。堕落する可能性があったので、エバを信じることができず、善悪を知る実をつくったということは、何かといえばエバのことをいうのです。善なる実にもなれるし、悪なる実にもなれるのです。そのようなものはエバしかいません。良い夫に会えば良い実を結びます。どんなにできの悪い女性であっても、王子に会えば王子の息子・娘を生み、マフィアややくざに会えばその息子・娘を生むのです。善と悪が対する所で実を結ぶので、女性というのは名字がありません。
 女性は男性に従って愛で一つになる時、同じ価値を持つようになっています。その同じ価値を連続させるためには、夫の生命の種をもらい、赤ちゃんと一つになることによって、愛することによって、同じ立場に立つようになります。ゆえに、女性は空っぽです。お母様は気持ち悪いかもしれないですね。私は帰ったら叱られるかもしれないので怖いです。
 女性には名字がありません。しかし、韓国は独特な国です。全世界の女性たちを見ると、嫁に行けばすべて夫の名字に従うのですが、韓国だけ特別です。それは何かというと、特別な男性の種をもらうための受け皿として残すために、韓国の女性には名字があるのです。それで、韓国から女性の代表が現れる可能性もあります。

​  千辛万苦、身悶えしてこられた神様​

 皆さんの子供の中で、お父さんが二人いればいいという子供がいますか。皆さんのお父さんは、絶対的に一人必要ですか、二人必要ですか。お母さんはどうですか。それはなぜかといえば、原理・原則のゆえです。女性が堕落し、二人の男性に対するようになったので、女性が二人の男性を狙いやすいのです。今日の社会の家庭破綻の要因の七十パーセントが女性です。
 この女性を皆、火をつけて火葬し、なくしてしまえばいいのです。しかしそうなれば、再臨主とか、真の父母が生まれてくる畑がなくなってしまうのです。家がなくなるというのです。神様もかわいそうです。しかたなくそれを引っ張ってきたのは、未来の希望である再臨主、メシヤを地上に送って、新しい国をつくるためでした。そのためにどれほど待っていたかといえば、何千万年です。初めて着地し始めたのが、四千年前でした。信仰の先祖がアブラハムです。そこから初めて、神様が信じることができる代表者を立てることができたのです。
 明日、結婚式を行おうと式場を準備して待っている夫が、その前の晩に妻を盗まれたのです。その男性と同じような立場が神様でした。神様はあきれてしまったのです。神様が結婚式をしようとしたのですが、妻を盗まれて突然いなくなってしまったのです。神様は気分がよかったでしょうか、よくなかったでしょうか。皆さんはどうですか。顔が白くなるでしょうか、真っ黒になるでしょうか。白くなり真っ黒になったのです。
 神様はその女性を失ってしまいました。その女性は盗まれて男性に引っ張られていき、強奪されて子供を生み始めました。数十年の間にたくさんの子供を生み、昔の本然の夫はどのように暮らしているか行ってみよう。妻がいないなかで、一人でどのように暮らしているのか、一度行ってみよう。たくさんの子供たちを連れてきたその女性に対して、神様は、「やー会いたかった。よく来た」と言うでしょうか。それともむちで打つでしょうか。頭を殴るでしょうか。皆さんはどうしますか。追い出すでしょうか。保護するでしょうか。接待するでしょうか。追い出すだけでなく、穴を掘って埋めてしまい、姿も見たくないし、再び思い出したくないのが、愛の世界の特殊性です。
 そのような人を堕落しなかったものとして、自分の愛を中心として血筋が異なっていない愛として思うことのできる立場に立たなければ、神様の本性的心構えとして救援摂理をすることができません。救援摂理は、本然の天国の立場に入らなければならない御旨があるので、堕落せずに結婚式を行い、本来の妻として愛し関係を結んで生まれた息子・娘のように思える気持ちにならなければ、救援摂理はできないのです。
 ゆえに、神様がどんなに千辛万苦、苦心焦思を重ねて、数千万年身悶えしてこられたか。今日のキリスト教は夢にも思わないでしょう。神様は聖なるお方であり、神様はすべての万国の大王様であり、平和の主人、それはとんでもありません。一番、孤独なお方です。このような話を聞いてみると、神様は、すべての万民を愛で抱き恵みを注ぎ、うれしければ、ハ、ハ、ハ、と笑う神様だったでしょうか。泣き叫びながら地を叩き、方向を探すためぐるぐる回りながら嘆き、恨みを抱いてこられた神様だったでしょうか。
 このようになった時、嘆かない神様だったでしょうか、嘆く神様だったでしょうか。それを知れば祈祷することができません。犬ころの子、盗賊の子を受け継ぎ、その子供たちが神様の前に行って、本然の根を汚すことを考えもしないで、「あー、わが息子に福を与えてください。福を与えてください」。福とは何ですか。呪詛しかありません。だから、そのような宗教は滅びるのです。終わりの日には、すべて消えていきます。仏教にしても他の宗教にしても、すべて終わりです。そこには理想的家庭がなく、理想的氏族、理想的国家、理想的世界がありません。天国が何ですか。極楽が何ですか。
 だから、神様が救援摂理をして、全部区別しなければなりません。その中で特別に神様のために生命を捧げても感謝し、アダム・エバの背信的歴史を越えなければならないのです。それを知らなければなりません。堕落する前、人類の先祖以上の神様が現れることを待ち望みながら、ご飯を食べずに待ち、寝ることもせず待つことのできる心情を持った孝子・忠臣・烈女以上の立場に立たなければなりません。
 聖書には、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」という言葉があります。忠誠を尽くし、孝子・忠臣・烈女になった立場でも生命を捧げようとする、そのような基準の人々が、堕落した世界の孝子以上、堕落した世界の忠臣以上の神側のそのような人々が、死ぬ立場において生きるのです。地獄のどん底に入った生命が何百個、何千個であったとしても神様とは関係ありません。露骨に言えば、そのような言葉になります。
 アダムが堕落して落ちたので、堕落圏内を抜け出すためには、それ以上上がらなければならないのです。死亡圏内から抜け出して生命圏内で生きるためには、死亡圏内にある汚されたすべてのものをきれいに洗い、否定してしまってこそ、神様が好む新しい人間になることができます。宗教の道は否定から始まるのです。何パーセントではありません。百パーセント以上否定するほどよいのです。生命を完全に殺してしまい、また殺してしまうほど、神様の恨みの塀がぼろぼろ崩れるのです。

  真の愛による調和

 ここに集まった統一教会の群れは、そのような実力を持った信仰生活について考えてみたことがありますか。ただ信じるだけでは天の国へ入ることはできません。個体の個人と家庭、個体の国家を中心として入る道がないので、神様は代表者を送るのです。男性の代表者が家庭の男性を代表し、国家の男性、世界の男性、神様を代表できる、そのような代表者を送るのです。男性の代表がいれば、女性は影と同じです。アダムを通して女性をつくるのです。だから、メシヤが来る時には、「夫婦として来る」とは言いませんでした。「新郎・新婦が来る」と言わなければならないのに、なぜ「新郎だけが来る」と言ったのでしょうか。なぜですか。
 神様は創造する時、アダム、新郎をつくりました。新婦というのは、二つの世界を失ってしまったので、霊的世界の上弦・下弦と同じです。弦というのは弓の弦を意味すると思うかもしれませんが、そうではありません。弓とゆみづるを合わせていう言葉です。バイオリンや弦楽の弦をいうのではありません。この弦というのは、弓偏なので弓と一つになった紐をいうのです。弓は紐がなければ曲がりません。上弦・下弦、これは見えません。心の世界です。
 神様が何もない世界で創造される時、何を考えたでしょうか。設計をしようとすれば、線を一本引かなければなりません。その線が標準となりその線を中心として、三角定規を当てて九十度の角度に合わせて引きます。このようなことを考えた時、神様も創造世界を考える時、線を引いたでしょう。二つの点を連結したものを線といいます。その線の中には調和がありません。どんなに研究をしても面積がありません。足を踏む土地がありません。ゆえに、直線上には調和がないのです。
 神様は、すべて三点を通して、三点から宇宙が始まったのです。それでは、相反のない三点理想形は何でしょうか。神様の構想の中に、直線を引いて上弦・下弦の線を中心として、神様の理想ということを考えた時、上・下を連結させる円形を考えざるを得ません。円形になれば、相反はありません。両点を連結させ円形運動をしなければなりません。線一つ続ければ、永遠に続くのです。この宇宙の慣性によって、一度だけ回り始めれば、永遠に回るのです。本当に不思議なことです。
 神様はそれだけを考えたのでしょうか。横的な理想の形態を考えたならば、縦的な理想もなければなりません。横的・縦的だけでは平面にしかなりません。主体性を具現しなければならないので、前後問題が出てきます。ここでも同じく、球形を考えなければなりません。では、理想的球形世界とは何かといえば、距離も同じく、すべての高さも同じく、角度も同じものが理想形なので、完全に太陽のような球形体が理想です。創造をするときに、あのような球形世界を考えながらつくったのです。
 この宇宙はどのようになっているかといえば、すべて球形体に似ているのです。球形体に似てこそ運動をしてもぶつからないのです。これが球形体になっていなければ終わってしまうのです。運動も重力によって、比例的な重さに従い直行するのですが、慣性力によって同じ軌道を描きながら回ることができるのです。宇宙は小さいものや大きなもの、すべてがそのように存在します。ゆえに、三数は絶対的なのです。三数を離れることはできません。皆さん、種を見ると、なぜ表面が固いのでしょうか。三つの皮でいっぺんに包まれているためです。何の種でもすべて固いのです。なぜならば、そのような原則があるからです。このような話をすればきりがありません。
 それでは、神様は何を中心として、このような理想的な調和の作用を起こしたのでしょうか。もちろんすべての作用も必要ですが、神様が必要とするものは、お金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。愛を中心としてなそうとするので、男性・女性がいなければならないのです。男性と女性が東と西にいれば、東にいる女性は西側を見ますか、東側を見ますか。「来い、来い」と言いながら、お互いに引っ張るのです。引っ張るために、回ることができる軌道は一つしかありません。お互いに引っ張り合うので回るしかありません。少しでも動き始めると、運動が起こるのです。運動とは、重力と引っ張る反射作用、遠心力と求心力によって運動が始まるのです。
 「家和万事成」です。家和とは、各々違う個性が一つになるということです。おじいさんの和、おばあさんの和、お母さんの和、お父さんの和、嫁の和、その次は新郎の和、それで三代が一つにならなければなりません。一つの円形を描くことが、すべての和をなすことなのです。おじいさんの和や孫の和が同じでなければなりません。それを同じようにするものは何でしょうか。お金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。それは真の愛だけが可能なのです。真の愛というのは、本質的神様から始まった愛なのです。
 皆さん、堕落することによって神様の愛が始まりましたか、悪魔の愛が始まりましたか。悪魔です。この血は悪魔の血です。サタンの歴史的な恨みの血を出さなければなりません。神様を痛哭させ、元の先祖を追い出した恨みの血、この血を持ったことを嘆かなければなりません。だから、自分を完全に否定しなければ、本然の血を受けることができません。ゆえに、宗教は否定から始まるのです。
 真の宗教、仏教やキリスト教には、出家という言葉があるのです。家を離れなければならないし、一族を離れなければならないし、国を離れなければならないのです。家庭を離れて、お父さん、お母さん、妻子と離れて探しに行かなければなりません。それは何かといえば、すべて自分と関係のある人間関係の世界を完全否定しなければならないということです。否定してどこへ行くべきかというと、その社会の行く方向に行くのではありません。それは堕落した世界と連結された世界なので、その世界と百八十度反対の道を探して行かなければならないのです。
 それで修行の道は、乞食以下から、地獄以下からさかのぼって、その国のすべての迫害と困難を甘受し、消化していかなければなりません。そこからサタン世界を解放することができ、神様と連結できる道が始まるのです。しかたがありません。この原則によって、天上世界と地上世界、地獄と天国の境界線が設定されたということを知らなければなりません。自分全体を否定した時がありますか。否定される立場があれば、自ら進んで死ぬ場に入らなければなりません。絞首台に行っても、自ら進んで紐をかけ、自分で台を踏まなければなりません。死んでから生きるのです。ですから、死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬのです。そのままでいれば地獄に行くのです。
 神様の生命と神様の永遠なる愛の関係です。愛とは神様の愛であって、サタンの愛ではありません。神側の人々の愛にならなければならず、サタン側の人々の愛には絶対なってはいけません。ゆえに、サタン世界の愛を求めていくということは、サタン世界の愛によって嘆息しながら痛哭せざるを得ない世界へ行くことなのです。お父さんとお母さんは息子・娘のために痛哭し、夫は妻のために、妻は夫のために痛哭し、すべてのことを否定する、滅亡する立場です。天の国へ入るための否定ではありません。願って否定するのではなく、願わないで否定するので、これは滅びる立場に入るのです。しかし、宗教は、願って死ぬ場へ行くことによって、反対の世界に行くので、宗教の行く道とサタン世界の愛する道とは正反対だったのです。

  夜明けの時代を迎えた統一教会

 文総裁は男性としては使い道があるでしょう。顔もこれぐらいなら落第ではありません。昔は、村では賢い男、美男子という言葉だけ聞いたのであって、愚かだという言葉は、この世の中の人々から聞きました。「あの野郎! 愚かなやつ! とどのくらい愚かであれば、一生涯悪口を言われるのでしょうか。それは愚かな者ですか、優れた者ですか。皆、「死ね、死ね」と言ったではありませんか。文総裁の四十年の生涯で、安らかな日があったでしょうか。
 このように美男子である男性が、愛する妻を中心として結婚し、女性と男性が布団の中で愛し合ったことがあるでしょうか。ありません。教主が露骨にあのような話をすると思うかもしれません。露骨な言葉は、率直な正義と通じるし、正直と通じるのです。率直は不義と通じるのではなく、正義と通じるのです。だから、文先生は、神側で見れば、また霊界に行って見れば、かわいそうに見えるし、賢く見えるのです。しかし、サタン世界ではいつも、「あの野郎、殴り殺せ、死ね、死ね」と言われました。
 日本や全世界でもそうでしたが、今はすべて峠を越えました。今は反対に、全世界が文総裁の後についてこなければなりません。夜が過ぎると朝が来るのと同じように、逆の世界になりました。統一教会は春が来て、サタン世界は夜に向かって過ぎていく時が来ました。そして、サタン世界は希望のない暗い絶望であり、統一教会は絶望だと思っていたのに、夜明けの時代が過ぎ、新しい朝が来ることによって、鮮明時代が来るのです。文鮮明真理の王国になるのです。(拍手)
 「鮮」は魚の偏と羊だから、陸地と海と通じるのです。「明」は日と月だから、空中と通じます。「文」の字は早く書けば、父という字と似ています。真理を通して、説明できる真の父という言葉が一番近い所にあります。私も知りませんでしたが、話をしているうちに分かるようになりました。ですから、文家は悪くありません。文家の人々はとても正直で、どこに行ってもだまされます。お金を貸してあげても、「返せ」と言えないのが文氏です。それで生き残れるでしょうか、滅びるでしょうか。そのように愚かで腹がないので、サタンも嫌がるのです。サタン世界すべてが嫌がるのです。
 神様が、サタンが好む人を拾うと喧嘩になるので、愚かな人を拾ってポケットに入れたのが宗教のポケットです。そうですか、そうではありませんか。身を滅ぼし、愛を失い、悔しくて生きる道がないので死ぬしかないと、引っ張られて仏門に帰依し、宗教の道に入ったのが、宗教の群れです。廃品を利用する所が宗教なのです。廃品をよく手入れすれば、新品よりよい物を開発することができます。

  とても粘り強い先生

 成約時代安着と家庭完成時代。これは皆知っている言葉ではありませんか。成約時代とは何のことをいうのでしょうか。父母が生まれ、子女が生まれ、その家庭が、天下の平和の世界、統一の世界になっても、反対するものがありません。障害物がありません。
 今日、文先生が戦って勝ったことは、全世界が、天地がすべて通じる中で定着したのです。それは立派ですか、立派ではありませんか。嘘かもしれませんよ。どのように信じるのですか。信じられますか。統一教会は信仰生活の中で難しい時に教えてくれるのです。困難をスルスルと越えてきた教会なのです。先生は、このようなすべてのことを教えることのできる秘訣を持っていて、その先生の話を信じたくなくても信じなければならないように訓練された群れが、統一教会の群れなのです。よかったですか。
 一度笑ってみてください。口を開けて、手と足を伸ばして、ハ、ハ、ハと笑ってみてください。サタン世界にその声が聞こえると、あまりにも耳が痛いので、その声が聞こえない所へ逃げていくのです。私の笑い声が怖くて逃げていくのです。サタンを見ることのない環境で暮らしてみたい、それが神様の願いです。今日、皆さんが生きている所は、目には見えませんが、サタンが前後にいるような環境なのです。
 しかし、私はそのようなことを見ることのできる目を持っているために目が小さいのです。小さい目は遠くが見えるし、透視することができるので、芸術家か宗教家になります。絵を上手に描く人の中で、目が大きい人がいますか。探してみなさい。目を細めて彫刻をしなければなりません。私も目が小さいので、宗教家になったのかもしれません。
 昔、目が小さくてうわさになりました。お母さんが赤ちゃんを生み、その赤ちゃんをさっと見ると目がないというのです。どんなに見ても、線もなかったそうです。このように見たり、あのように見たりして、あることはあったのです。それで、村で小さい目というあだながつきました。村の文氏の中で大家で五山に住んでいたので、「大家の五山の家の小さい目」といううわさが立ちました。
 私が小さい目という言葉を聞いた時、どんなに嫌だったか分かりません。ナイフで腹を刺して、塩につけて食べたいほど憎かったのです。私はひどくしつこい男です。だから、世界が反対する局面でも生き残りました。そうでなければ生き残れず、荷物を包んで逃げるか、千里万里いなくなったでしょう。統一教会も世に出てくるはずがありません。神様が私のような人間を立たせ使ったので、このくらい残っているのです。先生のような粘り強い人がどこにいますか。とても粘り強いのです。磐石を割るとしても、割ってから死ぬのであって、割らなければ死ぬことができません。
 それで、私の母親は怖くていつも、もちろんうれしくて言うのですが、「ああ、できの悪い種だ。どうしてあのように一度だけ決心して、十年も続くのか」と言ったのです。お母さんのスカートにつかまって、朝、会うとせがみ、昨日もそうだし、一か月後もまたせがみ、それをやってほしいというのです。一年後もそうだし、やってもらうまで続くのです。お母さんが死ぬ前には、やってあげないわけにはいかなくなるのです。「とても悪い種に嫁に来たなあ」。その言葉は、素晴らしい種の母親だという意味です。そうでしょう。
 女性が好む男性のことを足りない者と言うのです。自分の主張の半分も通じないので、女性の言うことを聞くのであって、自分の主張が強ければ、なぜ女性の言うことを聞くのですか。そうではないですか。女性の言うことを聞いて、そうしましょうというのは、それは半分です。実際に男性と女性は半分です。半分のものが会って、全人になろうとするのが結婚ではありませんか。上弦・下弦を中心として見ても半分しかありません。上弦は片方だけではだめなのです。右弦・下弦・前弦・後弦、すべてが運命共同体なのです。一つが落ちれば、すべてが破壊されるのです。
 人間を見ても、その本質的な内容は父母・妻子・子供、この三つです。これはどこから来たかというと、神様から来たのです。神様も「父母にならなければならない。妻子にならなければならない。子供にならなければならない」。このようなことを考えたのです。子供というのは少年時代、兄弟時代まで入ります。神様においては、神様の少年時代があり、兄弟の時代があり、新郎・新婦時代を経て、父母時代へ発展するのです。それは神様が動機になって、見えない動機が見える形態として現れたのが人間だったので、肉身が見えない心の対象の実体であるように、見えない神様が第一の神様ならば、見える第二の神様には完成したアダムとエバがなるのです。

  愛する相対は自分より優れていることを願う

 自分の愛する相対は、自分より愚かであることを願いますか、優れていること願いますか。どれほど優れていることを願いますか。どんなにできが悪くても、最高を願います。最高を願いますか、最低を願いますか。何の相対ですか。愛の相対です。愛の相対はすべて二人しかいません。女性からいえば、東の方を見れば夫がいて、上を見ると神様がいて、下を見ると子供がいるのです。子供も自分より優れていることを願うし、夫も自分より優れていることを願うのです。私たち人間がそのように願うならば、その願う動機の内容はどこから来たのでしょうか。神様から始まったのです。神様も自分の愛の相対が、自分より優れていることを願うのです。
 神様の愛の相対に、誰がなることを願われたでしょうか。それはアダム・エバしかいません。分かりますか。ゆえに、アダム・エバが完成したならば、神様ご自身もアダム・エバに敬礼するのです。愛の相対であるアダム・エバが自分より優れていれば、神様はどんなに喜んで踊りを踊るでしょうか。千年、万年、僕の暮らしをしてもよいと思うのです。
 皆さん、愛して恋患いをして死刑宣告を受ける人において、万年僕になっても、その夫や妻と一つになり、結婚して暮らせるかと聞かれたら、両手で歓迎しますか、歓迎しませんか。どうですか。僕でもよいというのです。どんなことがあっても暮らすというのです。神様がどんなに優れていたとしても、愛の相対は神様も必要なのです。このような話をしようとすれば、新しいことをたくさん語らなければなりませんね。
 神様にも生命があります。神様は愛の主体であり、生命の主体であり、血統の主体であり、良心の主体なのです。正しいですか、正しくないですか。愛はありますが、見ることはできません。愛を見ることができますか。生命を見ることができますか。良心を見ることができますか。触ることができますか。神様を見ることができますか。できません。良心はどこにありますか。生命はどこにありますか。愛はどこにありますか。私の中にあるのです。
 では、神様は何かというと、生命の根です。愛の根です。それは否定することができません。血筋の根です。良心の根です。それでは、それはどこにありますか。良心は私の一番深い所にあります。一つになっているので、問題は何かといえば、感じることができないのです。一人で生命を感じることができますか。一人で愛を感じることができますか。一人でじっとしているのに、良心を感じることができますか。できません。それが問題です。重要な話です。すべての幸福の基地が、そこから始まるのです。一つになっているため感じることができません。分かりますか。統一教会の文先生が、歴史上初めてこのようなことを話すのです。それは笑うことではありません。なぜそのようになるのでしょうか。
 皆さんが、もし三十パーセントの愛を一人で感じ、愛の対象者が百パーセントの存在であるならば、三十パーセント引いた七十パーセントの刺激しか感じることができません。それが数理的に正当な結論です。七十パーセントの愛の刺激を感じて満足しますか。それは自分の感じることが、いつもぶつかるのです。私は分からないが、愛する相対は、百パーセント、百二十パーセントとなって、そこに雷が落ちるのです。
 一人しかいないのに自分一人で、愛する美男子に対する以上に、ハ、ハ、ハと笑えば気違いです。ところが、このような草の葉一枚をつかみ踊ったり歌っても、相対がいれば気違いにはなりません。分かりますか。人間はこのような姿になってしまいましたが、その条件的対象の価値は無限な価値です。数千万年、これ一つをつかんでいても気違いではありません。愛する人々の貴い内容が入っているため、千年の間見て、笑い、歌っても気違いではありません。それはどういうことでしょうか。相手の価値は、無限なる価値であるということです。分かりますか。
 一人で笑う人は気違いです。一人でじっと眺めていると、気が抜け始めます。目というのは対象があるので見えるのです。人がいないのに話してみなさい。気の抜けた人、無価値な人になります。なぜ一つになったら、分からなくなるのでしょうか。
 皆さん、ここからしばらく下りていくと肥料工場があります。先生がないと言ったら、皆さんは何と答えなければなりませんか。(「あります。」)ある。先生の悪口を言っても大丈夫なのです。事実なので、ないと言う人が気違いです。正しい答えは天下をつかむのです。どの国でもどこに行っても、困難がある時には自分の生命も投げ捨てられるような大胆な男が必要であり、それを見て喜んでいる女性がいればよいのです。女性は大胆ではありません。
 自分と違うから笑うのであって、同じならば笑うことはありません。同じ者同士が笑うと縁起がよくありません。汗をびっしょり流して向かい合って笑うと、気分が悪いし、縁起もよくありません。しかし、汗をびっしょり流しているのに、無力な女性がその後ろの方で、見て笑えば、力が出るし縁起がいいのです。本当ですよ。私のようにたくさんの言葉を語り、大衆を指導する経歴のある人が嘘をつくでしょうか。

  真の愛は、作用すればするほど大きくなる

 一つになる目的は何かといえば、完全な対象を、百パーセント主体・対象として一緒に合わせるためであり、それは一パーセント少なくてもいけません。真の愛は、増えるようになっています。今の力の世界、力学の世界では、入力は出力より大きいという公式ですが、愛においては入力が出力よりも小さいのです。お母さんの愛が、子供を百パーセント愛したら、お母さんの愛の包みは空っぽになりますか、それとも満たされるでしょうか。百パーセント愛すれば空になりますか。百パーセント以上、もっと愛したいですか。百パーセント愛しても、もっと愛したいのです。
 小さいものが作用すれば大きくなるのです。ゆえに、聖人の行く道は迫害が多く、すべて死んでいってしまいましたが、歴史を全部のみ込んでもあまりあるものだったのです。作用すれば、だんだん大きくなるのです。
 ガリラヤの海辺で、ローマへの反逆罪で死んだイエスは、三十三歳の青年でした。客死した悲惨な一人の男性が、どのようにして世界を統一したのでしょうか。動けば動くほど大きくなって、そのようになりました。どんな内容を持って動いたのでしょうか。真の愛を中心として、神様と関係のある内的な愛の因縁をもって動いたので、動けば動くほど大きくなったのです。
 ゆえに、かわいそうなイエスはガリラヤの海辺で死んだのですが、キリスト教文化圏が世界を統一しました。第二次大戦以後、一度統一しました。活動してだんだん小さくなるのであれば、そのようなことがあり得ますか。だから、聖人の道理は歴史を動かすのです。世界を生かすために、超国家的基準の愛の因縁を残したからです。それは神様に属するのです。
 世界のために犠牲になるということは、神様の直轄圏内、神様の真の愛の圏内に入るということなので、彼をたたけばたたくほど、それはさらに大きくなるのです。転がせば転がすほど、もっと大きくなるのです。ゆえに、統一教会の人も、真の愛に属する人々はできるだけ転がしなさいというのです。転がしやすいのは、上り道ですか、下り道ですか。(「下り道です。」)ゆえに、統一教会の文先生は坂道で転がし、どん底に投げ込む専門家なのです。本当です。
 そうして、どん底にうまく転がして出れば、ピッチャーがボールを投げると、キャッチャーが受けるように、このように受けてひょいと自動的に上がるのです。谷間へひょいと上がるのです。その反作用は愛の力の反作用なので、最初に出発した峠よりも、高い峠を越えて行くことができるのです。同じ原理の同じ結論です。それは正しいですか、正しくないですか。そのような理論が出てくるのです。
 真の愛の舞台において、あらゆることをされ、どん底に転がり落とされても、絶対に滅びることはありません。文総裁は、反対、迫害をよく消化して、「死ね、死ね」と言われて、下へ逃げて倒れたとしても、だんだん大きくなったので、世界の歴史にない成功の実績を残すことができたのです。それは正しいことですか、正しくないことですか。全国民が見ている中で、国のためにその怨讐のもとで生命を投げ出して死んだ人は、歴史を動かすことができる偉大な力の主人公になるのです。
 ゆえに、真の愛の道とは、愛のために生命を惜しみなく思うことなのです。生命を小切手のように投げながら、希望に満ちた行進をできる人が、真の愛を持って生きる人々の姿なのです。統一教会の人々は、皆そのようにしなければなりません。そのようにしましたか。私は自分の生命を賭博場でかけて、最後のカードを出し、生きれば生きることができるし、滅びれば滅びるしかない、そのようなことをたくさんしてきました。
 どうせ一度は死ぬのです。二度死にますか。死ぬのなら正しい立場で死のうと思ったのです。ジャンピングして限りなく広い湖まで来ると、そこで生きた龍が口に挟んで飛翔し、太白山の頂上に登らせてくれる、そのようなこともあったのです。いつも迫害を受けて、滅びるのではなく発展しました。そうですか、そうではありませんか。そして今は、どこで私をまた迫害するのか探し回っているのですが、迫害がなくなったので残念です。
 それでは、私の責任は何でしょうか。迫害をすることです。天下の福が私の包みの中に入ってきたので、真の愛の迫害をよく受ける人に福を分けてあげなければなりません。むちで殴りつけようとして、それに打たれようとお尻を出して訪ねてくる人が、統一教会の食口の中に何人いましたか。私は自ら神様を求めていきました。神様が、私のところに訪れてきたのではありません。
 同じ道理から見ると、統一教会の食口たちは、文総裁にお尻を百回、千回、もっと打たれようとしてみましたか、みませんでしたか。鶏の生命のない卵を有精卵といいますか、無精卵といいますか。なぜ、無精卵といいますか。生命の種が入っていないからです。生命の種が入っていない人は、無精卵と同じような生命として終わるのです。

  氏族的メシヤの使命

 今年の年頭標語は「真の父母と成約時代安着」です。今まで真の父母はジプシーの群れでした。故郷もなく、本然の地がありませんでした。故郷を求め、さまよっているジプシーの群れと同じだったのですが、今は本郷の地に戻ってきたのです。
 還故郷という言葉があるでしょう。統一教会は他の宗教と違い、出家という命令がなくなりました。それが宗教の世界で、どれぐらい幸せな言葉になるか分かりません。故郷を訪れることのできる宗教が現れたのです。またその次には、結婚をすることができる宗教が現れたのです。そして、先祖の位置を探して定着しなければならないのに、先祖の位置を失ってしまったのです。偽りの先祖から真の先祖にならなければなりません。それが氏族的メシヤの使命です。皆、ご存じでしょう。
 朴普煕! 氏族的メシヤになりましたか。新聞社を辞めて、故郷に帰ろうと思いませんか。北韓の金日成に興味を持たないで、自分のお母さん、お父さん、そして、かつて暮らした故郷の地にもっと興味を持たなければなりません。じっと見ると、朴普煕は北韓に対してもっと興味が大きいようです。(「違います。」)本当ですか。今日、政治世界の秘談、歴史の秘話になる話を、一言聞かせてあげましょうか。
 金日成は昔の天使長の本然の立場に入って、アダムの身代わりに神様の立場、実体になりたいのです。日本がエバ国家ならば、新郎のアダム国家は韓国です。それでは、三天使のアメリカは復帰されたアダムの立場であり、天使長の立場ですが、自分の利益のためなら堕落する可能性が多いのです。
 中国も十三億を持っているので世界一と言い、ソ連は共産世界の二十数か国を指導した頭です。全部ナンバーワンという立て札を持っています。金日成と中国とソ連はすでに友達になりました。ですから、アメリカだけ引っ張り出せば、金日成は私だけ抜き出して、南韓はなくなると考えるのです。すでにそのように見ています。
 ソ連と中共を料理し、アメリカだけ引っ張り出せば、三天使長を率いる代表者になるのです。そして、金日成が日本までも占領できる日韓戦争を宣布する日には、一瞬のうちに終わります。このようなことは文総裁が初めて話すのです。最後までそのような計略をする可能性があるので、このような話をしています。
 金日成は韓国を退けて、アメリカを中心として一つになれば、何をするかというと、韓国は金日成が所有し、日本には関心がないので、北海道はソ連に分けてあげ、南側は中国に分けてあげ、真ん中、大阪地域はアメリカに分けてあげると言えば、関心があるでしょうか、ないでしょうか。日本はこのようなことを知りません。
 それを防ぐために、私は今準備しています。早いうちに学生運動を展開し、大学内に原理研究会の立場を早く確立しなさいというのです。韓国を信じられますか。行政府に左翼分子が浸透し、今でも命令さえあれば、あらゆる行動が起こせる環境が整っています。煽動され、騒ぎ、放火する輩は学生たちです。
 アメリカが経済問題、ソ連も経済問題、中国も経済問題、ゆえに日本にある金の包みを分けてもらおうとします。原理的に見れば、堕落する時に、アダム・エバを中心として三天使長の戦いが起こりました。それが世界的に起こったので、世界国家的次元で秋の刈り入れの時期を迎えたのです。アダム国家の大韓民国を中心として、日本は裸になったエバ、堕落したエバです。金銀宝石で飾り、誰でも来なさいという状況です。そこにアメリカ天使長、中国天使長、ソ連天使長、すべて天使長です。これを食べようと、互いに見張っています。誰が日本を料理するのか見張っているのです。
 アダムは、このような局面で日本を失ってはいけないので、エデンの園では奪われたけれども、世界的な秋の時期には奪うことができないように、交差結婚をしてしまったのです。息子・娘を全部一つに結んだので、息子・娘のお母さんは全部背負われるようになっています。背負われるとそのお母さんは自動的に再臨主と一つになって、天下統一を残すことができるので、交差結婚をしたのです。交差結婚をするといって、私がどれほど迫害を受けたか分かりません。これは偶然、過ぎていく言葉ではありません。そのような実戦において戦い勝利し、基盤を残した男になったので言う言葉なのです。
 天使長がエバを奪っていくようになりましたか、なりませんでしたか。(「奪っていけませんでした。」)ですから、エバを連れてきて殻を脱がせて、十六万名を十六か国と同じように、サタン以上の全体条件を立てて、今教育中です。本来ならば、今年の二月までにすべて終えようとしたのです。しかし延長になれば、特別祈祷をして延長しないと、大きな問題になるのです。日本の経済の問題が、峠を越えられるか、越えられないかが懸かっています。そこで、中心者、代表者である文総裁が責任を持って、日本の死亡圏を乗り越えさせようとしているのですが、その人々はかえって私に反対しているのです。来年八月までに統一教会をなくそうとしていますが、なくなるでしょうか。反対に九月には横腹をけって頭を押さえてしまうのです。

  南北の青年たちを一つにし、統一の時代へ

 国際連合と米国は、第二次世界大戦以後、新婦圏アベル兄弟です。米国は新婦となるアベルの立場で、キリスト教文化圏であり、全世界もキリスト教文化圏です。これがカイン・アベルと一つになって全部分かれたものを一つにしなければなりません。第二次世界大戦で英・米・仏を平面的に失ってしまったので、世界を平面的に蕩減するために、お母さんが現れて、復帰されたお母さんが世界の女性を代表してすべて戦ってきたので、サタンはこの女性に対して手をつけることができないのです。このようにして逆に復帰してきたのです。お母様が立つことのできる国がないので、そこから日本を接ぎ木してきたのです。
 反対されることがとてもありがたいのです。日本でそのように騒いだことが、九月のバトンを受け取って、八月を越えて始まったのですが、一言も反対しないで皆が歓迎したのです。時がそのように違ってきたのです。太陽が昇るようになれば、夜は朝までには後退しなければなりません。朝日に反対してもだめです。きれいになるのです。ちょうどその時になって後退するので、静かに夜明けの朝日を見ながら、天下がすべて調和することのできる環境でカバーしたのです。それで、日本の国が復帰されました。英・米・仏が再蕩減して、新婦圏完成、国家的次元が連結されました。英・米・仏の上に新婦資格を完成して一つになったので、来るべき新郎、再臨主と神様に侍ることによって統一天下になるはずだったのですが、失ってしまい、今もう一度探し求めて来ました。分かりますか。
 再臨主と神様が来られ、南北統一、統一天下をなすことのできる祖国光復をなさなければならないのです。今は、一九四五年の英・米・仏の統一圏を復帰した立場で、新婦圏のお母様を中心として連結されたカイン・アベルを完全に統一した立場に立ったので、この国は金日成がいても問題はありません。問題は何かといえば二世です。
 真の父母を中心としてカナン福地に入り王権が成立されれば、王権の前に二世たちを中心としてカイン・アベルです。上陸したイスラエル民族とカナン七族がカイン・アベルです。その二世だけを中心として国をつくったならば、そこから統一天下、祖国光復が建設されるのです。それができなかったので、歴史を通じ世界舞台を越え、再臨主まで延長されてきたのです。
 今残ったのは、南韓の学生と北韓の学生だけです。だから、今まで南韓において、私たち統一教会の原理研究会と運動圏(政治活動をする学生たち)との戦いをする中で完全に追い出されました。棍棒で全部たたかれ、全部追い出され、完全に敗北したのです。このような実情で、息子・娘がいないのであり、アベルがいないのです。アベルが死んだので、復活させなければなりません。誰が復活させなければなりませんか。母親が再び生んであげなければなりません。それで、この四十の峠を越えてきたのです。お母様がそれをしなければ大変なことになるので、これを引っ繰り返しました。完全に引っ繰り返しました。私がそのように言った時は、それは不可能であると、誰も信じなかったのです。
 全世界の平和青年連合をつくるのです。卒業生たちと学校の在学生、これがカイン・アベルです。女性たちがこれだけをしっかり握り、これだけが一つになれば、その中心でお父さんとお母さんが神様を背負ってその上に上がり立てば、天下統一は自動的になされるようになっているのです。
 成約時代はご父母様が定着するのです。ご父母様は今までさすらい人だったのです。長成期、完成期、完成級の七年間、世界的な戦いをするため定着せずに、故郷の地がなかったのです。今は世界のすべての外的な整備をして、故郷の地に来て、韓国に来て、カープと共産圏、このアベル・カインを一つにしようとしたのですが、皆追い出されました。基地を失ってしまったのです。ですから、お母様を通して、再び生むようにしなければならない責任があるのです。先生が動機になるのです。分かりますか。
 先生と一つになって、四十個、すべての峠を越え、四十周年になる前にこれを清算しなければなりません。そうでなければ、四十周年の峠を越えることができません。このようにして向きを変えたのです。神様が保護してくださって、よくできましたか、できませんでしたか。誰がなしたのですか。(「お父様がなされました。」)いや、お父様ではなく神様がなされたのです。
 時を知らなかったならば、大変なことが起こるのです。そして今は、主客が転倒されました。南韓が引っ繰り返したのです。南韓を中心としたものがアベル圏になったため、北韓の学生がカインであり、これだけを一つにすればよいのです。同じ舞台に、北京に引っ張り出しました。今、引っ張り出されてくるしかないのです。これをしなかったら大変なことになります。世の中が知らないことを、すべてが糸束のようにもつれたものを、ピンセットで逆さまに解き明かすのです。
 今は全部解けました。北韓の青年たちと南韓の青年たちだけを、カイン・アベルだけを一つにすれば、統一は自動的にできる時代に入っていくのです。金日成や金大統領に遠慮することはありません。血を流さず、どれほどよいことでしょうか。ここに安企部の手先たちが来ていたら、文総裁がこのような不敬なことを言っていると報告しなさい。(笑い)文総裁を引き抜く実力があるかないか、頑張って自由行動をしてみなさいというのです。
 米国が私のおしりについて来るのです。ワシントンが私の風を、私の台風を防ぐことのできない段階を迎えました。クリントンの行政部の行使権が、文総裁の息遣いに動かされるのです。そのようになるだろうとは天下に誰も知らなかったでしょう。神様が生きていらっしゃるので、夢のような事実が起きているのです。
 日本の女性たち、昨日も三時四十分に終わりました。帰ったら四時が過ぎていました。そして一時間三十分休み、私が今こうしています。それにしても、八十歳の年寄りが倒れないのは立派でしょう。なぜだか分かりますか。鞭で打たれて、浮浪者のような者たちから拷問されても耐える訓練をしたので、いまだに、十時間立って話をしても、さしつかえない余裕満々な男です。知らなければなりません。しっかりしなさい。この生ける屍の群れのような統一教会の者たち! 私はそれをよいとは思いません。

  「家庭盟誓」と一致する家庭に

 きょうの朝、生き返りましょう。何を中心としてですか。家庭を中心としてです。今まで個人の誓いをしながら、全部失敗しました。「私の誓い」という個人の誓いで失敗したので、しかたなく家庭で復帰しようとするのです。そのために、家庭の盟誓文をつくるしかなかったのです。四十の峠を越えてみたら、私はこうすることができる立場にいるのですが、従って来たこの者たちが皆、大きな打撃を受けて活力を失っていたのです。
 「家庭盟誓」をつかんで、私がなしたので私をつかんで離さずに死の峠でも従っていく限りは、その家庭が生き残ることができる第二解放圏ができるのです。すべて「家庭盟誓」を宣言しなければならないということを分からなければなりません。(「アーメン。」)滅ぶ家庭、滅ぶ社会、滅ぶ国家、滅ぶ世界、滅ぶ天地歴史、滅ぶサタン、滅ぶ時代になったので、反対に繁栄する個人、社会、国家、世界の神様圏を崇めて、家庭の最初の出発、安着した、サタンが意のままに動かすことができない、定着された家庭の世界的統一前線が始まらなければならないのです。(「アーメン。」)
 そして、ご父母様が安着して息子・娘を生んだので、関係を結んだので、安着しなければならないのです。分かりますね。だから、「家庭盟誓」の内容を捧げなければなりません。その次は家庭完成時代、安着する時代です。家庭完成時代は、「家庭盟誓」と一致するような家庭になるならば、家庭理想を完成する家庭となり、サタンと永遠に離別して、天の国へ直行することができる家庭、氏族、民族、国家となるのです。直行行路がきちんとあるのです。それを願いますか、願いませんか。
 それでは、盟誓文の第一は何ですか。真の愛を中心として、本郷の地を求め、求めなければなりません。神様の創造理想である地上天国と天上天国を完成することを盟誓ではなく、創建しなければなりません。創建、創建しなければならないのです。私の手でつくらなければなりません。悪魔の世界をきれいに取り戻さなければならないのです。サタン世界圏を完全に回復させなければなりません。だから、完成ではなく創建です。これが違うのです。
 二番目は何ですか。代表的家庭です。神様と真のご父母様に侍り、代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の道理を完成することを誓わなければなりません。今までの歴史時代において、神様に不順、不孝し、逆賊になったことをすべて踏み捨てなければなりません。家庭でもそんな連中が多かったし、国家でもそんな連中が多かったし、世界でもそんな連中が多かったし、天地でもそんな連中が多かったのです。そのすべてのことを代表して、皆真のご父母様と一つになって、このような家庭を完成しなければならないということです。分かりますか。
 それをすることによって初めて、神様の本然的、アダム・エバが堕落しなかった本然的理想形である四大心情圏、真の愛を中心として四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成することをお誓いいたします。このようになった家庭は、そうすることができる立場に立つのです。神様と真のご父母様に侍り、天下の代表、イエス様のような世界完成したそのような立場に立って、神様に対するようになる時には、サタンとは永遠に関係ないのです。解放的自由の舞台の上に立ったので、本然の理想的な四大心情圏、真の愛を中心として四大心情圏と三大王権を完成できる立場に立つのです。三大王権はおじいさん、お父さん、息子の王権です。皇族圏というのは、これは直系のことではありません。
 堕落したために長子たちが復帰されて長子権が復帰され、アベルが長子になった後、長子は次子の立場に立ったのです。今まで世界の人が怨讐となって、長子の立場で天の側のアベルを殺してきたからといって、すべて殺してしまうことはできません。分かってみれば、それはお兄さんであって、お兄さんの立場から弟の立場に、お兄さんと入れ替わっただけで兄弟だったのです。ですから、このような群れたちを、世界の人々を皇族扱いするのです。統一教会がアベル的皇族であれば、サタン世界はカイン的皇族です。統一教会の人たちは、このカイン的皇族を一つにしなければ、天国に入ることはできないのです。分かりますか。
 ご父母様と一つになれば、反対がないために、順理的に皆従うようになっているため、ご父母様と一つになってこのような難しいことを解決しようとするので、氏族的メシヤ圏を設定しなければならないということを知らなければなりません。氏族的メシヤ圏を完成し、このような原則的な盟誓をしなければならないのが、三番までの盟誓です。分かりますか。この立場に立つならば、天の国の民、地上天国、天上天国の道理からすべてのものを受け継ぐことができるのです。
 それでは、四番目は何ですか。神様の真の愛を中心として、創造理想である天宙大家族理想を形成しなければなりません。このような基盤があって、神様が願う天宙大家族です。そうではありませんか。カイン・アベル、世界が大家族です。四大心情圏、三大王権をすべてなした立場で大家族理想を完成し、そのような立場に立たせておくことによって、自由、平和、幸福の世界を完成することをお誓いいたします。これが順番のとおり、このようになっています。

  祈祷する時には、この盟誓文を唱える

 次に五番目は何ですか。私たちは毎日、このように生きるのです。地上天国をなして大家族をなすのに、その大家族がどこを標準にして生きるのかといえば、それは天上世界のより大きな大家族です。毎日この相対的世界の大家族が拍子を合わせて、統一を形成しなければならないのです。統一に向かい、前進的発展を促進化するのです。前進的発展とは、そのように一つになって動かずにいるのではありません。発展しながら、家庭時代から氏族時代、氏族時代から民族時代、世界化、すべて進んでいかなければなりません。前進するのであり、停止する場合には地獄と連結されるのです。一歩でも前進することによって、繁栄と天国に連結されるのです。前進的発展を促進化しなければならないのです。しきりに足どりを早めなければなりません。前進を早くしなさい、早くしなさい。
 今日、統一教会の人たちは、毎日のように霊界を中心として歩調を合わせることを考えますか。何か月に一度考えますか。だから、勝手気ままになるのです。毎日毎日、検討するのです。大家族をなしたとしても、また堕落することができるのです。これを保護するために、前進的統一に向かって、前進的発展を促進化、促進化するのです。その次は何ですか。することをお誓いいたします。ここには完成という言葉はないのです。今まで、天上天国統一完成ができなかったということです。促進化して、そこに合わせるように努力しなければなりません。これが絶対に必要なのです。世界大家族をいくらなしたとしても、これができなければ、すべて途中で解散してしまい、めちゃくちゃになってしまうのです。分かりますか。
 仕事をしても、どこに行っても、座っても、休んでも、いつも主体的霊界の前に対象の影と一つになって、これが停止せず、発展することによって、家庭から氏族、民族、国家、世界の上を越えるべき立場に立って、初めて地上天国、天上世界、本然の統一的神様の理想世界を完成するのです。促進化をしなくてはならないのです。分かりますか。順番がそのようになっています。
 次に六番目は何ですか。天運を動かすのです。真の愛を中心として、真のご父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となるのです。真のご父母様が受けた受難のすべては、自分がよく生きるためではなく、すべての人類を自分が解放するため、天運を分けてあげ、天倫を渡してあげるためだったのです。真のご父母様に従ってくる天運を、そのまま渡してあげなければなりません。福の基となりなさいということです。分かりますか。
 いくら促進化し一つになったとしても、その人が地上に来て、自分なりの福だけ受けて戻ってはいけません。地上に功労を立てて、すべての人が満足し、大きな天運の恵沢を受けることができるものを残していかなければならないのです。ですから、先生は今まで、幸福で自由な環境で天下を動かすことができ、福を受けることができるこのような環境で、父母の御旨を立てるために、反対の道をすべて経て、万民にまで天運を相続させるためにきたのです。
 真のご父母様の家庭の代表者として、皆さんたちも天運を分配してあげる家庭とならなくてはなりません。そうすれば、真のご父母様の後ろに従って、天の国で一緒に呼吸をして、上に行って生きることができる面目を立てることができるのです。これは必要ですか、必要ではないですか。順番が全部整っています。聞いたらぐっと入ってくるでしょう。
 いつでもお祈りする時は、この盟誓文を唱えなければなりません。ですから、お父さんがこの内容に引っかかれば、お母さんの前に、家庭の真の主体として新しい使命をなせなかったと、悔い改めなければなりません。また、お母さんがなせなかったならば、お父さんと息子・娘の前に悔い改めなければなりません。このようにしてでも、私たちの家庭を正しく、神様、主体の前に、対象の立場を喪失しないように維持していかなければならないのです。一生の間、自分の後孫たちを背負っていき、いつまでも導いていかなければならないのです。分かりますか。
 福を分けてあげられる人にならなければなりません。盗みはいけません。統一教会に入ってきて、今まで奪ってきたこの者たち! 皮を剥ぐつもりです。私は無情な人です。御旨のために、お母さんを私の目の前で追い出した人です。愛する聖進の母親を追い出した人です。大韓民国をすべてあきらめて壊して、カイン世界を救うために、ありとあらゆる監獄生活をすべてして帰ってきた人です。
 神様の御旨のためには、反対する世界を越えるためには、百八十度異なる道を、個人、家庭、氏族的反対を受けながら生きてきて、歓迎を受けることができる舞台に戻ってきてから引き継ぎ結ぶのです。そうしなければ、二つの世界を消化することができません。だから、ご父母様が天運を集めて、死亡の世界に福を与えるのと同じように、皆さんたちも、そのようにしなければならないのが六番目の盟誓です。分かりますか。

  世界平和は、心身統一と家庭統一から

 その次、七番目が重要なのです。私たち家庭は真の愛を中心として、どんな血統ですか。本然の血統です。堕落しなかった、アダムの堕落と全く因縁がない、本然の血統を引き継いで、何ですか。血統と連結された心情文化世界を完成することをお誓いいたします。私たちの世界は心情文化世界であり、神様のただ一つの愛を中心とした統一家族、一つの家族です。
 高い人も低い人もなく、五色人種が一つの家族生活をしなければなりません。富める人は、これからそのような時が来ます。全世界を動員して、平準的生活を定めましょう。そのようになれば、世界公議会はどのように定めるでしょうか。どの国を中心として定めるのでしょうか。このように見るとき、北韓があのように貧しいので、貧しい北韓を中心として基準とみなすのです。アフリカではありません。
 アダム国家を中心として、一番貧しい人、北韓があのように貧しくなって、食べるものがなくて、大騒ぎし、乞食のようになるのを見て、世界の資産家など、富めるキリスト教文化圏がその立場に降りていき、上がってこなければならないのに、降りていくのが好きでないのです。そのような人は地獄へ行くのです。文総裁はそれを自ら進んで降りていきます。あのどん底の地獄に入っていき、再びよじ登ってきて、すべてを勝利して上がってきたのです。そうしましたか、そうしませんでしたか。同じです。
 ですから、北韓を救わなければなりません。北韓を食べさせていかなければなりません。私たち統一教会が稼いで、食べさせなければならないと考えなさい。今の世の中には、そのような法はありません。世の中にはそのような法はありませんが、神様にはそのような法があります。それはいくら研究しても分かりません。分からないから反対をするのです。それが分かったら、福を受けたでしょう。
 本然の血統と血筋、血筋です! 千年、万年、この後孫が罪を犯さないように、精誠を尽くさなければならない第一先祖とならなければならないのが、統一教会の祝福家庭たちなのです。その前において、再び堕落したらどうしますか。見ることができないのです。即刻、追い出すのです。
 これからは、代表的な家庭になるので、堕落したら赦しがない時代に入っていくのです。恐ろしい世界が来ます。ですから、私は話すことができません。結論を言うことができないのです。祝福を受け、そのように堕落して生んだ息子・娘を神様の前において見ることができません。これは何重の罪を犯したことになるので、地獄に逆さまに投げ込まれても、神様は見ることができないのです。ですから、男女関係、愛の小枝を通じたことが、このように恐ろしいということを知らなければなりません。
 ゆえに、本然の血統なのです。本然の血統と連結された神様の血統です。連結された心情文化世界です。どこに行っても神様です。その心情文化世界では、すべてが和動するのです。ふー、このように息をすれば細胞たちも拍子を取って、一緒に息をしなければならないのです。同じです。神様の真の愛から、為に生きる、為に存在する、この原則において一元化し、より為に生きることへ前進することによって、神様を栄光のお方にすることができる道があるのです。自分のために生きる人は、神様を栄光のお方にすることができません。
 なぜそんな話ができるかといえば、自分の愛する相対者は自分より優れていることを願うのが原則ならば、百ぐらいの神様の愛があったとしたら、百だけ投入すれば、百パーセントぐらいの相対しか現れないのです。それで、百パーセントを千回、万回、億万回投入して忘れるときにのみ、億万倍の限界線を越えた愛の対象を捜し出すことができるのです。そのように理論的になっているので、私たちは投入して忘れ、投入して忘れるのです。父母が私のために投入し、負債を負ったならば、そこにプラスさせ、私は息子・娘に投入し、その次にまた、その息子・娘は孫に投入すれば、ますます大きくなるようになっているのです。小さくなれないのです。それが心情文化世界になるのです。だから、自分を中心とした堕落の後孫は、絶対に栄光を受けることができない時代が来るのです。
 その心情文化世界は、本然の神様の文化世界であり、堕落しなかった、完成したアダム文化世界です。文化が二つではなく一つであり、言葉も一つであり、習慣も一つであり、伝統も一つしかない、このような統一の世界になるでしょう。そこでのみ神様が、個人と共に住み、家庭で住むのです。このようなことを知らなければなりません。
 ここで総結論として、このような盟誓文が必要になったのは堕落が原因なのです。堕落がなかったならば、盟誓文も必要ではないのです。今、完成した家庭になるということは、堕落の愛の基準を越えた立場で話すのです。分かりますか。盟誓文を唱えるのは、堕落の基準を越えた立場で唱えるのだということを、日々実感して生きていかなければなりません。
 それでは、堕落の基準を越えた立場とはどこにあるのですか。心身が統一されている立場です。皆さん、体と心がまだ激しく戦っているでしょう。それはどういうことかといえば、盟誓文を唱えようとすれば、心身が統一されていなくては、大きな声を出して唱えられないし、天地に自分の顔を振りながら誇らしく唱えられないのです。堕落したその根がまだ、すべて甘柿の影にあるということを知らなければなりません。分かりますか。
 心身が統一された立場で、真の家庭になるべきなのに、偽りの愛は心身を分裂させてしまったのです。復帰された家庭は、心身が統一された家庭の立場に立って初めて、「真の愛を中心として」と言うことができるのです。「真の愛を中心として」と言う時は、心身統一されている上でいう言葉です。いつもそれを考えなければなりません。分かりますか。
 その次は何かといえば、心身統一と男性女性、夫婦統一です。エデンの園で堕落し、夫婦統一がなされなかったのです。その次には子女、父子の関係が統一できなかったのです。そして、カイン・アベルと父母が、お母さんお父さんが別れてしまいました。これが歴史の癌的起源なのです。それは偽りの愛によって分立された最初のモデル形なのです。
 この一つの範疇となっているため、「真の愛を中心として」と言う場合には、体と心が一つになり、父母が絶対に一つになり、父母と息子・娘が絶対に一つになった上で、初めて言えるのです。絶対的な勝利の自信に満ちた立場で唱えなければならないのが、私たち統一教会の盟誓文である。(「アーメン。」)確かですか。(「はい。」)心と体を統一しなさい! 世界平和は心と体の統一と家庭統一から、それが起源です。それができなければ、いくら統一されても、皆さんと皆さんの家庭とは関係がないのです。正しいですか、正しくありませんか。
 夫婦同士が争うのに平和がありますか、幸せがありますか。父子同士が争うのに幸せがありますか。ありません。偽りの愛によって、偽りの父母の生命と愛と血統を通じて始まることによって分かれたのです。私たちは真のご父母様を中心として、真のご父母様の真の愛と真の生命と真の血統を中心として、一つになり統一された立場に立ったので、これを越えた立場に立つことによって、真のご父母様の子女の名分を備えることができるのです。これが公式的な結論だということを否定できないのです。
 ゆえに、まずこの問題をすべてこの盟誓文に織り込んで、第一番、第二番もその上で形づくらなければならないのです。分かりますか。これを唱える前に、そのような自覚をはっきり持たなければなりません。一つになっているかいないかは、自分自身が分かります。それは教える必要もありません。

  「家庭盟誓」は千年、万年の表題

 そして、今私が教えてあげていることは、良心は神様を迎えることができる第一の対象であるということです。その対象は神様の愛の対象で、神様よりも何千倍偉くなることを願う愛の相対なので、良心以上に絶対的に尊いものはないのです。神様よりも素晴らしいものが、私の中に入っているのです。そして、良心は父母より前に立つのです。良心は師匠より前に立つのです。良心は神様より前に立つのです。
 そのような良心と一つになる時、神様もその懐の中で永遠に離れず同居することができるのです。良心を絶対的に中心とすれば、宗教が必要ないのです。お祈りが必要ないのです。解放です。分かりますか。統一教会もすべてなくなるのです。父母よりも勝る立場にいるのです。どんな師匠が良心の師匠になろうというのですか。師匠が何だというのですか。良心がすべて知っているのです。
 ねずみも航海する時、船が破損しそうならば先に逃げてしまうのに、人間が真の愛を中心として一つになった立場で、それを分からないでしょうか。すべてを分かるようになっています。教育が必要ないのです。全部、分かるようになります。堕落した人間も、自分の一生のことについて知らないことが一つでもありますか。ありません。神様よりも前に立つというのです。
 そのような驚くべきものを、神様が私たちにくださったのです。千年、万年求めても求めることができない、尊い父母の代身、師匠の代身、神様の代身として尊いものをくださったのです。これを疎かに取り扱い、蹴飛ばして、自分勝手に蹂躪したのです。この体のためです。それが分かったので、分かった群れとしては、そのままにしておくことはできません。分かったので、解放することができるのです。真理を知ることによって解放しましょう。分かりますか。
 体と心が一つになれず、夫婦同士が戦うのです。不義を許すことはできません。自分の子供たちをすべて浮気者にしてしまいました。そのような家庭は、祝福家庭の数に入れることはできません。すべてこの原則で整備しなければならないのです。私が話さなくても、この原則にどれほど一致しているかを悟ってください。自分の家庭でこれに合わないことがあれば、お父さんが間違ったら、それを誰が審判するかといえば、一番近い人が審判するようになっています。堕落したときも、一番近いお父さんが審判しました。妻が間違ったら、夫が審判しなければなりません。お父さんが間違ったならば、子供がしなければなりません。子供が間違ったならば、お父さんがしなければなりません。
 このような公義の時代に向かって、私たちは準備をし、恨みの路程を自分の一生に残さず、天上世界に移動し、移住していかなければならないのです。今日、堕落した人間として整備しなければならず、そのような姿で、これを処理していかなければならないのが、私たちの宿命的な運命の道なのです。宿命は変えることができません。死んでも、なしていかなければなりません。分かりますか。
 だから、そのようなご父母様の安着時代を中心として、主体の前に恥ずかしくない家庭完成時代を迎えなければならないので、ここで私たちは、「家庭盟誓」が必要だったのです。これは、千年、万年の表題になるのです。驚くべきこのような盟誓文を、堕落した宗教の仮面を脱いで、解放の立場に立って唱えることができる、この驚くべきことに感謝しなければなりません。涙なしには唱えることができません。多くの恨みの血を流して、血の祭壇をこの統一教会まで引っ張ってきて、その血の祭壇において自分を踏み越えなければ、この世界から天の国に行くことができないのです。この祭壇がなくてはならないのです。
 それは真のご父母様が今まで引っ張ってきた歴史的な旧約時代、新約時代の血を連結してきて、成約時代の先生の生涯は血を流してきた路程だったのです。このような完成的な段階を踏んで、私と一つになって向こうから越えるようになる時、億万サタンはここから永遠に離別する驚くべき事実を実感しなければなりません。そうすれば、実際の天国が私の天国になるのです。はっきり分かりますか。
 きょうお母様も、「郭錠煥が話をしたらどうですか」、郭錠煥も「本部教会に行かないでください」と言ったのですが、私がこのような話をしてあげなければならないのです。郭錠煥が千回話をしても、歴史の記録に残すことはできません。先生が残しなさいと言えば、残すようになっているでしょう。先生の御言は、残しなさいと言わなくても、残さなければならないのです。しかも、米国で勝利して韓国の祖国の地に帰ってきたら、何よりも最初の聖日には、私が話さなければならないようになっているので訪ねてきました。
 だから、そのような重要性を知ってください。先生が提示したこの盟誓文は天の国全体が願い、天の国でもこれを唱えます。天の国には家庭がないのです。私たちが行かなければなりません。協助して、家庭完成、国家完成、世界完成が起こることによってのみ、天の国の家庭再編成が行われるべき時が造成されるのです。先生が行き、主導しなければなりません。神様ご自身は主導できないのです。このようなことを言うので、異端者の首魁としての扱いを受けるのが適当だと見るのです。異端の王でしょう。聖書にはないでしょう。聖書には全然ないことが事実以上にはっきりとしているので、それがキリスト教より本物の間違いない異端だとしたら、異端を好む神様になるのです。正統だとしたら、唾を吐く神様になるしかないのです。
 だから、神様も変わったのです。復帰する神様、悲しんでいる神様、喜んでいる神様と変わらなければならないので、救援摂理に必要だった新約、旧約は必要ではなく、成約時代が必要になるので、神様は、キリスト教が好きではない統一教会を好きにならなければならないようになりました。(「アーメン。」)きれいになりました。

  今からはご父母様に侍る時

 では、考えてみなさい。このような膨大な内容を、このようにしてすべて方向を定めたので、先生は今からはすることがありません。私は何をしなければならないですか。お母様と部屋で喧嘩をしなければならないですか。世界の舞台を回りながら見物し、旅行をしなければならないですか。どんなことを願いますか。(「旅行されることを願います。」)
 今からは反対に、ご父母様に侍らなければならない時が来ました。税金を払わなければならない時が来ました。ですから、今から盟誓文を唱える人は、三人家族であれば、五人家族としてご父母様に侍って暮らさなければなりません。人間の恨みは何でしょうか。ご父母様に侍ることができず、真のご父母様と共に暮らすことができなかったことが恨みであるので、その恨みを解くために、一生の間ご父母様のお写真とご父母様の旗を中心として、天理の大道の目印として侍り過ごさなければならないのです。
 そして、家庭生活をする中で、三人家族は五人家族として、その二人の費用は公金として預金し、かわいそうな人を助けてあげなければならないし、かわいそうな息子・娘を勉強させるために学校を建て、公共資金として活用しなければならないということを知らなければなりません。
 また次には、一か月に一度ずつ通り過ぎるお客さんに、先生の代わりに精誠を尽くして、家の中で侍り、もてなさなければなりません。通る乞食にも、先生のように侍ってあげるのを願うのが神様の心情です。ですから、乞食を無視できない時代に入るのです。旅人を疎かにもてなすことができない時代に入っていくのです。これからこのような時代になれば、町内、村内を通り過ぎる人たちを、部落ごとに、自分がつくったいいものは、朝食、昼食、夕食を中心として、何時から何時まで、冷めないで温かいうちに、道端を通る人がおなかをすかしていたら、必ず昼食を食べて、夕食を食べていくことができる準備をしなければなりません。そうすれば地上天国です。

  家庭を中心とした出世時代

 そして今からは、家庭を主とした出世時代が来ます。ここで大統領になったとしたら、大統領一人ではありません。大統領の妻は副大統領になり、その息子・娘は国家の内務長官、外務長官、その重要な部署を任せることができる能力があれば、大臣をしなければなりません。そうでなければ、代理を立てて、それを代行する家族責任制国家時代となるのです。なぜならば、家庭の標本を中心として連結されたのが国家であり、国家にはそのような数多くの家庭が属しているので、家庭を中心として絶対的に信任を受ける人が、行政部署の管理責任者になるのです。分かりますか。
 そこでは、父親が勝手にできません。すでにすべて法ができているし、教本、教材ができているので、このことを無視することができません。お父さんとお母さんが知っている以上に正直にしなければなりません。父母が決定したとしても、息子・娘が、長男が公認しなければなりません。なぜですか。家庭統一しなければならないのです。家庭で失ったので、世界復帰時代と同時に、家庭全体が和合してその国を守り、家庭自体も守っていくそのような時代が来るので、家庭出世時代が来るのです。分かりますか。
 そのような家庭になるため、「家庭盟誓」が必要です。そのような成約時代安着よりも、家庭完成時代が必要だという論理も必要だというのです。ゆえに会社に行くと、会社の社長はお父さんの代身であり、その会社の社長の代わりにお母さんがいつでも行って、社員たちを全部呼んで、会議をすることもできるのです。秘密がないのです。社長がどこに行って何をしているのかを、毎日報告を受けるようになっているのです。浮気をすることができますか。お酒を思うとおりに飲めないようになっています。
 そして、これからは二重組織です。体と心が統治され、主管を受ける力が等しくならなければなりません。体だけ元気になれば、押す力が等しくなくなり、到達せずにストップしてしまうのです。そして、政治においても比例の基準が、体と心のように半分を中心として国のすべてを治めなければならないのです。
 これからは行政部署、司法部、警察署があれば、男子警察署だけでなく、女子警察署があって、男性を監督しなければなりません。男子警察署は女性を監督しなければなりません。お酒を飲んで、真っ昼間から酔っ払って歩く人を捕まえるのです。誰が捕まえるかといえば、皆女性です。神様を苦しめて、神様の御旨の版図を破壊する行動を受け継いでいる第二の後継者になってしまうのだと、こらしめるのです。サタン世界から復活した女性たちにならなければならないので、軍隊といえば女軍大将です。警察署の中では内務府長官です。
 男たち! 天使長のように誤った者たちを捕まえて、スティックを引き抜いてしまわなければなりません。浮気する者たちを皆、引き抜いてしまわなければなりません。そのようにしても、罪にならない時が来るかもしれないというのです。イスラエルは石で打ち殺したのです。石で打ち殺すよりは少しはいいでしょう。度を越えればすべて隔離し、人間の世の中と、千年、万年、勝手に往来できないように分離しなければならない時が来ます。大移動、分離時代が来ることを備えなければなりません。そこでは人種関係、すべての国境関係、文化関係を無視します。そのようなプログラムが先生の頭の中に、ぎっしりと組み立てられています。
 一番悩まされることが何かといえば、祝福を受けた後、浮気して、また結婚して子供を持ったことをどうするかということです。そのような法はないのです。そのような種を見たくありません。そのように恐ろしいことなのです。祝福というのは、流れていく拍子に合わせて、流行歌を歌いながら変わる、そのようなものとは違います。万年定着です。万年固着だということを知らなければなりません。間違いなくそのような時が来るのです。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2022.06.17 20:23:44
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