6327297 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

奇   知   外   記

奇  知  外  記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Recent Posts

Free Space

にほんブログ村ランキング参加中
↓ 応援クリックお願いします ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List

Comments

Calendar

Category

Archives

2023.09.16
XML
家庭完成の核

1999年7月4日
聖日礼拝・ベルベディア
韓国語で御言を語られ、途中、英語で語られた部分の始めと終わりに(英)と記した。


  核を否定する人は消えていく

 核とは何ですか?。核というものは一人ではできません。必ず、相対的関係、環境条件の相対的関係において、中心的な位置を占めるものが核というものです。人間における核とは何でしょうか?。心ですか、体ですか? (「心です」)。家庭的核は何でしょうか?。それから、国の核は何でしょうか? (「家庭です」)。大統領の家庭がいいですか、王の家庭がいいですか? (「王の家庭です」)。なぜ、王の家庭がいいのですか?

 一代で、大統領に何回侍らなければなりませんか?。四十年を生きれば、十回侍らなければなりません。このように見る時、自分を中心として十回(侍ること)を願いますか、大統領を中心として私が十回(侍ること)になりますか?。米国では、どちらですか?

 民主主義においては、一代で四十年生きれば、十回以上自分が大統領をつくることになります。それゆえ、私が中心です。自分がその核になることができますか?。答えてください。(「なれません」)。それでは、だれが核にならなければなりませんか? (「神様です」)。国を中心として、国の核は何でしょうか?。大統領がいいですか、王がいいですか? (「王です」)。

 民主主義時代は、兄弟主義なので闘いが継続されますが、王主義時代は、父母なので闘いが始まりません。平和なのです。兄弟が十二人いたら、だれが中心になるのですか?。父母がいれば、すでに中心になっているのです。中心をつくる必要がありません。核があるのに、また核をつくる必要はありません。米国の民主主義は何ですか?。兄弟主義でしょう。なぜ、そうなのかというのです。王がいないのです。父母がいないからなのです。

 家庭でも、父母がいなければ闘いが起きます。家庭に父母がいなく、氏族、民族、国家に父母がいなく、世界に父母がいなく、天地に父母がいないのです。しかし、父母は本来いるのです。そこから出てきたので、「もともといる」ということを否定してはいけません。

 これを「デモクラシーだ。世界の兄弟よ」と言っていますが、父母がいないのです。では、米国が力ずくで、強制的に「私が中心だ。核になるのだ」と言って、なることができますか? (「できません」)。それでは、闘いが継続されるのです。では、何が核になるのでしょうか?。根源です。根源とは何ですか?。私という人間は心が主体で、体が相対です。心が中心です。これが核になっているのです。

 家庭といえば、父母が根源です。父母が中心であり核です。国といえば、国の伝統的な王が根源です。宇宙全体においても、父母のような立場に立ち、最初と最後を抱くことのできる存在が核にならなければならないのです。その概念が今、分かりました。

 さあ、それでは、東と西、南と北、前後関係の核は何かというのです。その根源は、中心にならなければなりません。(板書されながら語られる)上下関係、左右関係、それから前後関係です(図1参照)。自分が立てば、すでに上下、左右、前後ができています。


 では、何が核になるのかというのです。体ではありません。心です。すべて心が命令するのです。進む時に、体が「進め」と言いますか、心が「進め」と言いますか? (「心です」)。「左に進め、右に進め」と命令するのです。五官全体を動かすことのできるものが根本です。根本にもなることができ、結果にもなることのできる、そのようなものが核になるのです。

 ここに、上下、前後、左右関係があるのですが、核はどこになければならないのでしょうか? (「中心です」)。中心は、上と下の根になるのです。ここ(中心)を一つだけ引っ張れば、どのようになりますか?。上が「私は上は嫌だ」あるいは「下は嫌だ」、右側、左側が「嫌だ、私は嫌だ」と言いますか?

 では、自分の心のままにできる環境とは何でしょうか?。いつ自分の心のままにできますか?。これはプラス・マイナスです。これもプラス・マイナスです。いつ自分の心のままにすることができますか?。いつ、自由があるのですか?。自由というものはどこから出てきたのか、というのです。

 この米国が「ここ米国は自由の国だ」と言うのですが、自由ではなく肥桶の国です。どんな自由の国だと言うのですか?。亡国の種です。個人主義がどこにあり、プライバシーがどこにありますか? 「個人主義」と言えば、すでに中心を否定しているのです。「プライバシー」という言葉は、中心を否定しているのです。宇宙の構成体で、中心を否定する存在はありません。

 これは、だれによってできたのでしょうか?。これは宇宙を破壊させる主義なのです。サタンから始まったという結論が出てくるのです。では、これ(図1)は何の核ですか?。個人的な核、家庭的な核、氏族的な核、民族的な核、国家的な核、世界的な核、天宙的な核です(図1参照)。この核の八段階が、すべてそれぞれ存在していたら、統一世界が展開されるでしょうか?。統一はありません。一つになれないのです。

 核を形成しようとすれば、必ず、垂直と水平が一つになる所からです。それゆえ、垂直と水平が一つになる所で核を発見することができる、という結論が出てきます(図2参照)。ゆえに、すべての存在には核が必要です。絶対に核が必要なのです。運動するすべての存在で、核を否定する存在は壊れていくのです。なくなっていくのです。



 それでは、核は必要ですか? (「はい」)。では、個人に核がありますか?。核は変化すべきですか、どうですか?。核が変わらなければ、その対象も変わりません。それゆえ、核を形成しようとすれば、必ず垂直関係がなければなりません。これがなされれば、九〇度を否定する核はありません。これが、四×九=三十六、三六〇度です。三六〇度という言葉は、どこであってもすべてバランスがとれ、丸いということです。

 皆さん、三六〇度に合わせることができますか?。零点の道理を知っていますか?。零点とは三六〇度です。自分が何度動いているか、という事実を知っているかというのです。現実問題として、最も重要なことです。では、どこにいるのかを知るためには、上下関係の中心から見て、自分が右舷なのか、左舷なのか、上弦なのか、下弦なのか、前舷なのか、後舷なのか、ということを知らなければなりません。これを知らなくてはなりません。

 さあ、統一教会で宇宙の存在性を語る時に、何と言いますか? 「正分合作用」と言うのです。核のあるところが根源にならなければなりません。この宇宙のあらゆるものが、連体関係で連結されているのです。

 根源とは何ですか?。心ならば、心が根になっていなければなりません。心は毎日二十四時間、変わりますか? (「変わりません」)。心は、体が泥棒しようとすると、「おい、こいついけない」と言うのです。

 簡単に変わるものは何ですか?。心ですか、体ですか?。どちらですか? (「体です」)。心は変わりません。それが核です。これを知らなければなりません。核を否定する人は消えていきます。

  神様の息子・娘には、神様が定めた核が絶対に必要

 永く存在することができ、従っていくことのできる存在が、核になります。力が強い人と、力が弱い人と、どちらが核にならなければなりませんか? (「力が強い人です」)。太った人と痩せた人とでは、どちらが核になりますか? (笑)動物世界では、牛も肥えたものを願い、豚も肥えたものを願い、鶏も肥えたものを願い、木も大きくてしっかりしたものを願うのに、なぜ、人間世界はスリムでなければならないのですか?。飢え死にする人のいる世の中で、自分が太っていてはいけないでしょう。太っている人は、「三人が食べるものを一人で食べ、二人が飢え死にした」と考えなさいというのです。そのように考えるのです。それゆえ、核にはならないのです。

 皆さん、家の中に十人の人が暮らしていれば、その核になり得る人はだれですか? (「父母です」)。自信がないですね。(「父母です」)。浮気して、離婚し、泥棒する父母が、どうして核になるのですか? (「なれません」)。そのような時は、だれが核になるのですか?。その家庭において、母親や父親まで教育し、全体の前に尊敬され、できないことを成し、だれも及ばない能力をもっている人が核になるのです。分かりますか?

 皆さん、核をつくることのできる人は、自然と核になることができる、ということを知らなければなりません。では、核メーカー(核をつくることのできる人)がいいですか、核になるのがいいですか?。レバレンド・ムーンは、何をする人ですか?。レバレンド・ムーンは核メーカーです。核がない家庭に核をつくってあげ、氏族の核、民族の核、国家の核、天地の核をつくってあげるキングなのです。そうですか? (「はい」)。核キングメーカーです。

 上下に核、左右にも核、前後にも核、核が多くてどうしますか?。どのように一つになりますか?見てください。(板書されながら)一、二、三、四、五、六、六数があるのです。上下がペアになっています。これ(A)が中心、これ(B)も中心、これ(C)も中心です(図3― ①参照)。では、どこについて行かなければなりませんか?。上下の中心について行くのですか、どれを中心としてついて行かなければならないのですか?。すべて行ったり来たりしています。ある人は「これがいい」と言い、ある人は「これがいい」と言います。



 三つの核が必要ですか、一つの核が必要ですか? (「一つです」)。皆さんは一つの核がいいですか? (「はい」)。一つの核になろうとすれば、どうするのですか?。上下の核、左右の核、前後の核、その中心が一つの核なのです(図3― ②参照)。

 ではどのようにして、これを連結するのですか?。上は、絶対に下を必要とするのです。上と下が(お互いに)必要とするのは、何のためでしょうか?。核を設定するためです。上下は核がなければ、壊れてしまい、定着することができません。飛んでいってしまうのです。分かりますか? (それは)絶対要因です。絶対的なコンセプト(概念)です。唯一コンセプト、不変コンセプト、永遠コンセプトです。核を必要とするというのです。そうですか? (「はい」)。左右も同様です。それから、前後も同様です。私たちはこれをなさなければならないのです。

 神様の創造理想は何かというと、家庭を中心として、すべての宇宙的な核を集中させた上下関係である父子関係、左右関係である夫婦関係、前後関係である兄弟関係、これをなすことです。「私には父母がいる。私には妻(夫)がいる。私には子女がいる」、これなのです。そのようにならなければなりません。

 上下関係が縦です。左右関係・夫婦は横です。夫婦で前後に立ちますか?。それから、だれを前に立てますか?。息子・娘です。息子を前に立てるのです。兄弟を前に立てるのです。それゆえ、子女は何かというと、父母の願いであり、夫婦の願いであり、兄弟の願いなのです。子女はそのようなものです。そして、祖父と父母が喜ぶのです。そうですか? (「はい」)。それらが一つの家庭を中心として、このような全体形成に対して、一つの核に集中しようというのです。一つにするのです。

 どのようにして一つの核をつくるのでしょうか?。力、知識、お金ですか? (「いいえ」)。何をもってつくるのですか? (「愛です」)。どのような愛ですか? (「真の愛です」)。真の愛です。絶対愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛です。これが真の愛です。分かりますか?

 世の中で、このようなことも考えずに生きている人たちが米国人です。「個人主義とプライバシーが最高だ。自由だ」と言っています。自由は、これを認定しなければなりません。上という言葉、下という言葉は、何をもってそのように言うのですか?。上を中心とした言葉でもなく、下を中心とした言葉でもありません。それは核を中心として言う言葉です。そうすればすべてのことに合うのです。左右も合い、前後も合うのです。

 それを知らなければなりません。「ああ。自由。自由」と、体の自由を求めれば地獄に行きます。心の自由は、どこに行くのですか?。自由とは何ですか?。体が「しよう」ということではありません。

​ 「母親・父親を否定し、国を否定し、法を否定し、宇宙存在のすべての核を否定して、自分の思い通りにする」というのは、悪魔の計略の終着点です。それを知らなければなりません。それがいくら上手であっても、滅びるのです。先生の話は、理にかなっていますか、かなっていませんか? (「理にかなっています」)​

 それゆえ、「私は核を願う」と考えなければなりません。そのような考えをしていますか? 心と体が核と一致していますか?。体が「私は心について行きたい」とならなければなりません。皆、そのような人ですか、そのような人ではありませんか?

 今では、五分間だけ話をするので、みな喜んでいます。「お父様の御言が短い。素晴らしい」と言っているのです。(「違います」)。このくらいにして、後はあしたにしましょう。これは、十年かけても話せません。十年かけて話しますか、けさすべて話しますか? (笑)なぜ、笑うのですか?。イエスか、ノーか、答えなければならないでしょう。

 さあ、神様は知恵の王ですか?。一度決めた核を中心として、永遠に活用したいでしょうか、一年くらい活用したいでしょうか? (「永遠です」)。絶対、唯一、不変、永遠なのです。

 そのような内容の核は何でしょうか?。これが問題です。哲学的に見れば、この解決がとても重要な問題なのです。これは絶対に必要です。人間という存在、神様の息子・娘には、神様が定めたこの核が絶対に必要なのです。そうでしょう?。それは絶対に必要です。父母が必要でしょう?。絶対に必要です。唯一、不変、永遠に必要です。地においても必要であり、永遠な世界でも必要なのです。

 常に神様について行こうとすれば、神様がモデルとなり主体となれば、そのモデルと主体の前に相対的条件を備え、永遠に必要とされる家庭形態とならなければなりません。アーメンですか、ノーメンですか? (「アーメン」)。

  永遠に食べても嫌にならないものは真の愛の味

 さあ、これでコンセプトが分かりました。「核は必要ない」という人は、手を挙げなさい。そのような人は手を、日本刀で無慈悲に切ってしまいなさい。もしそのようにしたら、「よくやった」と言いますか、「誤った」と言いますか? (「よくやったと言います」)。死んでも、泣きながらでも、「よくやった」と言いたいのであって、「誤った」とは言わないのです。

 上下という言葉も、核を中心とする言葉であってこそ正しいのです。左右も核を中心として、前後も核を中心として、言う言葉なのです。その核というものは、いったい何でしょうか? それは絶対的なものでなければならず、唯一、永遠、不変なものでなければなりません。核はそうでなければなりません。それは何ですか?。力ですか? (「違います」)。知識ですか? (「違います」)。お金ですか? (違います」)。

 神様が中心です。では、皆さんは、神様が中心になろうと来られたら、歓迎することのできる核となる場を準備していますか? (「はい」)。神様だと分かるのですか?。この者たち、何が、「はい」ですか。分からずに、「はい」と言ってはなりません。どうして分かるのですか?

 魚はおなかがすくと餌を好むのですが、神様がおなかがすいた時に必要とするものは真の愛です。真の愛の餌さえあれば、神様はすべてのみ込んでしまおうとします。私たちの家庭がそうならば、(神様は)家庭自体を消化しようとするのです。国の中で真の愛の国があれば、(神様は)一度にのみ込もうとするのです。なぜですか?。永遠に食べても、永遠においしいからです。永遠に食べたいのです。

 皆さんが、永遠に食べても嫌にならないものとは何ですか?。マクドナルド・ハンバーガーですか? (笑)永遠に食べても嫌にならず、夜に食べてもよく、昼に食べてもよく、どこに行っても、天の国に行っても、地の底の地獄に入っていって食べても、その味は永遠に変わらない、そのようにおいしいものとは何でしょうか? (「真の愛です」)。

 真の愛とは何ですか?。父、息子、祖父、母、長男、次男、皆が喜ぶものです。父親も喜び、息子も喜び、嫁も喜び、夫も喜び、兄も喜び、弟も喜び、全員が喜ぶものです。そうですか? (「はい」)。違います。(「そうです」)。永遠に食べても、二十四時間食べても、嫌にならず、おいしいものが真の愛の味です。

 私がフロリダに旅行に行った時のことです。男性と女性がいて、男性は背が高く、女性は小さいのです。通り過ぎていく時に、男性が小さい女性の腰を抱き座っていたのですが、四十五分して再びそこを通り過ぎると、それでもまだくっついてキスをしていたのです。いつまで続くのでしょうか?。死ぬまで続けていても、嫌でないように見えました。

 太ったおばさんでも、痩せた人でも、皆それを好むのですか? (「はい」)。夜でも昼でもですか? (「はい」)。それがなければ、どうしますか?。生きていたくないのです。孤独で、寂しく、悲しく、恨めしくて、すべてのバランスが崩れていくのです。垂直もなければ、水平もないのです。生きていても、死んだ命となります。

 統一教会の信徒たちは、愛の味を知っていますか? (「はい」)。目の愛があり、鼻の愛があり、口の愛があり、耳の愛があり、体の愛があり、五官の愛があるということを知っていますか?。五官の愛が願うものは、五つの核を願うのですか、一つの核を願うのですか? (「一つの核です」)。鼻は「臭いをかぐ」と言い、目は「見る」と言い、口は「食べる」と言えば、大変なことになるのです。手を中心として四官が反対したら、大変なことになります。女性の五官を、何が一つにできるのでしょうか?。女性ですか? (「違います」)。それでは、だれですか? (「男性です」)。

 では、どちらが核ですか?。自分が核として侍った(為に生きた)ほうが核です。愛を受けようとしなければなりませんか、愛そうとしなければなりませんか?。お互いに与えようとすれば、男性も与えようとし、女性も与えようとすれば、けんかが起きるのです。片方は与えようとし、片方は受けようとしなければなりません。そうしてこそ、バランスがとれるのです。それは核を中心としてなされるのです。いくら賢い米国の女性であっても、これを否定することはできません。

 愛を求めていく女性の五官は、愛する男性が十里、百里行っても、その後をついて行こうとします。愛する人について行きたいのです。「来るな」と言えば、五官がすべて泣くのです。十里、百里行って、「よく来た」と言って手を広げれば、それだけでも泣くのです。悲しくて泣くのではなく、うれしくて泣くのです。

 それゆえ、女性という動物は、嫁に行かなければ死ぬのです。死んだのと同じです。賢い女性ならば、「そのような法がどこにありますか?。先生がつくって言う話であって、私はそうではありません」と言うなら、死ぬ時になってみなさい。一人で死にますか?。父母が見守り、それから妻であれば夫が、息子・娘が見守り、一族が見守る中で死にたいですか、一人で死にたいですか? (「一族が見守る中で死にたいです」)。すべてが真の愛で、主体・対象をなしているのです。

 「自分が完全に犠牲になろう」となれば、完全な核が生じる

 自分を主張すれば、核は生じません。完全な核は生じません。何のことか、分かりますか? 完全に体がなくなってこそ、完全な核が生まれるのです。絶対的な心の核を求めようとすれば、体を完全に否定しなければなりません。これを願う人は手を挙げなさい。

 これが問題です。完全な核は、完全な対象をつくりだすのです。(核と)授け受けする運動を始めれば、その核と同じ相対が生じるのです。完全なプラスは、完全なマイナスを創造するのです。

 女性は「私は結婚したのだから、朝から夜まで愛されなければならない。夫が私のために生きなければならない」と思わなければならないのでしょうか? 「自分が完全に犠牲になろう」となれば、完全な核が生じるのです。完全な愛の核がスタートするのです。そのことを知らなければなりません。

 米国の賢い女性たちが「私が中心だ。あなたは私を永遠に愛さなければならない」と言う時、そこに核があるでしょうか、ないでしょうか?。夫と妻がお互いに、「自分」が絶対にない位置に立ってこそ、そのような完全な女性の愛、完全な男性の愛をなしてこそ、神様が喜ぶことのできる愛が生じるのです。これが真の愛です。

 霊界は愛の空気でできています。それゆえ、夫の前に完全に自分を否定し、絶対信仰、絶対愛、絶対服従するのです。服従には「自分」という意識はありません。コンセプトがありません。「おお、私は米国のハイ・レベルの女性だ」といつも考えている人は、核をつくれません。

 (英)絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、絶対「無」になるのです。いかに偉大であっても、下がって、下がって、ゼロ・ポイントに到達すれば、そこに絶対愛が現れるのです。(英)

 米国の女性は、そのようなコンセプトがありますか?。霊界に行ってみなさい。先生の話が正しいか、正しくないか?。最近では「独裁の王がレバレンド・ムーンだ。レバレンド・ムーンは、白人も黒人も捕まえて奴隷化している」と言っています。私が奴隷化していますか?。自動的に奴隷になろうということは、永遠にゼロ・ポイントになろうということです。永遠にゼロ・ポイントになれば、永遠にゼロ・ポイントを占領するのです。

 (英)完璧に理解すれば、後は問題ありません。心と体が一つになれば、核の位置に立つのです。そのことをはっきり知らなければなりません。体を永遠にゼロの位置にすれば、代わりに、核が現れるのです。理にかなった終結です。終結しませんか、しますか?。終結しなければ、地獄につながります。終結すれば、天国に連結されるのです。分かりましたか? (英)

  自分を絶対に否定して、死の道を行き、絶対核である神様の前に帰る

 皆さんは、今まで万物を捕まえて食べたでしょう?。より価値のあるものは、より価値のないものを食べて大きくなるようになっています。神様がそのようにつくられました。この全宇宙では、人間という一存在を育てるために犠牲になられた神様が中心なので、人間もそのような犠牲の道を行かなければなりません。それを知らなければなりません。私がたくさんの万物を食べたので、私も神様の愛の前には吸収されなければならないのです。神様の愛の前に、死ななければなりません。そうすれば、神様の体になり、神様が愛の主体になり、神様の友達になることができるのです。

 それで、聖書には、「死なんとする者は」何とありますか?。イエスも全宇宙に対して、神様のために、神様の御旨のために死んだので、神様は復活させなければならないのです。死ぬことは、私のすることです。自分を否定しなければなりません。自分を絶対に否定して、死の道を行き、絶対核である神様の前に帰っていくのです。

 完全な核を宇宙的に保護するために、自分の体を完全に犠牲にすると決心をする人々は、地上で暮らすことのできる天国人であり、天上では神様の愛の対象になるのです。アーメン。

 (英)永遠、絶対、唯一、不変なる核の中心を、私たちは「神様」と呼ぶのです。神様とその位置で一つになるには、最初に肉体を否定しなければなりません。それが問題なのです。分かりますか?。霊界における核を考えてみれば、物質界をすべて否定して、無に帰れば、本然の道に戻っていくのです。帰っていくのです。復活の道は、完全否定して反対の方向に行くのです。(英)

 それで、聖書には、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」とあるのです。さあ、皆さん、結婚は必要ですか? (「はい」)。「結婚するのはやめろ」と、もしレバレンド・ムーンが教えたとすれば、ここに一人でも残るでしょうか、みな逃げていくでしょうか? (笑)「完全な凸と凹が一つになる」と教えてあげれば、みな押し寄せてくるのです。天下が押し寄せてくるというのです。

 地上生活と天上生活は反対です。地上で堕落した人々は自分のために生きますが、霊界は全体のために生きる所です。全体のために生きることができるように、堕落を否定すれば、全体のために生きる人になるのです。そうなれば、神様の相対圏、パートナーになることができるのです。永遠にアーメン

 ペアシステムです。主体と対象です。完全なものがペアなので、そこに従わなければなりません。心と体で、どちらがより善に近いですか?。体よりも心が善なのです。それゆえ、心に絶対的に従えば天国であり、体に従えば地獄行きであり、破壊されてなくなる存在であり、破滅なのです。

  より投入し、より犠牲となる人が中心の位置になる

 私は神様の代身なので、祖父も願い、祖父の息子である父も願い、左右である父母も願い、それから兄弟も願うのです。私もそうならなければならないので、私が父親になろうとして結婚し、息子・娘を生むのです。このように種となり、拡大し、国家、天宙、天の国が形成されるのです。アーメン

 では、統一教会で使う「四位基台」という言葉は何ですか?。妻・夫、それから子女です。それから神様です。これが三段階です。人間は赤ん坊として生まれ、成長し、妻と夫になります。霊界の根本は家庭組織です。三対象目的です(図4参照)。


 神様がこれ(四位基台)をもっているように、自分たちもこのようなもの(四位基台)をもたなければなりません。そうしてこそ、主体(神)と対象(人間)になるのです。分かりますか?。神様に帰っていくのです。根源と結果が一つになれば、宇宙が含まれるのです。

 このような概念は何かというと、家庭においては孝子にならなければならないというのです。絶対的です。家庭においては父母を中心としています。その父母は神様の弟であり、自分にとっては兄と同じです。父は神様の代身であり、家庭の核であり、私たちはその父と相対的関係にならなければなりません。

 そして、国とは何かというと、数多くの家庭が集まり、形成されます。王が国の父母であるので、王を中心として四季を越え、一生を越え、絶対服従、絶対従順、絶対愛をなすことができてこそ、国の忠臣になるのです。

 国のために、家庭、氏族、民族、全体を犠牲にしたとしても、国を生かさなければなりません。これを知らなければなりません。そして、何をするのですか?。世界に拡張しなければなりません。世界の王として来られる方がメシヤです。真の父母を中心として世界が連結されて一つになるためには、メシヤは自分の国、自分の氏族、家庭を犠牲にしてでも、世界のために生きなければならないのです。

 米国が世界を求めるならば、米国の主体である米国国民、米国の主権を犠牲にしてでも、世界のために生きなければなりません。こういう論理を中心として行くのです。そうしてこそ、聖人の位置に上がることができます。

 神様は宇宙の王です。宇宙の王のために生きるのです。世界、国、家庭を犠牲にしてでも、宇宙の王に侍ることのできる聖子、聖女にならなければなりません。聖子にならなければならないのです。

 なぜ、そうしなければならないのでしょうか?。私たちが本来の王の中の王であられる神様の本宮に帰る時には、プラスである神様がこの世界を、すべてを投入し、犠牲となる位置で創造されたので、私たちも神様の前にお返ししなければならないので、同じように犠牲の過程を経てこそ、対等な位置で祝福を受けるのです。相続がなされるのです。

 米国の大統領になったとしても、神様、宇宙を相続することはできません。米国全体を祭物として捧げ、神様の前に忠臣となり得る聖子の道理を行わなければ、全世界を支配することのできる相続権を受けることはできません。その位置が最高なので、その位置のためにすべてを投入するのです。家庭には国が必要であり、国には世界が必要であり、世界には天地、神様までも必要なのです。

 より投入し、より犠牲となる人が中心の位置になるのです。統一教会の人々は、「世界のために、自分の家庭、国を越え、世界、聖人の教派を越えて神様のために生きよう」という道を行くので、間違いなく、相続する時が来るのです。

 米国が「神のもとの一つの国」と言っていますが、それでは駄目なのです。米国のキリスト教が天下を統一しようとすれば、「神のもとの一つの世界」「神のもとの一つの宇宙」でなければなりません。行くべき道を知らないのです。

 私たち統一教会は、「神のもとの一つの国」ではいけません。それでは、世界がすべて背反します。力をもってしてはできません。「一つの世界、一つの宇宙」でなければ、神様の前に帰る道がありません。

 それゆえ、ユダヤ人も米国人も、ユダヤ教もキリスト教も、共産主義も民主主義も、すべて神主義に投入しよう (「アーメン」)。神主義は、「神のもとの一つの国」ではありません。「神のもとの一つの宇宙」です。それを知らなければなりません。家庭を中心として「ああ、息子・娘のために、妻のために、米国のために」、そのようなものは必要ありません。共産主義や民主主義というものは、必要ありません。私たちは王圏主義を求めていくのです。

 「家庭完成の核」。これは家庭においては孝子、国においては忠臣、世界においては聖人、天宙においては何ですか? (「聖子です」)。神様の前においては何ですか?。相続者です。全員が相続者になることはできません。兄弟が十人ならば、十人が相続を受けるのですか? よりために生きた人に相続するのです。よりために生きた人が相続を受けることができるのです。

 そうしてこそ、神様を中心として永遠な世界で父母に侍り、永遠な世界の観念を完成し、解放圏に立ち、「天下は私のものだ」と言い得る神様の息子・娘になるのです。アーメン (「アーメン」)。

 愛する人は、自分よりも何千万倍も立派であることを願うのです。それが、男性においては妻であり、妻においては夫であり、夫婦においては息子・娘であるというのです。同じように、神様も自分が愛する相対となる存在は、自分よりも何千万倍、何億万倍、高いことを願うのです。それゆえ、神様自体が崇め侍り、賛美したい息子・娘として、私たちを訪ねてきている、という事実を知らなければなりません。

 家庭完成の核、家庭、国家家庭、世界家庭、天宙家庭、それから神様です。これが家庭完成の核です。家庭がずれれば、どうなりますか?。そのような存在はありません。九〇度です。三六〇度、すべて合わなければなりません。そのような家庭がありますか?。米国は滅びます。警告します。しっかりしなさい。ここに来た人たち、分かりますか (「はい」)。核の王になる点を探し求めていかなければなりません。それが家庭においては、何ですか?。孝子であり、国においては忠臣であり、世界においては聖人であり、天宙においては聖子なのです。

 聖子とは何かというと、聖子は、天の国の法、天の国の宮殿法、地上の法、地上の宮殿法、二つの世界の四つの法を理解して、初めて天の国の相続を受けることができるのです。家庭完成の核です。これは運命ではありません。宿命です。

  統一教会は地上天上天国の合格者を養育する学校

 きょうは、七月の最初の聖日です。皆さん自身も、父母の前に孝行しなければならず、夫の前に烈女、妻の前に烈男にならなければならず、子女の前に忠誠の真なる父母にならなければなりません。真なる息子・娘となり、真なる家庭を成し遂げなければ、神様に属し得る道は永遠にないのです。家庭が問題なのです。

 それで、統一教会は家庭の世界化モデルケースを祝福し、その完成のために教え、地上天上天国の合格者を養育するのです。統一教会は、天地完成のための教会ではなく、学校なのです。

 きょうは、米国の独立記念日です。先生が監獄に行った日です。忘れることのできない日です。忘れることのできない日に、重要な、このすべてのことを教えるのです。米国は、米国が滅んだとしても、レバレンド・ムーンが言う家庭と米国の民族を残して死ななければ、みな地獄行きです。米国国民が世界的先導的立場で、これを連結させれば、世界を救うという責任を即刻完遂できるのですが、否定していった日には、永遠に人類の前に反駁され、冷遇され、糾弾され得る民族として地獄に落ちていくのです。そのことを知らなければなりません。警告します。

 人間は小宇宙であり、男性と女性の二人が一つになれば、星と同じように輝くのです。小さな星になりますか?。月のように輝きますか?。太陽のように輝きますか?。
 愛は熱のことをいうのです。「心が燃える」と言うでしょう。霊界に行けば、神様は愛の本体なので光と熱で現れるのです。霊の目で見れば、皆さんの愛の輝きがどれほどか、どのように輝いているか、まだらに輝いているか、虹のように輝いているか、すべて分かるようになっているのです。家庭が一つになって、光輝く星にならなければなりません。星にも、恒星のように星を治めるものがあります。太陽のようにです。

 個人主義でよいのですか?。霊界に個人主義がありますか?。プライバシーをもっていてよいのですか?。宇宙のすべてがかかっているのです。四百億にもなる細胞がすべて連結し存在しているのに、個人主義がどこにありますか?。それは悪魔主義です。それは滅びるのです。

 そして、肉体派、享楽主義に陥っていき、体の全滅運動をしているのです。何が、フリー・セックスですか?。ホモ、レズビアン?。私の手で整理します。何をもってですか?。真理の御言をもってです。さあ、分かりますか?。すべてのものの完成は、家庭を中心として、核を通して完成するということが分かったので、今から帰って競争です
 町に行き、「この町は滅びます。この原則、原理原則に合わなければ滅びます」と警告しなさいというのです。攻撃しなさい。デモをしなさいというのです。しますか、しませんか? (「します」)。

  正分合の論理を完成させる

 さあ、もう結論を下しましょう。
 私たちは、正分合の論理を完成しなければなりません。個人においては、心と体が一つになってこそ、正分合が完成するのです。絶対愛を中心として、心と体が一つにならなかったのが堕落です。男性の中でも、心がプラスであり体がマイナスです。女性も心と体があるのですが、どちらがプラスですか? (神に)近いところがプラスです。女性も完成しなければなりません。

 最初に、父母の懐で生まれる時は、赤ん坊として生まれます。同じ乳を飲んで育つのですが、男性の行く道、女性の行く道はそれぞれ違うので、育ってみると、見かけも違うのです。しかし、父母の前に子女は愛の対象です。三年間、母親に抱かれ愛されながら、子女は母親の体の骨と肉をもらって育つのです。母親の体の延長なのです。

 では、母親の骨と肉と血を延長した子女たちを、どのようにしてあげなければならないかというと、自分のように完全な女性にしなければなりません。母親になり、息子をつくらなければならないのです。夫のもとに行き、愛を受け、子女を抱き、初めて主人になるのです。息子・娘がいなければ、主人の位置は永遠にありません。

 性相と形状です。赤ん坊の種があるのです。結婚する前に、体に赤ん坊の種がついているでしょうか、いないでしょうか?。母親には、母親になることのできる種があるのです。それ自体は種ではありません。畑です。

 米国の女性たちは、結婚はしなくても、赤ん坊は欲しがるのです。なぜですか?。乳房がじっとしていないのです。そして、お尻がじっとしていません。一か月に一度ずつ月経がくるので、興奮したり、おさまったりしていると、男性が慕わしくなるのです。その時は、夫を必要とするのです。帰っていくのです。

 血を生産し、血を流すのです。それはなぜかというと、妊娠すれば赤ん坊に血を分け与えなければならないので、分けてあげる血を貯蔵する貯蔵倉庫がなくては大変なことになるのです。神様は天地の調和をご存じなので、女性は毎月、月経がくるようになっているのです。月と同じです。

 女性の排卵期は、月が満ちるのと同じように、人によって違います。北側にあったり、南側にあったり、東側にあったり、西側にあったりして違うように、一か月に一度ずつの妊娠できる排卵期は、人によって違うのです。それに合わせれば、避妊もでき、すべてできるのです。それゆえ、女性は畑です。何の畑ですか?。赤ん坊を育てることのできる血の畑なのです。

 生命の種は、女性にあるのではなく男性にあるのです。男性をもたずに、赤ん坊をもとうとするのは泥棒女です。結婚を否定することは、女性の存在を否定し、月経、体、乳房、お尻、陰部を否定することです。宇宙自体が、そのようなものはすべて除去してしまいます。

 それゆえ、一人で暮らして、情欲に勝つことはできません。布団をかぶって泣いたり、ありとあらゆることをします。偽のセックスをしたり、ありとあらゆることをするのです。ホモ、レズビアン、このような愚か者が出てくるのです。

 愛は、好きな者同士でしなければなりません。分かりますか?。目が好きで、鼻が好きで、口が好きで、耳が好きで、手をつないで永遠に喜ぶことのできる人同士でするのです。それが真の愛の相対です。

 それで、絶対的家庭、絶対的父母、絶対的夫婦にならなければなりません。絶対的子女を生もうとすれば、絶対的夫婦になり、絶対的セックスを通らなくては、絶対的理想的家庭と息子・娘をもつことはできません。これが結論です。

 それで、最初に皆さんの心と体があります。神様は二つに分けました。心と体が一つにならなければなりません。正分合です。心と体が、第一次正分合をなして一つにならなければなりません。分かりますか?。三段階を越えていかなければなりません。その第一番目の基盤が何かというと、心と体が一つになるということです。

 心と体が一つになっていますか?。心と体が一つになっている人、手を挙げなさい。真の愛から、父母を通して生まれていれば、間違いなく一つになっているはずですが、偽りの愛によって始まったので、みな闘うようになっているのです。

 最も恐ろしい戦場は、どこにありますか?。第三次世界大戦ではありません。何の戦争ですか?。皆さんの心と体が闘う、この戦争の舞台です。私の体が戦場になっているのです。この戦場を整備することが、最も恐ろしいことなのです。

 アダム・エバが堕落したその日から始まり、今まで数千万年間、休戦もできず、停戦も一度もしたことがないのです。これを停戦、休戦させるために、メシヤを送る御旨があるということを知らなければなりません。それがメシヤ思想です。

  サタンの血統と心情を受け継いだ人類

 (英)メシヤの資格とは何でしょうか?。真の父母です。その根本は神様です。第一のメシヤが神様です。分かりますか?。堕落により、悪の父母が現れました。彼らがこの世界を悪の世界にしました。心と体が闘うようになったのです。戦場と化した肉体では、戦争をなくすことができないのです。いつ、この戦争が終わるのでしょうか?。統一された時です。しかし、自分自身でいくら統一しようとしてもできません。唯一、真の父母が現れることにより、上下を引っ繰り返して、きれいに整理できるのです。この地球上にメシヤを迎えなければ、戦争をなくすことは永遠にできません。

 真のオリーブの木が現れて、野生のオリーブの木の世界、悪なるウィルスを切り取って接ぎ木するのです。その木が成長して、三代後には、真の木になるのです。真のオリーブの木、種になるのです。このようにして、凌駕していくのです。その種から実ったものをすべて収穫するのです。

 それゆえ、野生のオリーブの木を一度に切ってしまうのです。いっぺんに切ってしまうのです。だれも反対できません。ただ従うしかありません。メシヤの行く道に従うのです。反対の立場には立てないのです。分かりますか?。一度に切って、一度に接ぎ木するのです。枝を接ぎ木すれば、真のオリーブの木になるのです。

 そこから、神様の血統が人間に伝わっていくのです。そして、神様が自由に世界をコントロールできるのです。それが、神様の本然の理想世界です。理想をすべて失いましたが、今、本然の理想に帰ることができるのです。真の父母を中心として全世界に愛を相続させ、やがて、サタンの悪なる父母の血統はなくなるのです。

 青少年の問題、家庭崩壊の問題が起こります。全世界の青少年問題は、いかなる国も解決できません。なぜでしょうか?。創造主である神様でさえ、主管できなかったのです。では、神様は堕落の時にそれを主管できませんでしたが、さらに悪に陥ったこの地獄の位置を、神様はいかに主管するのでしょうか?。主管できるのは、ただ一つの存在だけです。人間は罪を犯しました。だれが、この人間の罪を正すことができますか?。正しい人が現れれば、罪を清算できるのです。それがメシヤです。真の父母です。

 堕落後、その父母から人類が出発しました。サタンの血統と心情が、皆さんに受け継がれているのです。あなたにもです。この大きな女性にもです。サタンの血で、体と心、世界をつくり上げたのです。心と体の闘いは、神様がつくったものではありません。サタンがこのような闘いをつくったのです。どんなに難しくても、神様の敵、すべての被造物の敵を切り捨てなければなりません。それをはっきりと知らなければなりません。肉体の欲望をきれいに消さなければなりません。

 本来、心の位置はプラスです。堕落後、サタンは偽りの愛で、体をプラスとして植え込みました。プラスとマイナスは自動的に一つになるのですが、プラスとプラスは相反するのです。堕落がなければ、真の愛を中心として、本然の環境で自動的に一つになったのです。問題ありませんでした。女性と男性が成長すれば、自動的に一つになれたのです。プラスである心の位置とマイナスである体が、自動的に愛で一つになったのです。心と体には闘いはありませんでした。

 では、その闘いをだれがつくったのですか?。サタンが植えたのです。サタン、サタンです。サタンがそのような基盤をつくり、どれだけ人間を不幸にしたでしょうか。その血を抜き取らなければなりません。旧約時代の祭物は万物でした。切って血を流すのです。なぜですか? サタンの血だからです。

 神様の位置は十分の一だけでした。後の九はすべて、サタンの位置だったのです。神様は、その十分の一の人々であるユダヤ民族を第一イスラエル選民として、家庭、民族、国家へと成長させたのです。国家とは、後にメシヤを送る基盤であり、キリスト教の起点でもありました。イスラエル民族の神側としての選民の位置は、本来のオリーブの木ではありませんでした。堕落した野生のオリーブの木でした。しかし、神側の領域に連結されていたのです。神様はそのイスラエル民族に、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を願われたのです。

 そこでは、ユダヤ教がアベルであり、国家がカインです。カインとアベルです。カインが体を代表し、心は教会側です。体と教会が、そのような概念で闘っていたのです。イスラエル国家でさえ、そのような概念をもっていました。

 神を中心とした祭司長と国王、この両方の権力が、海を越えて全世界で歓迎されれば、いつでも世界を一掃できたのです。神様を中心とした一つの国家、世界、天宙は問題ありませんでした。自動的に成長し、協力しながら神様の理想を収穫できたのです。

 家庭、国家、世界、天宙が、自動的に真の愛を中心に一つとなるのです。真の愛の力で、神様の絶対的プラスと絶対的マイナスが、自動的に一つになるのです。堕落世界の男性と女性でも、自動的に一つになる力があるのに、堕落しなければどれだけ強い力で、世界中の青少年、家庭をカバーできるでしょうか?

 堕落後、肉体がプラスの位置を相続したのです。神様が絶対的マイナスの位置に立てたものを、プラスにしたのです。堕落後、サタンの愛の種を、この肉体に植え込んだのです。どれだけ深刻なことでしょうか?。いかにして神様は、再び、人間を本然の真のオリーブの木として取り戻すのでしょうか?

 お金の力、知識の力はサタン側に属します。政治的力、知的な力、お金の力、これらはサタンが欲しがるものです。堕落世界の希望は、三つのものです。そんなものは必要ありません。サタンが必要としているものです。神様はそのようなものはもっています。力強い存在です。知識の王です。本当ですか?。お金、知識、ダイヤや金などは、問題なくつくれるのです。神様は、そのようなものは必要としていません。

 神様の唯一の願いは、サタンによって堕落した人間を善なる存在にすることです。個人、家庭に始まり、国家、世界、天宙まで、神側の存在が唯一願うのは、絶対的な愛です。なぜでしょうか?。神様は今まで、そのような概念を核として望んでいたからです。

 どんなに難しくても、否定され、迫害されても、気にしてはいけません。家庭基盤を中心として世界中の家庭が一つとなって、統一教会に反対したのです。しかし、どんなにやっても、何の結果も出ないのです。では、次は氏族で、駄目なら国で、今度はすべての国が一つとなってレバレンド・ムーンに反対しましたが、何もできません。

 レバレンド・ムーンは、たった一人です。世界中の堕落した人間が一つとなって、どうやって闘いますか?。レバレンド・ムーンは、心と体を完全に一つにしたのです。それは、本然の力強い神様と連結した姿です。どんなに反対する存在も、滅ぼすことはできません。レバレンド・ムーンは、いつも大きな迫害の場所に身を置いてきました。神様の真下です。(英)

  私が努力しなければならないことは、心と体の闘いを休戦させること

 正分合です。妻と夫は、神様の中にあった創造理想です。アダム・エバです。堕落したので、女性も心と体が闘い、男性も心と体が闘うのです。それをどのようにして統一するのか、というのです。それゆえ、女性は自分勝手に夫と離婚をし、ありとあらゆることをし、男性もありとあらゆることをするのです。フリーセックス、ホモ、レズビアン、動物よりも悪い者たちになってしまったのです。

 結婚とは、父母の承諾を受けてするものです。父親である神様の承諾を受けずに結婚したことが、堕落なのです。その伝統を完全に破ってしまったのです。

 (英)神様は父母です。その神様の子供がアダム・エバでした。だれが、アダム・エバの結婚を決めるのでしょうか?。アダム・エバではありません。親である神様です。理想の結婚は、神様から始まるのです。最初の過ちを犯したところまで戻り、断ち切るのです。統一教会員は神様抜きでは自由に結婚できません。核である父母の思想を連結しなければなりません。その核が相対を顕現させ、連結させるのです。(英)

 皆さんは先生が結婚させてあげたのですが、不平を言う人がいれば、手を挙げなさい。(笑)皆さんの目よりもいいのです。数十年間、人を扱ってきたので、サッと見れば分かります。あなたの妻は、少し太っていて顔が丸いでしょう? (「はい」)。統一教会の教主になって、皆が立派になるように相対を結んであげなければならないのであって、悪くなるように相対を結びますか?

 韓国では、四柱観相を上手に見る人が一組結婚させようとすれば、一週間から三週間かかるのですが、私は一日に、三千七百、四千双、五千双、七千双までしたのです。統一教会の人は祈祷するのです。結婚は深刻なので、「お父様、私の相対はだれですか?」と祈祷すると、「あなたの相対は日本人だ。インディアンだ」と、教えられるのです。それを先生がどうして知っているのですか?。そのように教えてくれた通りに、すべて合わせるのです。それをどのようにして合わせるのですか?。それを研究してみましたか?。私は、それを二年前に発表しました。指です。(笑)足が行くのです。もっと行こうとすると、「行ってはいけない」というのです。間違いありません。

 そのように組まれたのに、それを壊した人は見ていなさい。よくありません。絶対によくありません。見ていなさいというのです。自分の心に合うか、合わないか、三年だけ過ごせば、七年だけ過ごせば、みな敬礼するようになっているのです。「感謝です」と言うようになっています。(拍手)神様の心情の世界まで発掘したレバレンド・ムーンは、偽者ではありません。

 先生が教えてあげた内容は、世界のどの図書館にもありません。霊界の図書館にもありません。初めてなのです。これは、神様、霊界、地上、人間が貴く思う、宝の倉庫の記録なのです。それは、だれもが見ることのできるものではありません。サタン世界におけば、すべて盗まれるではないですか?

 一番の問題は、心と体が一つになることです。心と体が一つにならなければ、正しい人になれず、天国もできず、神様が(私を)信じることができず、教会が(私を)信じることができず、世界が(私を)信じることができないのです。私が努力しなければならないことは、心と体の戦いをやめさせ、休戦させることです。それが先生の目的です。

 心と体が一つになったという人、手を挙げなさい。米国の女性たちは、口が早く、よくしゃべるでしょう。口げんかをすれば、女性に負けるようになっています。女性には勝てません。負けるので、拳で叩くのです。殴られて不平を言う女性、反抗するチャンピオンが殴られるのです。男性よりも言葉を遅くすれば殴られないのですが、早く話すので殴られるのです。それが公式です。私はそのように思っています。皆さんも夫婦げんかをするでしょう。(笑)口を守りなさい。

 「ああ、死にたい、離婚したい」と思っても、我慢し、話してはいけません。一度話せば、「離婚する女性だ」という烙印を押されます。男性はそのようなことは言いません。
 男性の主体性は、西洋世界、米国では求めることができませんが、東洋では求めることができます。それは来られる再臨主を迎えるための、新婦としての、一時の特権的世界です。これは七十年期間の役事であって、永遠に米国がそうなのではありません。女性たちは、男性の前に絶対服従しなければなりません。

  理想的家庭形態

 心と体の統一です。これが、私たちがなすべき公式です。それから何ですか?。そのような男性と女性が一つになるのです。一つにならなければなりません。それが正分合です。それは二番目です。三番目は何かというと、父母と子女が一つになるのです。これが、きょう話した理想的家庭形態です。それが核です。正分合、このコンセプトで、自分の心と体を統一しなければなりません。心と体が分かれてしまったというのです。

 心と体が一つになった女性が、絶対女性です。それを知っているのです。皆さん自身が、心と体が一つになっているかいないか、何パーセント一つになっていないか、教えてあげなくても、すべて知っているのです。「知らない」と言ってはいけません。だれが知っているのですか?。心が知っているのです。知らないという人、手を挙げてみなさい。知っているでしょう。(「はい」)。

 二人がけんかをすれば、すでに審判は下されています。自分が「正しい」と思うならば、なぜけんかをするのですか?。正しいことが分かれば、じっとしていなさい。そうすれば、負けても罪は犯しません。(それは)善を繁殖することです。分かりますか?
 (英)終わりまで口を閉じていなさい。そのような人を神様は望むのです。

 統一教会に反対する人々が騒ぎ立てますが、争うことはできません。口を閉じなさい。静かにしていなさい。分かりましたか?。一回、二回、三回と続ければ、相手の力も落ちます。それが天の法です。迫害を受けるものが成長するのです。なぜですか?。神様が保護するからです。神側に立てば、神様が保護し、成長させるのです。それが自然の法則です。

 サタンが打てば、それだけの代償を払わなければならないのです。反対し、打つものは落ちていき、迫害を受けるものは栄えていくのです。分かりましたか?。サタンと神様の戦略は違うのです。神様は打たれて復帰し、サタンは打って滅び、地獄に行くのです。(英)

 ですから、迫害を受けながら発展するのが統一教会です。天の作戦は打たれて奪ってくるのであり、サタンは打って滅びるのです。利子までもらうのです。結局、だれが勝つのかというと、心が勝つのです。分かりますか?

 さあ、女性。正分合、心と体が一つにならなければなりません。そうならずに、愛されようというのはサタンです。二つの心をもてば、サタンになるのです。ここにいる米国の人たち、お金をもうけようとしたらサタン側です。助けてあげようとしなければなりません。分かりますか?。それが神様の作戦です。与えて忘れ、与えて忘れということに、ついて行きなさい。

 そのようになってこそ、女性ならば完全な女性になるのです。十年くらいそのようにしてから、分かれるのではなく、永遠にそのようにするのです。そのような人は、一度約束したら、行ったり来たりすることはありません。結婚とは、愛と生命と血統を一つにすることです。それが最も貴いことです。血統は歴史を代身し、生命は生命を代身し、愛は宇宙を代表して約束を定めたのに、二つの心はあり得ません。そうではないですか?。それを否定することができますか?。いいえですか、はいですか? (「いいえです」)。

 ですから、そのような哲学、愛の哲学の論理と完全に一つとなった生涯路程として、永遠に変わることなく、絶対、唯一、不変、永遠な理想世界に向かう、ハイウェイを走る運転手になり、走る車になるのです。

 夫婦がそうです。運転手になり、家庭は車になるのです。家庭が車なのです。それは、だれが運転をするのですか?。父母が運転をして、走って行くのです。そうすれば、永遠に幸福であり、永遠に自由であり、永遠にユートピアファミリーの世界になるのです。(「アーメン」)。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓

PVアクセスランキング にほんブログ村
にほんブログ村 にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023.09.16 16:36:44
コメント(0) | コメントを書く
[文鮮明先生み言葉選集(講演文)] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.