000000 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ゴジラ老人シマクマ君の日々

PR

全17件 (17件中 1-10件目)

1 2 >

映画「こたつシネマ」でお昼寝

2022.01.11
XML
​​バレンタイン・デイビス「ベニイ・グッドマン物語」こたつシネマ​​

 チッチキ夫人のお誕生日プレゼントでヤサイクンが贈ってくれたのが、このDVDでした。バレンタイン・デイビス「ベニイ・グッドマン物語」です。​

​ スイングジャズというのでしょうか、クラリネットの名手ベニー・グッドマン「出世」物語です。もちろん出世とは、世に出るという意味です。1956年、今から60年前の映画ですが、楽しさは古びていませんでした。​
 まず面白いのが1910年代のアメリカの中流家庭の雰囲気と音楽事情です。子どものころの「名犬ラッシー」とかで垣間見た「アメリカ」がよみがえってきました。あの頃の、和製のドラマとは違う世界ですね。
 そして、まあ、なんといっても音楽です。後半は特に演奏シーンがメインですから、これは劇場で見られたら、もっと楽しいでしょうね。
 この春シネリーブル神戸「テアトル・クラシックス」という企画で懐かしのミュージカルを特集するらしいのですが、うれしいニュースですね。こういう古い作品を劇場で見ることができる機会は、そうないですからね。
監督 バレンタイン・デイビス
脚色 バレンタイン・デイビス
製作 アーロン・ローゼンバーグ
撮影 ウィリアム・H・ダニエルズ
美術 アレクサンダー・ゴリッツェン ロバート・クラットワージー
音楽監修 ジョセフ・ガーシェンソン
キャスト
スティーブ・アレン(ベニイ・グッドマン)
ドナ・リード(アリス・ハモンド恋人)
バータ・ガーステン(母)
ロバート・F・サイモン(父)
ハーバート・アンダーソン(ジョン・ハモンド:アリスの兄)
サミー・デイビス・Jr.(フレッチャー・ヘンダアーソン:ピアニスト)
ディック・ウィンスロー(ギル・ロダン:サキサフォン奏者)
バリイ・トルエクス(グッドマン16歳)
デイヴィッド・カスディ(グッドマン10歳)
ハリー・ジェームズ(トランペット)
ジーン・クルーパ(ドラム)
ライオネル・ハンプトン(ヴィブラフォン)
ベン・ポラック(ドラマー)
1955年・アメリカ
原題「The Benny Goodman Story」
配給 ユニヴァーサル
2021・11・3・こたつシネマ
​​
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

にほんブログ村 映画ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​​​​​
​​​​​

​​​​​​​​​​​​​​​
​​​​​​​​​​​​​​​​​






最終更新日  2022.01.20 12:11:44
コメント(0) | コメントを書く


2022.01.04
​​ウォシャウスキー兄弟「マトリックス」こたつテレビ​​

 お正月の準備で忙しそうなチッチキ夫人をしり目にこたつにもぐり込んでニ時間頑張りました。見終えて、ボンヤリしていると、一緒に見たわけではないチッチキ夫人が一言声をかけてきました。
「テレビで見ても面白くないんじゃないの?」
 そうでもないかったのですが、よっぽど、面白くない顔をしていたんでしょうね。
​ 見た映画は、二日ほど前に「マトリックス リローデッド」という、シリーズの第2作を見たのですが、なんと、第1作の「マトリックス」でした。
 第4作公開がらみで、シリーズを全部TVで流していたようで、そのチャンネルに偶然出会って座りこみました。年の瀬とか言いますが、することがない老人にはすることがないのですね。​

​ 第2作でよく分からなかった主人公のネオという人がハッカーだったとか、どうやって強くなったとか、画面がグンニャリ変化するの理由とか、「どこでもドア」の理屈とか、それなりにわかりました。​
 あくまでもそれなりですが、要するに養老孟司のいう「脳化」社会の映像化だなというのがぼくの解釈でした。で、思い出したのは「胡蝶の夢」の話でした。
昔者(むかし)、荘周、夢に胡蝶と為る。
栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。
自ら喩(たの)しみて志(こころ)に適(かな)へる。
周なるを知らざるなり。
俄然として覚むれば、則ち蘧蘧(きょきょ)然として周なり。
知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。
周と胡蝶と、則ち必ず分有り。
此をこれ物化と謂ふ。
​ 今から2000年以上も昔の人である荘子の有名な話です。中国の古典には「桃花源記」とか「邯鄲之夢」とか、夢ネタの怪奇譚はたくさんありますが、詩的というか哲学的なのは荘子のこの夢でしょうね。脳=意識の中のヴァーチャル・リアリティーを世界で最初に記した記述かもしれません。
​ 養老孟司の脳化社会論(?)は身体性=自然性を失っていく都市化社会への警告なのだと思いますが、「マトリックス」というこの映画が一切の自然性をヴァーチャル化=脳化して見せているところに迫力を感じました。​
​ もっとも、「マトリックス」から20年たった現在、子供たちに限らず、込み合う通勤電車でマスクで覆面した大人たちがスマホやタブレットのITワールドに夢中になっている光景が常態化しているわけで、現実の方がはるかにホラー的迫力を漂わせていることを思わせるこの作品は、今や「古典的」なのかもしれません。​
​ 久しぶりに、ドラゴン・ボールから庵野秀明まで、あの頃のマンガ・シーンを彷彿とさせてくれたウォシャウスキー兄弟拍手!でした。​
監督 アンディ・ウォシャウスキー   ラリー・ウォシャウスキー
脚本 ウォシャウスキー兄弟
撮影 ビル・ポープ
美術 オーウェン・パターソン
衣装 キム・バレット
編集 ザック・ステーンバーグ
音楽 ドン・デイビス
視覚効果監修 ジョン・ゲイター
カンフー振付 ユエン・ウーピン
キャスト
キアヌ・リーブス(ネオ)
ローレンス・フィッシュバーン(モーフィアス)
キャリー=アン・モス(トリニティー)
ヒューゴ・ウィービング(エージェント・スミス)
グロリア・フォスター(預言者オラクル)
ジョー・パントリアーノ(サイファー)
マーカス・チョン(タンク)
ポール・ゴダード(エージェント・ブラウン)
ロバート・テイラー(エージェント・ジョーンズ)
ジュリアン・アラハンガ(エイポック)
マット・ドーラン(マウス)
ベリンダ・マクローリー(スウィッチ)
アンソニー・レイ・パーカー(ドーザー)

1999年・136分・アメリカ
原題「The Matrix」
2021・12・30・こたつテレビ
​​
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

にほんブログ村 映画ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​​​​​
​​​​​

​​​​​​​​​​​​​​​
​​​​​​​​​​​​​​​​​​
​​​​​






最終更新日  2022.01.07 09:19:31
コメント(0) | コメントを書く
2022.01.01
​​​​​​​​​ウォシャウスキー兄弟「マトリックス リローデッド」こたつシネマ​​

 今は2021年の年の瀬ですが、ちょうど劇場公開されている「マトリックス レザレクションズ」という映画が気になっています。気にはなっているのですが、そもそも、やたら評判のいいらしい「マトリックス」という最初の作品も、そのあとの二つの作品も、全く見ていないわけで、その映画が「SFかな?」とか、まず、言葉がよくわからないのですが、「サイバーパンクかな?」とか、「未来世界ものかな?」というくらいしか見当がつきません。

「どうしようかなあ・・」
 そう思って逡巡していたのですが、クリスマスの夜に目的もなくTVをつけるとそこでやってました。
 ​「マトリックス リローデッド」です。
 どうも「マトリックス」の続編、第2作らしいですね。せっかくのチャンスですから、これは見ないわけにはいかないと見始めました。​

 ボンヤリ見ていて、ふと、「なんでこうなるの?」という感じで映像がそのようになるということの意味を不思議に思いはじめると、なんだかとてもめんどくさい気分になり始めました。で、しばらくして​「ああ、これってどこでもドアやな。」​というふうな納得がやってきました。要するにドラえもんあたりの理屈(?)なのだと、ようやく落ち着いて座り直しました。
​ 結局最後までボンヤリ見終えたのですが、不思議だと思ったのは、物語の舞台は「未来」に設定されているのですが、人間同士というか、まあ、アンドロイド(?)とか、レプリカント(?)とかいろいろあるようなのですが、とりあえず「人間」の外見の登場人物たちの「心理」というか「意識」は案外「今風」というか、ヘタをすると、もっと古い「物語」なところでした。​
 で、その古い意識による行動がストーリーを牽引しているわけで、それじゃあ、どんな「あたらしい物語」が可能なのか、と思っちゃうわけですよね。  
 昔、「サルの惑星」を初めて見たときに、結局「サル」の姿をした人間の話であることを不思議に思ったことを思い出しましたが、この映画のなかでも「機械」と呼ばれている「敵」についても、たとえば、裸になると体のあちこちボタンのようなものが取り付けられているネオ(キアヌ・リーブス)という、主人公(?)についても、そのボタンの仕組みはよく分かりませんが、本質は、ただの人間というか、見ているこっち側から十分理解が届く存在で、べつに新しい感じはしませんでした。
 SF的な作品に対する、マア、ないものねだりというか、むしろ見る側が一歩引いている感じの感想なのですが、そう思って見てしまうと書き割りだけが大仰に未来的な「マンガ」という印象でした。
 ここで「マンガ」といいましたが、必ずしも貶しめているわけではありません。ボクはかなり「マンガ」が好きなほうです。ある種のシンプルさによるデフォルメが、マンガの持ち味の一つだと思いますが、この映画も、とてもシンプルだと感じました。
 まあ、とは言いながら、映像の動きのなかには、なぜそうなるのかわからないこともたくさんありました。いってしまえばドラえもんを読む小学生は「どこでもドア」の仕組みを考え込んだりしないのですが、そばでのぞき込んでいるおじいさんは首を傾げてしまう、まあ、そんな感じです。
 結局、新しい「レザレクションズ」という映画を見ようという意欲はあまり湧いてこなかったのですが、「どこでもドア」の仕組みとか、いろいろ考えこむ作品でした。
 いやはや、それにしても、なぜ戦いはカンフーなのでしょう。それが、一番引っかかったことでした。
 というわけで、どこに拍手していいかわからなかったので、今回は保留ですね(笑)。

監督 ラリー・ウォシャウスキー・アンディ・ウォシャウスキー
脚本 ウォシャウスキー兄弟
音楽 ドン・デービス
カメラ ビル・ポープ
編集  ザック・ステンバーグ
視覚効果 ソニー・ピクチャーズ・イメージワークス

キャスト
ネオ( キアヌ・リーブス)
モーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)
トリニティー(キャリー=アン・モス)
エージェント・スミス(ヒューゴ・ウィーヴィング)
ナイオビ(ジェイダ・ピンケット=スミス)
2003年・138分・アメリカ
原題「The Matrix Reloaded」
2021・12・24・こたつシネマ
​​​​​​​​
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

にほんブログ村 映画ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​​​​​
​​​​​

​​​​​​​​​​​​​​​
​​​​​​​​​​​​​​​​​​
​​​​​






最終更新日  2022.01.01 03:01:01
コメント(0) | コメントを書く
2021.12.31
​​​​​​バリー・レビンソン「バンディッツ」こたつシネマ​​
​                ​映画.com
 ​「ああ、ブルース・ウィリスか?」​

​ まあ、そんな気分で見始めましたが、欲求不満の塊のような女性ケイト(ケイト・ブランシェット)のハチャメチャなファースト・シーンに引き込まれて、お終いまでテレビの前を離れられないことになってしまいました。​
 最後のパターンが、見ている人の意表を突くように、徹底的に仕込んでいるところが映画というか、エンタメとしてエライ!と感心しました。
 ラスト・シーンを見終えてジョージ・ロイ・ヒルという、今は亡き名監督の傑作「スティング」を思い出しました。
​​ あの映画には女性は登場しなかったような記憶がありますが、この映画ではなかなかいい感じに「ぶっ飛んでいる」女性ケイトと、脱獄囚で銀行強盗のジョー(ブルース・ウィリス)、テリー(ビリー・ボブ・ソーントン)の二人組との三角関係が大事なプロットになっています。​​
​ もっとも、そこのところあたりはシマクマ君には「めんどくさいなあ」であって、見張り役のハーヴィー(トロイ・ギャリティ)の、ピンク色の女性を追っかけるこだわりも「フーン???」だったのですが、やたらに派手な結末で全員集合しているところは拍手喝采でした。​
 所謂「アメリカン・ニューシネマ」のイイトコ取りのような作品でしたが、それが、かえって楽しい趣向を感じさせてた作品でした。ブルース・ウィルスが雰囲気だけはまき散らしてましたが、暴れなかったのがぼくにはよかったですね。
​ まあ、やっぱりケイト・ブランシェットに拍手でした。いや、ほんと、ご苦労様でしたという感じです。​
監督 バリー・レビンソン
脚本 ハーレイ・ペイトン
撮影 ダンテ・スピノッティ
音楽 クリストファー・ヤング
キャスト
ブルース・ウィリス(ジョー・ブレーク)
ビリー・ボブ・ソーントン(テリー・コリンズ)
ケイト・ブランシェット(ケイト・ウィーラー)
トロイ・ギャリティ(ハーヴィー・ポラード)

2001年・124分・アメリカ
原題「Bandits」
2021・12・25・こたつシネマ​​​​

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

にほんブログ村 映画ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​​​​​
​​​​​

​​​​​​​​​​​​​​​
​​​​​​​​​​​​​​​​​​
​​​​​






最終更新日  2021.12.31 01:49:34
コメント(0) | コメントを書く
2021.12.26
​​マーティン・ブレスト「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」こたつシネマ​​
​​​​​              映画.com
 ここのところ、といっても、この二日ですが、TVの洋画劇場を続けてみました。今日見たのは、アル・パチーノ1992年アカデミー賞で、主演男優賞をとった「セント・オブ・ウーマン」という作品でした。​​​

​ アル・パチーノは、もう40年以上も前のことですが、ジーン・ハックマンとさすらった「スケアクロウ」、アブナイ刑事の「セルピコ」、テレビスターまがいの銀行強盗「狼たちの午後」、そしてやくざの跡取り「ゴッド・ファーザー」まで、まだまだありますといいたい印象的な作品で、ぼくの中では絶対的な贔屓役者の一人です。​
 もっとも90年以降は、映画を見なかったのでこの映画のことは全く知りませんでした。今日見たのは1992年の作品で、題名は番組が終わって確認しないとわかりませんでした。
 目が見えないからでしょうか、生きていることの喜びを失っている元軍人と、ひょんなことから生きていくことのへの期待を失いそうになっている、絵に書いたような「好青年(?)」の出会いが、自殺用のコルト・ガバメントを巡って繰り広げられていました。​             ​Wikipedia​​
​ 瞳を動かさないアル・パチーノが、軍用ピストルを組み立てていく様子を青年が見つめるシーンに見入りながら、映画館に行かなかった30年を考えてしまいました。​
​​​ おそらく有名な映画なので筋は追いませんが、ドナ(ガブリエル・アンウォー)という女性とタンゴを踊るシーンとか、ランボルギーニというのでしょうか、真っ赤なスポーツカーを走らせるシーン、最後に姪の家に帰ってきて、小さな二人の子供に声をかけるアル・パチーノの後ろ姿、それぞれのシーンが、なんというか、「生きる歓び」を掻き立てるような作品でした。​​​
 原作は小説があるようですが、監督が「ビバリーヒルズ・コップ」マーティン・ブレスト、脚本が「カッコーの巣の上で」の脚本家ボー・ゴールドマンだそうで、まあ、面白いはずですよね。
 それにしても、円熟を感じさせるアル・パチーノの演技​には拍手!拍手!でした。
監督 マーティン・ブレスト
脚本 ボー・ゴールドマン
撮影 ドナルド・E・ソーリン
美術 アンジェロ・グラハム
衣装 オード・ブロンソン=ハワード
編集 ウィリアム・スタインカンプ  マイケル・トロニック
音楽 トーマス・ニューマン
キャスト
フランク・スレード中佐(アル・パチーノ)
チャーリー・シムズ(クリス・オドネル)
トラスク校長(ジェームズ・レブホーン)
ドナ(ガブリエル・アンウォー)
1992年・157分・PG12・アメリカ
原題「Scent of a Woman」
2021・12・25・こたつシネマ​​

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

にほんブログ村 映画ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​​​​​
​​​​​

​​​​​​​​​​​​​​​
​​​​​​​​​​​​​​​​​​
​​​​​






最終更新日  2021.12.26 11:26:51
コメント(0) | コメントを書く
2021.09.28

​​原田眞人「わが母の記」こたつシネマ
​              ​映画.com


 テレビで久しぶりに映画を観ました。井上靖の、いわば「生い立ちの記」ともいえる自伝小説「わが母の記」(講談社文芸文庫)の映画化作品でした。
 2012年の作品で、公開当時話題になった作品らしいのですが、知りませんでした。ただ、最近、樹木希林という、先年亡くなった女優さんに、少し興味を持っていて、この作品の彼女の演技が出色のものであるという評判もあり、夕食後のごろ寝のまま見始めました。
 なるほど、ちょっと、この世とは違う場所を堂々と歩きまわる風情の演技には感心しました。もっとも、この女優さんの若いころからの「十八番」の演技とも言えないわけではない「表情」であり、「挙止動作」、「せりふ回し」なわけで、彼女なら当然だろうという気もしました。
 なるほど、評判になるだろうという展開でした。ただ、ぼく自身は、原作もそうなのですが、いかにもな、「捨てられた子」「捨てられる母」という組み合わせを、ある種、普遍的な「愛」のようなもので説明するパターンがあまり好きではないこともあったのでしょうか、父と娘、母と息子、母と娘の組み合わせが、少々かったるい気もしたのでした。
 ただ、見ていて、中学生のころ、当時70代だった祖母が、夜な夜な、もうこの世にはいない「父」を求めて徘徊する、いわゆる老人ボケ(当時、認知症という言葉は、まだなかったと思います)の様を思い出しました。
 祖母は、幼いころに養女として貰われてきた人だったのですが、祖母が探したのは養家の義理の父親でした。あの時の、祖母の脳裏に浮かんでいた妄想はいったい何だったのでしょう。
 また、この映画の中にも、八重が家族を見忘れるシーンがありましたが、当時の祖母にとって、​​
中学生のぼくは、自分の息子のお友達であったようですが、帰宅すると玄関で丁寧にあいさつされたことを覚えていますが、当時のぼくにとっては、かなりショックな体験でした。
 どちらかというと、そういう記憶を、ぼんやりたどりなおしたり、一人暮らしの義母のことを思ったりする映画でした。
​​​ 別にケチつける気はありません。少年の日に書いた、忘れてしまった詩の文句を、ぼけてしまっている「母」が暗唱するシーンでの樹木希林と、それを見る役所広司のシーンなどは、やはり心に残るに違いありません。単なる好みの問題に過ぎない感想でした。
監督 原田眞人
プロデューサー 石塚慶生
原作 井上靖
脚本 原田眞人
撮影 芦澤明子
照明 永田英則
音楽 富貴晴美
キャスト
役所広司(伊上洪作)
樹木希林(八重)
宮崎あおい(琴子)
南果歩(桑子)南果歩
キムラ緑子(志賀子)
三浦貴大(瀬川)
三國連太郎(隼人)

2012年・118分・G・日本
2021・09・27・こたつシネマ
​​​
​​​



PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

にほんブログ村 映画ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​​​​​
​​​​​

​​​​​​​​​​​​​​​
<






最終更新日  2021.09.28 21:34:50
コメント(0) | コメントを書く
2021.04.12
​​​​​ジョー・ライト「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」​                           ​ ​映画.com
 ボンヤリ、テレビ画面を見ていると、知った顔の女優さんが出てきて「ああ、この人好きかな!?」とか思って見始めて、二時間くぎ付けでした。
​​ 映画は「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」で、その女優さんはリリー・ジェームズさんでした。​​​​          映画.com
​​​​​​ エリザベス・レイトンという、チャーチルの秘書か、タイピストかの役なのですが、「ガーンジー島の読書会」とか「イエスタデイ」といった、最近見た映画や、ナショナルシアター・ライブの画面でもお目にかかっている女優さんですが、今回の役柄と演技(?)が一番いいと思いました。
 というのは、この映画では、「ええー、この人があのゲイリー・オールドマンですか?!」という化け方で出ていた主人公ウィンストン・チャーチルの内面を照らし出す光源のような役で二人の女性が登場します。
 
​その一人が、このリリー・ジェームズ、もう一人が​​​​チャーチルの奥さんクレメンティーンを演じたクリスティン・スコット・トーマスという女優さんでしたが、お二人に共通するの​​​​​は、何ともいえない「引いた演技」だと思いましたが、それが、お二人とも、とてもいいなと思いました。この映画の陰の主役は、この、お二人だと思いました。​​​​
 見終わって、クリストファー・ノーラン「ダンケルク」を見たときに、少し不満に感じた「英国社会の描き方」のことを思い出しました。
 が、この映画では、それがテーマのようにクローズアップされて描かれていた印象で、これを見てから、あの映画を見れば、少し感想は違っていたのかなとも思いました。
 1940年5月、対ナチス挙国一致内閣の首班についたチャーチルが、「ダンケルクの撤退」作戦までの1か月間の苦悩を描いた映画でした。
 それにしても、映画の後半、クライマックスともいえる、チャーチルが民衆と出会う地下鉄のシーンに至る展開は、もう興味津々で、チャーチル「セリフ」「演説」も一言も聞き逃せない気分で、テレビにかじりついていました。
 反ナチスのトップに立ったからこそ、政治的には追い詰められていくチャーチルを演じるゲイリー・オールドマンという俳優さんも本当にうまいですね。
 政治家としての敗北を覚悟したチャーチルの私邸、それも、寝室に、国王​​​
ジョージ6世​​​が訪問し、「逃げ出さないで、民衆とともにありたい!」と決意を語り、その結果、チャーチルは乗ったこともない地下鉄で市民と会うわけですから、たとえ、このエピソードが歴史的には作り事であったとしても、このシーンの説得力は半端ではないと思いました。
 ヒットラーと戦い、勝利した国だからこその映画といってしまえばそれまでですが、イギリスの民主主義に底流する、独特な「国民意識」を鮮やかに描き出した傑作だと思いました。

監督 ジョー・ライト
脚本 アンソニー・マッカーテン
撮影 ブリュノ・デルボネル
美術 サラ・グリーンウッド
衣装 ジャクリーン・デュラン
編集 バレリオ・ボネッリ
音楽 ダリオ・マリアネッリ
特殊メイク/ヘア&メイクデザイン(ゲイリー・オールドマン)辻一弘
キャスト
ゲイリー・オールドマン(ウィンストン・チャーチル)
クリスティン・スコット・トーマス(クレメンティーン・チャーチル)
リリー・ジェームズ(エリザベス・レイトン)
スティーブン・ディレイン(ハリファックス子爵)
ロナルド・ピックアップ(ネビル・チェンバレン)
サミュエル・ウェスト(アンソニー・イーデン)
ベン・メンデルソーン(国王ジョージ6世)
2017年・125分・G・イギリス
原題:Darkest Hour
2021・04・10こたつシネマ




​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

にほんブログ村 映画ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​​​​​
​​​​​

​​​​​​​​​​​​​​​
​​​​​​​






最終更新日  2021.07.30 21:39:26
コメント(0) | コメントを書く
2021.02.02
クリント・イーストウッド「ハドソン川の奇跡」こたつシネマ


 夕食を終えて、ウトウトしていると始まっていました。
「何?これ?」
​イーストウッド​の映画よ。主役の​トム・ハンクス​は知ってるんやろ。」
「飛行機事故か?」
「うん、ニューヨークの真ん中に不時着すんねん。」
で、見始めて、最後まで見ました。
 有名な映画らしいので、あれこれ言ってもしようがないのですが、ああ、そうだよなと納得したことが二つありました。
「事故」という出来事をコンピューターを駆使して再現し、現場で行動した機長や乗組員の判断が正しかったかどうかを追及していく「法廷もの」としてのサスペンスがドキドキさせるのですが、主人公による形勢逆転の決め手に「人間的判断」を持ってきたところが、当たり前と言えば当たり前なのですが、鮮やかでした。
​ 「イーストウッドらしいな。」​
​​ まあ、イーストウッドなんてよく知らないのですが、そう思いました。さまざまな現実の経験には、経験する「人間」の人間としての要素が必ず介在すること、だからこそ「事故調査」という名の検証が必要なのですが、現実を解析する「機械的手段」「人間的要素」を評価させることは、実際、かなり難しいわけです。​​
​ それは、こんな大きな事故や戦争の例を持ち出すまでもなく、コロナの現実に対処している、我々の社会が、よくも悪しくも直面していることだと思うのですが、当事者の「人間」としての側面は​「数値」​に置き換えられて、忘れられているような気がします。​
 そんなことを、ぼんやり考えながらエンド・ロールを見ていると、二つ目のカンドーがやって来ました。
 ​「155というのは数字にすぎない」​
​ 「数字にすぎない」というクレジット見た瞬間、ぼくの中で、激しく動くものがあるような気がしました。そして、この感じを初めて経験したのは、阪神大震災の死者の数が毎日更新されていった日々だったことを思い出しました。​
​ ニュースとして報じられる、増え続ける「数字」に対してなのか、客観でしかありえないアナウンサーの口調に対してだったのか、「そうじゃない、そうじゃないだろ。」そんな言葉にならない憤りのようなものが噴出してきた記憶です。​
 エンド・ロールが進むにしたがって、「ああ、イーストウッドも同じように感じたことがあったんだな」と、少し落ち着きました。
 そういえば、この所、感染者や死者の人数が「数字」として「踊って」いる日常にくらしてますが、「そうじゃないだろ!」と言いたい気分ですね。
​ ともあれ、イーストウッドの率直さに共感した映画でした。ああ、今度は監督作を探すことになりそうです。​
監督 クリント・イーストウッド
原作 チェズレイ・サレンバーガー  ジェフリー・ザスロー
脚本 トッド・コマーニキ
撮影 トム・スターン
美術 ジェームズ・J・ムラカミ
衣装 デボラ・ホッパー
編集 ブル・マーレイ
音楽 クリスチャン・ジェイコブ  ザ・ティアニー・サットン・バンド
キャスト
トム・ハンクス(チェズレイ・“サリー”・サレンバーガー機長)
アーロン・エッカート(ジェフ・スカルズ・副操縦士)
ローラ・リニー(ローリー・サレンバーガー機長の妻)
クリス・バウアー(ラリー・ルーニー同僚)
マイク・オマリー(チャールズ・ポーター・国家運輸安全委員会の調査員)
アンナ・ガン(エリザベス・デイヴィス・国家運輸安全委員会の調査員)
ジェイミー・シェリダン(ベン・エドワーズ・国家運輸安全委員会の調査員)

2016年製作/96分/G/アメリカ
原題:Sully
配給:ワーナー・ブラザース映画
2021・01・31こたつシネマ


​​​​​​​​​​​​PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

にほんブログ村 映画ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​​​​​
​​​​​

​​​​​​​​​​​​






最終更新日  2021.02.02 00:03:33
コメント(0) | コメントを書く
2021.01.25
​​瀬々敬久「64 ロクヨン 前編・後編」こたつシネマ


​​​​​ 2016年につくられた東宝映画「64ロクヨン」、前・後編240分の大作をテレビで見ました。横山秀夫の原作を映画化した作品でしたが、2012年だったでしょうか、発売されて評判になった原作「64ロクヨン(上・下)」(文春文庫)は、当時の本屋大賞だったと思いますが、その当時読みました。
 ぼくは「半落ち」(講談社文庫)とか、特に「クライマーズハイ」(文春文庫)は面白かった記憶があるのですが、この作品を最後に横山秀夫を読まなくなった記憶があります。真犯人に至る、最初の被害者雨宮の設定に無理を感じたようなかすかな印象があります。​​​​​

​​ 映画は、なんとなく前編を見始めた結果、案外引き込まれて、翌日の後編まで見てしまいました。4時間を超える大作を、居眠りもせず見たのですから「おもしろかった」はずなのですが、話の筋よりも、佐藤浩市緒方直人という、ともに名優の誉れ高い父親を持った二世俳優の、画面に映し出される顔に興味を持ちました。​​
​ 特に、佐藤浩市くんの顔が、「飢餓海峡」三国連太郎にとても似てきたというふうに感じたことが不思議でした。もっとも、三国連太郎について、そんなに覚えているわけではないのですが、例えば「釣りバカ日誌」に出ていても、ああ、「飢餓海峡」の人ねと、勝手に決めつけているにすぎません。その結果でしょうか、ちっとも、温厚な社長さんにみえないのです。​
​ 一方、緒方直人くんは、「砂の器」緒形拳でも、「鬼畜」緒形拳でも、「仕事人」緒形拳でもないのですね。顔立ちはよく似ていると(親子ですからね)思うのですが、ちがいますね。​
​ 要するに、緒方直人くんの顔には、まだ内面を感じないということですね。もちろん、ぼくの勝手な感想ですよ。​
 役者の顔というのは、何なのでしょうね。ポスターには「目線」が強調された顔が並んでいますが、この方たちはどこを見ているのでしょうね。で、ぼくたちはここに並んでいる「顔」に何を見るのでしょう。
​​​ ところで、二日がかりで見た映画でしたが、とどのつまりでなんだかよくわかりませんでしたね。真犯人の娘が、父親の真実が赤裸々になる現場に居合わせるのですが、「父と娘」というこの映画で、もうひとつの、いや最も大切なテーマとして描かれてきたはずの視点の弱さがむき出しになってしまいました。えっなんで?と思わせるシーンがありました。
 この少女に、映画の中のだれ一人絡まないのですね。これは酷いですね。主人公三上のいう「ひとりで娘を探す」というセリフが​浮いてしまいました。
 
「なんで、あそこで、あの子をほったらかしにするの?そういう人たちを描いているわけ?馬鹿じゃないの。ごたいそうに。」​​
 我が家の同居人はこんなひとことを言い捨てて、あっちにいってしまいました。ちょっと、返事のしようがなかったですね。


 イヤ、ホント。二日がかりで見た4時間の大作だったのですが「慟哭」の文字が泣きますね。

監督 瀬々敬久
原作 横山秀夫
脚本 久松真一 瀬々敬久
撮影 斉藤幸一
照明 豊見山明長
録音 高田伸也
美術 磯見俊裕
装飾 柳澤武
編集 早野亮
音楽 村松崇継
主題歌 小田和正
キャスト
佐藤浩市(三上義信)
奥田瑛二(荒木田)
仲村トオル二(渡真治)
吉岡秀隆(幸田一樹)
永瀬正敏(雨宮芳男)
緒形直人(目崎正人)
三浦友和(松岡勝俊)
筒井道隆(柿沼)
綾野剛(諏訪)
榮倉奈々(美雲)
夏川結衣(三上美那子)
窪田正孝(日吉浩一郎)
金井勇太(蔵前)
鶴田真由(村串みずき)
赤井英和(望月)
永山瑛太(秋川瑛太)
椎名桔平(辻内欣司)
烏丸せつこ(日吉雅恵)
山崎ハコ
大久保鷹
前編2016年・121分・G・日本
配給:東宝
2021・01・12こたつシネマ
後編2016年・119分・日本
配給:東宝
2021・01・13こたつシネマ
64 ロクヨン 後編
​​​​​​​​​​​​​​PVアクセスランキング にほんブログ村


にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

にほんブログ村 映画ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​​​​​
​​​​​

​​​​​​​​​






最終更新日  2021.01.25 02:49:06
コメント(0) | コメントを書く
2021.01.13
​​​​ ​​野村芳太郎「砂の器」こたつシネマ


 2021年が始まって10日以上たちましたが、徘徊老人と名乗るシマクマ君、まだ公共交通機関にさえ乗っていません。愛車のスーパカブで近所の図書館に一度出かけましたが、その日もあまりの寒さにホウホウのていで帰宅しました。
 ベランダのバケツに貼った氷をウレシガッテ写真に撮っているような毎日で、ただ、ただ、ぶくぶく太っているような次第です。もちろん映画館など遥か彼方というわけです。
​ で、新春第1本目の、記念すべき、今年の「映画はじめ」をこたつにもぐりこんでいると、テレビで偶然始まった「砂の器」で済ませてしまいました。なんという事でしょう。​
 1974年の映画ですね。大学1年生のときに名画座で見ました。ザンネンながら、世間が騒ぐほどいいとは思わなかったと記憶しています。なんだか、気持ちを掻き立てる一方の音楽の使い方が、まず、気に入らなかったと思います。
 それと、推理小説としては、事件の手がかりの「布吹雪」の設定が、なんだかなあと思った記憶があります。

​​​​ まあ、暗い酒場で緒形拳加藤剛に迫っていたシーンがあったなあとか、渥美清がいた伊勢の映画館「ひかり座」で緒形拳が見たのは、写真ではなくて「宿命」のポスターだったよな、とか思っていましたが記憶違いでした。その程度の記憶です。​​​​
 で、どうだったのか。
 感心しました。放浪する少年と父親の間には「セリフ」がないんですね。ただ、ただ風景と「父と子」がいるだけなのです。加藤嘉のセリフは最後に泣くところだけですし、子役の少年に至っては一言もしゃべりません。風景の中をただ歩き続ける「父と子」が一言もしゃべらなくても成り立つように脚本化されているところにうなりました。
 ちょうど、橋本治「熱血シュークリーム」(毎日新聞社・再刊)を読んでいた偶然も重なり、この映画の主人公の、いわば、永遠の「少年」としての設定に、「あしたのジョー」と、全く同時代につくられたこの作品の面白さに気付きました。ああ、「熱血シュークリーム」は、まあ、言ってしまえば「あしたのジョー論」でもあるわけですが、1970年代の「少年マンガ論」で、「少年」という概念(?)がメインテーマなまわけです。

​​​ 大雑把で申し訳ないのですが、橋本治によれば「時間」、つまり過去にも未来にも拘泥することなく、「男の子なんだから」前へ前へ進むことで「現在」を生き、「大人」になる前に「白く燃えつきる」ものとして、「少年」というものがあると、まあ、ぼくはそう読んだのですが、そう考えれば過去を抹消し、「音楽」という「夢」に生きようとした、この映画の主人公和賀英良は、死にそこねた「あしたのジョー」だったのですね。「燃え尽きる」前に「過去」が襲い掛かり、凡庸で空虚な「大人」の姿をさらけ出してしまった男ですね。​​​
​​​ 初見の記憶では、加藤剛というキャスティングにうんざりしたことを覚えています。しかし、今回、生涯、「空虚」な善意の塊のような笑顔のこの俳優を、この役に使った野村芳太郎は、なんだかすごくエラかったことに気付きました。
 ぼくの目には、この俳優の顔には、複雑な「心理」というものがないように見えるのです。いくら「過去」の父と子の旅を、演奏している、つまり、今を生きる主人公に重ねていっても、永遠に空虚な器でしかない主人公の顔からは、「やる気」以外の「心理」が読み取れません。その結果、観客はありったけのなみだを、「父と子」の物語に注ぎ込むことができるわけです。そこを演出した野村芳太郎に、ぼくは、かなり激しく「カンドー」しました。
 今思えば、加藤剛こそがジャストミートなのです。彼を取り囲む、演技派の名優たちは、主人公が「空虚」な大人であることを際立たせ、その空虚さを観客が、勝手に埋めていくのを助けるためにそこにいるかのようでした。当然、客は心ゆくまで泣くことができるわけです。うまいもんですねえ。もちろん、ぼくも泣きましたよ。​​​

​​ 野村芳太郎の映画は「鬼畜」緒形拳「事件」大竹しのぶ渡瀬恒彦を印象深く覚えているのですが、この映画は当時としてはかなり実験的な作品だったのではないでしょうか。そういえば脚本は橋本忍ですよね。​​
​​​​​​​ スジを運ぶ丹波哲郎森田健作のシーンや、加藤剛島田陽子山口果林との絡みのシーンにも、ある種の懐かしさは感じるのですが、何といっても、殿山泰司、花沢徳衛、笠智衆、春川ますみ、菅井きん、そして「寅さん」ではない渥美清が元気に画面にでてくると、ヤッパリ嬉しいですね。​​​​​​​
​ そういえば、風景の撮り方というか、扱い方が「トラさん」映画に似てるなと思ったのも発見でした。こっちは、まあ、暗いときの「新日本紀行」みたいでしたが、山田洋次も脚本で参加しているんですね。​
​​​ 監督や脚本家をはじめ、画面に登場する俳優たちの多くはもうこの世に人ではありません。島田陽子さん山口果林さんが御存命であることに驚く始末です。まあ、森田健作さんのように、どこで出てきても「アンタはダイコンやねんから」と声をかけたくなる人は「別の世界」で生きているようですが、半世紀も前の映画なのですね。いやはや。​​​
監督 野村芳太郎
原作 松本清張
脚本 橋本忍  山田洋次
撮影 川又昂
音楽監督 芥川也寸志
作曲 菅野光亮
演奏 東京交響楽団
キャスト
丹波哲郎(今西栄太郎)
森田健作(吉村弘)
加藤剛(和賀英良)
春田和秀(少年・本浦秀夫)
加藤嘉(本浦千代吉)
島田陽子(高木理恵子)
山口果林(田所佐知子)
佐分利信(田所重喜)
緒形拳(三木謙一)
松山政路(三木彰吉)
花沢徳衛(三木の同僚安本)
笠智衆(桐原小十郎)
春川ますみ(扇屋女中澄江)
渥美清(ひかり座支配人)
菅井きん(山下お妙)
殿山泰司(恵比須町住人)
1974年・143分・日本
配給:松竹
日本初公開:1974年10月19日
2021・01・11こたつシネマ​​​​

​​​​​​​PVアクセスランキング にほんブログ村


にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

にほんブログ村 映画ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​​​​​
​​​​​

​​​​​​






最終更新日  2021.01.13 01:47:51
コメント(2) | コメントを書く

全17件 (17件中 1-10件目)

1 2 >


© Rakuten Group, Inc.