週刊 読書案内 高橋源一郎「ラジオの、光と闇―高橋源一郎の飛ぶ教室2」(岩波新書)
高橋源一郎「ラジオの、光と闇―高橋源一郎の飛ぶ教室2」(岩波新書) 高橋源一郎にハマり続けていますが、今日の案内は「ラジオの、光と闇」(岩波新書)です。副題に「高橋源一郎の飛ぶ教室2」とあるように、彼がやっているらしいラジオ番組の、たぶん、前振りというか、オープニングのおしゃべりをエッセイ集としてまとめた本です。 知人にも、彼の番組のリスナーがいらっしゃるわけですが、ボクは一度も聴いたことがありません。ただ、このシリーズの1冊目、「高橋源一郎の飛ぶ教室」という岩波新書は読んだ記憶があります。基本、高橋源一郎による社会批評というか、時事ネタ発言のエッセイかなわけで、「読みやすい」ことと、紹介されている「書籍」や「映画」が、まあ、ボクにとっては、ほぼ、ハズレなしという印象で、「読書案内」本として重宝しています(笑)。 今回は、横浜まで往復する新幹線旅行の電車本として読み終えました。 いちばん下の叔父さんが亡くなって、葬儀に参列する旅行です。 こんばんは。高橋源一郎です。 先日、作家の大江健三郎さんが亡くなられました。大江さんは、みなさんもご存じのように、長い間、日本文学を代表する作家として活躍されてきました。八十八歳。老衰だったと伝えられています。 ぼくにもいくつかの追悼文の依頼がありましたが、思うところがあり、お断りしました。なので、ここでお話しすることが、大江さんへの追悼となります。 もの書きとして、人として、ぼくが深く影響を受けた人たちは四人います。詩人の吉本隆明、映画監督のジャン・リュック・ゴダール、批評家の江藤淳、作家の大江健三郎。この四人の生まれた年は順に、一九二四年、一九三〇年、一九三二年、一九三五年、そして父の生まれた年が一九二〇年。あるとき、ぼくは、彼らが、父を長男とする兄弟たち、ぼくにとっての叔父の年齢にあたることに気づきました。 ラジオのおしゃべりを想定すれば、ここまでがつかみです。 で、ぼくが思い浮かべたのは、自分の父親が一九二五年生まれだったことです。吉本隆明の一つ下です。上の引用に並んでいる四人のお名前は、高橋源一郎の三つ年下であるボクにとっても、10代後半からの、ほぼ、10年の間、圧倒的に影響を受けた人たちとしてドンぴしゃり! 鷲摑みです! 10代後半から漱石にかぶれた始めたボクが生まれて初めて読んだ文芸評論が、批評家江藤淳の「夏目漱石」(講談社文庫)で、その勢いで、彼の好敵手、吉本隆明の「言語にとって美とはなにか」(角川文庫)に雪崩れ込み、文学・思想かぶれの、生意気、頭でっかち高校生活を送り、二十歳で大学生になるやいなや落第生へと落ちこぼれて言った理由が名画座のヌーベルバーグと「仁義なき戦い」の菅原文太でした。 江藤、吉本かぶれの、余波というか、当然の帰結というか、大学の広い図書館では、大江の発禁作「政治少年死す」が載っている雑誌「文学界」を見つけて喜ぶ生活でした。 今となっては、懐かしい記憶ですが、高橋源一郎が「もっとも影響を受けた四人」と、言い切ることばを反芻しながら、かえって、彼の世代とのギャップを痛感したりもするのでした。 で、高橋さんの、本論、「大江健三郎追悼」はこうです。 この番組で何度か「家の外に出て世界をさまよい、自由と知識を甥に教えるためにふらりと戻ってくる叔父さん」の話をしました。この四人は、ぼくにとって、世界の広さを教えてくれる叔父たちだったのです。最後の、いちばん下の叔父である大江さんが亡くなったと聞いた時、感じたのは、ついにだれもいなくなり、ひとりぼっちになってしまった、という大きな寂しさでした。彼がどんなにか自由で豊かであったかを伝えることができるのは、甥であるぼくの使命なのかもしれません。 大江さんの小説を読み始めたのは中学生になったばかりの頃。その頃、大江さんは眩しく光り輝く若い作家でした。大江さんは芸術家であるだけでははなく、社会の中で目覚ましいオピニオンリーダーでありえた時代のシンボルでした。大江健三郎のような小説家であること、それはなにかを書くことを目指す若者にとって一つの大きな目標だったのです。 六十年以上、大江さんの書く小説を読み続けてきました。そして、一つ気づいたことがあります。おそらく、大江さんにとって大切だったのは、現実の自分ではなく、小説の中に存在している自分だったと思います。どんな作品においても、そこには絶望的なほどの孤独、というか孤独な大江さんが呼吸していました。そして、同じように、孤独に絶望しているぼくたち読者に向かって「大丈夫。ぼくも孤独だから、でも大丈夫」とメッセージを送っていたのです。 さようなら、大江健三郎さん。長い間、ありがとうございました。それでは、夜開く学校、「飛ぶ教室」、始めましょう。(P119) ボクは、この本を、ぼくと同居人にとって、最後に一人残っていらっしゃった叔父さんとのお別れに向かう新幹線で読みました。それも、また、ドンぴしゃりでしたね。読みながら、高橋源一郎が大江健三郎の作品から「大丈夫。ぼくも孤独だから、でも大丈夫」というメッセージを受け取っていたことを知り、胸ふたがるおもいでした。 高橋源一郎の小説作品が、近代文学史や戦後文学史に対する茶化しのように、エンタメ化して読まれる傾向がありますが誤読ですね。彼は、ポップとかいう批評に耐えながら、現代社会を生んだ「近代」という時代と真正面から向かい合おうとしていると思います。まあ、そのあたりは、読み始めてしまった、たとえば、「DJヒロヒト」(新潮社)あたりの案内でということで、今日はここでお終いです。 2026-no039-1254 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)