タル・ベーラ「ファミリー・ネスト」元町映画館no113
タル・ベーラ「ファミリー・ネスト」元町映画館 「タル・ベーラ前夜」という企画の二本目でした。1977年の作品で、タル・ベーラ監督のデビュー作だそうです。題名は「ファミリー・ネスト」です。 街角を歩いている女性が電車に乗り、やがて仕事場らしきところにやってきて、白い上着を着て働き始めます。ソーセージを作っている作業場のようです。彼女は夫が徴兵(?)で従軍のあいだ、その実家に幼い娘とともに夫の両親と暮らしているイレン(ラーツ・イレン)という女性です。 映画はイレン、娘、義父(クン・ガーボル)、義母(クン・ガーボルネー)、軍務から帰ってきた夫ラツィ(ホルバート・ラースロー)、そして夫の弟という、同じアパートに住んでいる「家族」の物語でした。 この映画が撮られた当時のハンガリーの首都、ブダペストの住宅難を反映した作品だというチラシの解説がありましたが、ウサギ小屋と揶揄された1960年代から1980年代の日本の住宅事情だって、似たり寄ったりで、その狭い住居の暮らしの様子に違和感はありませんでした。 しかし、映画の始まりのころに映し出される夕食のシーンをみながら、だんだん息苦しいほどの、違和感が広がっていきました。 その日、イレンが連れ帰ってきた職場の同僚である女性が座り、そこに任務を解かれて帰宅した夫が登場する、というシーンです。そこでは普通(?)予想される一家団欒の温かさはかけらも描写されません。延々と続く義父の「暴言」にはじまり、家族たち相互の歯に衣着せぬ発言のあからさまさ、それに加えて次のシーンでは、女性を送って外に出た夫と弟による、妻の友人である初対面の女性に対する異様な暴行シーン。それに続くのがその暴力をふるった男と振るわれた女のなれ合い様子。その後、深夜に帰宅した夫が妻のベッドに入っていくという、チグハグでなにが起こっているのか理解できないようなシーンが次々と映し出されていきます。「いったい、これは、なんなんだ?」 そうつぶやくしかない出来事の連鎖でした。それぞれの人間に、異様な反道徳性が割り振られている印象です。この後も、見ていて理解しきれないことが続くのですが、結果的に「ファミリー」という、本来、一番平和的な社会の単位が、単位個々の心中に充満する憎悪や猜疑心によって、実はすでに壊れているという印象が画面を覆っていきます。 別にそこから「殺人事件の謎を解く」といったようなミステリアスな出来事が起きたりするわけではありません。ただ、何とも言えない息苦しさがあらゆるシーンに漂い、やがて映画は終わりました。 タル・ベーラという映像作家の「人間の実相に対する悪意」 とでもいうべき疑い、不信が、かなり率直に映像化された作品だと思いました。 シマクマ君は「サタン・タンゴ」という長大な作品のわからなさをなんとかしたくて、今回の特集を見始めましたが、「ダムネーション」といい、この「ファミリー・ネスト」といい闇は深まるばかりです。見ていて、どんどん気が重くなっていくのです。 人間の中にある「悪意」や「反道徳性」の芽をデフォルメし、クローズアップすればこのフィルムのようになることに異論はありません。しかし、ほとんどホラー化したその世界を見てどうすればいいのでしょう。 ほんとど最後の頃のシーンですが、義父が酒場で女性を口説くシーンがあります。そのシーンなどは、ホラーを通り越して喜劇的です。しかい、なんだか気が重くて笑う気になりませんでした。 若き日のタル・ベーラの習作というべき作品だと思いますが、ある種、異様な徹底性が記憶に残りました。そこが、タル・ベーラなのかもしれません。 というわけで、「とことん」まで描こうとするタル・ベーラ監督に拍手!なのですが、この年になってみる映画ではないのかもしれないとも思いました。それにしても、やっぱり、疲れました(笑)。監督 タル・ベーラ脚本 タル・ベーラ撮影 パプ・フェレンツ編集 コルニシュ・アンナ音楽 スレーニ・サボルチ トルチュバイ・ラースロー モーリツ・ミハーイキャストラーツ・イレン(イレン)ホルバート・ラースロー(ラツィ)クン・ガーボル(ラツィの父)クン・ガーボルネー(ラツィの母)1977年・105分・モノクロ・ハンガリー原題「Csaladi tuzfeszek」2022・03・09-no32・元町映画館(no113) 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)