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カテゴリ:旅行(旅と自然の日記)
写真は5月6日の撮影であり桜の花が咲き残っていて迫る山の背の緑と調和していた。 (タイトル) 木曽11宿の2番目で難所を控えた奈良井千軒の奈良井宿 (本文) 中央本線の奈良井駅におりたつと地元出身の二人の有名人のポスターがあった。大相撲の御嶽海(みたけうみ)と俳優の田中要次(たなかようじ)である。二人は木曽青峰高校の出だ。御嶽海は長野県の地元テレビのCMにでているから大相撲の地元びいきの相当さを知っった。 奈良井宿は江戸期の宿場町がよく保存されている。古い旅籠(はたご)ほど軒が低い。木曽路はみんな山の中と馬籠の庄屋の子である島崎藤村は述べる。木曽路は中山道という統一名で呼ばれるようになったが中山道69次の34番目が奈良井宿である。奈良井宿は塩尻市に含まれていて塩尻駅からは列車で30分であり車でも同じだ。 木曽路には11宿があり江戸側から2番目が奈良井宿であり、11宿中、最も高いところにある。写真は5月6日の撮影であり桜の花が咲き残っていて迫る山の背の緑と調和していた。難所の鳥居峠があるために旅人は奈良井宿に逗留した。宿場の規模は奈良井千軒といわれ江戸寄りから下町、中町、上町に分かれ、中町と上町の間に鍵の手がある。水場は、山側に6ヶ所あって今でも清水を飲むことができる。 天保14年(1843年)の「中山道宿村大概帳」が奈良井は宿本陣1軒、脇本陣1軒をもち家数は409軒、宿内人口は2,155人と伝えている。宿場町のにぎわいは現代の人々には想像できないことである。 写真と文章は甲斐鐵太郎。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年12月07日 19時47分16秒
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