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2019年03月14日
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宮城県女川高校付近(4月2日、8:59)1,320 回視聴 0:48

(タイトル)
東日本大震災・三陸沿岸の地震と津波被害と原発の姿(執筆 論説員橫田俊英)

(はじめに)
3月11日(金)14時46分に発生した地震が及ぼした大きな被害を被災当時現地を取材し考えたことの記録の一部を次に掲載する。東日本大震災から8年、原発の暴走からも8年が経過した。その時と今とがどのようにつながっているのだろう。

(本文)
災害に対して備えるべき防災対策 日本計量新報 2011年3月20日 (2862号)

 3月11日(金)14時46分、東北地方太平洋沖を震源とする国内観測史上最大の巨大地震が発生し、東北から関東までの広い範囲が津波で未曾有の被害を受けた。リアス式で有名な日本を代表する景勝地「三陸海岸(陸中海岸国立公園)」のほぼ中央に位置する岩手県山田町にあった本欄担当者の実家家屋(無人状態であった)も、土砂に流されたのはほぼ間違いない状況にある。

  船越半島と重茂半島に抱かれた山田湾は、内海で波が穏やかなのが特徴であった。 マグロ、サメ、サンマの水揚げや、定置網でのイワシやサバ、ホタテやカキやワカメの養殖が盛んであった。こうした漁業活動ができない状況が一瞬にして出現した。漁船はほとんどが壊れた。養殖イカダも壊れた。定置網は流され、漁業市場の施設も破壊されてしまった。海辺の作業所は跡形もない。住んでいた家は流され、また火災で焼失した。何よりも多くの人が命を落とし、怪我を負った。本欄担当者にとっても思いもかけない事態であったが、東北地方の海沿いの地域はほとんどが同様の惨状となっている。

 海沿いの町や市は人が造りだした人工物である。歴史を振り返ると1896年に明治三陸地震津波、1933年に昭和三陸地震津波と、今回の津波で被災した地域には大きな津波が繰り返し来ている。数十年から百年に1度は大地震で津波が発生して、街も暮らしも破壊し多数の人々を死に至らしめることを物語っている。

 しかし、自分の時代にはそのようなことは起きないし、自分は被害を受けないと思いたいのが人間であり、過去の事実から推測できる自然の掟のような法則を度外視して人工物を造り上げてしまう。その前にあった地震や津波の事実は、2代3代と語られてもその先に行くと人々の記憶から消えてしまう。

 2010年の冬季オリンピックで、日本の女子スピードスケートチームがパシュート競技で銀メダルを獲得した。この競技が行われていた時刻に、チリの地震に起因して日本の東海岸に大津波がやってくると警報が流れた。しかし、避難対象地区にいながら避難しなかった人も多かった。オリンピック競技と入れ替わりで、その状況がテレビに映っていた。人々が津波の怖さを知らないことを示す映像であった。

 行政や住民が自然の猛威を想定しきれず、対策が足りない小都市商業地、漁村は大地震と大津波によって破壊される。家屋は波に打ち砕かれ、まさかという思いのままに多くの命が失われてしまう。前日までの平穏な暮らしが一瞬にして変わってしまう。寺田寅彦がどのような状態を想定して「天災は忘れたころにやってくる」と述べたかは知らないが、やはり、我々日本人は皆、決して忘れてはならないことを忘れてしまっていたのではないだろうか。

 被災者とその関係者の悲嘆や労苦に対しては言葉もないが、今後への警鐘としてあえて述べたものである。

 三陸の地は良質の労働力と低賃金を特徴都とし、製縫工場、自動車の部品工場の下請けなどの工場、食品加工工場などを抱えている。日本の産業の全てとはいえないまでもその縮図のような産業が、東北地方の東海岸そして関東の東海岸に立地している。これらの地域の人々の生活と産業活動は日本の経済と一体であり、人体に例えるならば末端ではなく、肺や肝臓などの内臓、ことによっては神経や脳の一部といった重要器官である。

 被災地の外にいる人々は、国の重要器官に損害を受けたという覚悟と心構えをもって全力で支援を行わねばならない。

未来の事故を防ぐため真の問題追及が求められる 日本計量新報 2011年3月27日 (2863号)

 原子力発電は、国をあげて推進しているエネルギーである。電気事業連合会公表の資料によると年間の発電電力量に占める原子力量は、1980年には17%であったものが2009年度では29%と割合を伸ばし、2019年度には41%になることを予測している。

 原子力発電の利点としては、核分裂のエネルギーを利用するため発電の過程でCO2を排出せず、温暖化防止対策に有効であること、燃料となるウランが石油に比べて政情の安定した国々に埋蔵しているため資源の安定確保が可能であること、使い終わった燃料を再処理して再び燃料として使用でき燃料の安定供給につながること、石油や石炭に比べて少ない燃料で発電できるため低コストであること、などがあげられる。

 一般の人々の知識と外部からの推察だけでは、日本の原子力発電の安全性がどの程度であるかは判明しない。しかしながら、新潟県中越沖地震に起因する東京電力の柏崎刈羽原子力発電所3号機変圧器火災と放射能漏れや、今回の東北地方太平洋沖地震による福島第一原子力発電所の原子炉事故の事例から、原子力発電施設が強い地震と津波によって損傷を受けることは、明らかである。

 今後の原子力発電所建設は、津波の被害を回避する方法を講ずることが前提になる。

 地震への対策はどうすればよいか。日本の場合は現実的には地震の影響を回避できる立地はない。立地が駄目であれば、他の方法で地震対策をしなければならない。少なくとも今までの構造では、不十分であることは確かである。

 ある電力会社の代表は「コストカッター」と社内で呼ばれるほど経費削減を追求した結果、代表の地位を手に入れたのだという。熱中症が心配される時期でも、電力料金の滞納者には電気の供給を止める。電力を低コストでつくって高く売る仕組みを作ってきた。しかし、今後は、電力会社の原発施設への設備投資が十分であったかも検証されることになるであろう。

 原子力発電所ができてから現在に至るまで、様々な原因による複数の事故がおきている。

 その中には、原因が計測器であると報道された事故もある。1995年12月に福井県敦賀市にある高速増殖原型炉「もんじゅ」において、2次主冷却系配管からナトリウムが漏えいする事故が起きた時のことである。温度計部分に問題があったと報道され、設備更新のために計測機器を含めた部品を総入れ替えすることとなった。

 最終的には、温度計さや管の設計が不適切であったため、ナトリウムの流れによって振動し、破損したものと判断された。取り付けられた温度計に本質的な原因があるのではなく、取り付ける設計自体に問題があったのである。それにもかかわらず、当時は温度計に問題があるかのように報道された。

 事故が起きたとき、設計上の根本的な問題から目を逸らして、何の罪もない適正な計測機器が原因として疑われスケープゴートにされるのは、残念なことである。未来の事故を防ぐためにも、本当の意味での問題究明と対策が求められる。

原子力発電の危うさの背景にある幾つかの事情 日本計量新報 2011年4月3日 (2864号)

 日本における地震を原因とした原子力発電所の深刻な事故発生は、今回の大地震による福島第一原子力発電所が初めてではない。

 2007年(平成19年)7月16日10時13分に新潟県中越地方沖を震源とするマグニチュード6・8の新潟県中越沖地震が発生した。同日10時25分頃に東京電力柏崎刈羽原子力発電所3号機変圧器から火災が発生、3号機の火災現場の消火用配管は破損していて機能しなかった。

 消火活動を地元消防に依頼するが、地震の影響で消防隊の到着が遅れたために出火から2時間ほど経過した12時10分に鎮火。放射能漏れは当初は確認されなかったものの、その後の調査で確認された。このときの放射能漏れは少量で環境への大きな影響はなかったが、この事故で、施設の耐震基準や震災時の火災発生に対する対応などを改善しなければならないことが判明した。

 この事故の責任に関して新潟県知事の呼び出しを受けた東京電力(以下東電)の当時の社長は「いい体験にしたい」と述べて物議をかもした。物言いが事故の内容にふさわしくなく、原子力発電の基本的な課題への認識を欠くものとして、その姿勢を問われたのである。

 事故の反省は、その後どう活かされたのか。「いい体験にしたい」はずがまったく活かされていなかったことが露呈した。2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震においてである。この大地震で東京電力福島第一原子力発電所の燃料棒がくすぶり続けて高温となり建物を破壊、放射線が漏れて地元住民の避難措置がとられた。

 発電所は海岸に隣接していて、地震による津波の被害でディーゼル式の非常用発電機が機能を失い、炉心を冷やすことができなくなったうえ、基本的な電源が失われた。中央制御室に仮設バッテリーを持ち込んで対応したが、原子炉の状態を直接監視できる中性子計測装置も電源が途絶えたことで機能しなくなった。間接的に監視するための差圧式の水位計など多くの計測装置も故障し、設備の状態を把握する機能を失った。以後は手探りの状態で炉心の過熱を抑える活動をすることになる。

 今回の大地震で岩手県から福島県にかけての東北地方が、沖合方向の東向きに最大約3・5メートルずれ動く地殻変動が起きていたことが、3月28日までに国土地理院(茨城県つくば市)による衛星画像の解析で分かった。震源(宮城県・牡鹿半島の東南東沖約130キロ)に近いほど変動が大きく、牡鹿半島付近が東南東方向に約5・3メートルと最大。岩手県釜石市付近で約2メートル、同県宮古市や山形県東根市、福島県伊達市付近は約1メートルずれていた。地盤は東側に向かって現在も動き続けている。

 地殻が動くことがある場所に原子力発電所をつくることの是非、津波対策、そして地震発生の際に安全に運転を停止させる確実な技術の確立など、基本的な事項での課題は多い。

 それでも原子力発電が追い求めれる理由は何であろうか。

 福島第一原子力発電所に使用されている原子炉「マーク1型」は米国製である。設計当時、米国への何らかの配慮があったのかもしれないが、今となっては推測の域を出ない。
 公になっている原子力発電推進の大きな理由は、エネルギー自給率を高めようとする国策に沿うというものである。

 原子力の燃料となるウランは、使い終わったものを再処理して再び使用でき、一度輸入すると長期間使うことができる。日本は、原子力を準国産エネルギーと位置づけている。資源エネルギー庁発行の「エネルギー白書2007年版」によると、原子力を含んだ場合の2004年の日本のエネルギー自給率は18%である。しかし、天然ガスや原子力の燃料となるウランは全量が海外から輸入されているので、それを含まないと自給率はわずか4%となる。

 電力供給においても、原子力発電はなくてはならないものとなっている。「原子力・エネルギー」図面集2011によると、2009年における割合は、原子力が29%、石油などが7%、石炭が25%、天然ガスが29%、水力が8%などである。今後は、化石燃料を利用する発電方式から、太陽光などの再生可能エネルギーや原子力の利用を推進するという構図によって、電力政策が推進されている。

 原子力発電所の建設は政府政策であり、その推進のためには立地場所に問題があってもないものとして処理されてきた可能性がある。東京電力柏崎刈羽原子力発電所の立地を決定する際、地質系の学者が政府の審議会で、活断層の有無の理解をねじ曲げて説明するなど、建設決定のために都合の良い発言をしていたことを、NHKラジオに招かれた別の地質学者が証言した。

 これが本当ならば、国と電力会社が「原子力発電は安全である」と勝手に決めてきた構造が浮かび上がる。原子力発電設備の運転の安全性に関しても同様のことがないとは言えない。国策とはいえ、真実を隠してまで原子力発電所建設を強引に推し進める行為は許されるものではない。今後、総合的な観点から見直されることになるだろう。

効率追求の社会にある危うさは計測器にも当てはまる 日本計量新報 2011年4月10日 (2865号)

 カキの養殖を業としている気仙沼市の漁業者がTBSテレビの取材に対し、「イカダも船もないよ。何もできない。何をどうしてよいかもわからない」と語っていた。NHKテレビの放送には「何もかも失った。しかしそうした事実を直視することはできないし、受け入れることもできない。未来に対して何らかの希望を抱けるようになってからそのことは考えていきたい」と語る被災者の姿があった。その心情は察するにあまりある。

 東北から関東地方にかけての太平洋沿岸に押し寄せた大津波は、標高の低い平地につくられた住居や建物の多くを破壊した。住民の半数が命を落とした町もある。白砂青松の向こうの穏やかな海原と、そこに暮らす人々の生活は、一瞬にして破壊された。

 漁場がそのまま残っていても、漁業をするための船がない。養殖漁業のためのイカダなど道具もなく、住まいもない。漁業を成立させるための人的構成も破壊された。漁船建造のための借入金を残したままで次の漁船を造る体制と資金はない。

 働くことができる身体が助かっても、家や財産を全て奪われ、立ち上がるための力が不足しているのが、被災地の現実だ。だからこそ、国民同胞の支援が求められる。地方公共団体と政府機関は国の危機に対してあらゆる知恵と力を出さなければならないが、対応は未だ十分ではない。

 主要交通路の復旧は被災者救援とともに大事である。同時に、壊れた原子力発電所の運転停止による電力不足を補うための緊急対策を講じなくてはならない。できないと決めつけるのではなく、「必ずやり遂げる」という考えに立って策を講ずることである。

 効率追求だけの社会には危うさが伴う。東京電力福島第一原子力発電所の事故はそれを証明している。東電では、「効率化」の名の下に、経営者の利益を追求した経費削減がまかり通ってきた。また、すべて機械任せで行えるように、便利さ、省力化、効率化を追求し続けると、機器は次第に複雑化していく。しかし、それは壊れやすさにもつながりやすい。今回の事故のように、堅牢性、安全性が脅かされては意味がない。

 計測機器にも同様のことはいえる。精密さや使い勝手の良さだけが、求められる性能ではない。デジタル機器では小さな桁まで数字が表示されるが、最小桁の数字まで信頼してよいか、不安な計測機器もある。正確な数値を表示する頑丈な計測器こそが、良い計測器であるはずだ。
 計測器の利用者が、表示された数値を常に信頼し、安心して使用できる。そのような当たり前の状況が、実現されることを何よりも望む。

原子力発電が無ければ電力が3割不足する日本の事情 日本計量新報 2011年4月17日 (2866号)

 東北地方太平洋沖地震によって、日本の原子力発電の施設や技術の不備があぶり出された。原子力発電の新規建設は、向こう10年は困難が予想される。現在稼働している原子力発電所についても、運転停止を含めた総見直し論が多く出されることが予測される。

  日本におけるエネルギー政策は、技術や社会状況に合わせて時代と共に変化してきた。原子力発電も、日本初の商業用原子力発電所が誕生してから50年に満たない。「黒部の太陽」の黒部ダム建設のころには、原子力発電はまだ考えられていなかった。世紀の大事業ともいえる黒部ダムは、多くの犠牲者と多額の費用を投じて建設された。しかし、その発電量を東京電力福島第一原子力発電所の6号機と比較すると、約3分の1基程度しか生産できない。

 黒部ダムに代表される水力発電は、発電量に見合わない高額な建設費用がかかるうえ、水そのものの不足が稼働の壁となる。飲料用、農業用、工業用などの用途を差し引くと、発電用に使用できる水の量は年間を通して安定せず、不足しがちである。原子力発電であれば、発電燃料の安定的な供給が確保され、そうした不安材料がない。そのうえ少ない費用で大きな発電ができるため、国は原子力発電を推奨し電力会社に発電所建設を実質上割り当ててきた。こうした事情のもと、黒部ダム建設以降に建設された発電用ダムは数えるほどで、ダムをつくっても発電に利用されていない所もある。

 人が原子力を制御できるのかどうかと問われれば「現在の技術レベルでは制御は十分でないが、何とか運転できる」というのが実際のところであろう。しかも、前提として原子力発電所が地震も津波もないところに立地して、台風や飛行機の墜落や火事などの人的ミスを含めた外的影響を受けないこと、という条件が付く。

 東京電力第一福島原子力発電所は、地震による大津波によってさまざまな関連設備の機能が停止し、運転停止したあとの燃料棒からの発熱を抑えることができなくなった結果、建屋が水素の爆発で吹き飛んた。原子炉の破損により、人の健康に影響するほどの放射線を外部に撒き散らすこととなった。原子力発電所周辺の住民は長期にわたって遠くに避難することを余儀なくさせられている。東京電力福島第一原子力発電所が閉鎖されることはほぼ確実であり、分厚いコンクリートで固めるなど、廃炉作業が進められることになる。周辺の町の住民は、町を捨てなくてはならないかもしれない。

 東京電力ほかの電力会社は、対外的に「原子力発電は安全にできており、発電所に事故がおきる心配はない」と説明してきた。地元住民も、そうであることを願うあまり、原子力発電は安全であると決めてしまっていた部分があることも否定できない。物事を自分にとって都合が良いように信じて決めてしまうと、対処が単純で一見うまくいく。地震に設備が耐えうるか。津波に設備が耐えうるか。緊急停止のための処置と設備は万全なのか。ジェット戦闘機の墜落にも耐えうるか……といった質問項目を立てると、全てに対して否(ノー)の答えが出てしまう。要するに原子力発電の実際の安全を不問にして、安全であると決めてしまっていたのである。

 実際には、政府も電力会社も原子力発電の安全運転のことをまともに研究してこなかったのは明らかである。地震のあとの15メートルの津波によって、冷却水を循環させるための緊急用のディーゼル発電機が機能停止したことがその典型的な事例である。津波に襲われる位置に設置していたのだから、緊急や安全のことなど考えていない証拠になる。

 建物の構造にしても、安全対策が不十分であったと言わざるを得ない。東京電力福島第一原子力発電所は、原子炉に「五重の障壁」を設け安全性を説いていたが、原子炉建屋の一番外側にある鉄筋コンクリートの外壁は、厚さ1メートル程度。伝え聞くところによれば、フランスの原子力発電所の外壁は7メートルほどの厚みをもって造られているという。大砲から守られるトーチカのことを考えたら、そのぐらいの厚みがあってもよいであろう。テロの脅威から原子力発電所を保護して安全を確保するためにはそのぐらいのことをしてもよい。その程度のコンクリートの量で本当に安全を確保できるなら安いものである。

 日本は水の国であっても、その水を発電に用いるための要件を欠いてしまっている。日本の川は、発電をしない方式のダムによって埋め尽くされてしまったからである。

 原子力発電は年間総発電量に占める比率を3割ほどに上昇させており、近年はさらに推し進める体制になっていたのだから、急な方向転換は実質上は難しい。安全無害な原子力発電方式の確立が望まれるが、実現したとしても、原子力発電所建設を受け入れる地方公共団体とその住民は、向こう10年はでてこないであろう。

 このような状況を考えると、我が国のエネルギー政策は新たな方向へ向かう局面を迎えたといえる。原子力発電の不備に伴う電力不足を補うため、今後は他の発電エネルギーの比率をあげることが必要となる。当面のところは、火力発電所が増設されることになる。その間、火力発電にともなう二酸化炭素の発生の問題は棚上げにしなければならない。水力を利用するための発電技術の開発も求められる。太陽光発電の開発は進むのか。風力発電は効率に耐えうるのか。地熱発電、潮汐発電、河川の流れで水車を回す発電方式もある。

 発電はエネルギーを創出する社会の基盤である。今後どのようなエネルギー政策に向かうにしろ、我々は自国の電力が不足していることを認識しながら大切に使用せねばならない。

自らを省みることが更なる向上心へと繋がる 日本計量新報 2011年4月24日 (2867号)

 テレビのニュース番組の中で、東京電力福島第一原子力発電所の事故に関して「ベクレル」という単位が出てきた際、キャスターが「シーベルトのことを覚えたらベクレルが突然でてきた。これは一体何なんだ」と人を攻撃するような口調で言葉を発する場面があった。

 自分が知らない事柄や言葉が出てくると、自分の知識不足を棚に上げて全て他人のせいにする。マスコミ関係者に多くみられる傾向である。一般のテレビやラジオや新聞に携わる人間は総合的に広く情報を取り扱うが、その一方で、専門分野を深く学ぶ機会が少なく知識に乏しいという面もある。「私はシーベルトとベクレルの関係がよくわかりません。誰か教えてください」と言えばいいのに、謙虚さに欠ける言動は他人への攻撃となる。

 『日本計量新報」では、放射線に関係する単位のことを解説した特集を組み、あわせて地震や放射能に関係する諸事項も紹介している。新聞に掲載した記事は『計量計測データバンク』のデータベース「東日本大震災 特集と関連記事」(http://www.keiryou-keisoku.co.jp/kiji/2011sinsai/2011sinsai_top.htm)に盛り込んであるので、常時閲覧することができる。

 シーベルトとベクレルのことを簡単に説明すると次のとおりである。

 「シーベルト(Sv)」は、放射線による人体への影響度合いをはかる物差しである線量当量を表すSI単位。放射線を安全に管理するための指標として用いられる。「ベクレル(Bq)」は、放射性物質が放射線を出す能力を表す単位で、ある物質に含まれる放射性同位元素が1秒間に壊れる数を示す。1ベクレルは、1秒間に1つの原子核が壊変することを表す。

 2つの単位の関係は、「雨」に例えるとわかりやすい。空から単位時間に降る雨粒の数がベクレル。雨が当たったことによって人が受ける影響がシーベルトになる。

 ベクレルの値に、放射性物質の種類ごとに異なる実効線量係数という値をかけると、ベクレルをシーベルトに換算できる。

 放射性物質にはさまざまな種類がある。放射性物質によって、放出される放射線の種類やエネルギーの大きさが異なるため、人体が受ける影響も異なる。このため、放射線が人体に与える影響を考えるには、ベクレルの大小を比較するのではなく、放射線の種類やエネルギーの大きさ、放射線を受ける身体の部位なども考慮した数値、シーベルトで比較する必要がある。

 シーベルトもベクレルも、以前から使われていた単位でいきなり登場したものではない。いきなりと思うところにニュースキャスターの浅はかさと思い上がりが露呈されている。自分の知識不足を顧みず、何かのせいにして済ませるのはつまらない人間のすることである。社会的に高学歴なエリートと言われる職に就いているのであれば、奢ることなくより謙虚な姿勢で物事にあたり知識習得に励むべきである。






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最終更新日  2019年03月14日 17時05分18秒
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