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写真は現在の外務省の建物 2022年1月に撮影 1970年に学生であった者の青春の記-その25- 執筆 森龍之(もりたつゆき) ラストヴォロフは、36人の日本人エージェントを囲っていた ラストヴォロフ事件発覚後、西側のマスコミは、この事件をセンセーショナルに報道した。また、日本側の報道でも、1954年8月14日付朝日新聞が、外務省と公安調査庁の共同発表を「ラストボロフ事件の真相」という見出しをつけて掲載している。各種報道によると、ラストヴォロフは、36人の日本人エージェントを囲っていたとされる。まもなくエージェントの1人、元関東軍航空参謀少佐志位正二が自首したのである。 外務省欧米局第、国際協力局、経済局職員をスパイに仕立てる 元関東軍航空参謀少佐志位正二はソ連抑留中にスパイになることを強要されて帰国し、主として日本の再軍備についてラストボロフに報告、月一回、計30回にわたって50万円を受け取ったとされる。8月14日、外務省欧米局第5課事務官の日暮信則、国際協力局第1課事務官の庄司宏が国家公務員法100条(秘密を守る義務)違反の容疑で逮捕され、8月19日、外務省経済局経済2課事務官の高毛礼茂(暗号名・エコノミスト)が同容疑で逮捕された。日暮信則は、事件の取調中、4階の窓から飛び降りて自殺した。高毛礼茂は懲役8月、罰金100万円の判決を受けたが、庄司宏は証拠不十分で無罪判決を受けた。
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最終更新日
2022年04月12日 00時00分20秒
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