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カテゴリ:計量と計測を考察する「計量エッセー」
脳体積と知性にかかわりはない
時代によって変化する頭骨の形状 There is no relationship between brain volume and intelligence アルベルト・アインシュタインの脳の質量は1,230グラムデアあるとされている。現代人の平均である1,400グラムより軽かったとされる。アルベルト・アインシュタインの脳は、多くの研究や推測の対象となっている。 脳体積と知性にかかわりはない 時代によって変化する頭骨の形状 アルベルト・アインシュタインの脳の質量は1,230グラムデアあるとされている(現代人の平均は1,400グラム) (タイトル) 脳体積と知性にかかわりはない 時代によって変化する頭骨の形状 (本文) ナチス・ドイツのユダヤ人排撃のホロコースト、米国における日系人の強制収容があった。これらは宗教上の理由に加えて人種差別があったと想定してよい。ホロコーストは1933年から1945年の間にヨーロッパ全土で繰り広げられ600万人が虐殺された。フランクリン・D・ルーズベルト大統領の政策による日系人が強制収容所への収監政策は、1942年から終戦後の1949年のあいだ実施された。 米国大統領令9066号が発令された後の1942年2月下旬から、カリフォルニア州やワシントン州、オレゴン州とアリゾナ州、そして準州のハワイからは一部の日系アメリカ人と日本人移民120,000人が強制的に完全な立ち退きを命ぜられ、同年3月29日をもって対象地域に住む日系人に対し移動禁止命令が下り、それ以前に自ら立ち退いた一部の人間を除く多くの日系人は、地元警察とFBI、そしてアメリカ陸軍による強制執行により家を追い立てられ、戦時転住局によって砂漠地帯や人里から離れた荒地に作られた戦時転住所と呼ばれる全米10ヶ所の強制収容所に順次入れられた。収容者のほぼ3分の2はアメリカで生れ育った日系アメリカ人だった。 ドイツにおけるナチ党はナチ党の人種に基づく世界観として人種的反ユダヤ主義を執り、ユダヤ人をドイツ社会から排除する行動にでた。ユダヤ人迫害はドイツ国外にも広がり1930年代を通じてナチスドイツによる侵略的な対外政策は、1939年の第二次世界大戦のもたらした。領土拡大がつづくなか数百万人から一千万人のユダヤ人がドイツに支配され、虐殺などの被害にあった。ナチスドイツのアーリア人至上主義は民族による骨格・体形や文化・風俗への偏見と結びつけられ、このことと連動してユダヤ人の排撃と虐殺が行われた。 1930年代や1940年代に考古学や人類学がいまほどに拓けていたならば想定される一方で今なお民族や国家の戦争や紛争が繰り返されるのは何故なのかという、永遠の問いが残る。 東京大学理学部オープンキャンパス2022講演「東京大学の人類進化研究」海部陽介教授(2022/10/20、YouTube)において、次のような質問と応答があった。 質問 人間の脳の大きさと人間の知能は比例的な関係があるのですか。 答え 謎なんですけれども、チンパンジーは私たちの脳サイズの三分の一ぐらいの大きさです。人類は進化の過程でチンパンジーぐらいの脳のサイズからどんどん大きくなっていきます。ここにはおそらくなんかの意味があるはずです。脳のサイズというのは神経細胞の数ですから。それが関与して知能が上がってきたということは あるはずなんですが、現代人では脳のサイズと知能は全く関連していないように見えます、というか関係してませんよね、つまり大きな頭のお友達が頭がいいかと言ったらそんなことは全然ないわけですから。あと男女の差があるわけですが、そこに差があるわけではないですから実際の私たちの脳のサイズの違いが知能とどう絡んでるとかってのは、よくわからないんですね。化石の限界は脳そのものを研究できないのでサイズしかわからないということが、まあちょっとネックになって今それ以上の議論ができない状態です。(海部陽介教授) 確証をえないことであるがアルベルト・アインシュタインの脳の質量は1,230グラムデアあるとされている。現代人の平均は1,400グラム。アルベルト・アインシュタインの脳は、多くの研究や推測の対象となっている。その脳は死から7時間半以内に摘出されたとされる。一般の人の脳との違いは神経解剖学における一般的な知性や数学的知性との相関性にへの情報を提供する。アインシュタインの脳は、音声や言語に関わる領域が小さく、数値や空間処理に関わる領域が大きく、グリア細胞の数が多いとされている 日本人の頭骨の形態の変化を鈴木尚(東京大学教授)が解き明かしている。鎌倉時代の頭骨は上からみると前後にとても長い。現代のヨーロッパ人のように前後に極端に長い。中世の鎌倉時代の日本人はこのようであり、ヨーロッパでも同じようであった。何故なぜこのようなことが起こったのかよくわからないけれども人類の頭の形は歴史を通じて変化してきたことがわかっている。日本人は頭骨が上からみてヨーロッパ人と比べると前後に短いという短頭型というのは鎌倉時代の日本人に関しては当てはまらない。顔の形、頭の形、体格、骨格などは固定的ではないから強くこだわらないのが賢明である。 アフリカ大陸に住むある部族は布を巻いて頭が前後に長くする部族がいる。前後に長い頭が美しいと考えているためにこのようにする。黒人・ニグロには前後に頭が長い人が多い。ヨーロッパ人は日本人や現代のモンゴロイドに比べると、顔立ちは細く頭は前後に長い。頭の形が世界でもっとも美しいとされる女性モデルの頭は前後に極度に長い。現代の日本人には考えられない頭の形状である。しかし中世の鎌倉時代の日本人の頭骨は女性モデルと同じようであった。すべての人がそうだと言えないまでもそのような頭骨が多数でている。 骨格を含めて骨は変わる。脳をいれる頭の骨の形も変る。日本人の頭の骨の形は変化してきた。縄文人よりも弥生人の方が頭が前後に長い。古墳時代にはさらに長くなって飛鳥時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代、明治時代、現代とつづく。鎌倉時代に頭の前後長は最大になり、その後また短くなった。長頭型の日本人の頭を鎌倉頭という。このさき日本人は顎(あご)が細くなり顔が長くなる。貴族顔の日本人が増える。日本人の顔の形と頭の形、つまり顔の骨と頭の骨の形は変化してきた。 やわらかな食べ物によって日本人は咀嚼(そしゃく)のための力が衰えるにつれて顎(あご)の骨が小さく細くなった。歯の大きさはあまり変化しない。歯が顎に収まらないために歯は顎の後や前に生える。顎に歯が収まらないために歯を矯正することがなされる。スルメなどを噛んで顎を強くすることを意図するとよい。また上下の歯も意識して合わせる。上の歯と下の歯を爪切りのように合わせるようにしていると出っ歯になりにくい。出っ歯は下の歯が上の歯を内側から打ち上げていることで出現する。左右の奥歯も均等に使う。片方だけ使っていると顎がゆがみ、ついでに顔もゆがむ。 韓国人の頭骨の形状に新たな視点を当てる発見が2016年6月にあった。韓国で長頭型の女性の頭蓋骨がみつかったのである。現代の韓国人は総じて頭が前後に短い短頭型である。発見された頭蓋骨は長さに対する幅の比率すなわち脳頭蓋長幅示数は75(75%)であった。現代の韓国人は85%前後である。鎌倉時代の日本人の脳頭蓋長幅示数は74あるいは75ほどだった。 韓国における上記の長頭型の女性の頭蓋骨はかつて新羅王国(紀元3から10世紀)の都として栄えた慶尚北道南東部に位置する慶州市で出土した。新羅の成立の100年ほど前は、中国で魏・呉・蜀が覇権を争う三国時代であり、朝鮮半島の人々の頭の形は前後に短い短頭型であることが知られていた。朝鮮半島で新羅が成立した時代に日本に暮らす人々の頭の形は前後に長い長頭型であった。倭国と新羅は抗争するなか和平の状態では交易をした。争いかつ親善もする100年を遥かにこえる期間に倭国と新羅の人は移動し定住もあった。このことからある種の推理がなされなくはないが、出土した一つの頭骨に依拠することは危険である。 鎌倉時代の人々の頭骨の形状が上からみて前後に長いが長頭型であったことが鎌倉幕府の本拠で発掘された頭骨や、東京の中心部などで出土した頭骨によって明瞭になっている。 鎌倉幕府の本拠界隈では由比ヶ浜中世集団墓地遺跡、極楽寺遺跡の発掘で頭骨を含め1,500体もの人骨が出土している。状態のよい57体の頭骨を骨聖マリアンナ医科大学解剖学教室と日本大学松戸歯学部解剖人類形態学講座との共同研究チームが調査し分析した。同チームは東京の中心部の鍛冶橋遺跡と丸の内両遺跡は16世紀かさかのぼっても室町時代中期以降と推定されている。鍛冶橋遺跡の17体、丸の内両遺跡の14体の男性頭蓋骨を調査・分析、つまり計測している。北部九州・山口地方の吉母浜遺跡出土した成人男性頭骨の計測値と鎌倉時代から室町時代前期にあった鎌倉市の材木座遺跡から出土した頭骨の計測値は、前後に長い長頭型として一致している。この時代の頭骨長幅示数が長頭型であることを示す。 頭骨のその幅(顔の幅)と長さ(頭の前後長)の実寸は、最大長(頭の前後長)は極楽寺遺跡中世人で187.8mm。鍛冶橋遺跡中世人は184.2mm。丸の内遺跡中世人は183.8mm。脳頭蓋最大幅(顔の幅)は由比ヶ浜南遺跡(単体埋葬)139.8 mm、極楽寺遺跡139.3 mm、鍛冶橋遺跡139.8mmであった。吉母浜遺跡中世人の脳頭蓋最大幅(顔の幅)は135.9mmであり関東の中世人が北部九州中世人よりも大きい。横幅と前後長とも大きい。 これら頭骨の計測調査では容積を示していない。ここでは脳が頭骨にどのように収まるかということ、そして脳が収まる頭骨の容積、脳の質量と脳の働きや脳機能については扱われていない。 日本人は顔貌と骨格は縄文時代ののち渡来人と混血して一度変化し、以後はそのままの状態で推移していると考えられていた。この定説をくつがえしたのが鈴木尚(すずきひさし)である。鈴木尚は東京大学医学部で解剖学をおさめたあとで理学部に移って人類学を研究していた。昭和26年に大学の解剖標本室を訪れると変った頭骨が21個あった。探すともう2つでてきた。これが鎌倉時代の遺跡からでた頭骨であった。 頭骨は現代の日本人のよりも後頭部の長さが倍ほどにもみえた。「大正2年、東京市鍛冶橋の橋を架け替えるために掘ったところ、橋のたもとから骨が出たもの」と書かれていた。鈴木尚は東京のど真ん中で出土した骨から「今とは違った顔をしていた日本人がいたのでは」と考えて調査を始め、それが鎌倉時代の頭骨であることを突きとた。鎌倉時代の長頭型の脳頭骨によって頭の骨の形は変わることを明らかにした。東京大学医学部教授で解剖学を担当していた養老孟司も鈴木尚氏の考えの側に立つ。 鎌倉時代の中世人の奥歯はすり減っていた。どのような要因が頭の骨と顔の骨の形に作用するか明確ではない。現代の人は固いものをかまないから顎(あご)の骨が細い。徳川将軍は代がすすむにつれて顎は細くなり顔が長くなった。いわゆる殿様顔である。各藩の藩主も同じである。よい容姿つまり美女とは細面(ほそおもて)であった。 頭骨や身体の骨の長さや形の計測はノギスやモノサシでやっていた。3Dプリンタは頭骨や身体の骨を実物と同じに復元する。立体の精密な把握と、それに基づく復元作業がここにはある。接触式(タッチプローブ)と非接触式による走査レーザプローブタイプ、光学タイプ、そして接触式と非接触式を組み合わせた方式による、立体空間の把握がある。撮影画像を利用した計測方式の有効性が高まっている。考古学分野における骨ほかの計測に画像とその処理方式が推進され、ここから得られた数多いデータの解析がなされていく。計測とその解析は未知の分野に新しい認識を広める。 2023-10-10-there-is-no-relationship-between-brain-volume-and-intelligence- [資料] ├アルベルト・アインシュタイン - Wikipedia ├ ├アルベルト・アインシュタインの脳 - Wikipedia ├ ├計量計測データバンク ニュースの窓-104-日本列島人の頭骨の形態変化(脳容積と知能は比例しない) ├ ├漱石、龍之介、鴎外、子規にみる頭の形(日本人の頭の形) 日本の文芸人 森鴎外の横顔 ├ ├日本人の頭骨の変化を計測値が示す[計量計測データバンク] 写真は本文とは連動しない挿絵です。 モデルの前後に長い美しいとされる頭 ├ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年10月11日 22時48分15秒
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