構築された仏教思想 龍樹
構築された仏教思想 龍樹 あるように見えても「空」という【電子書籍】[ 石飛道子 ] これほどわからない本を読んだのは本当に久しぶりだ。 だからわからないまま最後まで突っ走って読了した。 というのは世尊や龍樹菩薩についての説明がまず独り善がりなんだな。 つぎに本というものは読み手に分かってもらいたくて書くものだろうにその配慮が全くない。 いっぽう龍樹菩薩の死に当たっての記述は, まるでブッダを敬うかのようであった。 これが、龍樹の死についての伝記である。 菩薩やブッダは人々のために生きる人である。 したがって、他者によって請われて生きるのである。 かれらの寿命は、みずから自在にできると考えられている。 だから、なすべきことをなし終えてしまったら、龍樹にしても、ゴータマ・ブッダにしても、いつこの世から去ってもいいのである。とあり,ほんの少しだけわかったかなというレベルだ。 または, 龍樹の場合は、ブッダと順序が逆だった。 論理と法の地で活動し、その後、善なるものを求めたのである。 論理と法の地で活動するところには、ブッダと同じように、理論家というだけではなく実践家としての側面も見なければならない。なんていう記述,全く分からなかった。 というのは本書は龍樹菩薩について世尊と対比して書いていたからだ。 そのため龍樹菩薩のことを知ろうとしているのに世尊のことも勉強しなければばならないという実に難しい話になってしまったのだ。 そもそもそういう書き方をするのならばこの構築された仏教というテーマには合わないのではないのか。 ようするに大乗仏教の宗祖たる龍樹菩薩についての人となりそして私たち凡庸な人間が理解できる程度の説明が欲しかった。 いわば独り善がりを超えた独り善がりの本だった。 とりわけ中道,空,縁起等の重要な言葉が私なんざ理解不能。 さて以上のように難解な本。 たしかに読了したけれど私に一体何が残ったのだろうか。(7/28記)