<其ノ壱> 5/23放送済み テレビ東京 「東京五輪へー卓球・絆の物語ー 美誠・佳純・美宇 家族との感動秘話」
東京五輪が無事終わりますように東京パラ五輪で感染者が一人も出ませんように。熱暑や猛暑で病人が出ませんように。豪雨災害や地震で被害が出ませんように。五輪に乗じて悪巧みをする奴が出ませんようにそして、選手も関係者もベストな記録や結果が出ますように!組織委と東京都がもっとまっとうな意見が言えますように?誰に言ってよいのやら...トイレに居るなら五輪とパラ五輪にもいるでしょう、五輪のカ・ミ・サ・マ。しかし、何度も書きますが、私は20年以上前から五輪のイベント的開催には反対でした。もちろん世界最高峰の競技会なら大賛成ですが、今のルールでは卓球のみならず多くの競技で、純粋に世界の順位決定戦とはなっていません。特に、強豪選手の割合が国の偏りが大きいので、強い選手が出場できない。卓球も柔道も1国2名だ。あまりにひどいが、選手側は諦めているのか、声は出ない、マスコミが声を出さない。それでも応援したい人や事があります。辻褄が合わないですが、にんげんだもの...さて、その応援したい人の筆頭。美誠ちゃん。以前からツイートでもブログでも吐露しましたが5/23テレ東放送した番組「東京五輪へ ―卓球・絆の物語ー 美誠・佳純・美宇 家族との感動秘話」の投稿がなかなかできません。タイトルは感動ですが、私には「悲しみと苦悩の日々を乗り越えて」としか思えないのです。私が苦しいのですが、ぜったい書くつもりです。対策として?2回に分け、まず、感情も感想も意見もない、客観的な文字情報を投稿します。次に自分が録画した番組を見て、感想を書きながら美誠ちゃんの部分だけ、準・完コピ的に番組を文字起こしをして、画面SSを載せ、紙上再録風とはいきませんが、記録を残す意味がある程度にして投稿します。石川さんと美宇ちゃんの部分は、既に放送されたことや、ネット記事やリアル紙・誌で報道されたことも多いので、簡略化するか、後日に別投稿か合せ技投稿にするかもしれません。美誠ちゃんは、最近、「五輪で金3つ」宣言した時に、「自分のために」と名言明言迷言珍言しました。真の意味は、はかりづらいですが。私もブログを書くのは「自分のためです」美誠ちゃんなどを応援するのは、最終的には自分考えや思いを記録するためです。ブログはメモ&スクラップブック的に考えて使いますと、当初から書いています。まあ、多くの個人ブログはそういう使い方する人も多いと思いますが、何度も宣言はしないと思います。私の場合は、エンディングノートの一角を占めるブログでもあります。いつか競馬の思い出ブログも書こうと思っていましたが、この卓球応援の勢いでは無理そうです...しかし、嫌なことから逃げる体質はいけませんねえ。では、ネット文字情報だけの1回目です。5/23放送済み テレビ東京番組タイトル東京五輪へー卓球・絆の物語ー 美誠・佳純・美宇 家族との感動秘話其ノ壱価格.COMの番組情報-概要のほぼ全て一部、間違い的要素や不要部分は割愛または修正一部、強調や目安のために加工(文字書式他)すたーと!「東京五輪へー卓球・絆の物語ー 美誠・佳純・美宇 家族との感動秘話」 2021年5月23日(日)放送内容2021年5月23日(日) 16:00~17:15 テレビ東京【声の出演】 沢城みゆき【その他】 伊藤美誠 , 伊藤美乃り ,石川佳純 , 平野美宇 , 松崎太佑 , 伊藤町子 , 石川梨良 , 平野早矢香 , 平野真理子 , 平野亜子 , 平野世和 , 平野光正(オープニング) 美誠 佳純 美宇上海空港 ロンドンオリンピック/リオオリンピック/東京オリンピック美誠 佳純 美宇去年10月の上海空港、卓球日本代表の伊藤美誠は防護服の警備員に囲まれて現れた。向かうのは8ヶ月ぶりの国際大会、それを前に空港から隔離用ホテルに直行、1周間はそこに閉じこもった。試合会場は1000km先、貸切バスにて12時間を経て到着するも体は疲弊、3日に1回は選手全員がPCR検査を受けた。この疲労は試合をも上回った。それでも母親は献身的にサポート、日本の米を使った炊きたてご飯などを伊藤に提供、伊藤もまたこれに喜ぶ姿があった。母親は伊藤について「自分の命よりも大事」などと話す、東京五輪を最終目標に掲げていた。ただそれが延期、伊藤はこれに落胆し自傷行為にも走ったという。東京オリンピック他佳純 美宇一方で石川佳純は窮地を救った妹がいた、平野美宇には敢えて離れて応援する母が、それぞれの応援が選手らを支えたという。 ロンドンオリンピック/リオオリンピック/東京オリンピック美誠 伊藤美誠は酒が飲めない頃から居酒屋のおつまみ好き、この日は母と専属コーチの3人で食事を味わった。今や仲の良い3人は当初は仲が悪かったといい、母親は「コーチのおかげ」と謙遜した。伊藤は静岡県磐田市生まれ、元卓球選手であった母のおかげで2歳から卓球に打ち込んだ。7歳では全国大会で初優勝、11歳では母とともにロンドンにて五輪観戦に臨んだ。そこで戦っていたのはいずれは東京オリンピックでチームを組むことになる石川佳純、その試合を見て「4年後には五輪出場、8年後には五輪優勝を目指す。」などと決意を固めた。母親もこれを支援、リビングに卓球台を置き毎日トレーニングに励んだ。この日母親はハンバーグ料理を振る舞う、2人で味わった。そんな中で東京五輪は延期、伊藤はこれに落胆し出血などのケガ、それすらも自覚していなかったという。 ロンドンオリンピック/リオオリンピック/東京オリンピック美誠 1年の半分は日本を離れて20カ国を回る伊藤美誠選手。母・美乃りさんも欠かさず帯同する。美乃りさんは伊藤選手の夢への道のりを全力でサポートすると決めた。多いときには1日5食を用意する。世界ランク9位で入ったリオオリンピック。団体銅メダルを獲得した。2年後、世界ランク7位で臨んだ世界卓球団体戦で中国のトップ選手を破り8戦全勝で大会MVPを獲得した。去年4月には日本女子史上初の世界ランク2位に立ち、今や東京オリンピックの金メダル有力候補となった。伊藤選手は2019年・19歳の時「金メダルを獲っていい20歳を迎えたい」と話していた。しかしコロナでオリンピックは延期になり、国際大会も軒並み中止に。去年5月のリモート取材で笑顔を見せる伊藤選手の裏には深い葛藤があった。母・美乃りさんは当時、伊藤選手はカメラの前では元気に話をしていたが、実際は助けて欲しいと葛藤の日々で、落ちていくのを目の当たりにした事を明かし、苦しんでる自分をラケットを振ることでなんとか呼吸できる状態にしているようなことをすごく感じたなどと話した。成田空港美誠 伊藤美誠は去年10月、8ヶ月ぶりの国際大会に参加すべく成田空港から中国へと発った。着いた上海空港は厳戒態勢、感染対策のために他人との接触は厳禁、その通る道筋さえも指定されている。防護服の警備員に先導されて外に出る、これの取材をも許されない。空港を出れば近くのホテルで完全隔離、部屋から出ることは許されない。一日3回に渡ってホテル側が料理を提供、母親はその際に伊藤の健康状態を見る。食事は3食共に弁当、その全てが冷めていて不味いと母は言う。その後は専用バスで長距離移動、試合会場がある威海市へ1000kmゆく。その道中で伊藤は疲労困憊、トイレの狭さにも苦労したという。12時間を経て会場に到着、着いたらすぐに隔離、3日間が経てば練習が許される。その練習場は仕切りで細かく囲われる、時間帯をも区切られるために他選手との接触はない。それでも初めての練習では喜ぶ様子、BTSのDynamiteを踊る様子もあった。また威海市に入ってからは炊飯も許可、日本の米に日本のふりかけをかけて味わった。 紹介された音楽・CDDynamiteワールドカップ伊藤美誠は今回のW杯にコーチ・トレーナーなど5人を率いて参加、五輪を前に海外勢と戦って実力を認識した。結果中国選手とも当たり銅メダルを獲得、度重なって隔離され続けてきた11月の中国遠征については「楽しかった。試合で生き返った。戦う喜びを知った。来てよかった。」などと話した。今年1月には成人式に出席、その胸元に入る三色な重ね衿は母親から譲り受けたもの。そんなある日に伊藤は離れる母親にビデオメッセージ、「小さい頃から毎日卓球の練習、みんなに習って外で遊びたかった。でも今となっては母親にも感謝している。20歳で五輪、その節目で優勝して母親を自由にしてあげたい。あわせて私も自由になりたい。」などと語った。対する母親は「娘に人生をかけることこそが幸せ。苦痛よりも喜びや幸せが強い。伊藤を開放することは困難、ずっと近くに居続ける。」などと語った。この日は伊藤がサプライズ登場、花束を贈った。<美誠メイン終わり>石川佳純一昨年秋石川選手は代表争いの正念場を迎えた。東京オリンピックシングルス代表の切符は世界ランキングの上位2名に与えられる。ライバルは伊藤選手と平野選手。石川選手はこの時点3位で2位の平野選手を追っていた。上位に勝ち上がるまで強敵がいない組み合わせでポイントを稼ぐチャンス。2回戦の相手は世界ランク75位。世界ランク8位の石川選手はいつもと様子が違い得意の戦法サーブからの3球目攻撃が出せず逆に打ち込まれてしまった。石川選手はベスト4どころか2回戦敗退。卓球選手だった両親のもとで育った石川選手。小学6年生で全日本選手権に初出場。姉に憧れて妹・梨良さんも同じ道へ。そして姉妹で一緒にオリンピックへの道を語り、石川選手は19歳で日本卓球界初の団体銀メダルを獲得。4年後23歳で挑んだリオでも団体銅メダル。梨良さんは将来性豊かな選手だけが入れるアカデミーに入学し、その後石川選手と同じプロチームに所属。しかし、梨良さんは大学卒業を期に現役を引退。代表争いの場から1週間舞台を中国に移して選考レースが続く。立ち直りが心配だったが石川選手の希望で梨良さんもツアーに同行。この時に梨良さんからかけられた言葉で印象に残っている言葉はあるか石川選手を尋ねると「力が入りすぎちゃって負けたりする時は軽く言ってくれるので逆に救われる」と話した。ワールドカップ準々決勝に臨んだ石川選手はロンドンオリンピックの銅メダリスト相手に際どいコースを攻め続けたが大接戦の末フルゲームで敗北。12月代表選考レースはカナダで決着を迎えることに。目を引いたのは8年ぶりに染め直したという黒髪。梨良さんもラケットを手にして姉の練習相手を務めた。そして準決勝までを勝ち抜き平野選手と対戦することに。 ノースアメリカンOPノースアメリカンOP決勝では石川佳純選手と平野美宇選手が対決し、石川選手が優勝し五輪シングルの座を掴んだ。試合後まっさきに向かったのが妹の梨良さんのもとで、金メダルは妹のもとへ。ひとりでは切り開けなかった道をふたりで掴んだ。その夜、梨良さんについて石川選手は「試合についてきてくれてありがたかった。気負いしすぎず応援してくれたのがありがたかった」などと述べていた。東京五輪夢に届かなった美宇選手。代表選考のレースを終え、「濃い一年だった。シングルスに行けなくて悔しい」と振り返った。母親の真理子さんはかえってきた娘を迎える準備をし、ケーキをプレゼントしたが、メッセージを書いたチョコが溶けてしまっていた。家族恒例の家族卓球、家族全員と卓球を行った。実家は町の卓球教室。母から卓球の面白さを教わり、大会では母のアドバイスを受けていた。7歳で全日本選手権で優勝し、インタビューで「オリンピックで金メダルをとる」と初めて答えたのという。その時真理子さんは「12歳までしか一緒に居られない」と覚悟したのだという。その日から独り立ちのために料理などの家事を教わり、練習のため大阪にむかった。単身大阪に向かった美宇さんを迎えたのは名門クラブの連絡。石川佳純選手や平野早矢香選手らトップ選手と一緒に同じメニューをこなした。確実に実力をつけて強くなり、そのたびに真理子さんは別れを実感していったという。卒業と同時に単身東京に、JOCエリートアカデミーに入学。その翌年、伊藤選手と組んだ女子ダブルスで最年少優勝を果たした。母の元から旅立った寂しさはなく、母のメールも一言で返すのだという。でも本当は母想いで、優勝賞金で財布を購入しようと千葉から横浜まで6時間悩んで選んだ。2015年、美宇さんは日本代表に入っていた、そのときにはもう、母に助けを求めて振り返ることはなくなっていた。真理子さんは嬉しさと寂しさが混ざる複雑な心境だったと話した。一昨年の暮、美宇さんが帰ってきた時にリクエストした料理はお母さんのほうとう。真理子さんは最後まで頑張った美宇さんを褒めた。翌1月、団体戦で五輪入りが決まり、お母さんに「ありがとう」とメッセージが届いた。美宇さんは「お母さんを金メダリストの母親にしたい」とコメントした。去年1月、石川さんと平野さんはダブルスに。東京五輪の団体戦で共に戦うこととなった。日本はバチバチしてるからこそ集まったら良いチームワークになると平野さん。ライバルだからこそ苦しい場面でもお互いを信頼してプレーできると石川さん。(エンディング)オリンピック平野さんは結果を出して恩返ししたいと意気込みを語る。石川さんは楽しみながら全力でプレーしたい。伊藤さんは決勝の舞台で大暴れしたいと楽しそうに話す。 東京五輪へー卓球・絆の物語ー 美誠・佳純・美宇 家族との感動秘話 2021年5月23日(日)16:00~17:15 テレビ東京番組関連リンクテレビ東京 番組サイト東京五輪へ ―卓球・絆の物語ー 美誠・佳純・美宇 家族との感動秘話<其ノ壱> のベース価格.com - 「東京五輪へー卓球・絆の物語ー 美誠・佳純・美宇 家族との感動秘話」2021年5月23日(日)放送内容 | テレビ紹介情報番組のエンディングテレビ画面撮影やはり、文字だけではあまり伝わりませんねえ。自分が作っておいてなんですが...次回投稿では逆に写真沢山です。さきほど撮りました。容量制限あるので枚数はわかりません。少し興奮気味なので、ピント合わせてませんねえ、バカですねえ。取り直しや加工する気力はないので。そのまま載せます。<其ノ弐> はこの番組の録画を見て、紙上再録もどきを書きます。全国放送ではないテレ東なので意味はあると思います。番組そのものが美誠ちゃんメインで、石川さんと美宇ちゃんは、録画をチェックして、今回の文字だけで十分だと判断すれば割愛します。アップは7/1夕方から夜end