藤森神社で絵馬奉納
藤森神社で絵馬奉納宮司による縁起説明はこちら勝運と馬の神様として知られる、京都伏見区の藤森神社。(ふじのもり)2/17に、美誠ちゃんの「大願成就」へのお願いをする為に参詣してきました。上から絵馬の表「勝」裏「願い事」未記入、後日追加分?(販売時間が9時から16時なので勝っておいた)願い事は伊藤美誠さんの大願成就補足としてオリンピック世界選手権その他の大会無敗の女名義で絵馬は、「勝」「勝ち馬」「学芸」の3種類。奉納絵馬をざっと見て、圧倒的に多いのが、「競馬であたりますように」「競馬関係者とファンの必勝祈願」少し、学芸で「合格祈願」。学芸の派生で、タレントさんなどの芸能向上系も結構あった。私は上方落語をメインにお笑いは詳しい(大阪文化も興味あり)が、知っている落語家さんがお参りしたというSNSは見たことがある。後は、私のような推し活の願い・競争に「勝ち」抜く。神職の説明によると、ここで奉納しても良いし、本殿でお参りして、絵馬は家で書いて、家で祀っても良いとの事。今回は美誠ちゃんの「大願成就」というざっくりしたものにしましたが、もっとピンポイントな願い事が、本人から出れば、対応するべく「白紙?未記入」のスペアも購入。後日、違うことを書いて、また此処に奉納しても良いし、家で祀っても良いとの説明もあった。なお、次の二重線以下は、今回も大きく脱線するので、美誠ちゃんの大願成就を願って絵馬奉納した、という事実だけを見る人は、ここで終わってください。まあ、無関係の話でも面白いものはありますが。前説一方通行の旧街道っぽい道に目立たない狭さの間口。中は広い。馬の像が目立つ。朝だったので?閑散としていた?お参りしているは5-6。境内に居る人数は、ご老人を中心に、地元の交流・一服・井戸端会議風の10人程度か。まず、勝手分からぬので、事務所?社務所?みたいな所に寄って、事情を話し、色々教えていただいた。その方(年齢は40代くらいの優しそうな神職)は、選手や芸能人・著名人を応援する願いはよくあるらしい。絵馬を奉納し、本殿でお参りすれば良い、との事。細かい作法や、お参りの仕方も教えていただいた。神信心はしない私。今年、還暦を迎えるが、2020年の正月明けに、初めて神社へお参りした。海・渡航の神様である住吉大社に、美誠ちゃんの海外遠征がうまくいくように、と。コロナ拡大前。家から歩いて10分程度。まだ日本の感染者が出る前だったが、まもなく世界的に広がると思ったので、自分の事ではないし、神頼みでもしようかと突然思い立った。自分は、日頃から、いやほとんど、信仰心はないので、自分には効果がないし、直接的に何も接していなかったが、人の事なら、神信心してもご利益がありそうに思った。まあ、この時は、有名な太鼓橋を渡って、本殿で手を合わせただけ。言わば、本気ではなかった。コロナは、未知のもので、私は何か嫌な予感がして、未経験の事に遭遇するかもしれないとも思っていた。従って、普段しないことをしようと。美誠ちゃんを本本格的に応援しだして間もない頃だったし。しかし、結果的にコロナ観戦関連で、とても酷い事になった。まあ、神信心なんて、所詮こんなものだ、とも思った。それでも、ちゃんとしたお参りをしたいとも思った。もう少しちゃんとすれば、違う場面で違う形になったかもしれないとも思った。神さん(かみさん)のせいではなく、自分の信じる形や思いが良くなかった、とも思った。だから、いつかまた、ちゃんとしたお参りをしても良いと思った。(大阪人はなんでも、「さん」や「ちゃん」をつけて呼ぶ、飴ちゃん、うんこさん・・・)幼少期の頃から、ひねくれていたので、姿形の見えぬものに、労力を使うのは合点がいかないと思っていたので。近くに大阪では初詣のニュースで必ず出る住吉大社がある。生まれた家から、点々と数キロ内で3度転居した。いずれも、住吉大社へは、歩いて10分から25分で行ける距離。何度も行ったが、それは出店を楽しむため、中学生ぐらいまでは正月と夏祭りと行っていた。が、お参りはしていない。成人してからも、神社仏閣のどこへもお参りしたことはない。誰かのお供で、著名な神社やお寺に観光に行ったり、願い事をする付き添いには何十回も行った。しかし、自分が手を合わせたり、なにかお願いもしたことはない。ただ、自分以外の神信心は受け入れるし、邪魔をしては良くないのは知っていたので、ただ時間を過ごして待っていた。まあ、神信心でお願いするようなことは何もなかった。いや願うことはあるが、自分で切り拓くもので、神様にしてもなあ、とういう感じ。決して批判的ではない。それに、多くの日本人が、初詣をして、冠婚葬祭では必ず大なり小なり神社やお寺や宗教的なお祈りをする。が、初詣をしても、同じ年に2回目のお参りはしない人が多い。そもそも、ざっくりいって、日本の神様は担当が決まっている。東大阪の石切神社は「でんぼ(できもの)」、住吉大社は「海」、天満関連のお宮さんは「学問」など。多くの人が、担当を無視する人が多い。逆に、また多くの神社では、本来の担当ではないお願い事を引き受ける。例えば、今回お参りした藤森神社の場合。祈祷(料金が発生する一願を個別に祈っていただける)の受付例。何処の神社でも同じようなイメージ。たくさん見た訳では無いが、通りすがりに見る神社の案内板などを見たイメージ。言わば、担当外に何でも?受け付ける。これでは、主体性がないのでは、とういう疑いが幼少期から抱いていた事も、足を遠のかせる一因だった。ここまで、神社関連の事。日本の神信心は、神社神道以外が、ややこしい。仏教。お寺寺院。西洋など外国由来のキリスト教他。明治以降・特に昭和の新興宗教などが、神社・古来神道系の新興宗教も多い。いわゆる・古くからある神社は、分かり易いが、生活に密着していないことも多い。いや、密着していても非現実的な願いが多い?か。中古代からの、天台宗・真言宗・平安鎌倉仏教の多数派は、生誕時や死亡時以降?に活躍する生活密着型。明治以降の神仏習合と廃仏毀釈によって、複雑怪奇極まりなりなくなった。更に、貨幣経済が進み、国が太鼓判を押し、免許皆伝付与のような宗教法人格認可や、法人格実質休止など、収集がつかなくなった。これは、国の施策に問題があるが、日本では、そもそも古来からの宗教と、近代以降の宗教の捉え方が大きく違った。とにかく、古くからの神さんと、それ以外では大きく違い、ここでは省略する。私は1980年代から2000年代まで、某上場企業(当時最高従業員は3500人)で、何でも屋的な担当の仕事をしていた。営業系のみ。本職や正式担当は、広告宣伝関連。売上利益を上げる為の営業販売促進。が、今の国会・予算委員会よろしく、営業に関するものは多岐にわたるので、クレーム処理から実質葬儀委員長まで、営業にかかわるものなら何でも関係すると押し付けられていた。嫌ではなかった。引き受けた。ヤクザの親分相手から、赤ん坊のお守りまで、いろんな事をした。同時に、従業員組合の執行委員を10年務めた。仕事の担当も組合活動も全国各地に行った。行っていない県は東京担当の沖縄と、秋田青森山形福島のみ。色んな経験をし、見聞きした。中でも、お通夜葬儀関連は、難しい。八百万の神に様々な新興宗教のしきたりがあるので、打ち合わせが大事だ。時間のある時に、いろんな宗教に関する勉強をした。従って、自分自身の信心事(しんじんごと)はしないが、一般的な幅広い知識がある。と思う。また、いつも書くのですが、このブログは、私の死後に家族に見てもらうために、エンディングノートに指定している。従って、卓球専門とは言いながら、自分の思考の背景も書く。今回の絵馬奉納でも、単にその記載だけでは終わらない投稿になった。家族が見て、「神信心はしない」と生前言っていたのに、なんで絵馬ってなるので。さて、藤森神社。12歳ぐらいから知っていた。50年近く前ぐらいから。当時は、競馬ファン。もちろん馬券ではない。ハイセイコー・ブーム直後。江川・怪物・ハイセイコー、昭和48年・1973年。翌年に生まれたTTG3強(トウショウボーイ・テンポイント・グリーングラス)に熱狂していた。当時の情報は、スポーツ新聞の予想関連のコラム記事と、週間競馬ブック・優駿(中央競馬会広報的月刊誌)・少ない馬券以外の書籍。ネットがあればもっと楽しめた。馬券以外って何?詳しく語ると、キリがないので、簡単に言うと生産(酪農系サラブレッド牧場・ビジネス)、流通販売・血統・馬事文化・生物学系学問風。うーん、要するに、競馬=馬券以外の多くの事。一般には理解しがたい。高校生の頃は、本当に勉強しなくて、カバンの中身は弁当と、競馬関係の本のみ。その前後は、暇さえあれば大阪市の本町にあった、中央競馬広報関西分室という所で時間を過ごしていた。月曜日になると、大きなスクリーン(30インチ程度だが1970年代なのでスゴイ)で、土日のレースビデオが見れ、専門書籍が無料で見れる、競馬のミニ図書館。ここには新聞記者や評論家も来ているし、窓口は著名な室長が質問に答えてくれる。パラダイスだった。成人後、仕事関連の人中心に、競馬同好会みたいなものに参加して、30歳頃で競馬サークルを立ち上げた。まだネットが普及しきれていない1994年だったか、Windows3.1の時代。機械嫌いだった。それに関する人は、やや偏屈で変わった人が多かった印象。少数派なので仕方ない。当時のコンピューターは、自分が作業する使うのは、機械得意の理系の人。工業高校のイメージ。典型的文系人間の私は無関心。オフコン(オフィス)、インベーダー、ファミコンなどが一般的。機械といえば、バイクや車、時計など男の趣味でお金を使うものだったか。サークルは実地とオフ会(飲み会)とネットのメーリングリスト。主催者に祀り上げられ?「会長」を務めていた。何処に行っても会長と呼ばれる若造だったので、多くの人が怪訝な顔で見ていた。当時は、結婚なんてしないし、したくないと思っていて、しがないサラリーマンだったが、競走馬の一口馬主(1頭を多数分割してシェア・投資的)をしていて、5億ぐらい稼いででくれた馬を持っていた。もちろん、1回も出走することもない馬も居たが、1頭が大活躍して、全体の最終収支はトントンだった。すいません、馬券以外の競馬は、卓球の百倍くらい詳しいので。いつか年老いて時間出来れば、競馬のブログを書こうと思っていた。まさか卓球の専門ブログなんて想像できなかった。自分の周囲には卓球に関連している人は居なかったし、テレビですら見たこともなかった。放送はなかった?戻って、そんな青少年時代。小学生の頃に、競馬の神様/勝負事の神様として、今回参った藤森神社を知った。その後、何度も活字やテレビでの神事を紹介されていたので、インプットされていた。やっと、藤森神社にたどり着いた...という経緯?。いや記憶が強くあって、たまたま?京都に卓球観戦(2/17島津アリーナ/京都府立体育館・京都カグヤライズvsトップおとめピンポンズ名古屋)に行くので、朝にお参りしてから会場に行った。大阪市内南部なので、普段はミナミあべの界隈で、物事が完結する。だいたい自転車で移動。梅田キタなどは成人して40年になるが、買い物などや遊びに行くことは1-2回しかなかった。プライベートで、落語会やなにかの事情で行ったとしても、大阪市から出ることは少ない。自転車の遠乗りで堺市以南は行くし、子供が居る東部大阪(八尾・東大阪)へも自転車で行く。電車は滅多に乗らない。まして、京都なんて、観光客のラッシュしかイメージしか無いので行こうとは思わない。同様に、兵庫の神戸屋三宮の隣県も。だが、卓球の試合会場観戦で、神戸や大阪市北部の池田市と、京都。卓球を見ていなければ、死ぬまで行くことはなかったか。若い頃は、彼女や友人の付き合いで、京都観光も三宮散策もしたが。神戸は35年ぶりぐらい、京都市内は小学校6年生以来で約40年ぶりに行った。(電車の乗り換えや仕事の短時間での訪問は何度もあるが、行ったことにはならない?と思う)そして、50年近く前から知ってはいるが、なぜ藤森神社なのか。わからない。卓球観戦のついででもあるが、もっと近い大阪市内にも、「勝」関連をおねがいする神社は多数ある。閃いた藤森神社。後日、野生に戻る?美誠ちゃんの言葉があった。ベンチコーチなし、の理由。閃く野生児を応援するに相応しい、私の感覚が合致・シンクロしたか....end