大魔王出現記念!磐田市広報誌の表紙と20歳のカタチ
ついに最終回を迎えました。「みまちゃんに捧ぐ」シリーズ美誠ちゃんが、現れました。私の心配は、徒労に終わり、全くの杞憂でした。今朝、Twitterのフォロワーさんから、私のブログを見てくださり、「美誠ちゃんに届くといいですね」というコメントを頂いたばかりでした。そして午後、携帯のニュースアプリを信号待ちで、「伊藤美誠、磐田市の市長にオンラインで表敬、振袖姿」というのを見つけました。信号が変わったので、交差点を渡ろうとしてペダルを踏み外しかけました。交差点を超えて、すぐとまり何度も見直しました。去年の前撮りや正月のイベントではありません。はばかることなく、路上で泣いてました。とにかく、元気でいた事でホッとしました。しかもいつもどおり、明るく力強い言葉!私は完全に負けました、美誠ちゃんに。美誠ちゃんをソコソコ理解しているつもりでした。しかし、私は全くわかっていませんでした。全日本決勝の勝てた試合を落として、立ち上がれなかった10分。それまで、大会までは毎日のように、インスターストーリーズで、何かしらつぶやいていました。しかし、大会翌日以降、どのメディアやSNSでも現れたり、コメントしたりすることがありませんでした。そして8日が過ぎていました。何日かで、切り替えができていたみたいでした。すげえや、脱帽です。非凡。ニュース記事静岡県磐田市出身の伊藤美誠選手が、オンラインで市とつながり、新年の意気込みを語りました。 小学生まで磐田市で過ごし、去年10月に二十歳になった伊藤選手は、25日、市役所に設置されたモニターに紫の振り袖姿で登場し、オンラインで市長に新年のあいさつを行いました。テレビ静岡の記事リンク(動画1分弱)「市民に成長した姿を」卓球・伊藤美誠選手 オンラインで市長表敬 静岡・磐田市NHK静岡の記事リンク(動画1分強)静岡 NEWS WEB 卓球・伊藤美誠が磐田市あいさつNHKの記事の一部伊藤選手は「私も無事に20歳を迎えることが出来ました。卓球においても磐田の人たちに成長した姿を見せられてよかったと思います」とあいさつしました。 渡部修市長は、伊藤選手が表紙になっている1月の市の広報誌を見せながら激励したあと、。伊藤選手が1月に行われた全日本選手権の女子シングルス決勝で敗れたことについて触れ、「試合のあと動けなくなっているのをテレビで見て心配でしたが、今は笑顔なので切り替えられたのかなと安心しました」と伝えました。 伊藤選手は「これまでに感じたことのないくらい悔しかったですが、休んで気分転換して吹っ切れました」と話したうえで、オリンピックに向けて「金メダルを見せられるよう頑張ります」と力強く意気込みを語っていました。メンタル強いとはよく言われますが、そんな人が一度崩れるとヒドイことになる気がしました。心配で心配で。ずっと本人からの発信はなかったので、余計に深刻さが想像されたのでした。今回のコメントの中にも、「これまでにない悔しさ」と吐露しています。さて、みまちゃん出現記念?に記事にあったように、「磐田市の広報誌」の美誠ちゃんの表紙と記事を載せておきます。記事の文面は読めないと思いますので、リンクを貼っておきます。PDF。広報いわた令和3年1月号|磐田市公式ウェブサイトお百度参りの準備済ネタは、いつか別の形で投稿します。もう相当、押してきてまして、投稿すべきものが2月いっぱいでも足りない気がします。美誠ちゃんも、いつか今回のショックについて話してほしいなあ。大魔王とは、美誠ちゃんファンなら、多くの人がご存知でしょうが、美魔王について書いておきます。まず、大魔王大魔王と中国メディアが報じたのは2018年。由来やウンチクがめっちゃ詳しいサイトがあります。伊藤美誠選手の'大魔王'というあだ名には中国からの称賛が込められている次に美魔王大魔王と報じられた翌年、テレビ東京が放送する、世界選手権個人戦2019での事前取材で、この大魔王について美誠ちゃん本人にインタビューしていて、大魔王と呼ばれる気持ちを聞かれた美誠ちゃん。確か、なんと呼ばれたいか、という質問だったと思いますが、フリップに「美魔王」と書いたのです。美しき大魔王。そういう経緯なので、美誠王ではありません。それまでテレ東は「最強の女子高生」なんてダサいニックネームをつけていましたが、以後しばらく「美魔王」と呼んでいました。その年の秋から私は、美誠ちゃんの猛烈なファンになりました。従って、私のロゴ風プロフアイコンに美魔王をつけています。end